弘前城(ひろさきじょう)
弘前城の基本情報
通称・別名
- 鷹岡城、高岡城
所在地
- 青森県弘前市大字下白銀町1-1
旧国名
- 陸奥国
分類・構造
- 梯郭式平山城
天守構造
- 型式不明[5重6階?/1610年築/焼失(落雷)]、独立式層塔型[3重3階/1810年再/現存]
築城主
- 津軽為信、津軽信枚
築城年
- 慶長16年(1611)
主な改修者
- 津軽寧親
主な城主
- 津軽氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、天守、櫓、門
指定文化財
- 国史跡(津軽氏城跡)、国重要文化財(天守・辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓・三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭亀甲門)
再建造物
- 二の丸東門与力番所、石碑、説明板
周辺の城
-
和徳城(青森県弘前市)[1.7km]
大浦城(青森県弘前市)[4.4km]
小栗山館(青森県弘前市)[5.4km]
三世寺館(青森県弘前市)[5.8km]
堀越城(青森県弘前市)[6.2km]
田舎館城(青森県南津軽郡)[7.9km]
大光寺城(青森県平川市)[8.1km]
石川城(青森県弘前市)[9.5km]
高畑城(青森県平川市)[10.1km]
乳井城(青森県弘前市)[10.5km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- 4 弘前城
設置場所
- 弘前城情報館[地図]
弘前城の解説文
[引用元:Wikipedia「弘前城」の項目]
弘前城(ひろさきじょう)は、陸奥国鼻和郡(のち統合と外浜(青森)、西浜(十三湊)を編入で津軽郡)弘前(現・青森県弘前市下白銀町)にある日本の城。別名・鷹岡城、高岡城。江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し国の重要文化財に指定されている。また城跡は国の史跡に指定されている。江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれた。
概要
江戸時代には弘前藩津軽氏4万7千石の居城として、津軽地方の政治経済の中心地となった。城は津軽平野に位置し、城郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6郭から構成された梯郭式平山城である。創建当初の規模は東西612メートル、南北947メートル、総面積38万5200平方メートルに及んだ。現在は、堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめ、8棟の建築と現存12天守に数えられる内の天守1棟が現存する。現存建築はいずれも、国の重要文化財に指定されている(詳細は後述の「文化財」を参照)。小説家の司馬遼太郎は紀行文集『街道をゆく - 北のまほろば』で、弘前城を「日本七名城の一つ」と紹介している。 本丸多門櫓、本丸土塀の木造復元整備計画はあるが予算の関係で門の木造復元や本丸御殿、屋敷、土蔵の建物の木造復元整備計画はない。
歴史・沿革
安土桃山時代
- 1590年(天正18年) - 南部氏に臣従していた大浦為信は、小田原征伐の際に豊臣秀吉より南部氏に先駆けて4万5千石の所領安堵の朱印状を受ける。大浦を津軽と改姓。
- 1594年(文禄3年) - 為信、堀越城(弘前市堀越)を築き大浦城より移る。しかし、軍事に不向きであることを理由に新城の候補を鷹岡(現在の弘前城の地)に選定。
- 1600年(慶長5年) - 為信は関ヶ原の戦いで東軍に付き、徳川家康より2千石の加増を受け4万7千石の弘前藩が成立。
江戸時代
- 1603年(慶長8年) - 為信、鷹岡に築城を開始。
- 1604年(慶長9年) - 為信、京都にて客死し、築城は中断する。
- 1609年(慶長14年) - 2代信枚(信牧)、築城を再開。堀越城、大浦城の遺材を転用し急ピッチでの築城を行う。
- 1611年(慶長16年) - 1年1か月で鷹岡城がほぼ完成する。
- 1627年(寛永4年) - 落雷により、鷹岡城の天守で炎上し内部の火薬に引火して大爆発、5層6階の天守、本丸御殿、諸櫓を焼失。以後、200年近く天守のない時代が続いた。
- 1628年(寛永5年) - 鷹岡を信枚の帰依する天海大僧正が名付けた「弘前」に改称し、城名も弘前城となる。
- 1810年(文化7年) - 9代藩主津軽寧親が三層櫓を新築することを幕府に願い出て、本丸に現在見られる3層3階の御三階櫓(天守)が建てられた。
明治時代
- 1871年(明治4年) - 東北鎮台の分営が置かれた。
- 1873年(明治6年) - 東北鎮台の分営を廃止。廃城令発布により廃城処分とされ、この後、本丸御殿や武芸所等が取り壊される。
