赤穂城(あこうじょう)

赤穂城の基本情報

通称・別名

加里屋城、大鷹城

所在地

兵庫県赤穂市加里屋

旧国名

播磨国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

なし

築城主

岡光広

築城年

文正元年(1466)〜文明15年

主な改修者

池田長政、浅野長直

主な城主

池田氏、浅野氏、森氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

曲輪、石垣、横堀(水堀)

指定文化財

国史跡(赤穂城跡)、名勝(庭園)

再建造物

櫓、門、庭園、石碑、説明板

周辺の城

鴾ヶ堂城(兵庫県赤穂市)[8.6km]
大嶋城(兵庫県相生市)[9.9km]
三石城(岡山県備前市)[12.8km]
苦瓜城(兵庫県姫路市)[14.6km]
感状山城(兵庫県相生市)[16.1km]
富田松山城(岡山県備前市)[18.1km]
白旗城(兵庫県赤穂郡)[18.1km]
龍野城(兵庫県たつの市)[19.7km]
城山城(兵庫県たつの市)[20.9km]
楯岩城(兵庫県揖保郡)[22.8km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

60 赤穂城

設置場所

本丸櫓門下[地図
赤穂市立歴史博物館[地図

赤穂城の解説文



赤穂城(あこうじょう)は、兵庫県赤穂市にある日本の城。江戸時代は赤穂藩(加里屋藩[1])の藩主が暮らした城。城郭は国の史跡[2]に、本丸庭園と二之丸庭園は名勝[3]に指定されている。別名・加里屋城(かりやじょう)、大鷹城(おおたかじょう)。日本100名城、日本の歴史公園100選にも選定されている。

|代替文=南から本丸(1)と本丸門(B)、それを囲む二之丸(2)、大手門(A)を抜けると三之丸(3)

概要 

江戸時代、赤穂藩の政庁が置かれた。

赤穂城の前身となる城郭は、池田長政が慶長5年(1600年)に築城したと伝わり、後世に「掻上城」(かきあげじょう)と呼ばれた。これは絵図や発掘調査から、遺構が現存する後世の赤穂城本丸と二之丸とほぼ同じ位置に存在したことが明らかになっている[4][5]。その後も池田家に赤穂郡代として仕えた垂水半左衛門勝重や、赤穂藩主となった池田政綱、池田輝興によって改修がなされたものの、簡略な城郭であったとされる[6]

正保2年(1645年)に浅野長直が赤穂へ入封すると、慶安元年(1648年)に築城願を幕府へ提出、同年に築城に着手した。これが現在の赤穂城であり、元和偃武の後に築城の始まった全国的にも珍しい城郭として著名である。現在では海岸線から離れているが、築城当時は赤穂城のすぐ南側まで海が入り込んでいたことから、海岸平城に分類される。縄張りは変形輪郭式。本丸と二之丸は、本丸の周囲を二之丸が取り囲む「輪郭式」に配され、その北側の三之丸は二之丸北辺にとりつくように「梯郭式」に配置されている。銃砲戦を意識した設計となっており、十字砲火が可能なように稜堡に似た「横矢掛かり」や「横矢枡形」が数多く用いられている。縄張りは赤穂浅野家初代長直の時代、浅野家に仕えた甲州流兵学者の近藤正純によってなされた。

またこのとき赤穂藩に仕えていた軍学者の山鹿素行が、承応2年(1653年)に築城中であった赤穂城の縄張りについて助言した。これにより二の丸門周辺を手直ししたと伝わり、発掘調査ではその痕跡の可能性がある遺構が発見されている[7]

最終的に寛文元年(1661年)に着手から13年かかって完成し、10の隅櫓(すみやぐら)、門が12基、曲輪(くるわ)の延長は2847mに及んだ[8]。本丸には築城時に設置された天守台が残存するが、江戸時代を通じて天守そのものは建築されなかった。

明治時代前期に廃城されると建物は破却、一部の石垣と堀のみを残し、土地の大部分は民間へ払い下げられて田畑や宅地に転用された。本丸跡は小学校ほか、公共施設の用地に当てた。旧制赤穂中学が1928年(昭和3年)に設けられて戦後は学制改革を受けて兵庫県立赤穂高校と称し、1981年(昭和56年)まで西洋風の鉄筋コンクリート校舎が存在していた。

