丸亀城(まるがめじょう)
丸亀城の基本情報
通称・別名
- 亀山城、蓬莱城
所在地
- 香川県丸亀市一番丁
旧国名
- 讃岐国
分類・構造
- 輪郭式平山城
天守構造
- 独立式層塔型[3重3階/1660年築・1877年改/現存]
築城主
- 奈良元安
築城年
- 室町時代前期
主な改修者
- 生駒親正、山崎家治
主な城主
- 生駒氏、山崎氏、京極氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪、天守、門、長屋、番所、石垣、横堀(水堀)
指定文化財
- 国重要文化財(天守(附指定)木札、大手一の門、大手二の門(附指定)東西土塀)、国史跡(丸亀城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
聖通寺城(香川県綾歌郡)[4.7km]
多度津城(香川県仲多度郡)[5.3km]
垂水城(香川県丸亀市)[6.7km]
甲山城(香川県善通寺市)[6.8km]
天霧城(香川県仲多度郡)[8.2km]
城山(香川県坂出市)[8.3km]
高屋城(香川県坂出市)[10.7km]
西長尾城(香川県丸亀市)[11.1km]
塩飽勤番所(香川県丸亀市)[11.4km]
笠島城(香川県丸亀市)[12.0km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- 78 丸亀城
設置場所
- 丸亀城天守[地図]
丸亀城の解説文
[引用元:Wikipedia「丸亀城」の項目]
丸亀城(まるがめじょう)は、讃岐国、現在の香川県丸亀市にある日本の城。別名、亀山城(かめやまじょう)、蓬莱城(ほうらいじょう)ともいう。
概要
丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66メートル)を利用し、縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、渦郭式[1]の平山城である。石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれる。山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60メートルになり、総高としては日本一高く[2]、三の丸石垣だけで一番高い部分は22メートルある。誤解されやすいが、あくまで総高としての日本一であり、単体としての日本一高い石垣は大坂城で、僅差で上野城が続いている。ちなみに大坂城は実測値33メートル、上野城の高さは約30メートルである[3]。
後述の2018年の三の丸石垣崩落の復旧工事のため解体したところ、三の丸石垣は根固め石垣を土台としている(二段になっている)のではなく、三の丸石垣は地山まで延びており、その前面を根固め石垣が支えている構造と判明し、高さ31メートルで日本で2番目の高さと確認された[4]。
頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15メートルあり、現存天守の中で最も小規模である。天守の形成した時代に関する研究としては、元和元年(1615年)の武家諸法度以降、天守は新造されることがなかったとして丸亀城を三重櫓とする説や、京極氏が入封後に幕府に許可を得て櫓を建てたという説[5]、すでに明暦の丸亀城郭を記した讃岐国丸亀城(大洲絵図)を根拠に、京極入封以前の山崎時代に櫓や石垣がほぼ整っていたとする研究[6][7]がある。
内堀の周囲には侍屋敷が建ち並び、この周囲を外堀が方形に取り囲んでいた。侍屋敷は明治時代に大半が取り壊され跡地に善通寺第11師団の丸亀歩兵第12連隊、裁判所や小・中学校などが建てられた。外堀は明治頃まで存在[8]していたが、琴平参宮電鉄の路線延長とその後の廃線や旧国道11号(県道33号線)の整備などにより、年とともに減少し、一部残されていた南側[9]の箇所も今は埋め立てられ、外濠緑道公園として整備されている。又、御殿、櫓、門、土塀の木造復元計画もある。
城跡の全域は国の史跡に指定されており亀山公園となっている。天守のほかに大手一の門・大手二の門・藩主玄関先御門・番所・御籠部屋・長屋が現存しており、そのうち天守・大手一の門・大手二の門は重要文化財に指定されている。 城の大手改修の時に、絵図と共に幕府に提出されたという「丸亀城木図」という木型の立体模型が残っている(丸亀市立資料館所蔵)。木型模型(1/650)の現存例は丸亀城のものしかなく[10]非常に珍しい。これは平成4年に丸亀市の指定有形文化財になっている。大手門と天守が両方とも現存しているのはこの丸亀城と、弘前城と高知城のみである。
