下津井城(しもついじょう)
下津井城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岡山県倉敷市下津井吹上2
旧国名
- 備前国
分類・構造
- 連郭式平山城
天守構造
- 不明
築城主
- 宇喜多秀家
築城年
- 文禄年間(1592〜1596)
主な改修者
- 池田長政
主な城主
- 宇喜多氏、池田氏
廃城年
- 寛永16年(1639)
遺構
- 曲輪、石垣、天守台、土塁、伝移築門(正福寺)、井戸
指定文化財
- 県史跡(下津井城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
笠島城(香川県丸亀市)[5.3km]
塩飽勤番所(香川県丸亀市)[6.0km]
常山城(岡山県玉野市)[12.6km]
天城陣屋(岡山県倉敷市)[13.9km]
聖通寺城(香川県綾歌郡)[14.2km]
黒山城(岡山県倉敷市)[14.6km]
高屋城(香川県坂出市)[15.3km]
黄峰城(香川県高松市)[17.0km]
丸亀城(香川県丸亀市)[17.2km]
早島陣屋(岡山県都窪郡)[18.5km]
下津井城の解説文
[引用元:Wikipedia「下津井城」の項目]
下津井城(しもついじょう)は、岡山県倉敷市下津井にあった日本の城(平山城)。岡山県指定史跡。
概要
南側に下津井の町並みを見下ろす丘陵の上にある。連郭式の平山城であり、西より西の丸、二の丸、本丸、三の丸、中の丸、東の丸が直線的に配されている。また、小さいながらも本丸には天守があった。城の北側の丘陵に侍屋敷が配されていた。江戸時代初期に廃城となったため遺構としては石垣、土塁が残っているのみである。なお、倉敷市天城の正福寺に城門が移築され現存していると伝えられている。
沿革
- 文禄年間(1592年 - 1596年)に、宇喜多秀家が築城。城主に浮田家久が入る。
- 慶長8年(1603年)池田忠継が岡山藩主となり、赤穂城代池田長政を普請奉行に改修を行う。
- 慶長12年(1607年)改修が完了。長政は駿府城からの帰途、病没し完成を見ることはなかった。
- 慶長14年(1609年)池田之助の長男で輝政の甥由之が利神城より城代として転出し、引き続き3万2千石を拝領する。
- 慶長18年(1613年)輝政の死に際し、由之は明石城に移る。
- 寛永9年(1632年)由之の子で米子城代で3万2千石取りの出羽守由成が、岡山藩・鳥取藩国替えに伴い城代となる。
- 寛永16年(1639年)一国一城令により廃城となる。なお、由成は岡山藩家老として天城に陣屋を構え移った。
- 昭和43年(1968年)7月19日、岡山県指定史跡となる。
参考文献
- 【書籍】「新版 岡山県の歴史散歩」
- 【書籍】「定本 日本城郭事典」
category:岡山県の城
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下津井城の口コミ情報
2024年05月25日 播磨守狂鬼人間
下津井城
この時期は丸い松ぼっくりより小さい実が沢山落ちていて大変滑りやすいです!
某は滑って転倒して擦過傷を負いました!十分気を付けて下さい!
2024年02月18日 わんにゃ備前守
下津井城
瀬戸大橋架橋記念公園として整備されています。
児島ICから約5分で公園の広い駐車場🅿️に到着。
駐車場から階段と坂道をゆっくり10分ほど進むと西の丸広場(馬場)に着きます。広場の南端に石垣(1)があり、その上が西の丸です。
西の丸から東へ二の丸+本丸(2)→三の丸と細長く続いていて、どの場所からも瀬戸内海と瀬戸大橋が望めます(7)✨
本丸には小さいながら天守台(5)もありました😊
高低差があまり無く歩きやすいのですが、現地で切り出したと思われる石(8)がたまに転がっているのでご注意を!