- 1894年(明治27年) - 旧藩主津軽氏が城跡を市民公園として一般開放するため、城地の貸与を願い出て許可される。
- 1895年(明治28年) - 弘前公園として市民に一般開放される。
- 1898年(明治31年) - 三の丸が陸軍兵器支廠(のち第8師団兵器部)用地となる。
- 1903年(明治36年) - これ以降桜が植えられ、桜の名所となる。
- 1906年(明治39年) - 北の郭の「子の櫓」と西の郭の「未申櫓」の櫓2棟が焼失。
- 1908年(明治41年) - 皇太子(後の大正天皇)が、公園を「鷹揚園」と命名する。
- 1909年(明治42年) - 1906年の藩祖為信公三百年祭の記念事業として、高さ約4メートルの津軽為信の銅像が本丸に建立された。
昭和時代
- 1937年(昭和12年) - 現存建造物群8棟(三の丸東門除く)が国宝保存法に基づく旧・国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定される[1][2]。
- 1944年(昭和19年) - 第二次世界大戦における金属供出により前述の銅像が撤去された。
- 1950年(昭和25年) - 文化財保護法の制定により、現存建造物群(三の丸東門除く)は国の重要文化財に指定される。
- 1952年(昭和27年) - 国の史跡に指定される(禅林街の長勝寺構と最勝院を含む新寺構もあわせて指定)。
- 1953年(昭和28年) - 三の丸東門が国の重要文化財に指定される。
- 1981年(昭和56年) - 公園管理人宿舎・作業員詰所となっていた二の丸東門与力番所が、1979年(昭和54年)より文化庁の協力の下、現在地に移築復元される。
- 1985年(昭和60年) - 国の史跡に堀越城跡が追加指定されるのに伴い、史跡名称が「津軽氏城跡」(弘前城跡)に変更される。
平成時代
- 1999年 - 2000年度(平成11年 - 12年度)の発掘で、北の郭の館神(たてがみ)跡から本殿跡や鳥居礎石が発見される[3]。
- 2002年(平成14年) - 国の史跡「津軽氏城跡」には弘前城跡、堀越城跡に加え、種里城跡も追加され、総指定面積は約105万4千平方メートルとなった。
- 2003年(平成15年) - 本丸・北の郭への入園が有料となる(4月から11月の間)。
- 2004年(平成16年)4月 - 津軽為信の銅像が、東門近くの弘前文化センター(http://www.hi-it.net/~bunka/)前庭に復元された。
- 2005年(平成17年)12月 - 西堀にかかる春陽橋の全面架け替えが73年ぶりに行われた。
- 2006年(平成18年)4月6日 - 日本100名城(4番)に選定された。
- 2007年(平成19年)6月 - 天守付近の石垣壁面が経年変化により膨らんでいて崩落する可能性があることが判明した。
- 2011年(平成23年) - 弘前城築城400年祭が年間を通して開催された。
石垣修理と天守曳家
- 2012年(平成24年)9月 - 天守付近の本丸石垣の膨らみや天守の傾きがある事から修理の方針が決定された。今後も調査を続け、2015年夏に天守を曳家で移動させてから、2016年(平成28年)から本格工事に着工[4]。曳家工事は西村組(弘前市)と我妻組(山形県米沢市)が担当。
- 2015年(平成27年)
- 8月 - 天守を持ち上げる「揚屋」工程が行われた[5]。
- 9月3日・4日の両日で、「一次曳屋」の作業が行われた。13日には方向転換のために25度回転させられた。
- 10月24日、天守を仮天守台へ移動させる曳家工程が終了。
- 12月21日:曳屋工事の一環として整備が進められていた展望台の一般開放が始まった。
- 2016年(平成28年)- 曳家工事後の弘前城を盛り上げるため、弘前市が地域おこしキャラクターのロボット「超城合体タメノブーンV」を制作。
遺構
天守(初代)
最初の天守は、鷹岡藩2代藩主の津軽信枚により1609年(慶長14年)頃に本丸南西隅に建てられた5重の建物である。内部6階と推定される建築は東北地方では若松城天守に次ぐものであった。しかし1627年(寛永4年)9月の落雷で出火し、天守内部に収納されていた火薬に引火して(4重目に吊るされていた釣鐘が落下して下層に収納してあった火薬に引火したとも)大爆発を起こして本丸御殿や諸櫓とともに焼失した。天守は再建されることなく、今でも天守台を支えていた石垣は本丸南西隅に聳えている。
なおこの天守火災は当時、藩主・信枚の伯母(初代津軽為信の正室・阿保良の姉)の祟りだと信じられていた。伯母は為信のために、横内城城主で南部氏一族の夫・堤弾正左衛門から離縁され失意の内に病没しており、城はそれから30年ほども経ってから完成しているのだが時折、伯母の怨霊が城内に現れていたという。
天守(御三階櫓)
本丸唯一の現存建築である天守は層塔型3重3階の建物である。現在は独立式であるが、往時は北側に多聞櫓を付属させた複合式であった。この多聞櫓は明治29年(1896年)ごろまでに破却されている。天守の高さは約14.4メートルあり、現存する三重天守の中で最も低い。
