大浦城(おおうらじょう)
大浦城の基本情報
通称・別名
- 八幡城、賀田城
所在地
- 青森県弘前市五代早稲田
旧国名
- 陸奥国
分類・構造
- 連郭式平山城
天守構造
- -
築城主
- 大浦光信
築城年
- 文亀2年(1502)
主な改修者
- 大浦氏
主な城主
- 大浦氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(水堀)、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
弘前城(青森県弘前市)[4.4km]
三世寺館(青森県弘前市)[5.8km]
和徳城(青森県弘前市)[6.0km]
小栗山館(青森県弘前市)[8.4km]
堀越城(青森県弘前市)[10.4km]
田舎館城(青森県南津軽郡)[11.8km]
大光寺城(青森県平川市)[12.5km]
石川城(青森県弘前市)[13.5km]
高畑城(青森県平川市)[14.5km]
乳井城(青森県弘前市)[14.8km]
大浦城の解説文
[引用元:Wikipedia「大浦城」の項目]
大浦城(おおうらじょう)は、青森県弘前市賀田・五代にあった日本の城(平山城)。 別名:八幡城[1]・大浦賀田城[2]・西根の城[3]。
概要
大浦光信が津軽進出の拠点として古館を改修、子の大浦盛信を置いたのが始まりで、その後、元和の一国一城令により廃城となった。現在は、弘前市立津軽中学校の敷地などになっている。城の規模は、東西500メートル、南北250メートルほど。
弘前市は2024年(令和6年)11月に大浦城跡の一部1万4千平方メートルの寄贈を受けており、これらの土地についても発掘調査を進める方針である[4]。
歴史
文亀2年(1502年)、大浦光信により築かれる。大浦光信の子孫、大浦為則の婿養子である大浦為信の代になり、堀越城に本拠地が移ると、城番が置かれるだけになった。その後元和の一国一城令により廃城となったが、二の丸・本丸・西の丸の土塁は残された。弘前城の詰城としてその後も、西の丸には火薬庫(賀田塩硝御蔵)などが建てられた。
移築された建造物
大手門が弘前城三の郭北門(賀田門)として移築された[5]。しかし現存していない。
台所は津軽氏の菩提寺である長勝寺の庫裡として移築、現存している(但し、柱の太さや風蝕の度合い・痕跡の調査などから、古い柱材を使用しながらこの場所で新たに建築されたものとみることができるとされている)[6]。
キャラクター
弘前城で行われた天守の曳家工事を契機として、2016年(平成28年)に弘前市が地域おこしキャラクターのロボット「超城合体タメノブーンV」を制作。タメノブーンVを構成する5機の城ロボのうち、大浦城は「オウラー」にあたる[7][8]。
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大浦城の口コミ情報
2023年08月17日 和泉石狩守
大浦城
小高くなった本丸に中学校。裏手に回ると土塁、堀が確認できます。城址石碑は私有地脇?にあるので不審者にならないようにしましょう。
2021年04月21日 tk
大浦城
津軽為信公の居城跡に中学校 若人の集う賑やかな場所です。岩木山の日本海側から種里城 津軽平野の要の位置に大浦城を構え進出した
2010年10月19日 足軽越中守一歩
大浦城
中学校前に石碑あり…… 終わり
大浦城の周辺スポット情報
大手門跡(碑・説明板)
大浦城址碑(碑・説明板)
説明板(碑・説明板)
湯口茶臼館(周辺城郭)
八幡館(周辺城郭)
築館(周辺城郭)
葛原館(周辺城郭)
下新岡館(周辺城郭)
上新岡館(周辺城郭)
宮館(周辺城郭)
別所館(周辺城郭)
志戸野沢館(周辺城郭)
蒔苗館(周辺城郭)
一町田館(周辺城郭)
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国吉館(周辺城郭)
坂本館(東)(周辺城郭)
坂本館(西)(周辺城郭)
古屋敷(周辺城郭)
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野田城館(周辺城郭)
竜ヶ平城館(周辺城郭)
高長根山城(周辺城郭)
駐車スペース(駐車場)