大手隅櫓、大手門(高麗門)は1955年(昭和30年)に古写真を参考に再建築されている。1971年(昭和46年)に赤穂城跡が国史跡の指定を受ける

  • 名称:赤穂城跡(あこうじょうあと)
  • 管理団体:赤穂市
  • 指定内容:
    • (1)国指定史跡、指定年月日:1971年(昭和46年)3月31日。
    • (2)国名勝・旧赤穂城庭園、指定年月日:2012年(平成14年)9月20日。本丸庭園to
  • 二之丸庭園(錦帯池)の範囲。
    • 指定面積:19万405.17m2。')">[9]と、門・塀・庭園が徐々に再建され、現在も二之丸庭園の復元整備が続く。本丸には本丸門や本丸御殿の間取りを示し、発掘調査で確認された庭園などが復元整備されており、その規模や当時の暮らしぶりの一端を窺うことができる。

    赤穂城は5万石の石高の割には規模の大きい城である。5層天守の造営も計画されていたが幕府への遠慮か財政難のためか造営されず、天守台のみが今日に残っている。

    上水道

    赤穂城は海岸に近く標高がほぼ1mと低く、堀の水や井戸水には海水が混じり飲用に適さなかった。そのため、熊見川(現・千種川)の上流に井関と水路を建設して上水道を敷設し、城内のみならず城下各戸にも給水したのは藩主・池田家が治めた1616年(元和2年)である。着工の1614年(慶長19年)から指揮は前出の代官(郡代)垂水勝重がとり、山に取水トンネルを掘ると(切山隧道)、熊見川の水を導水路で引いた。これは「旧赤穂上水道」と呼ばれ 、日本三大上水道の一つに数える説もあり[10]、2003年には城下の居住地区で発掘が進むと、現在の地表(標高2m強)から1mほど地下に江戸時代の生活面が確認された。そのさらに下層は1600年代前半に相当する地層(第3遺構面)で、そこから竹を加工した管や木造の桝(ます)が掘り出され、江戸時代の浅野氏治世以前に、上水道システムがあったと判明した。当代の池田藩主(:赤穂城#政綱|政綱と輝興父子)は旧城内ばかりか、城を見上げる町内へも給水網を整備したことがわかった。この上水道の遺構は整備保存され、歴史的な観光スポットとして公開している。

    赤穂城は浅野氏の「元禄赤穂事件」で有名だが、池田氏にも輝興が狂乱し正室などを殺す「#正保赤穂事件」、赤穂城を預かった龍野藩脇坂氏時代にも赤穂城に在番した重臣(脇坂左次兵衛)が突如、乱心して同僚を斬り殺す「#脇坂赤穂事件」、森氏時代にも家老の藩政の私物化を疑い、攘夷派の志士たちが森主税(可彝)を暗殺した「#文久赤穂事件」が起きた。

    歴史 

    加里屋城・大鷹城時代

    大鷹城 は1452~1455年(享徳年間)、岡豊前守光広が加里屋に「古城」を築城[11]し、この地で初の築城となる。赤穂に生駒親正が伊勢国神戸から1585年(天正14年)に入府し、石高は桃山・江戸期を通じて当藩最大の6万石[12]を与えられたが1586年(天正15年)には讃岐に移され、赤穂一郡は宇喜多秀家の所領となる。「宇喜多秀家士帳」に赤穂の石高・居城の記載が無いことから、他郡からの間接統治の可能性も示唆される[13][14]。宇喜多氏は1600年(慶長5年)に関ヶ原の合戦により改易・流罪となり、姫路藩主・池田輝政の弟の長政が赤穂領主に任ぜられると、「掻上城」を赤穂郡加里屋に築城し、これが赤穂城の前身となる。輝政の次男で備前岡山藩主・忠継の所領となった1613年(慶長18年) 、城に一重の堀・石垣・櫓・門を造営、忠継の弟・政綱は3万5000石を与えられ1615年(元和元年)に赤穂藩が立藩し、御殿を建てる。その政綱が嗣子なく1631年(寛永8年)に死去すると、弟の輝興が入封してさらに櫓・馬屋を造った。狂乱し刃傷沙汰の咎で正保2年に改易()され(1645年)、水谷勝隆(備中松山藩)の一時預かりとなった城は同年、浅野長直を5万3000石で迎える。