休憩所(4)やトイレ(6)も整備されているので、天気の良い日に海と橋を眺めながら、のんびりお弁当🍱を食べるのがオススメです👍
2024年02月17日 わんにゃ備前守
下津井祇園下台場[下津井城 周辺城郭]
現在は石垣の上に通所介護施設が建っています。
2022年12月23日 琉球守風のこうちゃん播守
下津井城
瀬戸中央自動車道・児島ICから訪問🚗💨児島ICから車で5分程で到着出来ます☝️城の知名度で勝手に妄想してしまいましたが、道路は極端に広くないです😶現地からの景観は、城跡と共に素晴らしいです😳現地、無料駐車場に🚻有ります🤚
2022年12月17日 尼崎城駿河守一口城主
下津井城
12月10日、児島駅から徒歩にて登城。昨年、忠臣蔵の史跡巡りをしていた時に大石内蔵助公の母のクマさんが下津井出身と教えてもらったので討ち入りの日の前に訪れてみました。児島駅から競艇場方面に向かい、元浜団地口という交差点を右に曲がり(西進)次に扇の嵶口という交差点を左に曲がり(南進)、下津井電鉄の廃線跡の<風の道>という遊歩道に入り進軍して行きました。阿津駅跡付近に赤穂の井戸という井戸がありました。道中、鷲羽山の横を通って下津井城跡の瀬戸大橋記念公園に到着。階段を上がっていくと石垣?(土塁と石のミックス)がありさらに進んでいくと西の丸に着きました。訪城当日はまだ秋の彩りが残っていました🍁西の丸は瀬戸大橋や下津井港がよく見える曲輪でした。その後、本丸に向かい天守跡を見学しましたが天守跡はやや小さい印象を受けました。三の丸跡、中の丸跡を散策した後、堀割跡から祇園神社方面に下山。帰路はバス🚌で児島駅に戻りました。当日は18きっぷ🛤日帰りで訪れましたが、風光明媚で再訪したくなる場所でした。次回、訪れる時は今回時間がなく断念した鷲羽山登山もしてみたいと思います🐙
2021年12月27日 【若】戦国左近将監
下津井祇園下台場[下津井城 周辺城郭]
下津井城の南に築かれた台場跡です。現在は祇園神社がありますが、当時は砲台が設置されていたそうです 現在は石垣が台場跡の周囲をぐるりと囲むように残っています。昔は石垣と土塁を積み上げて4門の砲列を敷いていました。
瀬戸内海近くに築かれたので瀬戸大橋や瀬戸内海の景色を一望することができます。下電バス(下津井循環線)で祇園神社前に降りるとリア攻めできます。ちなみに下電バスは下津井城跡入口の停車駅もありますので、下津井城に行かれる方は是非ご利用下さい
2021年12月03日 ドクターイエロー大蔵大輔
岩山城[下津井城 周辺城郭]
上から見るとおにぎり型のシンプルな構造をしています。標高186mの山頂には小さな主郭とそれぞれ3方向に延びる尾根筋には小さな曲輪を設置して堀切で遮断しています。また傾斜の緩い北西部には畝状竪堀らしき遺構も見られ、結構防御力重視している感があります。
倉敷市児島ふれあいの森を目指して、途中から折れて児島公園墓地横が登城口となります。かなり山道は荒廃しています。獣道にはイノシシの罠が設置されているようで(注意書あり)、くれぐれもご注意ください。山道を登り尾根上に出たら左へ、次の尾根を右に進み道が消えかけたら南東部の堀切の下あたりになります。駐車場は公園墓地の端っこに停めさせていただきました。R3.12.2訪城
2021年09月12日 【若】戦国左近将監
下津井城
【下津井城】2021.9.12 訪問。
瀬戸大橋記念公園の駐車場に車を止め、階段を登り整備された散歩道を進んでいきます。歩いている途中にも土塁が存在し、常に城の遺構を満喫できます。暫く進むと階段が現れ、登ると西の広場に辿り着きます。そこから左に進むと西の丸となります。右に行くと馬場跡、左に行くと本丸跡になります。本丸跡に行くには西の丸と二の丸を繋ぐ土橋を渡り、石段を登って到着です。その間にも散策するとあちこちに石垣が見られます。また竪堀が一本、土橋の左側に空堀が見られ防御力の高さが伺えます。本丸には巨大な石碑が残っています。奥に行くと中の丸ですが、弟が疲れて進めませんでした。
また、瀬戸大橋記念公園の駐車場に止めず、そのまま道をまっすぐ進みと三の丸の入口にたどり着けます。ただ道が狭いので運転苦手の方はお気をつけを。僕は父に運転してもらいました(まだ未成年なので笑)。三の丸に入ると、これまた立派な石垣がご登場!!
石垣同士の間には石段があり、三の丸の広場まで登れるようになっています。その間にも僅かですが石積みが残っています。
整備が良く、途中に休憩場所もあり、そこから馬場跡の石垣が見られるという、素晴らしい山城でした。戦国の人が後世の為に考えてくれた?と思わせるような散策しやすいお城…機会があったら是非どうですか?
2021年05月02日 ドクターイエロー大蔵大輔
下津井祇園下台場[下津井城 周辺城郭]
下津井瀬戸大橋を間近に望む下津井港に張り出す形の突端に位置しています。周囲は石垣で囲まれ、北側には道が設置されているものの立入禁止になっていて、「御台場址」の石碑のみが残されています。西隣の祇園神社は下津井古城跡とされていますが、遺構は全く認められませんでした。景色は抜群です!