歴史・沿革
室町時代・安土桃山時代
- 室町時代初期 - 管領・細川頼之重臣の奈良元安が亀山に砦を築く。
- 天正3年(1575年) - 那珂郡の奈良家臣のうち、新目・本目・山脇の3氏が西讃岐守護代香川氏に寝返った。これを機に香川氏は奈良領へ攻め入り、奈良元政は那珂郡を失った。
- 慶長2年(1597年) - 豊臣政権の時代、生駒親正が讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築く。
- 慶長7年(1602年) - 6年の歳月を要し、ほぼ現在の城郭が完成。
江戸時代
- 元和元年(1615年) - 一国一城令により破却の危機にさらされるが、時の藩主・生駒正俊は要所要所を樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限。城を破却から守った。
- 寛永17年(1640年)- 生駒氏がお家騒動(生駒騒動)のため出羽国矢島(現秋田県由利本荘市)に転封となる。
- 寛永18年(1641年)- 山崎家治が肥後国富岡(現熊本県天草郡苓北町)より5万石で入封。丸亀藩が立藩。
- 寛永20年(1643年) - 城の改修に着手。幕府が家治に、瀬戸内の島々にいたキリシタンの蜂起に備えるための城をつくらせたのではないかと云われ、幕府は丸亀藩に銀300貫を与え、参勤交代を免除し、突貫工事をやらせている。
- 万治元年(1658年) - 山崎氏が3代で無嗣断絶し改易となる。代わって播磨国龍野(現兵庫県たつの市)より京極高和が6万石で入封。以後、明治時代まで京極氏の居城となる。
- 万治3年(1660年) - 高和は城の裏口にある海側の搦め手門を大手門に変更した。その大手門から見上げる石垣の端に、現在の3層3階の御三階櫓が完成した。
- 延宝元年(1673年) - 32年の歳月を要し大改修が完了。現存する石垣の大半はこの改修の際に完成したものである。
近現代
- 明治2年(1869年)- 主御殿と三の丸の戌亥櫓が火災により焼失。
- 明治4年旧暦7月14日(1871年8月29日):廃藩置県により丸亀藩は丸亀県になる。
- 明治5年(1872年) - 競売の公示が出されたが兵部省管轄になったため競売は取り消しになる。
- 明治6年(1873年) - 在城扱いとなり陸軍省管轄となる。名東県の広島鎮台第2分営が設置される。
- 明治9年(1876年) - 翌年にかけて現存の建物以外の櫓・城壁等の解体が始まる。
- 大正8年(1919年) - 丸亀市が山上部を借地し、亀山公園として開設。
- 昭和8年(1933年) - 城下にあった丸亀藩主京極家の別邸延寿館を三の丸に移築(延寿閣)。
- 昭和18年(1943年) - 天守が国宝保存法に基づき旧国宝に指定される。
- 昭和23年(1948年) - 外濠の埋め立てが始まる。
- 昭和25年(1950年) - 天守の解体修理が行われた。この記念行事として第1回の丸亀お城まつりが開催された。また、文化財保護法施行により天守は重要文化財となる。
- 照明装置(2kw)を設置し、東西北の三方向から城を照らすライトアップが始まる[11]。
- 昭和28年(1953年)3月31日 - 国の史跡に指定される[12]。
- 昭和32年(1957年) - 大手一の門・大手二の門が重要文化財に指定される。
- 昭和43年(1968年) - 玄関先御門・番所・長屋・土塀の修理が終わる。
- 昭和47年(1972年) - 丸亀城や京極氏に関わる史料を展示する丸亀市立資料館が開館。
- 昭和60年(1985年) - 延寿閣を解体撤去。別邸のみ残る。
- 平成4年(1992年) - 翌1993年の寄付金付き年賀状の地方版の絵柄に選ばれた。
- 平成9年(1997年) - 築城400年祭を開催。
- 平成16年(2004年)4月1日 - 「丸亀城櫓復元資料収集懸賞事業」開始(以後7年間)[13]。
- 平成18年(2006年)4月6日 - 日本100名城(78番)に選定された。
- 平成30年(2018年)7月 - 見返り坂に手すりを設置[14]。
- 平成30年(2018年)10月 - 平成30年7月豪雨や台風24号の影響などにより、丸亀城跡の南西部に位置する帯曲輪石垣と三の丸坤櫓跡石垣の一部が崩落[15][16][17][18]。
伝説
- 豆腐売りの人柱伝説
- 丸亀城築城の際、石垣の工事が難航したため、人柱を立てることとなった。雨が降る夕暮れ、工事現場付近を通り掛かった豆腐売りが捕えられ、無理矢理に人柱として生き埋めにされてしまった。豆腐売りは雨で豆腐が売れないため、普段は通らない城の付近を偶然通り掛かったのであった。その後、石垣の工事は完成したが、それ以来、雨が降る夜にはその石垣の辺りで「とーふー、とーふー」という豆腐売りの声が聞こえて来たという[19] 。
