大光寺城(だいこうじじょう)

大光寺城の基本情報

通称・別名

大光寺新城、(大光寺古館)、(大光寺五日市館)

所在地

青森県平川市大光寺三村井他(地図は大光寺新城を示す)

旧国名

陸奥国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

曽我道性

築城年

元弘3年〔南朝〕/正慶2年〔北朝〕(1333)

主な改修者

不明

主な城主

曾我氏、安東氏、南部氏、津軽氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

高畑城(青森県平川市)[2.7km]
堀越城(青森県弘前市)[3.6km]
乳井城(青森県弘前市)[3.8km]
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大光寺城の解説文

大光寺城(だいこうじじょう)は、青森県平川市大光寺にあった日本の城(平城)。

概要
建保5年(1217)、平賀郡岩館に相州曾我氏一族平広忠が地頭代として入部、曾我氏を名乗る。その後、曾我氏は大光寺の本家と岩館の分家に分かれた。しかし、大光寺の本家は北朝方、岩館の分家は南朝方につき、同族での争いが始まった。

その後、戦国時代には、滝本重行が入った。しかし、弘前城築城の際破却された。又、平川市市内には、高畑城、沖館城をはじめとする出城(砦)の跡が多数ある。なお大光寺城は築城期によって大光寺古館・大光寺新城・大光寺五日市館に分かれる。

なお、大光寺城は前文にて上げた3つをまとめて記述した文献が多いため、信憑性にかける部分もある。

大光寺古館
位置
大光寺地区北・観音堂がある辺りといわれている。

歴史
11世紀初期、曽我道性によって築城される。

正慶2年(元弘3年・1333年)、鎌倉幕府が滅亡、北条一族の安達高景と名越時如が逃れてくると、大光寺曾我道性はこれを受け入れたため、岩館曾我光高や、成田泰次・工藤貞行によって攻め込まれ、大光寺城から石川城、持寄城に逃れたが敗れた。(大光寺合戦)

建武の新政後も大光寺城主として生き延び、足利尊氏の命を受けた相州曾我氏と共に南朝の根城南部氏と戦い、根城まで攻め入るも敗れた。その後、根城南部氏の攻撃を受け大光寺曾我氏は滅亡した。(一説には南部氏と同化したと言われている)これにより、大光寺古館は廃城となったものと思われる。

構造...

大光寺城の口コミ情報

2019年02月26日 源播磨守ポンコ2ⓦ
大光寺城

弘南鉄道平賀駅から北に向かい、
左手に踏切見えるところを横切り、
一つ目の信号が見えたら北に、
二つ目の信号が郵便局付近にあり、
そのまま道なりに進むと
大光寺コミュニティセンターが見えたら、
そこが城址です。
駅から徒歩10分ちょいかかります。

コミュニティセンター(公民館)前には、
立派な石碑と案内板があります。
曲輪や土塁、堀が遺構であるとのことでしたが、
残雪がまだまだある時期のため、
土塁などわからず、公民館と裏の空地と
なってる曲輪(北曲輪か主曲輪)かなと確認
できますが、一つの曲輪とすればそこそこの
広さがあります。

雪に埋もれ全容を見たわけでないので、
断言できませんが、期待せず見に行く
くらいがよい城址かと個人的に感じました。

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