高知城(こうちじょう)
高知城の基本情報
通称・別名
- 大高坂山城、河中山城、鷹城、高智山城
所在地
- 高知県高知市丸ノ内1
旧国名
- 土佐国
分類・構造
- 梯郭式平山城
天守構造
- 独立式望楼型[3層6階/1601年築/焼失(火災)]、独立式望楼型[4重6階/1749年再/現存]
築城主
- 山内一豊
築城年
- 慶長8年(1603)
主な改修者
- 山内豊敷
主な城主
- 山内氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪、天守、御殿、櫓、門、石垣、横堀(水堀)
指定文化財
- 国重要文化財(天守等15棟)、国史跡(高知城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
潮江城(高知県高知市)[1.2km]
井口城(高知県高知市)[1.4km]
朝倉城(高知県高知市)[4.9km]
布師田金山城(高知県高知市)[6.7km]
木塚城(高知県高知市)[6.8km]
介良城(高知県高知市)[7.8km]
浦戸城(高知県高知市)[8.0km]
吉良城(高知県高知市)[8.7km]
岡豊城(高知県南国市)[9.3km]
森山城(高知県高知市)[9.5km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- 84 高知城
設置場所
- 高知城天守窓口[地図]
高知城の解説文
[引用元:Wikipedia「高知城」の項目]
高知城(こうちじょう)は、高知県高知市にある日本の城。瓦や壁の色が鷹の羽の色に似ているとして、鷹城(たかじょう)とも呼ばれる[1]。
江戸時代には土佐藩の藩庁が二の丸御殿に置かれた。江戸時代に築かれた天守が残る現存天守十二城の一つであるほか、本丸御殿や追手門等が現存する[2]。城跡は国の史跡に指定されている。日本100名城に選定されている。四国八十八景27番。
概要
高知平野のほぼ中心に位置する大高坂山(標高45m)上に築かれた梯郭式平山城で、山の南を流れる鏡川、北の江ノ口川がそれぞれ外堀として利用されていた。
戦国時代以前には大高坂山城(おおたかさかやまじょう/おおたかさやま-)[3]または大高坂城と呼ばれる城が築かれていた。最初の築造時期は南北朝時代。土佐の戦国大名として台頭した長宗我部元親は1588年(天正16年)、岡豊城(おこうじょう)からここへ本拠地を移そうとしたが低湿地の山麓は工事が難航し、代わりに港(浦戸湾)に臨む浦戸城を選んだ(異説もあり、後述)。
長宗我部氏は関ヶ原の戦いで敗れた西軍に与して改易され、代わりに翌1601年(慶長6年)、山内一豊が土佐国を与えられて土佐藩を立てた。一豊は大高坂山で築城に取り掛かり、1603年(慶長8年)に本丸や二の丸は完成したが、城全体の完工は1611年(慶長16年)、一豊の没後で二代目藩主の忠義の代になっていた。3層6階の天守は、一豊が加増・転封前に居城としていた掛川城(静岡県)を模したといわれる。一豊により河中山城(こうちやまじょう)と名付けられたが、高智山城と名を変えたのち、現在の城名となった。
江戸時代初期の建物は1727年(享保12年)の大火でほとんどが焼失し、1753年(宝暦3年)まで四半世紀かけて再建され、現存天守は1749年(寛延2年)造と推測されている。
高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られていて、又天守と本丸御殿が両方現存する唯一の城である[4]。明治6年(1873年)に発布された廃城令や、太平洋戦争による戦災を免れて天守、本丸御殿、追手門など15棟の建造物が現存し、全て国の重要文化財に指定されている。現在これらは高知県の所有物となっている。また、この15棟の現存建造物に加えて、土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の一部であると伝わる部材が収蔵されている。
城全域は高知公園として無料で開放されているが、天守および本丸御殿(別名「懐徳館」)への入館は有料となっている。城の周辺には高知市役所、高知県庁、高知地方裁判所、高知地方検察庁といった行政・司法機関が立ち並び、高知県の行政の中心地となっている(県庁舎のみ実質的には公園内にある)。
また、城内には一豊と妻の千代(見性院)、板垣退助の銅像が立つ。
歴史・沿革
南北朝時代
大高坂山には、高知城の前身として大高坂山城(または大高坂城)があったとされる。付近の豪族・大高坂氏によって築かれたとされるが、定かではない。記録上では、大高坂松王丸が居城したことが知られている。松王丸は南朝方に付き、延元3年(1338年)には後醍醐天皇の第7子・満良親王を迎えている。しかし興国2年(1341年)、松王丸は北朝方の細川禅定、佐伯経定と戦って敗れ、大高坂山城は落城した。その後は文献に名がなく、廃城になったと考えられる。
安土桃山時代
天正15年(1587年)、長宗我部元親は豊臣秀吉の九州征伐従軍から帰国後、大高坂山に再び城を築いた。ただし、天正13年(1585年)には元親が既に大高坂を本拠にしていたとする説もある[5]。
天正19年(1591年)、水はけが悪かったため元親は3年で大高坂山城を捨て、桂浜に近い浦戸の浦戸城を改修して居城とした。ただし、元親が大高坂山城を捨てたとする見解は山内氏支配下の江戸時代の二次史料で初めて登場したものであること、浦戸城の規模の小ささや浦戸移転後も大高坂周辺の整備が進められていた形跡があることから、浦戸城は朝鮮出兵に対応した一時的な拠点に過ぎず、大高坂山城の整備も引き続き行われていたとする説もある。
