浅瀬石城(あせいしじょう)

浅瀬石城の基本情報

通称・別名

汗石城、浅石城

所在地

青森県黒石市高賀野他

旧国名

陸奥国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

千徳氏

築城年

仁治元年(1240)

主な改修者

不明

主な城主

千徳氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

黒石城(青森県黒石市)[3.3km]
田舎館城(青森県南津軽郡)[5.6km]
中野不動館(青森県黒石市)[5.7km]
大光寺城(青森県平川市)[6.0km]
高畑城(青森県平川市)[6.8km]

浅瀬石城の解説文

浅瀬石城(あせいしじょう)は、青森県黒石市高賀野にあった平山城である。別名汗石城

概要
城は北へ突き出た舌状台地の先端にある。城址は、現在リンゴ園となっており、堀跡は、農園内の作道となっている。近くには、浅瀬石川が流れている。城の構造は東方・北方に浅瀬石川が流れているが、西方・南方の城下があった高賀野方面は平地である為、田舎館・大光寺方面との連携が必要である。

歴史
仁治元年(1240)、南部一戸氏流、(閉伊氏・桓武平氏千葉氏流説もある。)千徳行重が築城した。元応2(1320)年に城を改修、拡張。
室町時代初期には南部家重臣桜庭氏が拠っていたらしい 。文明年間には、7代城主浅瀬石政久は大光寺城南部氏の代官として繁栄した。戦国時代、10代城主浅瀬石政氏が永禄4年(1561年)、津軽為信と同盟(永禄の約)を結んだ。すると、南部信直は激怒して名久井兼隆を攻手として天正13年(1585年)4月、3000の軍勢で浅瀬石城を攻撃してきたものの撃退した(宇杭野の合戦)。しかし、この合戦で為信が援軍を出さなかった事により後の不和の原因となったといわれている。慶長2年(1597年)2月、浅瀬石政保の代に、永禄の約を反故にされ津軽氏との同盟が破綻し、寝返った浅瀬石氏重臣木村越後らが本丸を急襲、敵将森岡金吾などの津軽軍2500人の攻撃を受け、2000の城兵は奮戦したが落城、千徳政保は自害したため、廃城となった。なお、政保の次男浅瀬石進士は堀越の屋敷にいたところ、屋敷を急襲され討ち死にした。

構成
城は本丸・二ノ丸・侍屋敷・町屋敷・代官館・御堂館で構成されている。

1.本丸
東西約170m南北約180m。比高約30m。東・南に堀、北は沢となっている。

2.2ノ丸
本丸の東。東西約60m×南北約80m。南・西を掘があり、北は沢となっている。

3.侍屋敷・町屋敷
本丸・二ノ丸の南。東西約200m×南北約80m。浅瀬石城の城下である。往時は家中侍屋敷530軒余、市街地1230軒余、近在の家200軒余の城下であった。
...

浅瀬石城の口コミ情報

足軽越中守一歩様[2010年10月19日]
看板と石碑あり。城跡と思われる場所はリンゴ畑なので他に痕跡を見つけられず

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