- 石工名人の羽坂重三郎
- 石垣は名人と謳われた羽坂重三郎によるもので城主(生駒親正という説や山崎家治という説がある)に「見事である。この石垣を登れるものはあるまい」と感嘆された。しかし重三郎が「私ならば尺の鉄棒があれば登れます」といって短い鉄の棒を使って登ってしまった。これを見た城主は重三郎が敵と通じることを恐れて嘘の井戸の調査を命じて井戸に埋め殺してしまった[20][21]。
現地情報
利用情報
- 現在は、原則年中無休(以前は冬期は天守が閉鎖されてしまい登閣できなかった)
- 現在地住所:香川県丸亀市一番丁4番地乙
行事
- 丸亀城桜まつり
- 丸亀お城まつり
- MARUGAME caste road
交通
- JR四国予讃線:丸亀駅
- 丸亀コミュニティバス:丸亀城前停留所
関連施設
- 城内
- *丸亀市立資料館 - 丸亀城、京極家などの歴史的資料を展示。
- *亀山動物園 - 2009年8月31日で閉園。
- *亀山公園こどもの国 - 遊園地。2007年11月25日で閉園。
- *芝生広場 - バレーコートに使用されていた時期がある。
- *丸亀市城内グラウンド - 2016年3月限りで閉鎖。
- 城外
- *外濠緑道公園 - 外堀跡に造られた遊歩道及び小規模な公園。
周辺
- 秋寅の館
- 通町商店街
- 香川県丸亀武道館
- 飯野山
- 青ノ山
参考文献
- 【書籍】「定本 日本城郭事典」
- 史跡丸亀城跡保存活用計画(https://www.city.marugame.lg.jp/itwinfo/i37336/file/01-03.pdf)
- 史跡丸亀城跡保存活用計画(案)に関するパブリックコメント(https://www.city.marugame.lg.jp/itwinfo/i37336/)
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丸亀城の口コミ情報
2024年07月26日 小太郎左衛門督南畿道19國守
丸亀城
城内の無料である丸亀市立資料館前駐車場に駐車。5分程平地を進むと、きつめの坂道を10~15分登ると、現存天守閣に到着する。ここまでは無料で天守閣内は有料で、百名城スタンプも設置されている。
2024年07月24日 そうざえもお備中守
丸亀城
今回は無料駐車場に停めることができましたが、混雑時は市役所の駐車場に駐車するよう看板が立っていました。天守まではなかなかの坂道で夏場はしんどいですが、見晴らしは最高です。
2024年06月03日 tower428太閤
丸亀城
丸亀城の天守までは汗だくになりますが、天守からの景色は素敵です。石垣には昔、石垣を運んだ人?のサインや記号が書かれているので、お時間ある方は石垣をじっくり見てみてください。
2024年03月09日 よしぞう内蔵助
丸亀城
石垣が印象的な城です。天守閣からの眺めも良し。御城印は天守閣入口で販売してました。
2024年02月24日 若旦那讃岐守
丸亀城跡土塁[丸亀城 遺構・復元物]
丸亀城西側の入り口から入城し資料館の駐車場に続く道の近辺。
内濠を巡る土塁の一部が残っています。全く気付きませんでしたが説明板の写真を見ると芝生広場の土塁と繋がっていたようです。心眼で見るとよくわかりますよ。
2024年01月22日 レオン
丸亀城石垣復旧PR館[丸亀城 関連施設]
石垣PR館に行ってみました✨
搦手側にある資料館南側の無料駐車場から少し歩いた所にあります。
小屋風だけど、崩れた石垣の復旧過程の展示や石積体験✨そして迫力あるVR体験♡
出土品展示もあり屋上には復旧現場を見渡せる展望デッキもあり楽しめます。
豪雨災害で崩れた斜面から出土した 江戸時代に崩れた三の丸坤櫓石垣と考察される埋没石垣も展示されています
なお丸亀市立資料館は、施設の照明設備をLED照明に転換する改修工事中で令和5年12月1日~令和6年2月29日まで休館していました。
2023年11月25日 天龍主水佑
丸亀城
良い天気にも恵まれて初めての丸亀城へ行ってきました。坂がなかなかキツくて疲れましたが、見晴らしが良く気持ちよかった。
現存天守のため、中の階段も急階段でした。
2023年11月04日 気分爽快豊後守
丸亀城
キャッスルロードなる催し(11月5日まで)で、城がライトアップされていたので寄ってきました。
①見返り坂
②二の丸入口
③天守
④二の丸から見た天守
⑤櫓台
⑥三の丸高石垣
⑦櫓門
⑧内濠越しの城址
2023年05月30日 ミナ
丸亀城
激坂で足がパンパンになりました。さすが石垣の城!