江戸時代
慶長6年(1601年)、関ヶ原の戦いにおいて元親の子・盛親は西軍に与して改易された。代わって、山内一豊が掛川城から移り、土佐一国24万2千石を与えられ、浦戸城に入った。
慶長6年(1601年)8月、浦戸は城下町を開くには狭いため、一豊は長宗我部氏が一旦築城を断念した大高坂山の地に新城を築くこととした。同地は浦戸湾に面した地の利があるが、当時、同地周辺は湿原が広がるデルタ地帯で、長宗我部氏が築城を断念したほどの水害の多い地であり、山内家の技術では困難が予想された。一豊は関ヶ原の戦いで罪人とされ、京都で蟄居処分となっていた百々綱家(旧織田秀信家老)の赦免と雇用を徳川家康に嘆願し、これが認められた。一豊と同郷近江の出身の百々は石垣技術に優れた近江穴太衆を配下に持ち、築城技術に優れていたと伝わる。6千石で召し抱えた百々を総奉行に任じ、築城と城下町整備の全権を委ねた。翌月より百々は大工頭、鍛冶頭、築壁造頭らを率いて、大高坂山に本丸の造営と、城下町の整備のために鏡川・江ノ口川などの治水工事に着手した。
木材は同国内から、石垣は浦戸城のものも流用し、瓦は上方に発注した、とされている。その他専門の職人は大坂から雇用し、人足には山内家家臣団も利用された。子供も工夫として参加させ、賃金も支払われた。一日の参加人数は1200人を超えたと伝わる。冬の寒い時期は粥などの炊き出しを行い、月の明るい夜は夜通しの工事も行われた。
慶長8年(1603年)1月、本丸と二ノ丸の石垣が完成。旧暦8月には本丸が完成し、一豊は9月26日(旧暦8月21日)に入城した。この際に、真如寺の僧・在川(ざいせん)により、河中山城(こうちやまじょう)と改名された。
慶長15年(1610年)、度重なる水害を被ったことで2代目藩主忠義は河中の表記を変更を命じ、竹林寺の僧・空鏡(くうきょう)によって高智山城と改名した。この時より後に省略されて高知城と呼ばれるようになり、都市名も高知と呼称されるようになった。
慶長16年(1611年)、難関であった三ノ丸が竣工し、高知城の縄張りが全て完成した。
享保12年(1727年)、高知城下は大火にみまわれ、城は追手門以外のほとんどが焼失した。現在見られる建造物の大半は、こののちに再建されたものである。
- * 享保14年(1729年):8代豊敷は、深尾帯刀(ふかお たてわき)を普請奉行に任じ、城の再建に着手。
- * 寛延2年(1749年):天守ほか櫓・門などが完成。天守は小振りとなったが外観は焼失前の姿。
- * 宝暦3年(1753年):再建完了。
近現代
- 明治6年(1873年):廃城令に伴い、高知公園となる。この際に現存建造物以外の建造物(二の丸御殿、三の丸御殿、鉄門等)が破却された。
- 1910年 長岡安平の手により公園地化
- 昭和9年(1934年):天守など15棟の建造物が国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定される。
- 昭和20年(1945年):高知大空襲で被害を受ける。
- 昭和25年(1950年):天守等15棟は文化財保護法の施行により国の重要文化財に指定される。
- 昭和34年(1959年)6月18日:国の史跡に指定。
- 平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(84番)に選定。
- 平成27年:追手門の石垣と狭間の修理工事が行われた[6]。
- 令和2年(2020年)天守高欄の改修に着工(令和3年終了)。
遺構
南北に千鳥破風、東西には唐破風をつけた安土桃山時代の様式である。最上階の高欄は、徳川家康の許可を得て造ったものといわれている。創建時のものは享保12年(1727年)に焼失し、延享4年(1747年)に焼失以前のものを忠実に復元されたもので、高欄を設けるなどのやや古風な形式(復古型)をとっている。
- 天守
独立式望楼型4重6階、1重目の屋根を腰庇として3重6階と数えられることもある。窓は突上窓と連子窓、天守台がなく本丸上に、直に礎石を敷き御殿に隣接して建てられており、このような本丸を最後の防衛拠点とする構えは慶長期の城にみられるものであるという[7]。
平面寸法は、初層と2層を総二階造りで8間×6間、3層と4層を4間四方とし、5層と最上層は3間四方である。高さは18.5m。国の重要文化財に指定されている。
- 本丸御殿 (懐徳館)
天守に隣接して造られている。築城された当初、二ノ丸御殿ができるまでは土佐藩初代藩主・一豊と正室の千代夫人の住まいであった。しかしながら、18世紀初頭に本丸御殿は焼失し江戸中期に御殿の再建が行われ現在に至る。御殿が完全な形で現存しているのは高知城のみである。間取りは上段ノ間(床、棚、書院附)、二ノ間、三ノ間(茶所附属)、四ノ間、納戸、三畳二室、雪隠、入側、板間及び縁側より成る。一重、入母屋造、本瓦葺、溜ノ間(十三畳、七畳半、九畳及び四畳)及び玄関が付属する。焼失前の本丸御殿は金箔貼りであったが、享保12年(1727年)の焼失後は、金箔は貼らなかった。
本丸御殿に隣接する納戸蔵は八畳三室、四畳及び縁側より成る、一重、入母屋造、本瓦である。
本丸御殿は懐徳館[かいとくかん]と呼ばれ納戸蔵とともに国の重要文化財に指定されている[8]。