    赤穂城時代

    近世の城郭建設のため、近藤正純が1646年(正保3年)に設計図を作成し、石材採掘にも取り掛かる。幕府に築城計画を提出 した1648年(慶安元年6月17日、新暦8月5日)、同年中に城作りが始まる。赤穂藩主・浅野長直は1652年(承応元年)、山鹿素行を赤穂に招き、7ヵ月滞在した山鹿は二の丸周辺の設計を助言した。。}}。赤穂城は1661年(寛文元年)に完成し、やがて3代浅野長矩の弟・長広に播磨国赤穂郡の新田3000石を分与、旗本の寄合に列するのは1694年(元禄7年)である。兄の長矩が勅使饗応役に任ぜられ、1701年(元禄14年)に江戸城中で吉良義央に斬りつけて刃傷事件を起こすと浅野氏は改易となる。城を預かったは播磨龍野藩主・脇坂安照もまた在番中に刃傷事件を起こし、赤穂城内で死傷者を出す()と、翌1702年(元禄15年)に永井直敬が3万3000石で入封、その同年、家臣による吉良邸討ち入りが起こった(元禄赤穂事件)。

    連座した長矩の弟・長広は赤穂新田3000石の所領もいったん召し上げられるが後に旗本に復した[15]。1706年(宝永3年)に当代の直敬は信濃国飯山藩へ転封となると、森長直が備中国西江原藩より2万石で入部。この森家は廃藩置県までの12代165年間、赤穂藩主として最も長く在封することになる。

    幕末に至ると藩政の改革をめぐり、1857年(安政4年)に保守派・革新派の対立が起こって藩内は分裂し、革新派の一部は脱藩して長州藩へ奔る(はしる)。攘夷派は保守派の家老・森主税暗殺事件を起こした(、1862年)(文久2年)。

    近現代

    1871年(明治4年)、廃藩置県により赤穂県となると、廃城令発布(1873年)を受けて飾磨県権県令は1876年(明治9年)に城売却の入札を行う。以後、順次建築物が破却され、千種川の洪水が1892年(明治25年)に発生すると災害復旧と川のつけかえ(流路変更)のため、二之丸門から清水門までの石垣の石を転用して護岸を築く。城郭の石垣は破壊がいっそう進み、また堀は大手門枡形の南側と北方多門にかけて埋め戻し、1897年(明治30年)には大石神社の建立が始まった。

    本丸跡は、旧制の県立中学校の敷地にあてて1928年(昭和3年)に開校する。

    城の建造物は1935年(昭和10年)に大手門前の堀と太鼓橋を復元したのち、本丸の外堀は第二次世界大戦を挟んで1953年(昭和28年)を待って復元される。続いて大手隅櫓と大手門(高麗門)を1955年(昭和30年)に再建するが、:赤穂城#隅櫓|隅櫓の一部は明治期に撮影された形状から変わった。

    本丸跡の県立赤穂高校(旧制赤穂中学校)は、城が国の史跡に指定されてから10年後を経た1981年(昭和56年)に御崎へ移転させ、本丸庭園の復元・整備は1990年(平成2年)に完成。また大手門枡形、本丸門および同枡形と本丸厩口門の再建は1996年(平成8年)である。2010年(平成22年)に復元された庭園の西仕切門は、高さ約4.6 m、幅約3.0 m。総工費は門につながる土塀約10.5 m分も含めて約3200万円と報道された。二之丸庭園は2016年(平成28年)に部分公開を始めている。

    史跡、名勝 

    大石内蔵助邸は1923年(大正12年)に国の史跡に指定。赤穂城は1971年(昭和46年)に国の史跡に指定された。

    1990年代に門(本丸門、本丸厩口門)ならびに枡形(大手門、本丸門)あるいは本丸庭園の復元・整備が進むと、旧赤穂城庭園は2002年(平成14年)に国の名勝に指定された(本丸庭園および二の丸庭園)。財団法人日本城郭協会により2006年(平成18年)に「日本100名城(60番)」に選ばれている。

    光の天守閣(ライトアップ)

    赤穂青年会議所は2006年(平成18年)より、赤穂義士祭が行われる12月14日に先立つ数日にわたり天守台でライトアップを行なってきた。天守を模した足場を築き、電飾を配して夜間に点灯させたものである[16]。年々、天守の高さが高くなっていたが2009年以降は5層となっている[17][18]。本来、赤穂城の天守台に天守を建てたことはない。また歴史的な資料を参考にしているわけではない。