2023年05月27日 はぎ太閤じゅんいち
丸亀城
高石垣は圧巻でした。地元を見守る天守閣でした。
2023年03月10日 ともちゃん
丸亀城
見返りの坂は結構きつかったのですが、圧倒的な石垣に圧倒されました。丸亀城良かったです。
2023年02月26日
丸亀城
痛々しい傷跡が残っておりました。膨大な費用と労力がかかりますね。隅から隅まで見せていただきました。琴とハープのコンサートを櫓内でやっていたり、城の有効利用(市民全体での愛着)がよくわかりました。
2022年11月12日 たけし
丸亀城
12現存天守のうち四国には4ヶ所あり、そのうちの1つが丸亀城です。
町中にありながら小高い山に建つ山城の様な城は、天守から見る街並みは圧巻です。
2022年11月07日 竹中播磨守じゅん兵衛
丸亀城
石垣修復は6000個積み直し必要、その内4200個はもとの位置が不明らしくマッチング検証で作業されてるそうです。現代の穴太衆・鹿島さん、高度な技術を駆使して頑張ってください。丸亀城に野面積み石垣があるとは露知らず驚きのあまり草ぐさを分け入り観賞しました。この時期は草むらに分け入ると植物の種子だらけになるので要注意です。
2022年08月29日 なんとか官兵衛
丸亀城
とにかく石垣が素晴らしい城です。石垣満喫コースルートがあるので、大手一の門をくぐった所にある観光案内所でパンフレットをもらって下さい‼️
2022年08月17日 源山城守@ポンコ2…
丸亀城
丸亀城のある亀山は、安山岩と花崗岩の岩盤上に風化花崗岩が覆ってており、更に盛土され普請されました。また、岩盤は本丸から南西方向に傾斜しているため、崩落した三ノ丸坤櫓台付近は大雨により、雨水の通り道となり地すべり的に崩落しました。崩落により土に埋もれてた石垣が見つかり、2022年の丸亀市教育委員会は、坤櫓台の石垣が31㍍で大坂城本丸東側に次ぐ日本で第二位の高さだったと発表してます。(石垣の段は47段、積み直しは一万石を超えるそうです)
ただ岩盤上にあるためか、三ノ丸南西だけでなく、本丸はじめ各曲輪の石垣は、昭和から今日まで、孕みなどにより数多く積み直し補修が行われてきました。それ以前からも、江戸時代からはばき石垣による補強や補修なども見られ、石垣を保全するための先人の努力があっての今の姿です。
平成3年のニノ丸長崎櫓台補修では、石垣裏の栗石が約2㍍の幅で置かれ、雨水排水や地震への緩衝などがわかっています。また、平成5年の本丸北面石垣や姫櫓台北東出隅の補修においては、石垣の内側3㍍のところに根石を岩盤に置いた高さ4㍍の生駒氏普請の石垣が見つかっています。
なお、石垣の表面積は子の自由研究兼ね図面等でざっくり試算したところ、本丸約3100㎡、ニノ丸約4120㎡、三ノ丸12230㎡で計19450㎡(曲線考慮せず)でした。内堀周囲など含めればもっとありますが、ここで断念。
2022年05月16日 マグロ常陸介祐平
丸亀城
現存天守や石垣が素晴らしいお城です。豪雨によって南西部の石垣が崩落していますが、復旧工事は遅れながらも本気度が伝わってきます。
2022年05月03日 美濃守レスタト
丸亀城
豪雨により崩落した石垣の復興支援にもなるスタンプラリーを開催しています。5ヶ所のポイントでスタンプを押せば絵葉書が完成します。もちろん扇の勾配や天守も見所は満載です。
2022年05月02日 オミト河内守
丸亀城
圧巻の石垣、現存天守など見どころ満載です!