1627年(寛永4年)大爆発して焼失した5重天守の代用として、またロシア船の津軽海峡往来などの事態により幕府の許しを得て、本丸南東隅の辰巳櫓の改修を名目として建てられた。1810年(文化7年)着工、1811年(文化8年)に竣工した。往時は幕府への配慮から天守とは見なさず、櫓(御三階櫓)として扱われていたが、「事実上の天守」としての役割を持ち現在は書籍などの多くで天守として扱われている。昭和20年(1945年)の空襲で水戸城天守が、昭和24年(1949年)に松前城天守が焼失したため、関東以東で唯一の、そして最も北に位置する現存天守である。
外壁は白漆喰塗籠で、窓と狭間の上下に長押形を施し、また屋根瓦には寒冷地のため銅瓦を葺いている。外側に面する東面と南面は1層目と2層目に大きな切妻出窓を設け、窓には狭間窓を用いるなど小さな建物を華美で大きく見せる視覚効果が施される。一方で、内側である西面と北面には破風を全く付けずに連子窓を単調に並べただけである。いわゆる「二方正面」である。内部も通常の天守建築では最高級の木材や技術が用いられるが、弘前城の場合は普通の櫓と同等の木材が用いられ、構造的にも簡素であり、床も全て敷居を設けず畳を敷くことが想定されていないなど、当初から倉庫として利用されることを見込んだ構造となっている。[6]。
平成の天守石垣の修理において明治・大正時代の壺の発見[7]や天守台石垣の四隅からイカの形をした石垣が発掘された[8]。イカの形をした石は市が「いかすみ石」と名付けた。
櫓・門ほか
二の丸の現存櫓は3層の辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓の3棟である。門は、三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭北門(亀甲門)の5棟がそれぞれ築城時の姿で現存し、以上は国の重要文化財に指定されている。このほかに、二の丸東門与力番所が移築復元されている。
前述の通り現在は5棟の城門が残されているが、築城当初は10棟の城門があった。この内のいくつかの門は、工期の短縮などのため、周辺の城郭より移築されている。具体例としては北の郭北門(通称亀甲門)と三の丸北内門(通称賀田門)がそれにあたり、それぞれ大光寺城および大浦城から移築されている。
ちなみに、弘前城の門を参考に時代劇のロケ地に利用されるワープステーション江戸(茨城県つくばみらい市)に「江戸城大手門」が造られている。
外郭の南西に位置する禅林街は、長勝寺構(ちょうしょうじがまえ)として出城の役割を担っており、堀、土塁、枡形などが残る。
文化財
重要文化財
史跡
- 弘前城
- 天守 附棟札2枚
- 二の丸辰巳櫓 附棟札1枚
- 二の丸未申櫓 附棟札1枚
- 二の丸丑寅櫓
- 二の丸南門
- 二の丸東門
- 三の丸追手門
- 北の郭北門(亀甲門)
- 弘前城三の丸東門
重要伝統的建造物群保存地区
- 津軽氏城跡
- 弘前城跡
- 仲町の武家屋敷群
弘前公園
廃城後、津軽氏が城跡を借り受け整備し、一般公開した市民公園である。現在は弘前市が所有・管理している。園内には1903年(明治36年)以降、桜の植樹が行われ、現在では約2,600本を数えるまでになった。弘前市は東北地方北部に位置し桜の開花時期が比較的遅く、花見に適した時期がおおむねゴールデンウィークと重なることもあり、弘前さくらまつりには日本全国から観光客が訪れる。なお、同園は日本さくら名所100選、人と自然が織りなす日本の風景百選などにも選ばれている(詳細は弘前公園を参照のこと)。
一方で、植樹された桜の木々の繁茂によって堀・土塁・石垣・櫓・門などの弘前城の遺構が枝葉に隠れてしまい、見学者から見えない状態となっている。奈良大学教授で城郭考古学者の千田嘉博は「桜や木々を守り、景観を維持していくのは賛成だが、城としてのポイントが見られるよう、木々を管理するのは可能だ。景観と『国指定史跡』としての本質的価値が両立する考え方に、改めるべきではないか」と指摘している。
交通
- JR奥羽本線・弘前駅(東北新幹線・新青森駅乗り換え)から土手町循環100円バスに乗り「市役所前」下車、徒歩3分
- 東北自動車道・大鰐弘前ICから約30分
キャラクター
弘前城天守曳家工事を契機に制作された企画「超城合体タメノブーンV」では、タメノブーンを構成する5機の城ロボのうち、弘前城は「タッカー」(別名の高岡城に因む)にあたる[9][10]。
参考文献
- 【書籍】「定本 日本城郭事典」
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弘前城の口コミ情報
2024年10月13日 hiroppie大学頭
弘前城
有料の敷地内及び城郭も9時前なら無料で入れました。城周辺から岩木山も見え、展望デッキからは山を背景に城の写真も撮れます。
スタンプ、御城印、城カード揃って城内売店で購入できます。
