黒石城(くろいしじょう)

黒石城の基本情報

通称・別名

黒石陣屋、烏城

所在地

青森県黒石市内町

旧国名

陸奥国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

津軽信英

築城年

明暦2年(1656)

主な改修者

主な城主

津軽氏

廃城年

遺構

横堀(空堀)跡

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

浅瀬石城(青森県黒石市)[3.3km]
田舎館城(青森県南津軽郡)[3.6km]
大光寺城(青森県平川市)[6.6km]
浪岡城(青森県青森市)[8.3km]
高畑城(青森県平川市)[8.4km]

黒石城の解説文

黒石陣屋(くろいしじんや)は陸奥国津軽郡(現在の青森県黒石市内町)にあった弘前藩から分知した交代寄合旗本黒石津軽家(5千石)の陣屋である。城壁が黒かったことから、烏城(うじょう)の異名がある。

概要
陣屋は明暦2年(1656年)交代寄合旗本であった津軽信英により築かれ、8代領主親足の代の文化6年(1809年)加増により1万石を領し、諸侯に列し、黒石藩として立藩した。十一代承叙の代に明治維新を迎えている。

南側には浅瀬石川が流れ、陣屋との間には宇和堰があり、地形的にも自然の要塞を呈していた。大手門近くには、町令所や太鼓櫓があった。さらに、中門、無常門、御制札場などが北側にあった。西側には馬場、南東には津軽信英を祀った御廟があり、南側には蝦夷館(えぞだて)と呼ばれる地が置かれている。御門内に入るためには、大手門か西門を通過しなければならないが、これらは典型的な枡形門となっていた。陣屋の東側には、空堀があったが、明治の初め埋め立てられている。陣屋内には、御殿、台所、御蔵、焔廠蔵が配されていた。浅瀬石川に臨む段丘は比高13mの高さがあり陣屋地では唯一の要害である。

陣屋跡は、市民文化会館や中央スポーツ館の敷地などとなり、馬場跡が黒石公園(後に御幸公園)となった。

黒石城の口コミ情報

足軽越中守一歩様[2010年10月19日]
城跡は公園というより、広い空き地か。そこに黒石城跡の石碑あり。
市街地と城跡側、川と田んぼ側は、どちらも平地であるが、20メートル程?の高低差がある。当時は天然の要崖だったかも知れない!?

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