2022年01月11日 次郎坊
丸亀城
坂が結構きつくて大変でした。ちょうど坂駆け上がり大会みたいのがやってました。石垣が高くてとても綺麗でした。
2021年11月15日 ゆきにこふ備中守
丸亀城
石垣の高さは日本で一番ということもあって、見応えは十分です。夜はライトアップもあり、夜空に浮かぶような城郭は幻想的です。
2021年10月19日 虹ノ松能登守
丸亀城
石垣が見事なお城と聞いていたので、楽しみに訪問しました。
積み方も綺麗ですが、高さもすごい。下からかなりの急坂を登り、途中櫓跡の展望スペースで休憩しながら天守閣へ。
現存天守閣は、漆喰の壁を一部補修したものの綺麗な姿で残っていました(昭和25年に解体修理済み)。内部の階段が広く上りやすかったです。もちろん、眺めも最高。瀬戸大橋がよく見えました。
現在キャッスルロードというイベントで、道沿いに竹灯籠などが設置してあるので、余裕のある方は夕方~夜に行かれると、また違った雰囲気を味わえそうです。
2021年09月25日 陸奥守新九郎
丸亀城
生憎9月30日まで休館中😭でしたが、石垣の雄大さ、美しさは秀逸です✨
天守に入らなくても十分楽しめるお城🏯です。
2021年08月10日 生駒讃岐守江現蔵✿
中津万象園[丸亀城 関連施設]
1688年、丸亀藩京極家2代目藩主京極高豊侯により、中津の海浜に中津別館として築庭されました。八つの島を配し、その島々を橋で結んだ回遊式の大名庭園です。万象園は森羅万象、即ち宇宙に存在するすべてのものを意味し、それらを合わせ持つ名園です。
見所はたくさんあります。
写真①月を迎えるという意味がある「邀月橋」(ようげつばし)
② 100本の回廊がある「伏見稲荷分社」
③江戸時代に建てられた現存日本最古の煎茶室「観潮楼」(かんちょうろう)
④石に願い事を書いて投げると願いが叶うと言われている「石投げ地蔵尊」
⑤ 樹齢約650年と言われる一本の松が直径15mにわたって大きく傘を広げた形をしている「大傘松」
⑥京極家が藩祖の地である琵琶湖、竹生島の「弁財天」を分社。
⑦島を結ぶ「観月橋」
⑧「さぬき百景」に選ばれている松林、土塁に見える
園内では庭園を見ながら食事も出来ます。
丸亀城を訪れた際は、万象園にも是非足を運んで頂き、大名気分を味わってくださいませ。
2021年07月02日 【城郭道】たっきー
二の丸井戸[丸亀城 遺構・復元物]
二の丸北東部に存在。丸亀城内の井戸で最も深い井戸で約65メートルもの深さがある。日本で最も深い井戸と言われる。
現在も水をたたえ、六角形の東家(東家)で保護されている。
なお、この井戸は築城に関する悲劇も残る。
2021年04月26日 刹那F精鋭渡島守【元親】
外堀公園[丸亀城 遺構・復元物]
公園として土塁が残されています。土塁の上も歩ける🎶まっすぐ進めないようクランクも残されている👍
2021年04月17日 【配貫指令】プレレ
丸亀城
ズルズルっと崩落した痛々しい石垣。崩落側の住宅ではもの凄い音が聞こえたそうです。石垣復旧PR館の天守型募金箱。
2021年04月10日 石田大宰帥いしのすけ
丸亀城
能島城からこちらへ 帰りの飛行機の時間の関係上、あまり、ゆっくりできませんでした。高石垣は、大手門の方からみましたが、写真をとるなら、お堀前の道路を渡ったあたりからが、いいと思います。
2021年04月06日 摂政丸
丸亀城石垣復旧PR館[丸亀城 関連施設]
屋上が展望エリアとして開放されているプレハブです。
周囲に並べられている石の重さ当てや元の石垣写真からの位置探し、石や砂を使ったミニチュアの石垣積み体験、15分の動画に2種類のVRとかなり楽しめます。
募金は室内奥の丸亀城の模型の窓にお入れくださいとのこと。
入場無料なのに色々工夫がされています。
本丸に登った後は搦手側に降りて立ち寄り、さらに丸亀市立資料館へと向かわれてはいかがでしょうか。
2021年03月06日 生駒讃岐守江現蔵✿
月見櫓跡[丸亀城 遺構・復元物]
三の丸広場の南東のすみに、月見櫓の跡があります。ここからの眺望は素晴らしく、ゆるやかに流れる土器川と飯野山(讃岐富士)の姿が美しく見えます。
2021年03月06日 生駒讃岐守江現蔵✿
番所[丸亀城 遺構・復元物]
御殿表門の西側に、御殿へ出入りする者を見張る番所があります。門の外側からは様子が分からないようにするなど、細かい工夫が凝らされています。詰所や長屋が附属しており、長屋には駕籠を置いていました。
2021年03月06日 生駒讃岐守江現蔵✿
大手門[丸亀城 遺構・復元物]
