吉良城(きらじょう)

吉良城の基本情報

通称・別名

吉良峰城、弘岡城

所在地

高知県高知市春野町弘岡上

旧国名

土佐国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

吉良氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

吉良氏、本山氏、吉良親貞(長宗我部氏家臣)

廃城年

永禄6年(1563)

遺構

曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀群、屋敷跡

指定文化財

市史跡(吉良城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

森山城(高知県高知市)[2.6km]
木塚城(高知県高知市)[3.4km]
蓮池城(高知県土佐市)[4.5km]
朝倉城(高知県高知市)[4.6km]
波川玄蕃城(高知県吾川郡)[5.8km]

吉良城の解説文

吉良城(きらじょう)は、土佐国(現高知県高知市春野町 (高知県)弘岡上)にあった中世の日本の城。 別名・吉良峰城。

概要
吉良城は、前方には吾南平野が一望でき、後方には250mの吉良ヵ峰がそびえるの要害の城である。土佐南学発祥の地。 土佐吉良氏の代々の居城として知られるが、築城年は不明である。築城主は吉良氏と云われる。

歴史
吉良氏は平治の乱の後、土佐に配流された源希義の子孫といわれ、その子、吉良八郎が築いた平山城だと伝えられる。 吉良宣常の頃が全盛で、周防から南村梅軒を招き、土佐南学の礎を築くなど文武両道、温和聡明な城主として名が高かった。

吉良宣直が5千貫領し、戦国時代に土佐七雄の1人に数えられた。

天文9年(1540年)本山城を拠点に持つ本山氏は吉良城から僅か10km北に朝倉城を築いた。それにおそれた宣直は土佐一条家を頼り、一条氏は森山砦を築いて、本山氏に対抗。2月、本山茂辰は宣直が仁淀川で鮎漁に興じる隙を見て奇襲。吉良城は落城し、仁淀川の如来堂で宣直は落命し、名門吉良氏は滅亡した。

吾南を手にした本山氏は吉良姓を名乗り(吉良式部少輔茂辰)、森山、秋山を含めて土佐中央部を支配する。しかし、東方で勢力を拡大した長宗我部氏の勢力に押される。両氏の対立は長浜の戦いの戸ノ本の戦いから始まり、永禄6年(1563年)、本山氏は朝倉城、吉良城から撤退する。長宗我部元親は弟の長宗我部親貞を入城させ、吉良親貞と名乗らせた。しかし、親貞の子吉良親実は後継問題で元親の怒りを買い、切腹する。この城は後に元親の子、盛親に与えられたが程なくして、廃城になった。

吉良城の口コミ情報

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