門の入り口は枡形の巨大な石垣で囲まれていて、敵を3方から攻撃できるようになっている。江戸時代からの現存である。
- 追手門
かつては二階建ての門があり、鉄板を打ち付けた扉があった。門を入ると枡形になっていて、詰門へと続いている。
- 鉄門跡
本丸とその北側にある二ノ丸の間にかけられた櫓門で、二階は二の丸と本丸を結ぶ廊下橋となっている。一方、一階部分は敵がまっすぐに通り抜けられない構造で、東側の入り口から入ると本丸西側の梅ノ段に抜けるように作られており、本丸につながっていない。
- 詰門
二ノ丸には、二の丸御殿があり藩主の寄住空間であった。また、発掘で見つかった、長宗我部時代の石垣がコンクリートで補強され残る。
- その他
鐘撞堂の鐘は享保4年(1719年)の鐘。鐘撞堂は二の丸、のちに太鼓丸に移り、現在の場所は戦後の移築による。鐘とともに入母屋、桟格子破風の貴重な遺構である。また、三の丸には、三の丸御殿があり内部には、純欄豪華な、障壁画によって装飾されていた。文化財
重要文化財
重要文化財指定は以下の15棟。
- 天守
- 本丸御殿・懐徳館[かいとくかん]
- 納戸蔵
- 黒鉄門
- 西多聞
- 東多聞
- 詰門
- 廊下門
- 追手門
- 天守東南矢狭間塀
- 天守西北矢狭間塀
- 黒鉄門西北矢狭間塀
- 黒鉄門東南矢狭間塀
- 追手門西南矢狭間塀
- 追手門東北矢狭間塀
史跡
- 高知城跡
- 1959年(昭和34年)6月18日指定。
現地情報
- 所在地
- 高知市丸ノ内一丁目2番1号
アクセス
入明駅から
- 路面電車(とさでん交通伊野線)高知城前停留場下車、徒歩約5分
- JR四国土讃線高知駅から
- 徒歩約25分
- バス約10分
- 500メートル
駐車場
- 高知公園駐車場(年中無休、7時30分~18時30分)65台(有料)
- 県庁前地下駐車場(8時~22時)222台(有料)
- 他、付近に多数所在
開館時間・料金
- 二ノ丸以下は終日立ち入り可能。
- 高知城天守・ 懐徳館(本丸御殿)開館時間
- 通常:9時 - 17時(入場は16時30分まで)
- 休館日:12月26日~1月1日
- 料金
- 18歳以上:420円、18歳未満:無料
- 団体(20名以上):330円
- 利用情報
- 日本100名城スタンプラリー スタンプ設置場所
- 本丸御殿入口(開館時のみ押印可)
- 周辺
- 高知県立文学館
- 高知県立公文書館
- オーテピア
- 高知県立高知城歴史博物館
- 高知県立武道館
- 高知新聞
- 高知県立大学永国寺キャンパス
- 高知県庁
- 高知市役所
- 寺田寅彦記念館
- 日本共産党高知県委員会
- 高知県立県民文化ホール
- 高知三翠園温泉
城内には関連する人物の銅像がある。
参考文献
- 【書籍】「定本 日本城郭事典」
- 目良裕昭「戦国末~豊臣期土佐国における城下町の形成と展開」(市村高男 編『中世土佐の世界と一条氏』高志書院、2010年) ISBN 978-4-86215-080-6
- 三浦正幸監修『図解 天守のすべて』学習研究社、2007年
- 『高知城 重要文化財』現地配布パンフレット
- 松田直則・日和佐宣正編『四国の名城を歩く 愛媛・高知編』吉川弘文館、2024年10月 ISBN 9784642084604
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高知城の口コミ情報
2024年06月10日 モーリシャス俊影
高知城
天守閣は三層六階でそこまで大きくなく派手さ荘厳さはあまりかんじませゎが、御殿と連結で現存の希少価値の高いお城石垣や門も素晴らしいです。
2024年05月25日 nonki
高知城
高知駅からアーケード街を通り徒歩20分程で大手門着。10年振りに訪れたが、さすが100名城の現存天守でした。
天守御殿、大手門が残っているし国宝にしても良いのではと思います。
この後続100名城の岡豊城に向かいましたが、バスの時間など下調べしておけば、午後だけで両方回れるボリュームでした。
2023年09月16日 延暦寺覚恕
高知城
正門から石段を斜めに駆け上がると、現存する天守閣が姿を見せる。本丸から眺める街並みや、その先に広がる海の景色も良好です。
2023年08月21日 tower428太閤
高知城
3回目の高知城、いつ来てもいいお城です。そして今だけ、高知中央郵便局で牧野博士の新休日の小型風景印がもらえます。お城の帰りにぜひいただいてください。63円切手が必要です。写真を貼付します。
2023年07月29日 筑前守⚔️じあん
高知城
高知旅でほぼ訪れる場所。知る限り天守から外へ出て城下を一望できる数少ない城。高知駅から徒歩で20分程度?高知駅から路面電車はりまや橋経由で高知城前まで行き、そこから徒歩5分程度。
2023年05月18日 RED副将軍
秦泉寺城[高知城 周辺城郭]
四重堀切が見事な土佐の名城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。歴史は古く鎌倉時代に吉松光義により築かれたと伝わります。
吉松氏は、河内源氏である源義賢の一族で、平教経との戦いの戦功で秦泉寺の領主となり土着したのが始まりとされます。
その後、吉松氏は本山氏に属しましたが、1560年に長宗我部元親の侵攻により落城。長宗我部氏に属しました。
その後、中島大和が城主となり、秦泉寺氏を称します。
