原子城(はらこじょう)

原子城の基本情報

通称・別名

原子館

所在地

青森県五所川原市原子字山元

旧国名

陸奥国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

室町時代

主な改修者

不明

主な城主

原子氏(北畠氏家臣)

廃城年

不明

遺構

曲輪、土塁、堀

指定文化財

再建造物

周辺の城

高屋敷館(青森県青森市)[6.1km]
飯詰城(青森県五所川原市)[6.8km]
浪岡城(青森県青森市)[8.8km]
新城(青森県青森市)[13.2km]
笹森館(青森県弘前市)[14.6km]

原子城の解説文

原子城(はらこじょう)は青森県五所川原市大字原子字山元にあった平城。

概要
城は、浪岡城から西北に約8km離れた離れた地にある。城地は、北に持子沢川、南には大溜池、東は山地、西には水田(湿地)があり、周囲は断崖の要害である。郭は内郭東西500m、南北300mの地で、主郭はその中の東西200m、南北160mの地である。その西側に主な外郭があり、東西300m、南北200mの広さがある。また、城地は現在果樹園となっている。

歴史
原子城は、居住に向いた地であったため、古代、蝦夷館があった。その後、館跡を利用したものが一般的に言われている原子城である。戦国時代、肥後の名族菊池氏の流れを汲むといわれる、原子氏が居城とした。元亀年間(1570~1572)から天正年(1573~91)の城主は浪岡四天王の一人、原子平内兵衛で浪岡北西を守った。なお、平内兵衛の名は「津軽封内城址考」によると襲名で、同一人物ではないという。その後、天正6年(1578)、大浦為信の浪岡城攻撃の際、落城したものと思われる。平内兵衛はその後南部へ逐電した、もしくは出羽土崎に逃れたといわれる。平内兵衛はその後吉町弥右衛門の陰謀を津軽為信に密告し、家臣になったという。また、原子城はその後廃城になったものと思われる。

参考文献
津軽諸城の研究(1981) 沼館愛三著

原子城の口コミ情報

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