和徳城(わっとくじょう)

和徳城の基本情報

通称・別名

所在地

青森県弘前市和徳町210-3

旧国名

陸奥国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

安倍氏

築城年

弘和年間(1381〜1384)

主な改修者

主な城主

安倍氏、小山内氏、森岡氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁?

指定文化財

再建造物

周辺の城

弘前城(青森県弘前市)[1.7km]
堀越城(青森県弘前市)[5.2km]
大浦城(青森県弘前市)[6.0km]
笹森館(青森県弘前市)[6.0km]
田舎館城(青森県南津軽郡)[6.3km]

和徳城の解説文

和徳城(わっとくじょう)は、青森県弘前市和徳町にあった城である。

概要
和徳城は、未だにどの辺りにあったのかがはっきりしておらず、和徳神社、又は和徳坂の辺といわれているが、一般的には、和徳神社が和徳城の中心部という事になっている。また、和徳城には、大浦為信に攻め込まれた和徳城の兵士が落城前に食べた、又は、大浦為信側の野戦食ものが、けの汁の起源という説がある。

歴史
弘和年間(1381〜84)、安東氏の一族である安倍氏が築いた言われている。南部氏が攻めてきた文安2年(1445)、清原氏の流れを汲むとも言われる配下、小山内氏の内通によって城は落城。以後、小山内氏は南部氏に従い和徳城の城主となった。天文12(1543)年、大浦政信が和徳城主小山内永春と戦って討死にしている。しかし、元亀2年(1571)5月5日(旧暦)、近隣の石川城が大浦為信の奇襲よって落とされた。すると、それに勢いづいた大浦勢が森岡信元約250人、小笠原信清約150人、為信本隊約500人で三方から攻め寄せた。小山内讃岐守は、一族譜代と共に約50人で出撃し、十二矢又五郎に討たれ、和徳城の城兵約140人と出撃した部隊は一人残らず討ち死にし、和徳城は落城した。また、讃岐守の父永春も援軍として駆けつけたが、形勢不利と見て、親類田舎館家の居城田舎館城に引き上げる途中、小笠原信清隊に討たれた。その後、和徳城は為信によって配下の森岡信元に与えられた。その後、和徳城は自然に廃城となったものと思われる。

参考文献
津軽諸城の研究(1981) 沼館愛三著  

和徳城の口コミ情報

毘沙門天山城守乱丸様[2013年05月02日]
現在和徳稲荷神社
日暮時期からの散策でしたが境内一帯が丘陵地となっており遺構は全くなく、けの汁発祥の地の立て札に和徳城の文字以外無し(・_・;)
周りが大きくもなく小さくもない川が天然の要害だったか?!神社裏手の土淵川稲荷緑地から数mの緩い勾配になっており神社境内が最も高くなっているのでこの辺りと思いながらポチ(^_^)ゞ

津軽加賀守為信様[2011年02月20日]
昔、和徳町にすんでいました稲荷神社(和徳神社って呼んだ事ないので…)の裏にある土淵川の堤防が整備される前なら多少面影が残っていたかもしれませんが、現在は整備されて城があったイメージはないと思います。
和徳町には、津軽そばで有名(漫画や映画の題材になった)な三忠食堂や他たくさんいい店があるので近くまで行った時は和徳町を散策してみて下さいね

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