石川城(いしかわじょう)

石川城の基本情報

通称・別名

大仏ヶ鼻城、大渕ヶ鼻城、石川十三館、石川十三楯、岩館十三楯

所在地

青森県弘前市石川平山(大仏公園)

旧国名

陸奥国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

曾我道性

築城年

建武元年(1334)

主な改修者

不明

主な城主

曾我氏、南部氏

廃城年

慶長16年(1611)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑(大渕ヶ鼻城)

周辺の城

乳井城(青森県弘前市)[2.4km]
高畑城(青森県平川市)[3.4km]
堀越城(青森県弘前市)[3.4km]
大光寺城(青森県平川市)[4.8km]
小栗山館(青森県弘前市)[5.8km]
和徳城(青森県弘前市)[8.6km]
田舎館城(青森県南津軽郡)[9.2km]
弘前城(青森県弘前市)[9.5km]
浅瀬石城(青森県黒石市)[10.1km]
黒石城(青森県黒石市)[11.4km]

石川城の解説文



石川城(いしかわじょう)は、青森県弘前市にあった日本の城。 別名大仏ヶ鼻城。周辺の館とあわせて石川十三楯(大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館)と呼ばれ、この13の城館の総称として石川城といわれた。

歴史 

津軽の曽我宗家である平賀の曽我道性により建武元年(1334年)に築城されたと伝わる。曽我氏はその後南部氏に制圧され、天文2年(1533年)石川高信が石川城を居城としていた。だが元亀2年(1571年)5月5日未明、大浦為信(後の津軽為信)の急襲を受けて落城、石川高信は自害した。その後石川城は津軽氏の所有となり、津軽家臣である板垣将兼が守った。慶長16年(1611年)、弘前城築城に際し、石川城は廃城となった。

現在は「大仏公園」として整備されている[1]

キャラクター 

弘前城で行われた天守の曳家工事を契機として、2016年(平成28年)に弘前市が地域おこしキャラクターのロボット「超城合体タメノブーンV」を制作。タメノブーンVを構成する5機の城ロボのうち、石川城は「イシー」にあたる[2][3]

石川城の口コミ情報

2021年05月05日 tk
石川城

東北自動車道弘前インターは津軽平野の要にあります。インターから旧道に入り弘南鉄道石川駅方向に(大仏公園)の看板があります。駅を右手見て道なりに進むと小高い岡にそこが石川城ですね。私が小学生遠足の場所です。電車体験もあり 楽しかった3年生の思い出です。山全体に坑道の様な物があり弘前城迄の抜け道と言う噂がありました。中は途中で蓋がされていました。津軽為信によって滅亡された城に抜け道等ある筈もありません。今回半世紀ぶりに訪ね大感動物です。駆け巡った思い出が有りましたが、無理無理無理無理ですね。桜舞い散る季節ですが、紫陽花が見頃になる様です。此処も岩木山の眺望絶佳ですね。

2019年04月28日 さすらい
大渕ヶ鼻城址碑・入口[石川城  碑・説明板]



石碑の近くに入り口の階段もあります。

2013年05月02日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
石川城

現在大仏公園(紫陽花公園)になっており公園含む一帯が石川三十三観音の参拝順路になっておりその順路を歩くと平場や郭部が確認できます。
平川を天然の要害に三方が険しい山肌で主郭部と思われるところまで平場が段々と幾重にも狭くなって来ます(・_・;)
石川一三盾と称されるだけあって周囲の丘のほとんどが何らかの役割があったと頂上から現地からもうかがえました。

2010年10月19日 足軽越中守一歩
石川城

三ノ丸、二ノ丸、本丸と段々になっており、高低は40mくらいか?今は公園で桜あり。70才近い地元の方の話だと、子供の頃、空井戸が本丸や二ノ丸などにあり平地に抜けてた為、「通り抜けて遊んでいた」とのこと!!今は、危険だからと埋め立てられてしまっている。

石川城の周辺スポット情報

 大渕ヶ鼻城址碑・入口(碑・説明板)

 大仏公園案内図(碑・説明板)

 トイレ(トイレ)

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