高畑城(たかばたけじょう)

高畑城の基本情報

通称・別名

所在地

青森県平川市高畑熊沢

旧国名

陸奥国

分類・構造

連郭式平城

天守構造

築城主

滝本重行

築城年

室町時代後期

主な改修者

不明

主な城主

平岡氏、乳井氏

廃城年

遺構

土塁、堀

指定文化財

再建造物

周辺の城

乳井城(青森県弘前市)[1.3km]
大光寺城(青森県平川市)[2.7km]
石川城(青森県弘前市)[3.4km]
堀越城(青森県弘前市)[4.3km]
浅瀬石城(青森県黒石市)[6.8km]
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黒石城(青森県黒石市)[8.4km]
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弘前城(青森県弘前市)[10.1km]

高畑城の解説文



高畑城(たかばたけじょう)は、青森県平川市高畑・吹上にあった戦国時代の日本の城(平城)。

概要 

高畑城は、本郭・二郭・三郭によって構成される。本丸は、長方形で東西約100メートル、南北約70メートルである。二郭も長方形で東西約30メートル、南北約70メートルである。三郭も長方形で東西約80メートル、南北約60メートルである。各郭の四周には堀がめぐらされていたが、平城で防御力も弱かった。

歴史 

戦国時代、乳井薬師堂の乳井城(大隈館)の館主にして、乳井福王寺の別当である乳井玄蕃は、周辺に武威を振るい周辺の南部氏とも対立していたが、玄蕃は大光寺城主・滝本重行に永禄8年(1565年)6月5日暗殺される。だが、玄蕃の子・乳井建清は、まだ若年であったため、仇討ちを自重していた。

高畑城はこのころ滝本重行が建清への備えとして築かれ、家臣の平岡盛影が入った。元亀2年(1571年)、大浦為信(津軽為信)は石川城和徳城を急襲し、石川高信をうちとった。建清もそれに負けじと高畑城を急襲し、平岡盛影を討って、高畑城主となると、大浦為信に臣従した。そのため、為信を討とうと南部信直が勢多石隠岐守の軍を送り攻め込んだが、建清は善戦し、その間に兼平綱則が兵150人で応援に駆けつけた。さらに九戸政実の謀反の噂が届いたため、勢多石勢は三戸に引き上げた。

天正7年(1579年)7月、比山六郎・七郎、北畠顕則・滝本重行らが平賀郡に侵入した。この時、城主建清が留守であったため、急襲され落城した。この時、乳井城・乳井茶臼館・乳井古館も落城している。しかし、大浦勢と六羽川で激突した比山勢は六郎が討ち取られ、大館に撤退している(六羽川合戦)。その後の高畑城については明らかでない。

参考文献 

  • 菅英志 1980『日本城郭大系』新人物往来社
  • 沼館愛三 1981『津軽諸城の研究』伊吉書院

高畑城の口コミ情報

2021年05月05日 tk
高畑城

高畑集落の交差点敢えて 此処では(高畑十文字)を山手に入ると神社入り口に案内柱があります。

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