下津井港は、かつて北前船の立ち寄る漁港として大いに栄えました。近くにある「むかし下津井回船問屋」(無料)では当時の面影を忍ぶことができます。また下津井はタコ漁でも有名です。訪城記念にタコ料理を召し上がってみてください。美味しいですよ!R3.5.2訪問
2021年02月08日 しおうまる美作守
本太城[下津井城 周辺城郭]
備前と備中の国境、備前本太(もとふと)城。当時は現在より周囲を海に囲まれた海城であったそうです。永禄年間においては、讃岐の国人で阿波三好傘下の香西氏と毛利傘下の能島村上氏が衝突。同時期には西備前の宇喜多(浦上)と備中の三村(毛利)によって備中兵乱が勃発しています。元亀2年の本太城合戦はこのような状況下、能島村上が毛利より離反、その後小早川隆景によって陥落しましたが、阿波三好が児島に侵攻するなど、取った取られたの応酬劇が繰り広げられます。
あっ💦物思いにふけって本題を忘れるところでした…
場所は備前下津井城のリア攻めマップ左端に、城友様がカキコして下さってますのでご参考下さいませ~城びとにも掲載されていましたよ♪
さて、車を付近の空きスペースに駐車し、畑を横切り登城開始!農作業をされている地元の方に、わたくし怪しい者ではございません。ただのお城好きな変人ですwと笑顔で挨拶・アピールしつつ、狭い舗装された尾根沿いを進みます。何でも以前は舗装なし藪付きの崖だったとか…まだまだ変態レベルには達していないので、こんな所を突き進む人の気がしれません😆💦
城郭のある岬がすぐ見えてきました!ジェットコースター並みのUの字道を登り切り突入w
殆どは地中に隠れているのかな?主郭の石積みがチラ見えしています。調査報告書によると、一部当時の物かどうかわかりませーん。とのこと、何じゃそりゃ~
主郭はというと…思いの外、藪!西側の斜面に取り付くと、竪堀~竪堀~(⋈◍>◡<◍)。✧♡足を滑らせれば海に真っ逆さまなんて気にしなーい♪これ堀切からの竪堀だった様です。上によじ登れば、内側に円状の穴となった掘り切れていない空堀付き。かっこいい~♡反対側も堀切からの~崖であります。天然の要塞とはこう言うことですよね☆
先端を目指して行きましょうw道中あるⅡ郭Ⅲ郭も藪ぅ~またもや崖移動を選択。というか藪も進んで見ましたが圧倒的に崖が早い。先端部は…ん?潮風の影響でしょうか。藪ってない!そして小綺麗な小曲輪が3段。木々が邪魔をして眺望はあまり良くありませんが、海城の雰囲気と転落のスリルが感じられるお城でした♪
【登城日】令和3年1月31日
【参考文献】岡山県中世城郭館跡総合調査報告書 他
2020年11月05日 ドクターイエロー大蔵大輔
下津井城
城内は瀬戸大橋架橋公園として綺麗に整備されています。広い駐車場にはトイレもあります。徒歩数分、階段を上がりきると休憩所のある馬場跡広場に到着します。石垣の上は西の丸跡広場です。更に東方奥に上がると本丸跡広場、この辺でようやくリア攻め可能になります。奥に下ると三の丸跡広場、ここから瀬戸大橋や四国方面の眺望は抜群です。海側には石垣も多く残っています。堀割跡を抜けると一番奥に中の丸跡広場になります。お散歩気分でリア攻めできる下津井城跡、桜の季節がオススメです。R2.11.3訪城
2018年11月24日 織田上総介晃司
下津井城
瀬戸大橋架橋記念公園に駐車場があり、そこから下津井城を目指すと馬場跡にたどり着きます。
今回は港側から進み下津井西小学校を越えた所にある路肩スペースに停め、堀切を登り(案内板は堀割り)三の丸と西の丸の間に着きました。
下津井はタコが名物。瀬戸大橋の下津井大橋が架かり、四国への最初の橋となります。鷲羽山からの瀬戸大橋と多島美の眺めは絶景です。
鷲羽山ハイランドには最恐の空中サイクリングや絶景マシンなどガクブルのアトラクションが多くあります(((;゚Д゚)))
2010年07月03日 正和
下津井城
城跡の下(下津井港)には、お台場跡が残っています。池田時代には3カ所有りました。 1ヶ所から当時の大砲玉(銅製15Cm位)がでてきました。