笠島城(かさじまじょう)
笠島城の基本情報
通称・別名
- 東山城
所在地
- 香川県丸亀市本島町笠島城根
旧国名
- 讃岐国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 高階保遠
築城年
- 建永2年(1207)
主な改修者
- -
主な城主
- 高階氏、福田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- 県史跡(笠島城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
塩飽勤番所(香川県丸亀市)[0.8km]
下津井城(岡山県倉敷市)[5.3km]
聖通寺城(香川県綾歌郡)[9.5km]
丸亀城(香川県丸亀市)[12.0km]
高屋城(香川県坂出市)[12.2km]
多度津城(香川県仲多度郡)[14.4km]
城山(香川県坂出市)[14.8km]
黄峰城(香川県高松市)[15.5km]
常山城(岡山県玉野市)[17.1km]
甲山城(香川県善通寺市)[18.1km]
笠島城の解説文
笠島城の口コミ情報
2021年10月10日 生駒讃岐守江現蔵✿
手島城山城[笠島城 周辺城郭]
手島城山城は、丸亀港から船で約1時間20分、塩飽諸島の一つ、人口30人余りの手島にある標高86mの城山に築かれています。
城友さんから「手島城山城は蛇の巣窟なので、最高気温が20度を下回らない限り行かない方が良い」と言われていたにも関わらず、暑いけど10月だから蛇は大丈夫だろうと安易な考えで向かいました。
手島港に着いたら地元のおじさんが話しかけて来て「西浦海岸に行くんですか?」「いいえ城山です。お城の跡があるんです。」「あそこは誰も行かないから、藪と蜘蛛の巣と蛇がいますよ。蛇はキジを放したので少しは減ってるかもしれませんが…」甘く見ていました。まだ蛇がいるとは…城友さんの忠告を聞けば良かった…
港にある看板通り島の奥に進み、10分ほど歩くと手島池の横の登山口に着きました。無理だったら冬に再訪しようと覚悟して進みましたが、すぐに藪、蜘蛛の巣、しかし心配していた蛇はキジ効果でいませんでした!薮を抜け、途中倒木のトンネルがあり、ほふく前進となりましたが、城の主郭に近づくと曲輪と畝状横堀が見事☆(写真では伝わりませんが…)
この島になぜこんな山城があるのか?いろいろ調べましたが、築城主も築城年も不明です。どなたか、手島城山城の歴史に詳しい方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
帰りは来た道を戻らずそのまま進み、西浦海岸に降りて、2時間の楽しい山歩きでした。
マニア向け。
2020年10月16日 小太郎左衛門督南海道22國守
笠島城
先人の教えのとおり、本島港からレンタサイクルで約2,2キロメートル先にある笠島町並保存地区側から、徒歩5分余りで、登山道により北側郭に到達。元古墳跡で東山城の説明看板がありました。その南側が、パンフレットでは笠島城跡となっており、本丸跡と思いますが、遺構として、その南北の堀切と西側の土塁は確認できましたが、本丸跡は、木が繁って容易には立ち入れませんでした。
2019年12月07日 水野山城守祐利【7】
笠島城
笠島城、専称寺から上る道は、橋が無くなっているため、手前の新在家集落からすぐのところにある看板から上がるようになります。
また、比較的上がりやすいのは笠島町並み保存地区側からで、展望台に上がる階段下から右に山道が続くので、そこを登りきると、北側の郭に着きます。(元古墳だったらしいです。)
そこから南に細い道があるので、そこを2、3分歩くと本丸下に出ます。
本丸は灌木の林になっていました。
2019年03月05日 馬秀のすけ
笠島城
ずいぶん昔だが、塩飽本島を自転車で一周した。伝建地区の雰囲気が素晴らしい。お店が一軒だけあり、食事した。今もあるかどうか、定かでない
山へは登山道があり、すぐに遺構を確認できます。堀切もいい。ただし、5月の連休だったので、虫がいっぱい服にまとわりついた。帰りの船の中にまでいました。
笠島城の周辺スポット情報
手島城山城(周辺城郭)
浄土宗の開祖法然上人が土佐に配流となり、途中塩飽に立ち寄り滞在した建永2年(1207)には、この地に地頭駿河権守高階保遠が居館(西忍館)を構えていたという。
また天正年間(1573~1592)頃には、福田又次郎の居城があったが、長宗我部氏の襲撃によって落城したと伝えられている。
城跡の形式は山城で、曲輪や堀切、土塁で構成されている。本丸は東西約35m、南北約50mで、西肩部に土塁を配置する。本丸の東には2段の曲輪が続く。南北両尾根は堀切で遮断される。現況の堀幅は7.5~9m、深さは2.5~5mを測り、主郭部の遺構の保存状態は良好である。
この地は備讃瀬戸の中央に位置し、瀬戸内海の交通・防衛の要衝にあたり、城山西麓の笠島集落は城根と呼ばれる。集落内の道路は複雑な鍵の手状になり、かつて水軍の拠点であった時代の面影を残している。