2024年09月25日 やんちゃ幸村
弘前城
現在、石垣等の修繕工事中ですが工事中の見学も違った意味でいいもんですね。今後は、工事完了後に訪れたいと思いました。
2024年09月08日 下総守風林火山
弘前城
石垣の補修中でしたが、さすが現存12城のひとつでとても素晴らしいお城でした。公園も広くてキレイに整備されてましたね。雪景色も見てみたい。
2024年08月18日 船頭
弘前城
コンパクトにまとまっている。真夏でも天守に入る風が涼しい。お掃除ロボットのような、芝刈機がありました。
2024年06月02日 兎右近衛大将人参化
弘前城
現在のお城は江戸時代中期に櫓の名目で建てられたものということで、こじんまりとしたお城でした
2024年03月09日 オレンジ 伊予守
弘前城
現存12天守で、一番北にある弘前城🏯、やっとこれました😆😆😆石垣の修理のため移動してましたが、360度近くから見れる絶好のチャンスでした。今度は、桜の咲く季節に、もとの天守台に建つ姿を見に来ます。弘前城から見る岩木山も綺麗てす。
2024年02月12日 はむはむ
弘前城
弘前公園は雪灯籠祭り。訪れるのは久しぶり。今年は雪が少ないのですが、ねぷた絵がはめ込まれたきれいな雪灯籠が並んでます。広場ではプロジェクションマッピングをやってたりなかなか頑張ってました😊。ちょうど雪が降ってきて気分はロマンチック💕
2023年11月02日 イチゴ大王
弘前城
天守閣が元の場所から移動していました。2025年まで修復工事が続くそうです。でも、今の場所で岩木山を背景に撮れるのもいい感じです。
紅葉もきれいで、今が見頃ですね!
2023年07月08日 原千虎
弘前城
城内は整備されていて、散策がしやすいです。暑い中のリア攻めになりましたが、苦になりませんでした。現在、石垣修理工事のため、天守台は本来の場所にはありませんが、弘前城にしかない形の角石(いかすみ石)や、石垣に使われているたくさんの栗石をみることができ、石垣に興味のある自分にとって、とても貴重な城攻めになりました。石垣修理工事が終わったら、本来の場所に戻った天守台と、積み直された石垣の姿を見に行きたいと思います。
2023年06月23日 金太郎民部卿松井康之
弘前城
長年の夢でした。京都からは現存天守で1番遠い天守。天守としては地味でしたが、城跡としてはこれまで行ったどの城跡よりも広く雰囲気は最高でした。
2023年06月23日 普賢菩薩
弘前城
追手門を出て右へ行くと、見慣れないたたずまいのスタバがあります。ここは陸軍第8師団師団長の官舎です。もっというなら、八甲田山死の彷徨の弘前歩兵31連隊が属していた師団。明治の香りとスタバが似合うかどうかは、あなた自身が感じることですが、私はこのたたずまいが好きで、弘前に行くと必ず訪れます
2023年06月09日 虹ノ松能登守
弘前城
30年近く前に冬に来た時は、冬季閉館中。今回初めて天守に入れました。現在石垣を工事中のため天守が移動しているそうですが、近くに展望デッキが作られていて、そこから見ると天守の左横に残雪の岩木山も見えてとても絵になっていました。
時間が無くて駆け足で回りましたが、ゆっくり見たいお城ですね。
公園内には古木名木も多く、城好き以外の方も楽しめます。
2023年03月10日 ふろすと
弘前城
3月に来訪しました。さくら祭りの頃が有名ですが、津軽の長い冬を越えて春を待つ弘前城もよかったです。3月末までの冬季は天守には入れませんのでご注意を。
2023年02月28日 気分爽快陸奥守
弘前城
大浦城行軍の際に、厠に寄らせていただいたついでのリア攻めです。まだまだ雪深い弘前城でした。天守が元の位置に戻るのはまだ2年先のようですので、その頃また訪れたいと思います。
2023年02月20日 寛兵衛右近衛大将
弘前城
冬季は天守閣内部は非公開です。11月24日から3月31日まで本丸入り口の大きな石垣の石もすっかり雪の下で見えませんが雪を頂いた天守も良かったです。また本丸からの岩木山も発見ですよ
2022年10月31日 左兵衛督ストリーム
天守受付[弘前城 御城印]
スタンプ、御城印 こちらで押印、入手できます。
2022年10月30日 左兵衛督ストリーム
有料駐車場[弘前城 駐車場]
有料の駐車場ですが、お土産を買えば1時間サービスになります。
2022年10月29日 美濃守丸に澤瀉
弘前城
テレビでは見ていましたが、久しぶりに行ったら天守の場所が変わって、石垣を大規模修繕中でしたね。前回来た時は冬で内部に入らなかったので、今回入れてよかった。
2022年08月21日 おっちゃん868号
弘前城
天守閣は現在元の場所から移動していますが、拝観は可能です。通常とは違う角度から岩木山も望めます。
2022年08月18日 コタロウ
弘前城
天守は移設されていますが、中に入れて2階までのぼれますよ。
2022年08月04日 MK佐渡守DRIO
弘前城
石垣修理中のため、天守は別の場所に移動していますが中には入れました。
逆に、この状態の天守と風景は修理期間中限定のレアモノ?
