田舎館城(いなかだてじょう)

田舎館城の基本情報

通称・別名

所在地

青森県南津軽郡田舎館村田舎舘字中辻

旧国名

陸奥国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

工藤氏

築城年

延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)

主な改修者

主な城主

工藤氏、安保氏?、千徳氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

村史跡(田舎舘城址)

再建造物

石碑、説明板、近隣に城郭風建物(村役場)

周辺の城

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田舎館城の解説文

田舎館城(いなかだてじょう)は、青森県南津軽郡田舎館村にあった日本の城。

概要 

田舎館城は、文明年間(1469~86)に初代貞武(政実)が築城し、田舎館千徳を名乗った。

5代政武まで続いた平城であるが、城館の北側と南側に隠し水門があり、水門を閉じると城館の周辺が一面の沼地と化し、要害になったといわれている。

遺構 

昔の面影をとどめるものは、本郭北隅にある「ヤマコ」と称する小高くなった所だけである。ここにはサイカチの古木が残り、城趾の碑が建てられている。

歴史 

天正13年(1585)政武の時に津軽統一を目指していた大浦為信(津軽為信)軍1700騎によって三方から攻められ、籠城した312人のうち303人が討ち死にし滅亡する。

田舎館千徳は、三戸南部宗家から所領750町歩、直臣10数人、雑兵500人を安堵された直臣関係にあった。

サイカチ大樹 

サイカチ大樹は樹齢400年以上で、大浦為信(津軽為信)との戦いで討ち死にした田舎館城主千徳政武以下300余名を埋葬した時の供養樹であるといわれている。

また、津軽2代藩主信枚公の奨励によるもの、サイカチ=再勝に通じることから縁起樹としたもの、果実が石鹸の役目をし、若芽が食用となることから植えられたなどの諸説がある。

情報提供:田舎館村教育委員会


田舎館城の口コミ情報

2024年07月10日 じんしょ
田舎館城

遺構は見当たらないので、生魂神社に行くのがベスト

2018年09月03日 ポリタンク大和守
田舎館城

標柱等の位置は、登録されている地点起点で北北西、生魂神社北の路地を入ったところになります。

2010年06月09日 ️
田舎館城

自ら田舎を称する田舎館村役場の東側にポツンと残る「ヤマコ」と呼ばれる林が城跡です。
「ヤマコ」には画像の解説板の他に石碑&標柱があり、「ヤマコ」自体も土塁跡になっています。
また、標柱脇に植えられたサイカチの木は、天正13年(1585年)の落城の際、330余名の城兵を埋葬した時の供養樹とも云われています。
初めて行かれる方には9月~10月初旬の訪城をオススメしますいかにも怪しげな天守風建築の田舎館村役場から眺める「田んぼアート」は一見の価値ありです(^-^)b

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