1588年、秦泉寺の農民と土佐一宮の郷民との間に争いがおこり、一宮郷民が殺されたので一宮の神職は農民の引渡しを要求するも秦泉寺掃部は拒否。この事が長宗我部元親の怒りに触れ、謀反を起こしたとして秦泉寺氏は討たれ、秦泉寺城は廃城となった様です。
見所
山頂に主郭を置き、北側に副郭を配した小規模な山城です。
しかし、主郭と副郭は大堀切で区切られ副郭の北側背後は大規模な四重の堀切で遮断されており圧巻です。
主郭の西側下は横堀が配されており、切岸もかなりの鋭さと高さがあります。加えて法面に石積みを認めることができます。
城域南端は六重堀切で遮断されているらしいですが立入禁止となっていました。
行き方は、城域西側下まで県道16号が通っており比高は30mほどしかありません。路肩も広く駐車スペースもあります。
高知市街からも近く手軽に登城できる優良物件です。
2023年05月12日 相模守愛洲久忠
高知城
高知城をリア攻めしようと考えておられ、なおかつ公共交通機関をご利用の方にご案内。高知駅前にある「とさてらす」観光案内所ですが、ここにレンタサイクルがあります。料金は無料です。よろしければご活用ください♪
2023年05月10日 黄金船右近衛大将
高知城
天守閣があるだけあって、なかなか壮大な城です。山内一豊の像より千代の像の方が天守閣に近いのが土佐藩成立のいきさつを物語っていますねー
2023年04月23日 刹那F精鋭渡島守【元親】
秦泉寺城[高知城 周辺城郭]
秦泉寺(じんぜんじ)城
高知市秦泉寺に位置する。高知市の北側で県道16号(土佐山方面)を入りすぐに丘陵部に入りすぐ道路右に登城口がある。
秦泉寺城は、土佐の豪族で本山氏の傘下にあった吉松氏の城とされている。
後に長宗我部元親に降伏、万々城主へ移る。
みどころは城郭の南北の尾根上に構築された、連続掘切がみどころで圧巻です。西側の傾斜部は県道で東側には民間造成で削られているが、掘切はしっかり下まで残っている。また、切岸も相当高い。
車も登城口のすぐに駐車スペースがあり登城口からすぐに丘陵部の城郭に入りますので散策に時間を費やしてもいい。
2023年02月28日 尼崎城駿河守一口城主
高知城
1月6日、登城。登城前に予習の為、お城の前の高知城歴史博物館に入館してきました。歴史博物館には天守閣と追手門を見渡すことが出来るスポットがありました📷(写真①)。歴史博物館内の展示品を見学していたら四代藩主豊昌公のものと伝わる兎耳形兜🐇(複製)が展示されていました(写真②③)。歴史博物館内は、土佐の歴史から文化など展示が充実していて入館して良かったです。
資料館を出て天守閣と追手門と山内一豊公の写真を撮れる場所があったので撮影(写真④)。追手門をくぐり、道中の石段、枡形、石垣のスケールに感動しながら天守閣🏯を目指しました。石段については歴史博物館で段差や奥行きが均一に作られておらず、攻めにくく守りやすいように設計されていると紹介されていたので、石段も足元を気にしながら上がって行きました。天守閣目指して上がって行く道中にその設計を体感出来ました。城内の展示も歴史博物館同様充実していました。坂本龍馬の紋服 :左側と山内容堂の陣羽織:右側(両方複製:写真⑥)がこの日最も印象に残りました。
天守閣を出た後、三の丸の長宗我部時代の石垣を探しに向かい、無事発見することが出来ました(写真⑦⑧)🔍
2023年01月23日 気分爽快豊後守
秦泉寺城[高知城 周辺城郭]
城跡の西側沿いに県道16号線が通っていますが、1郭跡に神社がありその参道から登城できます。横堀を参道にしているようですが、切り通しかと思うような規模の大きさです。
城の北側には四重の堀切があり、城に近づくほど深さが増します。それぞれの堀切は両側が竪堀とつながっており、守りの固さが伺えます。城の南側にも、北側ほど規模は大きくないですが多重の堀切が配されています。
①南側の堀切
②1郭と2郭の間の堀切を2郭側から
③四重堀切の2番目は浅い
④四重堀切の3番目とつながる竪堀
⑤四重堀切の2番目から2郭方向
⑥四重堀切の4番目。深い!
⑦堀切から見た1郭北側
⑧切り通しのような横堀
2022年12月06日 刑部卿清老頭天和
忍返し[高知城 遺構・復元物]
全国で唯一残る現存忍返し、大変貴重な物です
2022年09月29日 ボンド
高知城
土佐24万石を襲封した山内一豊によって創建されて以来、約400年余りの歴史を有する南海の名城として名高い
高知といえば高知城。いわずとも山内一豊土佐国に入国し長宗我部氏の浦戸城に居城。経済にふさわしい地、湿地帯で長宗我部が断念した現在の城山・大高坂山を新城の地と定め江戸幕府へ報告して百々越前を総奉行として築城の命を下し地鎮祭を催す。鍬初式を行ない築城着工にかかったお城が今の高知城。
2022年09月26日 気分爽快豊後守
高知城
朝早く登城しましたので、散歩を楽しむ人ぐらいですいていました。半日はかけてじっくり回りたいお城です。天守、御殿、櫓はもちろんですが、沢山の石垣を見てるだけで、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
2022年09月19日 月夜御前主税助
高知城
城主の山内一豊像と千代の銅像は結構離れています。調べてからいくと良いと思います。ガイドさんはさすが高知人、人懐っこさバリバリです。是非城談義しながら回られるのも良いと思います。
忍びかえしや、天守の土佐漆喰窓は要チェックです!
