田舎館城(いなかだてじょう)
田舎館城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 青森県南津軽郡田舎館村田舎舘字中辻
旧国名
- 陸奥国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 工藤氏
築城年
- 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)
主な改修者
- -
主な城主
- 工藤氏、安保氏?、千徳氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 村史跡(田舎舘城址)
再建造物
- 石碑、説明板、近隣に城郭風建物(村役場)
周辺の城
-
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田舎館城の解説文
田舎館城の口コミ情報
2024年07月30日 内蔵助ジョンジョン子
田舎館城
弘前城へ向かう途中に田んぼアートに導かれました。天守的なものはあり、田んぼアートを上から見るために登城しました。そこから徒歩5分くらいのところに田舎館城の跡があり、立派な木がありました(*^^*)
2024年07月10日 じんしょ
田舎館城
遺構は見当たらないので、生魂神社に行くのがベスト
2018年09月03日 ポリタンク大和守
田舎館城
標柱等の位置は、登録されている地点起点で北北西、生魂神社北の路地を入ったところになります。
2010年06月09日 ️_
田舎館城
自ら田舎を称する田舎館村役場の東側にポツンと残る「ヤマコ」と呼ばれる林が城跡です。
「ヤマコ」には画像の解説板の他に石碑&標柱があり、「ヤマコ」自体も土塁跡になっています。
また、標柱脇に植えられたサイカチの木は、天正13年(1585年)の落城の際、330余名の城兵を埋葬した時の供養樹とも云われています。
初めて行かれる方には9月~10月初旬の訪城をオススメしますいかにも怪しげな天守風建築の田舎館村役場から眺める「田んぼアート」は一見の価値ありです(^-^)b
概要
田舎館城は、文明年間(1469~86)に初代貞武(政実)が築城し、田舎館千徳を名乗った。5代政武まで続いた平城であるが、城館の北側と南側に隠し水門があり、水門を閉じると城館の周辺が一面の沼地と化し、要害になったといわれている。
遺構
昔の面影をとどめるものは、本郭北隅にある「ヤマコ」と称する小高くなった所だけである。ここにはサイカチの古木が残り、城趾の碑が建てられている。歴史
天正13年(1585)政武の時に津軽統一を目指していた大浦為信(津軽為信)軍1700騎によって三方から攻められ、籠城した312人のうち303人が討ち死にし滅亡する。田舎館千徳は、三戸南部宗家から所領750町歩、直臣10数人、雑兵500人を安堵された直臣関係にあった。
サイカチ大樹
サイカチ大樹は樹齢400年以上で、大浦為信(津軽為信)との戦いで討ち死にした田舎館城主千徳政武以下300余名を埋葬した時の供養樹であるといわれている。また、津軽2代藩主信枚公の奨励によるもの、サイカチ=再勝に通じることから縁起樹としたもの、果実が石鹸の役目をし、若芽が食用となることから植えられたなどの諸説がある。