大手一の門は、大きな柱や梁でしっかりと組まれ、大手の正門らしい威厳と風格を備えた櫓門です。東側には、出陣に際し武者を一堂に集めた桝形があります。丸亀城の桝形は、他には見られないほど大きなものです。
寛文10(1670)年頃に建築され、藩士が太鼓を打ち、刻を知らせていたことから”太鼓門”とも呼ばれています。平成18年6月10日の「時の記念日」から、この大手一の門で太鼓を9回たたき、正午(九つ時)を知らせる『時太鼓』が復活。江戸から平成へ…、時代を経て力強い太鼓の音が響き渡ります。
内部も一般公開しており、城を防御するための石落としの仕掛けなどが見学できます。
2021年03月06日 生駒讃岐守江現蔵✿
御殿表門[丸亀城 遺構・復元物]
旧藩主居館の表門だった玄関先御門は「御殿表門」とも呼ばれ、江戸時代初期に建てられました。お城の門としては珍しい薬医門形式で、屋根越しに見える天守との調和はすばらしいです。
2021年03月06日 生駒讃岐守江現蔵✿
丸亀市立資料館[丸亀城 関連施設]
昭和47年に建設された歴史・民俗資料館です。丸亀藩主京極家の資料を中心とした郷土に関する文書、書画などの歴史資料や民具、団扇制作道具、農耕用具などの民俗資料を収蔵するほか、歴史・民俗・考古・美術などの各分野の企画展などを行っています。
有料の企画展もありますが、通常は無料で入れます。
2021年03月06日 生駒讃岐守江現蔵✿
かぶと岩[丸亀城 遺構・復元物]
かぶと岩は京極氏の時代には、岩上に神祠が建てられていました。この岩は火山の噴出口への通路部にある火成岩(安山岩)が浸食を受け、円柱状に露呈したもので、岩頸(がんけい)と呼ばれています。
2021年03月06日 生駒讃岐守江現蔵✿
大手二の門[丸亀城 遺構・復元物]
一の門と同時に建てられた、堀端の高麗門です。1670年頃、京極氏の時に完成しました。大手とはお城の正面のことを指し、追手とも書きます。大手二の門は丸亀城の顔にふさわしく、石垣に使用されている石は大きく、ノミの跡も美しく仕上げられています。
2020年11月22日 黄昏❎ともりん雅楽頭
丸亀城天守[丸亀城 スタンプ]
100名城のスタンプは、天守内チケット売り場のおじさんに言うと、出してくれます。専用の押印台(除菌スプレー設置台?)が、売り場前にあるので、そこに置いて押印するように言われました。
2020年11月14日 super中納言すぎっち
丸亀城
急勾配を登り切った先に広がる景色が素晴らしい!
2020年08月15日 京極蔵人頭一虎丸
丸亀城
見返り坂は見た目以上にキツイです。
サンダルでなく、運動靴をオススメします。
2020年01月25日 右兵衛督ヒロミツ
丸亀城
地元ボランティアの方にここから天守を見てほしいと教えて頂きました。また天下普請の証である石垣の刻印を詳しく教えて頂き感謝です。
2019年06月14日 上煎阿波守綾鷹
丸亀城
丸亀城の崩落した石垣です。
復旧には35億かかるとか...。
僅かですが募金させていただきました。
( ̄ω ̄;)
2019年06月12日 稲田阿波守植元
丸亀城
丸亀城南西部の石垣。話には聞いていたがこの光景は無惨。隅の石垣は崩落しながらも凛として形を残す。大変だとは思いますが1日でも早い復旧を願う。
2019年06月12日 稲田阿波守植元
丸亀城
大手一の門と二の門の間の枡形虎口。説明板によると甲州流軍学の標準である五間に八間の「五八の枡形」を越える十間十一間の枡形だそうだ。勉強になります。
2019年04月24日 大納言Z周防守369
見返り坂[丸亀城 その他]
傾斜が急で立ち止まって振り返りたくなることから、呼ばれるようになった。
2019年03月21日 めがるまんどう
丸亀城
扇の勾配で有名な丸亀城の石垣。
築城当時、名人を棟梁に据えたプロ集団といえども、さすがに工事は難航。
そこである雨の日に、現場を通りかかった豆腐売りを捕らえ、むりやり人柱として生き埋めにしてしまったのだそう。
工事は無事に完成しましたが、雨の夜には石垣付近で「とうふーとうふー」という豆腐売りの声が聞こえる、という言い伝えが残っていますが、その豆腐売りが生き埋めにされた場所が現在、石垣が崩落している辺りだそうです。
2018年03月18日 トレノ丹波守吉右衛門勝重
丸亀城
丸亀城の入口にある、売店で丸亀城の見どころなどを資料見て教えてもらえるので是非行ってみてください。わかりやすい説明ですしたよ~。
2018年01月07日 虎御前民部卿
丸亀城
丸亀駅停車中の電車からライトアップされた石垣と天守が見えるところがあります。宇多津方面行。
2017年05月12日 青き巨星弾正少弼かみ
丸亀城