近くの博物館から見えるお城も、とても良いので必ず寄りましょう!
御城印は通常盤と現在切り絵タイプが販売中。(写真右》かっこいいです。スタンプは受付の方に声をかけると出してくださいます。
2022年01月10日 そらそら伊勢守♪
高知城
1月9日日曜の朝登城しました。高知公園駐車場は枠指定です。近くて便利でした。城内は、ゆっくり堪能するために、冬は厚い靴下があるといいと思います。
お城を眺めるなら、高知城歴史博物館の三階や、2階のテラスからが角度も景色もオススメと思いました。
2022年01月08日 まいける宮内大輔
高知城
こじんまりとした天守ですが、思ったよりも登ってみると見応えがあります。是非行ってみて下さい。
2021年11月28日 たかさん兵部卿
高知城
高知城の夜間ライトアップ。最高に綺麗でした❗感動です🌸
2021年06月27日 【城郭道】たっきー
詰門[高知城 遺構・復元物]
本丸と二の丸の間にある完成城郭としては珍しい堀切。そこを塞ぐかたちで、渡櫓を載せた櫓門である詰門が築かれている。上の櫓で二の丸から本丸に渡るようになっていて、家老などの詰所としても用いられた。
天守や本丸御殿とともに国指定重要文化財となっている。
2021年04月06日 yasu
高知城
雨の中の登城でしたが、観光城って感じで、多くの人で賑わってました。長い階段を登りますが歩き易いです。手すりが有ればもっといいですね。天守も展示物や飾り物も沢山あります楽しめます。
2021年04月02日 山田左京大夫元久
高知城
高知城は本日より花回廊🌸夜は色々とライトアップされます。ひろめ市場も近いぜよ‼️
2021年01月03日 【城郭道】たっきー
秦泉寺城[高知城 周辺城郭]
鎌倉時代、吉松播磨守光義により築かれた山城。土塁、曲輪、堀、土塁が残る。
2021年01月02日 刹那F精鋭渡島守【元親】
本丸御殿入口[高知城 スタンプ]
100名城スタンプ、御城印ほかグッズも販売しています。100名城スタンプは受付に声かけたら出してくれます。2021限定御城印は1/3まで。
2021年01月02日 刹那F精鋭渡島守【元親】
納戸蔵[高知城 遺構・復元物]
一両具足や鯨🐳の捕鯨のようすなど展示されています。当時のようすなどがわかります。
2020年12月13日 【城郭道】たっきー
納戸蔵[高知城 遺構・復元物]
蔵を兼ねた多聞櫓で外壁は土佐漆喰塗の大壁造(柱を外部に見せない壁)平屋の建造物となっています。本丸御殿西側に接続し、対面の場に使用する家具調度品を保管しました。
本丸搦手口防衛中心施設としての役割もあり、黒鉄門から本丸へ侵入しようとする敵兵へ攻撃することができます。
内部は三室。床は畳敷。天井は張らず、化粧垂木仕上げとなっています。
中へは本丸御殿から入ることができます。
2020年12月01日 【城郭道】たっきー
黒鉄門[高知城 遺構・復元物]
一般的な櫓もは両脇を石垣で支えた形となっていますが、高知城の黒鉄門(くろがねもん)は珍しく石垣を使わない櫓門となっています。
よく日本城郭検定の問題にも出てきますね。
2020年11月29日 刹那F精鋭渡島守【元親】
高知城歴史博物館[高知城 関連施設]
JAFの会員証で入場券の割引があります。また高知城とのセットの割引もあります。
展示は3階です。エレベーターもあります。
2020年11月29日 左京進左門
高知城
三ノ丸に長宗我部氏時代の石垣がありますので、そちらも見られてみては。
ちなみに、これまでは水害、治水の問題で浦戸城に移ったと言われていましたが、近年は豊臣政権の朝鮮出兵をにらんだ政策から、海の近くに移動するよう命じられたのでは、と言われているようです。
2020年09月22日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
高知城
本丸御殿と天守内各階の展示内容が充実しており、楽しめます。
2020年08月29日 刹那F精鋭渡島守【元親】
高知城
天主高欄は現在修復中で仮設の高欄が取り付けてましたよ。今しかないのである意味珍しいです。
2020年08月23日 金太郎民部卿松井康之
高知城
行ったのが4時頃だったせいか、このアプリ始める前と比べてもガラガラでした。駐車場も空いてました。特急の自由席も3割位の乗車率でした。コロナに気をつけて行けば、ゆったりと巡れますので、逆にチャンスかもしれません。
2020年08月03日 【城郭道】たっきー
高知城
高知城の国宝化を目指して、市民団体が天守再建時の棟札と築城記録を探しています。2015年に松江城天守が国宝になった際は築城年を記した祈禱(きとう)札が発見されたことが決め手となりました。高知城でも当時の史料が見つかると大きな一歩になるとみられ、懸賞金500万円を出して、探しています。
高知城は現在、天守などが重要文化財に指定されてます。高知城ホームページなどによると、天守は1603年に完成したと言われている。しかし1727年の大火で焼失。現存する天守は1749年に再建された。江戸時代に建てられた城の中で唯一、本丸の建造物がほぼ全て現存します。戦前の1934年には、旧国宝保存法で国宝に天守などが指定されていました。