2022年06月26日 バイク中務大輔まん
弘前城
本丸石垣は工事中ですが天守を曳き城したと言う事で天守が仮置きされていて普段とは違う弘前城が見られます。北門、東門も当時のものが残されており立派な歴史的風格があります。
天守内には曳き城で使用したジャッキなどが展示されていて弘前城の成立ち経緯が丁寧に説明されています。本丸から見える岩木山も非常に綺麗、5月の桜祭りは更に景観が良いと思われます。
2022年06月26日 陸奥内大臣至宏
弘前城
桜が有名ですが、初夏の弘前城も乙なもんです。今は石垣修繕工事をしてますね。
2022年04月22日 dino曲輪衆相模守
弘前城
2022年4月21日に訪れました。その時点で桜はほぼ満開! 平日ながら凄い人出でした。23日24日の今週末が1番の見頃かもしれません。来週末だともう散り始めてるかも?
2022年04月18日 tower428太閤
弘前城
弘前駅から徒歩30分、東門近くに日本最大のソメイヨシノがあり、その足元にピンクのマンホールがあります。ソメイヨシノの横の緑の相談窓口でマンホールカードがもらえます。
2021年09月19日 すなちゃん武蔵守
弘前城
石垣修復の為、お城と石垣が切り離されクレーン🏗と人の手により元の形を取り戻しつつあります。間詰め石も1箇所にに集められ、普段顔を出さないものがチラホラ見られます。引き渡しは、令和7年だそうです。
100城スタンプは、発券売り場が閉まってますが掃き掃除してたお姉さんに声をかけたら、売店から出してくれて無事押せました。
御城印は現在やってないそうなので、欲しい方は弘前市みどりの協会に連絡して、後日郵送してくれるそうです。
2021年09月13日 石見守剱
弘前城
現存する土塁、石垣、城門、櫓、天守どれも綺麗に残っていて見応えありました。天守台石垣補修のため天守が移転中で石垣風コンクリート基礎に乗った少々近代的な天守が見られました。
2021年08月16日 我流尾張守クール
弘前城
旧第八師団長官舎
弘前公園のすぐ南側にシアトル発のコーヒーショップがあります。
大正時代に建設された施設で「登録有形文化財」です。神戸北野異人館に続き2店舗目、神戸、弘前の他には鹿児島仙巌園に在るようです。
弘前市役所の敷地内で異彩を放っていました。至福の一杯を堪能してはいかがでしょうか。
第八師団~有名な八甲田山雪中行軍を行いました。
2021年07月30日 萌魏太閤叡声
弘前城
2021年7月現在、石垣修復工事中です。重機を使った大がかりな工事で、石垣の成り立ちを知る貴重な機会かも...工事見学用の展望歩道も作られています。
2021年07月13日 梨栗桃
弘前城
バス移動なら「市役所前公園入口」下車が便利、すぐ横が追手門です。
ここから入ると市立博物館も近くです。
2021年06月23日 ねもちゃん
弘前城
現在、石垣修理工事中のため天守は本丸内側の御金蔵跡付近に移動していますのである意味貴重な姿を見れます。
2021年04月21日 tk
弘前城
春爛漫と桜咲く 鷹揚城下の気は晴れて 今日は最高です。特に夜桜ですね。日が暮れ周囲が一段と気温が下がり 桜は満開のままフリーズ状態です。枝の先まで咲き 而も丸い丸い是非来て観て下さいね
2020年10月19日 kurobuta
弘前城
専用の駐車場はないので外部の有料駐車場を利用することになります。1時間200円の所から1日600円の所までマチマチですが、工業高校の近くがアクセスがよくお勧めです🚗本丸までは徒歩で15分ほどですが、お堀や石垣、並木等を見ながらゆっくりと散策出来ます。
入場券を購入したら小振りの現存天守が待っています。中の階段はとても急で狭いので、頭上、足元とも注意が必要です。
弘前城で1番の見どころは本丸広場から見る岩木山⛰です。これは素晴らしいです。天気が良い時に登城すると最高です。季節毎に様々な姿を見せてくれる弘前城🏯、また行きたくなる場所でした。
スタッフの方々もとても親切です。ありがとうございました😊
2020年10月13日 岩代守智乃助
弘前城
紅葉にはまだ早かったですが、天守においてプロジェクションマッピングをやっていました!
