堀越城(ほりこしじょう)
堀越城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 青森県弘前市堀越柏田
旧国名
- 陸奥国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 曾我貞光
築城年
- 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)
主な改修者
- 津軽為信
主な城主
- 曾我氏、津軽氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、土橋
指定文化財
- 国史跡(津軽氏城跡)
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
石川城(青森県弘前市)[3.4km]
大光寺城(青森県平川市)[3.7km]
小栗山館(青森県弘前市)[3.9km]
高畑城(青森県平川市)[4.3km]
乳井城(青森県弘前市)[4.4km]
和徳城(青森県弘前市)[5.2km]
弘前城(青森県弘前市)[6.2km]
田舎館城(青森県南津軽郡)[6.9km]
浅瀬石城(青森県黒石市)[9.6km]
黒石城(青森県黒石市)[9.9km]
堀越城の解説文
[引用元:Wikipedia「堀越城」の項目]
堀越城(ほりこしじょう)は、青森県弘前市堀越字川合・柏田にあった日本の城。国の史跡に指定されている。
概要
平城である。城址は熊野神社となっている。
文禄3年(1594年)津軽為信は堀越城を改修、大浦城から居城を移した。 その後、津軽信枚が高岡城(のちの弘前城)へ拠点を移す慶長16年(1611年)までの17年間、津軽氏の居城として栄えた。
構造
本丸を中心として、周囲を二の丸、三の丸、外構の曲輪が取り囲む形。 この形は津軽為信が文禄3年(1594年)居城移転の際に行った大改修により作られたと考えられる。
本丸は堀越城の中央やや西側に位置、五角形をしており、高さ(約)3mの土塁、幅15〜20mの内堀に囲まれている。 東と西に虎口あり。 本丸東門は3棟の建物で構成(南北32.5m)されており、内堀を隔てた三の丸とは木橋で繋がっていた。 本丸西門は幅2.4mと狭く、両側に土塁。二の丸とは土橋で繋がっていた。
歴史
- 1336年(建武3年)、北朝方の曾我太郎貞光により築城される。1571年(元亀2年)、大浦為信(津軽為信)はこの城に兵を集め、石川城を急襲。1594年(文禄3年)、大浦城より本拠を移す。1611年(慶長16年)、弘前城完成と共に本拠は弘前城に移ったのち、1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となる。
近代以降
- 1975 - 1978年:国道7号弘前バイパス改築事業および前川の災害復旧工事に伴い、三の丸、外構および外堀の発掘調査が行われた。
- 1985年(昭和60年)11月15日:国の史跡「弘前城跡」(1952年(昭和27年)3月29日指定[1])に堀越城跡を追加指定し、名称を「津軽氏城跡 堀越城跡 弘前城跡」に改称した。[2]
- 1989年(平成元年)3月:保存管理計画が策定された。
- 1998 - 2013年:保存管理計画に基づき、史跡整備のための発掘調査を行った。
- 2002年(平成14年)12月19日:津軽光信が入城した中世の城跡と種里城跡が国の史跡に追加指定され「津軽氏城跡 種里城跡 堀越城跡 弘前城跡」と改称した。
- 2012 - 2020年(予定):1594年に行われた大改修後の姿を基本とし、曲輪、土塁および堀などを復元する史跡整備事業を実施。復元整備が完了した箇所から順次一般公開し、全面公開は2020年春を予定している。
遺構
- 曲輪
- 水堀
- 土塁
キャラクター
弘前城で行われた天守の曳家工事を契機として、2016年(平成28年)に弘前市が地域おこしキャラクターのロボット「超城合体タメノブーンV」を制作。タメノブーンVを構成する5機の城ロボのうち、堀越城は「ホーリー」にあたる[3][4]。
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堀越城の口コミ情報
2024年07月18日 後志守あったらもんだ
堀越城
国道7号線の弘前大橋東詰に立派な駐車場がある。北側に二の丸を囲む堀や土塁など遺構がしっかり整備されて公開されている。車で行くのは便利だけど、公共の交通機関利用は大変かもしれない。
2024年06月17日 チョア
堀越城
平城。から堀。散歩がてら跡地をぶらぶら見物。土曜日なのに他のお客さんもいなくて、のんびり散歩、撮影。
大学時代から30何年も経ち、卒業後は弘前に買い物に行く時に何百回も?通り過ぎていた国道七号線沿い。公園として整備されてからも何年も経つのに初めて訪問。駐車場も広い。アプリを11月に入れたおかげで訪問。
きっかけはともかく、弘前公園(城)に行った無数の訪問に比べて、目立たない(失礼)城にもどんどんリア突したい!
2021年05月20日 みず
堀越城
車で行かれる方は、弘前駅などから本数は少ないですがバスがあります「堀越」で下車すると近いです。遺構は素晴らしいです。堀の深さ土塁の高さ!!駐車場と綺麗なトイレもあります
2021年04月29日 tk
堀越城
弘前藩藩祖津軽為信が岩木山山麓の大浦城から移り 津軽平野一帯の経営に着手した由緒有る城です。
2019年04月28日 さすらい
堀越城
素晴らしい城址でした!続100名城に選出されていないのが、残念でなりません。よく復元されており、土塁と堀が張り巡らされています。大興奮でした!
2019年04月28日 さすらい
旧石戸谷家住宅[堀越城 寺社・史跡]
平成31年4月28日現在、工事中のため入れませんが、史跡公園の開園と同時に入れるようになるみたいです。
2019年04月28日 さすらい
トイレ・説明板[堀越城 トイレ]
トイレは清潔感があり好印象です。説明板もありますが、西側のトイレにあるものと同じでした。
2019年04月28日 さすらい
三の丸東側連絡地下道[堀越城 その他]
平成31年4月28日現在の様子。整備中のようですが、令和2年にはどうなっているのか、楽しみです。
2019年04月28日 さすらい
二の丸・掘立柱建物[堀越城 碑・説明板]
二の丸には掘立柱建物の遺構が平面表示されてます。
2019年04月28日 さすらい
本丸・御殿の説明板[堀越城 碑・説明板]
本丸御殿が平面復元されています。熊野神社も本丸にあります。
2019年04月28日 さすらい
本丸東門跡の説明板[堀越城 碑・説明板]
本丸東門跡の遺構が平面展示されています。
2019年04月28日 さすらい
連絡地下道[堀越城 その他]
弘前バイパスの反対側に通じています。
2019年04月28日 さすらい
三の丸説明板[堀越城 碑・説明板]
展望台もあります。三の丸や本丸が一望できます。展望台は土塁の上につくられています。
2019年04月28日 さすらい
堀越城の説明板[堀越城 碑・説明板]
令和2年に史跡公園として開園するために整備工事が続けられています。見学エリアが設けられており、休憩所もあります。
2010年10月27日 足軽越中守一歩
堀越城
国道7号の隣にあり、本丸跡に神社がある。本丸の周囲を土塁で囲ってあるが、掘りの土を盛ったのではないか?