現在国宝の城は、松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城の5城。このうち、松江城は築城年を記した祈禱札の発見後、天守が国宝となりました。
一方、高知城天守に残るのは1779年に修理を行った際の棟札のみ。天守再建時の棟札は所在不明で、いつなくなったのかも分かっていません。「国宝指定のためには時期を明確に記した1次史料が必要」として、市民団体「高知城を国宝にする県民の集い」と「龍馬同盟」のメンバーが今年6月、懸賞金を出して探し始めました。
高知城が国宝になることを心から待ち望んでいます。
2020年06月14日 十和大炊助邦花
高知城
-高知城最上階の高欄改修工事-
下記の工事期間中は高欄(手すり)に出る事ができません。
・令和2年6月5日(金)〜7月31日(金)
手すり撤去と仮の手すり設置
・令和2年11月後半〜令和3年1月29日(金)
仮の手すり撤去と修復済み手すり再設置
一旦取り外された高欄はまず、広島県の厳島神社の塗装を手がける広島県の業者に移送され、その後、高知県の業者が老朽化部分を補修。
再設置までの間も天守からの眺望を楽しめるよう、仮の手すりが設置されます。
この補修は漆や木材の老朽化対策として10〜20年に一度行われているもので、2009年以来11年ぶりです。
2019年04月24日 ぬん駿河守
高知城歴史博物館[高知城 関連施設]
高知城や土佐藩について学べる。
高知城をリア攻めするなら絶対に行くべき。
夕方にはシルエットとして浮かび上がる高知城が見られる。
2019年04月23日 大納言Z周防守369
桜山[高知城 遺構・復元物]
高知城南西にあった御屋敷の庭園跡。この辺りを隣接する高知県庁付近の小屋に住み着く鶏の「けんちょう君」ファミリーが放し飼いされてるのが見られます。なお、自活するのと、野良猫やカラスの餌になってしまうので、鶏に餌は与えないように。
2019年03月29日 ぬん駿河守
高知城
高知城の後は、高知城博物館に行くべきです!
展示がすごいです。
2018年10月13日 副将軍函館雄一郎
高知城
障害者や体の不自由な人に優しくないお城です。とくに心臓の悪い人は天守閣まで登るとそのまま天国まで連れて行かれます。その位キツかった・・・
2018年01月03日 クロちゃん
高知城
大きなお城ではないのですが、山内家の人達が住んでいたと考えると、ワクワクしながらの見物でした!
2017年11月07日 みや☆副将軍
高知城
高知公園駐車場に車を停め、高知城/高知県立文学館/高知県立高知城歴史博物館をまとめてイベ攻略しました。東多聞のQRコードの場所は電波厳しいですが、そばに小窓が開いており、そこから電波を取りました。こうち旅広場に移動されるかた、道非常に混むのでお気をつけ下さい。この周辺でガソリンを満タンにしておくことをお勧めします。離れると深夜開いてるスタンドはほとんど見かけません。
2017年06月13日 織田上総介晃司
高知城
駐車場は追手門広場の高知公園駐車場か城西公園付近の100円パーキングになります。
追手門から見える天守を目指して進み本丸へ。本丸は天守・本丸御殿(懐徳館)をはじめ、多くの櫓が残っている。全国でも珍しい光景です。
高知城の近くにひろめ市場があり、高知の名産を食べ歩くことができる。
さらに先に進むとはりまや橋。
車かバス移動で月の名所桂浜。
浦戸城跡もあるが、なんといっても坂本龍馬像!
龍馬ファンならずとも訪れたい。
2017年05月14日 源山城守@ポンコ2…
高知城
2017.5.7GW最終日の日曜9時前に車で到着しましたが、
当日は追手門から東に続く日曜市と重なり、
周辺駐車場は満車ばかりでした。
管理人によると、日曜は満車になることが
多いとのことで、追手前高校東側の駐車場に
駐車できました。
日曜に車で来城される方は、事前の下調べを。
無難に追手門から登城しましたが、
まずはその枡形の素晴しさと聳える天守、
苔生す石垣がよかったです。
門を潜り、三ノ丸や二ノ丸の横矢掛りの石垣は
荒々しい野面積に一部打込接になっており、
鉄門跡の打込接は修理済とのことでしたが、
堂々とした佇まいでした。
三ノ丸に発掘された長宗我部元親の石垣が観れます。
また、石垣の所々に石樋があり、計16ヶ所あるそうで、
水跡などからしっかり現役です。
詰門を通り、本丸に上がると本丸御殿と天守閣が見え、
料金払い、御殿➡️天守閣へと進みます。
わりと質素な造りですが、
急階段を上った望楼からはよい眺めです。
黒鉄門から下りて行きましたが、
野面積の石垣や天守外壁の忍返しなど下り道も
じっくり堪能できる城でした。
2017年05月08日
高知城
高知城観光ガイドさんに教えて頂いた情報です。杉ノ段にある『一豊の妻(見性院)像』の横の枯れ葉の茂る木は柏の木で、山内家の家紋『三葉柏』の元になったと言われていて、枯れ葉を取らずわざとそのままにしてあるそうです。理由は、翌年新芽が出るまで古い葉が落ちないので、子孫繁栄の象徴とのことでした。
2017年05月03日 大熊猫左近衛中将慶太郎悌次郎
高知城
二の丸までの階段が舗装されて歩きやすくなりました。
でも、舗装しちゃっていいのかなぁ?
