新寺構・土居
新寺構・土居([弘前城 遺構・復元物])
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新寺構・土居の口コミ情報
2025年10月14日 長森原
◯新寺構・土居と南溜池
南溜池とは弘前城築城まもなく、城の南方の防衛を目的として築かれた人工の貯水池です。人夫およそ1万人を動員し、寺沢川を土居(堤防)でせき止めて造成されたと伝えられます。
1644年(寛永21年)作成の「津軽弘前城之絵図」には、現在の弘前大学医学部敷地やグラウンド一帯を含む、広大な水面が描かれています。有事の際には、この溜池の堤(土居)を破って土淵川と連結し、城の東南部に水防線を築く計画があったのではないかと考えられています。
のちに溜池の南側には寺院が集められて「新寺構(しんてらがまえ)」が形成され、西南の「長勝寺構」とともに弘前城南方の外郭防備を担う一角となりました。
現在、南溜池そのものは埋め立てられ、「鏡ヶ池」とも呼ばれた往時の景観は失われていますが、堤(土居)は今も残り、その上を県道が通っています。
このアプリの「リア攻めMAP」で色別標高図を表示すると、南溜池の地形痕跡が明瞭に確認でき、往時の弘前城の総構(そうがまえ)を具体的に想像することができます。
写真
①②川を堰き止めた土居(堤防)上を今は県道が通過している。
③1644年に作成された最古の城下絵図「津軽弘前城之絵図」に描かれた南溜池。
南溜池の北側にも土塁が築かれ、西の長勝寺構の土塁まで続き、一体となって弘前城南方の防衛線を構成していた事が判る。
④弘前城、新寺構、長勝寺構の位置関係図。
⑤弘前大学グラウンドは埋め立てられた南溜池の底に当たる。最勝院の五重塔が土居越しに望める。
現在最勝院がある地は、かつては堤(土居)の先端に突き出た半島状の高台で、城砦の役割を担っていたと思われます。