桜の弘前城とはまたひと味違う、良い雰囲気でしたよ!11月8日までだそうです!
2020年08月08日 COVA 信濃守 半之丞⛩
市役所駐車場[弘前城 駐車場]
市役所で公共カードを頂くと60分無料になるので、短時間でしたら弘前城も散歩できそうです
2020年04月09日 弾正忠Snow
弘前城
コロナ対策のため5/6までは完全閉鎖となります。
百名城スタンプも押せませんのでご注意下さい。
2019年09月16日 KAZ右大臣正勝
弘前市立観光館駐車場[弘前城 駐車場]
地下駐の24時間営業
2019年06月10日 くらやみ岩代守☘️
弘前城
石垣修理のため曳屋で御金蔵跡にある天守&移動した四隅の箇所から見つかったイカ型の珍しい形の石材。市による命名で‘いかすみ石’と呼ばれている模様。
2019年05月05日 織田上総介晃司
弘前城
追手門前広場の地下駐車場が最大の駐車場。二度訪れた時は両方とも弘前さくらまつりの開催中なので、すぐ満車になります。数ある臨時駐車場に停めるようになりました。
天守をはじめ3つの櫓、5つの門すべてが重文の遺構。
弘前さくらまつりの時はソメイヨシノをはじめ2600本余りの桜が咲き乱れ、全国屈指の桜の名所となる。満開も素晴らしいが、散りゆく桜吹雪や花びらが堀を埋め着くしピンクの絨毯を敷き詰めたような様もきれいです。
弘前城の築城を着手した津軽為信の印象は世渡り上手のこすっからしいイメージがあると思うが、
弘前城に「開けずの宮」の館神があり、豊臣秀吉の木像が御神体として祀られていた。
津軽家を大名にしてくれた秀吉への恩を忘れないために徳川幕府のとりつぶしを顧みず秀吉を祀っているほどの情義の深い武将でもあった。
2019年04月30日 まるき〜陸中守
弘前城
〜早起きは三文の得情報〜
弘前城有料エリア(本丸)には午前7時までだと無料で入れます。
7時を過ぎると天守に入れますが入場料が必要です。
私は本日午前6時前より城攻め開始
近隣の駐車場も営業してました
桜祭りの期間は夜9時までの営業です。
2019年04月29日 愛甲太閤【相模の狂人】
杉の大橋[弘前城 その他]
弘前城と言えば繚乱する桜。中でも二の丸への南の入口になっている杉の大橋は特に風光絶佳なところ。堀沿いにライトアップされた桜が並んで静かに揺れる夜は格別。橋を渡ると二の丸南内門をくぐる。
2018年05月14日 武蔵守マクシミリアン
弘前城
城周辺に駐車場の案内がまったくない。観光客に不親切極まりない。平日に行ったので、休日なら市役所(城の真ん前)の駐車場が使えるかもしれない。市役所隣の市観光館の駐車場があるが、案内がないので通り過ぎてしまった。市役所駐車場は警備員が立ち、来庁者以外駐車禁止との貼り紙で番をしている。他県ナンバーで「城めぐ」ステッカーを貼った車で「来庁者」と言い切る厚顔さはない。1日500円の民間駐車場が便利かも。「猫茶屋」は市役所より本丸に近かった。
2017年07月16日
弘前城
超有名な天守はもちろんのこと、櫓や門も現存ですが、土塁も多く残っててテンション上がり建造物そっちのけで土塁ばかり眺めてました笑
30℃越えの日に行ったので歩き回ってクタクタになったところ本丸近くの武徳殿休憩所でひと休み。1杯250円のリンゴジュースが激ウマでした!さすがリンゴ生産量日本一の弘前ですね。
城から20~30分ほど歩くと津軽家の菩提寺の長勝寺があります。
歴代藩主の遺品も少し展示されており、藩祖為信公の陣中仏?(名称忘れました)もありました。
旧弘前市立図書館など洋館も残っておりお城以外の名所もオススメです!