2017年05月02日 正宗勘解由長官弾正
高知城
石垣を見上げながら、結構、数の多い階段を天守に向かって歩いて行きます。手前には杖の貸し出しがありました。やっとたどり着いたら次は天守閣の攻略が待っています。どこのお城もそうですが例外なくこちらも階段がきつい。私の前が妊婦さんだったので、見てるこちらもヒヤヒヤでした。
てっぺんでは少し外を歩けるようですが、高所が苦手な私は断念。屋内ながら好天に恵まれ風が気持ちよかったです。一通り上がって下りてからQR コードが天守閣の1階離れにあることを知りました。
2016年01月03日 まるき〜陸中守
高知城
外で靴を脱ぎ御殿より入城、100名城スタンプは天守御殿入り口券売所にて受付に声をかけると出してもらえます。御殿内は素足で回れる
天守内はスリッパを履くようになっているが滑りやすいので履かなくてもOK、
ですがこの時期足裏から凄く冷えます…
高知城の漆喰部分は土佐漆喰と言って塗った時は肌色っぽいのですが時間が経つと白くなっていくと言う性質のもの、施工の方法が他と全く違うとか…
姫路城と逆ですねぇ
後、天守一階部分の床に取っ手があり、床板ははめ込まれているだけになっている。床下収納、食料庫になっていたから…と言う事です。
現存天守を維持するのに不具合をみつけても直ぐに修理等はできず
あちこちからの査察や審議が行われ釘一本打つにしても相当な時間が掛かるらしいです。
見学するのにも壁を擦ったりしない様に相当気を使いました…
高知公園駐車場、普通車、軽自動車共に駐車料金は1時間360円30分増すごとに100円追加
駐車場から天守まで10〜15分程度です。
2016年01月01日 まるき〜陸中守
高知城
本日午後5時まで高知城天守は無料で見学できまーす。(=゚ω゚)ノ
2014年09月12日 志賀長門守親次
高知城
9/9AM登城。
やはり現存天守は見応えありです!が階段が急ですね(^^;)
土佐の波をかたどった欄間が象徴的でした。
2013年11月29日 清水若狭守龍親
高知城
高知城の始まりは南北朝時代に築かれた大高坂山城とされます。戦国時代に入り土佐を平定した長宗我部元親が天正16年(1588年)に大高坂山城を修復し本拠としましたが3年後に浦戸城に移りました。 慶長6年(1601年)、関ヶ原合戦の功により、遠州掛川6万石の山内一豊が土佐20万石を与えられ初代土佐藩主となりました。一豊は長宗我部氏の浦戸城に入城しますが城下町を開くには狭いため廃城となっていた大高坂山に新しく城を築きます。2年後には本丸、二の丸が完成し浦戸から移りました。
高知城(旧名)大高坂山城・河中城・高智城
別名(土佐鷹城)
2013年08月12日 ばしこん
高知城
毎年この日はよさこい祭り全国大会。競技は城内で行われますので大変混雑致します。城巡り目的だけならこの日は避けた方がいいです。自分は逆にそれを狙って来ていますが、優秀な競技者にメダルを掛ける『ミス高知』のお嬢さん方が目当てです。
2013年08月09日 ️_
高知城
天守閣に入りすぐ右手の部屋で冷たいおしぼりのサービスがあります♪
「高知家」からの何よりのおもてなしです(^-^)
2013年07月28日 摂政M三郎
高知城
新説…高知城には、文化財の林立する本丸を除き、ところどころに喫煙所が設置されていますが、この喫煙所…知られないが含蓄のある視点場の目印になっているような…しかも、灰皿の位置が最良。すぐ脇には、ベンチや置石があって…失礼m(__)mして、それに上がると、さらに良し(・・;)…城好きの愛煙家の方が、こだわって配置されたのかも…感謝(^o^)/
それと…天守の追手門側のライトアップは、なんと(((・・;)…数百メートル離れた街中のビルから照射されているんですね…ビックリ(^o^)/
2012年10月09日 摂政M三郎
高知城
日曜日、高知城は日曜市からの人の流れで賑わいます。観光客とともに追手門から二の丸を経て本丸へ向かうのも良いですが、城郭(石垣)ファンには、『杉の段』から北に反れ、杉木立の中の苔むした美しい『三の丸石垣』を経て、段を上がり裏側から『本丸建造物群』を見上げ、引き返して『二の丸下の銀杏並木』を通り三の丸へ。ここで『二の丸復元石垣』や天守、渡櫓を愛でたあと、天守下を巡って南側から本丸へ入る順路がお薦めです。少々、時間を要しますが、静かに『剛毅でひと味違う高知城』が味わえます。メインルートで写真撮影するなら、日曜日は、避けたほうが無難かも(⌒‐⌒)
2011年09月16日 春風十勝守世遊
高知城
追手門から入ったあと、そのまま石段の方に進んでしまいがちですが、一度立ち止まり左手を見てください。『高知城観光案内所』なる小屋があります。(ついでにコインロッカーも)
運が良ければ現地ガイドさんがいます。天守閣までを案内してくれますよ1人で行っても丁寧に案内してくれましたぜひ立ち寄ってみてください
百名城スタンプは天守閣受付・状態良好
2011年08月31日 加藤豊後守清正
高知城
全国にあるお城の中で、天守を含め完存するお城です。他に姫路城もあります。なかなか完存はないので、是非行ってみては?