丸亀城のお城メダルは売店で売っています。1枚500円です。
メダルに打刻する機械はありません。
売店の人の話では、半年前までお城メダルは無く、やっと作ってくれたそうです。
2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
丸亀城
駐車場はありました。
石垣凄いですよ。
写真で見てから何年も行ってみたい気持ちを貯めてから行ったからひとしおです。
天守閣は小さいですが、あの石垣で高いところにあるから、敢えて大きいのは必要無しです。
2017年03月22日 織田上総介晃司
丸亀城
城内の無料駐車場に停めて見えるのが幾重にも連なる石垣の上に建つ天守。
中でも三の丸の高石垣は圧巻で、美しい。
小さな天守だが、大きく見せる工夫もされている。
丸亀城の美しさは石垣あってだが、石工・羽坂重三郎の石垣伝説の悲劇は有頂天になった者への教訓であり、身勝手な為政者の怖さという悲しい話がある。
全国チェーンの「丸亀製麺」ですが丸亀市には本部も店舗もありません。
2017年03月13日 みーしか備前守
丸亀城
これまで年末年始の期間しか行われなかった石垣のライトアップですが、今年度は10月からやっていたみたいです。石垣を照らす照明もこれまでの水銀灯から変えたみたいで、随分印象が変わりました。ライトアップの範囲は全ての石垣ではなく本丸と二の丸のみですが、山上に浮かぶその様は壮観です。予定が合うようでしたら是非お立ち寄りください。夜に登城される方は足元に注意してくださいね。
2016年12月27日 【隠者】史学会帰新参
丸亀城
1705年宝永2年、江戸で前代未聞の尼崎里也による娘仇討ちがありました。
丸亀藩弓組足軽の尼崎幸右衛門が同僚の岩内伝内に殺害されました。幸右衛門の妻は美人で有名で伝内が目をつけ何度も言い寄り、幸右衛門不在時に留守宅に押しかけ妻に言い寄っていました。その時、幸右衛門が帰宅し、伝内と争いになり斬殺されます。幸右衛門の妻は当時2歳の娘里也を連れて逃げ出します。親類に身を寄せるも翌年妻は病死して、里也は叔父夫婦に養われます。
18歳の時に父が殺されたことを聞いて、仇討ちを決意します。江戸の旗本永井家で奉公しながら剣術修行をして腕を上げます。里也は江戸の武家屋敷を転々として父の敵である岩内伝内を探します。里也30歳の時にようやく伝内を見つけました。
丸亀藩江戸屋敷に行き仇討ちを申請して藩もこれを許します。藩もこの娘の仇討ちを助けて、仇討ちの場所として江戸郊外に用地を購入します。
里也は岩内伝内を討ち父親の仇討ちに成功します。この娘仇討ちは江戸市中はもちろん全国に広がります。当時の丸亀藩主京極高或も絶賛します。里也は京極家の侍女として召し抱えられて、79歳で世を去ります。
2015年10月11日 まー刑部卿
丸亀城
丸亀城においてゲームコラボ開催してました。天守において3種類のカードのうち一つをGET出来ました。駐車場は資料館のあたりで無料です。また大手門公開中でした。
2015年03月03日 野呂利左衛門督休三
丸亀城
渦巻き状に山を覆い尽くす高石垣の景観もさることながら、そこから望む景色も最高。丸亀平野を一望し、北は瀬戸内海、南は讃岐富士や讃岐山脈を視野におさめる眺望もこの城の重要な「武器」だと思います。
2014年08月25日
丸亀城
訪れた日は8月24日(日)、折しも丸亀婆沙羅まつりの只中でした。
市中、舞びとの汗とジャンクフードのにおい、大音響の中を、駅からまっすぐ丸亀城に向かいます。
城下からまさに見上げる感じでかわいらしい天守が鎮座しています。
枡形大手門をくぐり、左手へ行くとかなりの勾配の天守に通じる坂です。
ほかのなだらかなルートもあるのでしょうか。
天守の中の階段もなかなか手強いです。
婆沙羅まつりについて後で調べたところ、藩主の京極氏の祖先である佐々木道誉が婆沙羅大名の異名を持ち、その名に因んだお祭りだったようです。イベントの一環で城内でMCしていた吉本住みます芸人さんに「避難ですか」と突っ込まれましたが、由来を知って、また近江との関係性が深いことに個人的に感動しました。
瀬戸大橋のおかげで米原からも新幹線だと2時間半かかりません。日帰り攻略可能です。
2014年03月22日 ŧ‹”ŧ‹”。
丸亀城
駅の観光案内所に天守の入場割引券があります。
駅からは、徒歩で約15分で大手門まで。
そこから、天守までは10分くらいかかります。
注意すべきは、天守が16時で閉まりますので
100名城スタンプも通常は天守に
置いてあるため時間に気をつけて下さい。
もし、間に合わなくなった場合
大手門を抜けた城内おみやげショップで
頼みこんでみましょう!
