種里城(たねさとじょう)
種里城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字種里町大柳
旧国名
- 陸奥国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 南部光信
築城年
- 延徳3年(1491)
主な改修者
- -
主な城主
- 津軽氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- 国史跡(津軽氏城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
大浦城(青森県弘前市)[23.1km]
笹森館(青森県弘前市)[24.1km]
茶右衛門館(青森県西津軽郡)[25.5km]
弘前城(青森県弘前市)[27.4km]
和徳城(青森県弘前市)[28.9km]
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種里城の解説文
[引用元:Wikipedia「種里城」の項目]種里城(たねさとじょう)は、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町種里町にあった日本の城(山城)で、国の史跡に指定されている。
【概要】
種里城は、津軽氏発祥の地として知られている。城は、赤石川の上流、種里集落の西南約500メートルに位置し、前面は赤石川、背後は大柳沢山嶺をひかえた、東向きの山城である。本丸跡の西南に光信公御霊墓があり、御廟館とも言われている。また、近くに殉死した奈良主水貞親の墓がある。
【歴史】
1491年(延徳3年)、大浦光信によって築城された。1502年(文亀2年)、光信は大浦城を築き、子の大浦盛信を置いた。光信死後は大浦城大浦氏の本拠となり、種里城は支城として江戸時代初めまで使われた。その後種里城は津軽氏の聖地として保存されたが、明治時代に入って遺構は破壊された。
1988年、跡地に資料館「光信公の館」が建設されることに伴い発掘調査が行われ、その後種里城跡の解明を目的とした学術調査が、1991年から1997年まで続けられた。
【関連文献】
・中田書矢 「種里城 (特集 城郭の研究)」、『月刊考古学ジャーナル』 (ニュー・サイエンス社)第493号15-18頁、2002年10月。ISSN 04541634。 NAID 40005425978。
・佐々木浩一 「青森県中・近世遺跡の景観―小沢館・境関館・浜通遺跡・十三湊遺跡・種里城」、『青森県史研究』 (青森県)第5号、2000年11月。ISSN 13427431。 NAID 40005164794。[続きを見る]
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