2011年07月13日 摂政M三郎
高知城
高知城は、高知市のほぼ中央に位置する独立峰に本丸と二の丸を並立させ、それを取り巻き階段状に郭を配置した平山城です。山上の郭は登城路正面に設置された城門状の櫓の二階部分を介し連結され、攻城時に誤って櫓を破壊すると、本丸への一方の攻め口を失う仕組みとなっています。本丸には、現存天守始め、建造物が保存状態良く残ります。追手門越しに東より望む景観がよく紹介されますが、個人的には、中段を西側に廻り真下から本丸の高石垣と林立する建造物群を望む景観がお勧めです。白壁の美しい、私がお勧めしたい城のひとつです
2011年06月10日 加藤豊後守清正
高知城
現存12天守の中では比較的新しいですが、共に唯一現存する御殿は必見です!
幕末の志士、坂本龍馬もここを出入りしてたのでしょうね。
2011年01月20日 加藤豊後守清正
高知城
書院と天守が一体になっていて、中は狭いものの、最上階の眺めは最高でした!
2010年10月14日 摂津守天酒閣
高知城
夜は紫のライトで照らされ妖しい感じが良かった!
2010年09月13日 tomm加賀守
高知城
すぐ近くにあるひろめ市場の明神丸で食したカツオたたき(塩)は目の前でワラ焼きしてる事もあって絶品でした
高知城の周辺観光情報
【高知市】はりまや橋
「よさこい節」の純信お馬の道行で有名。江戸時代初期、土佐藩の御用商人の播磨屋宗徳と櫃屋道清が両家を往来するために設けた私設の仮橋が最初と言われる。現在は周辺がはりまや橋公園として整備されている。東側には、よさこい節のメロディとともに龍馬や桂浜が現れるからくり時計もあります。
交通案内|JR土讃線高知駅下車、徒歩10分
駐車場 |近隣の民間有料駐車場利用
問合せ |高知市観光振興課
お電話 |088-823-9457
E-mail |kc-150300@city.kochi.lg.jp
サイト |リョーマの休日(高知県観光情報サイト) [外部サイトへ移動します]
高知城の周辺スポット情報
桜山(遺構・復元物)
現存天守(遺構・復元物)
追手門(遺構・復元物)
詰門(遺構・復元物)
長宗我部期石垣(遺構・復元物)
納戸蔵(遺構・復元物)
本丸御殿(懐徳館)(遺構・復元物)
黒鉄門(遺構・復元物)
納戸蔵(遺構・復元物)
西多門櫓(遺構・復元物)
東多門櫓(遺構・復元物)
廊下門(遺構・復元物)
二の丸(遺構・復元物)
三の丸(遺構・復元物)
高知城天守(遺構・復元物)
高知城石垣(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
二の丸乾櫓跡(遺構・復元物)
追手門東北矢狭間塀(遺構・復元物)
水ノ手門(遺構・復元物)
乾櫓跡(遺構・復元物)
太鼓櫓跡(遺構・復元物)
致道館跡(遺構・復元物)
西の丸(遺構・復元物)
丑寅櫓跡(遺構・復元物)
数奇屋櫓跡(遺構・復元物)
家具櫓跡(遺構・復元物)
手嶋家武家屋敷(遺構・復元物)
旧山内家下屋敷長屋(遺構・復元物)
旧山内家下屋敷跡(遺構・復元物)
黒鉄門西北矢狭間塀(遺構・復元物)
黒鉄門南東矢狭間塀(遺構・復元物)
追手門西南矢狭間塀(遺構・復元物)
天守西北矢狭間塀(遺構・復元物)
鐘撞堂(遺構・復元物)
御馬場跡(遺構・復元物)
鉄門(遺構・復元物)
内堀(遺構・復元物)
太鼓丸(遺構・復元物)
御馬場跡(遺構・復元物)
水路跡(遺構・復元物)
御台所屋敷(遺構・復元物)
梅ノ段(遺構・復元物)
搦手門(遺構・復元物)
黒鉄門(遺構・復元物)
忍返し(遺構・復元物)
石樋(遺構・復元物)
築山と池(遺構・復元物)
杉ノ段跡(遺構・復元物)
致道館門(遺構・復元物)
野中兼山邸跡(遺構・復元物)
国寶高知城石碑(碑・説明板)
旧丸ノ内案内板(碑・説明板)
旧丸ノ内案内板(碑・説明板)
武市半平太 殉節の地(碑・説明板)
坂本龍馬 誕生地(碑・説明板)
山内容堂誕生地(碑・説明板)
板垣退助誕生地(碑・説明板)
後藤象二郎誕生地(碑・説明板)
立志社跡(碑・説明板)
秦泉寺城(周辺城郭)
竹林寺(寺社・史跡)
旧関川家住宅(寺社・史跡)
山内神社(寺社・史跡)
高知大神宮(寺社・史跡)
城内神社跡(寺社・史跡)
本丸御殿入口(スタンプ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
高知城歴史博物館(関連施設)
高知城管理事務所(関連施設)
寺田寅彦記念館(関連施設)
山内一豊像(その他)
山内一豊妻・千代像(その他)
坂垣退助像(その他)
はりまや橋(その他)