2017年05月09日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
弘前城
駐車場は以外と沢山あります。
桜の名所です。
天守閣は小さいですが、縄張りは広く残っているのでくまなく見ると二時間くらいかかりましたね。
アップダウンないけど広かったです。
2016年10月03日
弘前城
JR弘前駅からバスで行きました。市内循環バス(100円バス)が、4月~11月は、10時~18時迄、10分間隔であるようですが、私は早く着いたので、路線バスで市役所前まで行きました。路線バスは、200円でした。
市役所前で降りると、弘前公園に入れます。
追手門から入り、植物園を横目に、二の丸未申櫓や、立派な蓮池を見ながら、本丸を目指します。
途中、有料区域の看板があり、桜の時期以外は、9時~17時は有料になっていました。(桜の時期は、7時から有料のようです。)
私は早く着いたので、無料で散策できました。
本丸を堪能した後、北の郭や四の丸を見学し、北門から出ました。北門を出ると、津軽藩ねぷた村に行けます。
桜の季節は綺麗だろうなと思える桜のトンネルもあり、素敵なところでした。
2015年10月01日 コロ助
弘前城
曳屋体験してきました。
受付で軍手を貰う→市役所の方のお話→ラジオ体操津軽弁ver→曳屋→弘前城曳屋体験証明書を貰う、という流れ。
軍手は参加日で色が異なるそうで、私の参加した25日は青色。
証明書は「あなたは弘前城本丸石垣修理事業において天守を自らの手で動かしたことをここに証明します」と書かれたハガキサイズ。裏面に、弘前市のゆるキャラ・たか丸くんが天守を両手(両翼?)で抱え運んでいる可愛いイラスト。
太鼓の音に合わせ綱を引き、15㎝動かしたら終了。
5分程で15㎝動かしたのですが、力一杯綱を引いても砂利で足が滑るだけで1㎜も動かした実感無し。
私は、ブカブカの軍手をしてジタバタしただけ。天守を動かしたなんて、とても言えません。他の方々が天守を動かしている所にちゃっかり混じったくらいの感覚ですが、貴重な体験をさせて頂きました。
武徳殿でお殿様・お姫様の衣装着て撮影出来ます(無料)。個人的に、曳屋職人さんの法被がカッコよかったので、あの法被が着たかった。
弘前駅改札前にある天守模型が、綱を引いて動かせる曳屋verになっています。駅ナカで曳屋が出来ます。
2015年09月23日 まー刑部卿
弘前城
9/22の曳屋体験を見学しました。実際に体験された方は橙色の軍手と曳屋体験認定証を頂いてました。さて午前9時前に入城したため発券所の方に聞いたら自由に入っていい、ってことで無料でした。
職人さんに聞いたところ普段は油圧ジャッキによる移動で1日5m進ませるとのこと。はじめのうちは台座から3m降ろしたりまた向きを変えたりで慎重に作業に取り掛かってたと聞かされた。曳屋によるレールは鉄道のレールを使用している。また展望台にいるスタッフからはすぐそばに『保存格納庫』と書かれた建物について聞くと職人さんの事務所だということだ。では天守内の展示物は?というと数カ所に保存してあるが来年の4月1日に移動後の天守公開時にはもともとあったものが戻ってこないかも、と言われた。書物などは保存施設のあるところに移転展示するそうです。曳屋体験のほうは10時からのを見たが後ろで機械が支えているがお子さんも多い中ですんなり予定の15㎝をクリアしたが実際は機械で操作したと思われる。はじめのうちは人力のみで行ったと思われる。ビクともしなかったから。
2015年09月22日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
弘前城
今朝のNHK朝のニュース「おはよう日本」で弘前城天守の移動を伝言板で知り、途中から見ましたが、曳屋体験イベントの期間を弘前公園HPで確認しました。体験希望は既に締め切られていますが、今週末の27日(日)まで。時間は①10時〜、②11時〜、③14時〜、④15時〜の1日4回実施。一回あたり100人で曳き、約10㎝移動するとのこと。本丸・北の郭に入るための入場料を払えば、曳屋展望デッキから見学できるようです。
実際、曳屋体験や見学した方のレポートが口コミにアップしてくださるのを楽しみに待ってます!
2015年08月20日 永眠武蔵守釋 葱進
弘前城
天守曳屋スケジュール
一次移動(22.3m):8/28~9/4
一度目の回転:9/15~16
曳屋体験:9/20~27
二次移動(29.9m):9/28~29
二度目の回転;9/30~10/7
三次移動(23.8m):10/12~17
(陸奥新報別刷特集より抜粋)
2015年06月19日 源山城守@ポンコ2…㉔㉕
弘前城
天守の移設は本丸中央に70mとか。
1日50~100cmずつ移動し、今回は100年ぶりの移設とのこと。
100年前に人力で曳屋を使って400トンを移設させてたことも驚きました。
移動中は展望デッキが特設されるそうです。
2015年05月02日 中務卿一之介
弘前城
平成27年のさくらまつり終了後に、天守は一時閉鎖され、天守台の石垣修理のため、本丸側に移動されます。そして、8月から10月の間に移動先での再公開が開始されます。
石垣修理には10年を見込んでいるそうで、再び元の場所に戻されるのは、平成35年だそうです。
2014年05月06日 三日左馬助落人
弘前城
さくら祭りの時期はものすごい混雑&周辺道路の渋滞があり、クルマの場合は早めの駐車場確保が必要と思います。
ただ、桜は本当に見事。祭りも城内一帯にさまざまな出店やショーが出てて、お城好きでなくとも楽しめますよ~
ちなみに弘前城周辺のカフェでは各店で特徴を競ったアップルパイを作っていて、スイーツ好きなら見逃してはなりませんぞ!