見どころは、随所にありますが
石垣や天守はもちろんのこと
時間のある方は、城内を散歩がてら
内堀を一周されてもいかがでしょうか?
搦手や、野面積みの石垣や
京極氏の家紋が、いろんなところで
見受けられます。
2014年01月12日 みーしか備前守
丸亀城
【ライトアップ情報】
普段は天守しかライトアップされませんが、年末年始に限り高石垣と北側の大手門桝形がライトアップされます。昼とはまた違った雰囲気が楽しめますが、足元が暗いので懐中電灯があると良いかも。ライトアップの時期は香川県、丸亀市観光協会のHPにてアナウンス有。
2012年08月18日 尾張守ひろっちぃ
丸亀城
とにかく石垣が凄い。近くはもちろん車窓からみても凄すぎ
2011年06月08日 加藤豊後守清正
丸亀城
山城に高石垣を築き、更にその上に高石垣をもって廻りを櫓で囲み固める様な形で、防御制も高く実用的な感じがします。熊本城のような感じ(普通なら天守中心で廻りを櫓四隅で固めるなどする)遠くから見ると、扇の勾配が美しいです。実に素晴らしいお城です!
2010年11月07日 摂政M三郎
丸亀城
丸亀城は、扇の勾配が美しい一級品の石垣と最小の現存天守が残る見応えのある城です。大手門は、現在、城下町に臨み北側にありますが、これは京極氏の時代に移築されたもので、城の修築を行った山崎氏の代には南側にあったのだそうです。
登城の際には是非、南側へ降りてみてください。城づくり名人山崎氏の思いが伝わる遺構が残ります。
2010年09月13日 tomm加賀守
丸亀城
大手門内も忘れずに見学しましょう!
天守閣の割引券は丸亀駅の観光案内所にもあります。
丸亀城木図は常設されていないのが残念です
讃岐うどんも食したいですね
丸亀城の周辺スポット情報
大手門(遺構・復元物)
かぶと岩(遺構・復元物)
現存天守(遺構・復元物)
三の丸(遺構・復元物)
御殿表門(遺構・復元物)
番所(遺構・復元物)
月見櫓跡(遺構・復元物)
三の丸東櫓跡(遺構・復元物)
戌亥櫓跡(遺構・復元物)
搦手門跡(遺構・復元物)
栃の木御門跡(遺構・復元物)
二の丸隅櫓跡(遺構・復元物)
二の丸井戸(遺構・復元物)
野面積み石垣(遺構・復元物)
大手二の門(遺構・復元物)
外堀公園(遺構・復元物)
土塁 (遺構・復元物)
内堀(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
外堀跡(遺構・復元物)
二の丸(遺構・復元物)
三の丸坤櫓跡(遺構・復元物)
二の丸長崎櫓跡(遺構・復元物)
姫櫓(遺構・復元物)
宗門櫓(遺構・復元物)
盬櫓(遺構・復元物)
東御門跡(遺構・復元物)
三の丸高石垣(遺構・復元物)
三の丸井戸(遺構・復元物)
土塁跡(遺構・復元物)
丸亀城跡土塁(遺構・復元物)
丸亀城址水路跡(遺構・復元物)
石碑(碑・説明板)
吉井勇の歌碑(碑・説明板)
国指定史跡丸亀城跡案内図(碑・説明板)
丸亀城外堀跡石碑(碑・説明板)
丸亀城外堀跡(碑・説明板)
丸亀城外堀跡(碑・説明板)
丸亀城外堀跡(碑・説明板)
丸亀城大手一の門、二の門石碑(碑・説明板)
丸亀城大手枡形石碑(碑・説明板)
丸亀城石碑(碑・説明板)
丸亀城外堀跡(碑・説明板)
丸亀城外堀跡石碑(碑・説明板)
本門寺(寺社・史跡)
法音寺(寺社・史跡)
天守(御城印)
丸亀城天守(スタンプ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
丸亀城内駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
丸亀市立資料館(関連施設)
延寿閣別館(関連施設)
丸亀城石垣復旧PR館(関連施設)
中津万象園(関連施設)
亀山公園(関連施設)
外濠緑道公園(関連施設)
見返り坂(その他)
あやめ池(その他)
丸亀城名誉大使 田村淳パネル(その他)