2014年05月05日 上杉鷹山公
弘前城
近くの革秀寺に、津軽為信公のお墓があります。見学は予約必要です。
2014年04月26日 ファン太
弘前城
石垣工事のためにお城を曳屋するんですよね!
よって石垣×城×桜の絶景は今春きりで暫くお預けになります…
その前にお城を攻めるぞ!と、今まさに早馬を走らせ弘前へ向かってます
2014年04月26日 てっちゃん掃部頭50
弘前城
今秋より本丸石垣修復工事が始まります
(工期10年の予定)
お堀に映える 天守と桜は来年以降しばらくお預けになりそうですネ !?
2013年09月24日 摩利支天
弘前城
本丸の鬼門である北東の石垣は
鬼門崩しの石垣と呼ばれ、
鬼門除けの為に角を無くし
隅が削られた形になっています。
なお鬼門の押さえとして、
大浦城の鎮守として大浦城下にあった神社を
弘前城の北東1.5キロの地点に遷座しました。
そしてこの神社は弘前八幡宮と社号を改め、
弘前総鎮守として今も厚く崇拝されています。
2012年12月19日 みっお
弘前城
昨日までも積雪はあったものの、今日は朝方からえらく雪が降っていると地元のお姉さんが話してくれました。そんなこんなで、弘前城公園内には保全作業をしてる人達か私位しかおらず、真近に行くまで天守閣も臨めない程に雪がしんしんと降っていました。でもやはり、雪が降りしきる中の天守閣は趣があります。桜の季節はモチロンですが、雪の弘前城もオススメです!ただし天守閣には入れません。
もし、雪の季節に行かれる際は、追手門すぐの弘前市立観光館で長靴を無料レンタルされることをオススメします☆傘も貸してもらいました。つけまのお姉ちゃんがホント優しくて、弘前大好きになりました!
私は弘前まで夜行バスで行きましたが、バスターミナルの近くには24Hのマクドナルドやガストもあります。
弘前駅からも弘前市役所方面行きのバスがそれなりに出ていますし、10~17時の間は市内循環100円バスが10分単位で走っているのでとても便利です。唯一の敵は寒さです。あたたかくしてお出かけください( ´ ▽ ` )ノ
2012年09月16日 尾張守ひろっちぃ
弘前城
3連休利用で攻略。でも弘前城はやっぱりがないと寂しい。今日は馬の大会があって賑やか。気に入って朝からライトアップの時間までいました。それにしても暑かった。
弘前城の周辺スポット情報
現存天守(遺構・復元物)
戌亥櫓跡石垣(遺構・復元物)
追手門(遺構・復元物)
辰巳櫓(遺構・復元物)
未申櫓(遺構・復元物)
二の丸南門(遺構・復元物)
丑寅櫓(遺構・復元物)
亀甲門(北門)(遺構・復元物)
二の丸東門(遺構・復元物)
北の郭子の櫓跡(遺構・復元物)
館神跡(遺構・復元物)
東内門与力番所(遺構・復元物)
埋門跡(遺構・復元物)
いかすみ石(遺構・復元物)
亀の石(遺構・復元物)
移設後(遺構・復元物)
三之丸東門(遺構・復元物)
本丸未申櫓跡(遺構・復元物)
四の丸(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
西の郭未申櫓跡(遺構・復元物)
三の丸(遺構・復元物)
西の丸(遺構・復元物)
北の丸(遺構・復元物)
亀甲橋(遺構・復元物)
内堀(遺構・復元物)
西堀(遺構・復元物)
蓮池(遺構・復元物)
二の丸跡(遺構・復元物)
時太鼓櫓跡(遺構・復元物)
二の丸御宝蔵跡(遺構・復元物)
二の丸御高覧所跡(遺構・復元物)
中濠(遺構・復元物)
四の丸跡(遺構・復元物)
外濠(遺構・復元物)
賀田御門跡(遺構・復元物)
石橋(遺構・復元物)
太平山 長勝寺(寺社・史跡)
禅林街(禅林三十三ヶ寺)(寺社・史跡)
天守受付(御城印)
弘前城情報館(御城印)
弘前城情報館(スタンプ)
弘前城天守(スタンプ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
弘前市立観光館駐車場(駐車場)
市役所駐車場(駐車場)
有料駐車場(駐車場)
杉の大橋(その他)
鷹丘橋(その他)
津軽為信像(その他)
下乗橋(その他)