    (元号[19]
    電球[20] 高さ[21] 備考
    2006(H18) 2 詳細不明 2007(H19) 3 1.2 約22
    2008(H20) 4 1.5 約24 総鋼管8 t
    2009(H21) 5 2.2 約30 総鋼管12 t
    2010(H22) 5 3.0 約28
    2011(H23) 5 3.0 約28
    2012
    2013
    2014(H26) 天守台にプロジェクションマッピングを投影。
    2015(H27) 前年に続き光の天守と共に 天守台にプロジェクションマッピングを投影。
    凡例

    遺構 

    土塁、石垣、堀などが残る。

    復元・整備施設

    本丸

    • 本丸高麗門(こうらいもん) - 赤穂城本丸門の一部。城壁上の土塀に丸、三角、四角の穴(狭間)が開く。正面に「赤穂城址」の石碑。
    • 本丸櫓門(やぐらもん) - 同上。石垣の上に一層櫓。内部は特定日に一般公開される[22]
    • 天守台 - 天守が築かれた事はないが、#光の天守閣でプロジェクションマッピングが投影される。
    • 本丸御殿跡 - 本丸庭園は国の名勝に指定。コンクリート盤上に部屋の間仕切りを示し、坪庭跡には中高木を植栽。
    • 刎橋門(はねばしもん)跡 - 石垣の一部は破壊された痕を残す。内堀の直前に柵が付けられている。

    二の丸

    • 二ノ丸土塁
    • 厩口門(うまやぐちもん) - 別称は高麗門。1981年(昭和56年)まで県立赤穂高等学校の通用口に使われた[23]
    • 二の丸庭園
    • 水手門 - 船着場跡と四脚門の礎石がある。
    • 西仕切門

    三の丸

    • 太鼓橋 - 正門である三之丸の「大手門」へかかる橋。 1935年(昭和10年)に建築。木造による復元ではない。
    • 大手門(高麗門)- 大手門の一部。 1955年(昭和30年)に建築。
    • 枡形虎口(ますがたこぐち)・番所 - 大手門を入ると右に折れ曲がる入口。番所跡に模擬番屋(案内所)が立つ。
    • 大手(高麗門)隅櫓 - 三之丸の大手門近くにあった隅櫓を模して1950年(昭和30年)に建築。二層の隅櫓を設置。

    赤穂城でロケが行われた映画・ドラマ 

    映画
    • 『超高速!参勤交代』(松竹 2014年公開) - 赤穂城本丸門周辺。
    • 『超高速!参勤交代 リターンズ』(松竹 2016年9月10日公開) - 赤穂城本丸厩口門周辺。
    • 『銀魂2 掟は破るためにこそある』(ワーナー・ブラザース映画 2018年8月公開) - 赤穂城大手門武者溜り広場、本丸門周辺。
    • 『決算!忠臣蔵』原作『「忠臣蔵」の決算書』(松竹 2019年11月22日公開) - 赤穂市立海洋科学館・塩の国、赤穂城本丸周辺など。

    ドラマ
    • 『新春仕事人スペシャル 必殺忠臣蔵』(テレビ朝日新春ドラマスペシャル。朝日放送/松竹共同製作。1987年)必殺シリーズの長時間スペシャル第8弾。 - 赤穂城大手門前など。
    • 『元禄繚乱』(NHK大河ドラマ。1999年) - 赤穂城周辺、赤穂御崎、坂越地区、千種川など。
    • 『忠臣蔵〜その男、大石内蔵助』(テレビ朝日ドラマスペシャル。2010年) - 兵庫県立赤穂海浜公園・塩の国、赤穂城跡など。
    • 『必殺仕事人2014』(テレビ朝日ドラマスペシャル。2014年) - 赤穂城跡
    • 『忠臣蔵の恋 ~四十八人目の忠臣~』(NHK土曜時代劇。2016年9月24日 - 2017年2月25日。) - 赤穂御崎、赤穂城跡など。

    支城 

    周辺の文化施設・観光名所 

    城内の指定文化財

    • 国史跡 大石良雄宅跡
      • 大石邸長屋門 - 現在の建物は復元。良雄が出入りした往時の門は江戸期に焼失。
      • 赤穂大石神社 - 大石邸庭園、義士宝物殿。1911年(大正元年)創建。
    • 国名勝 旧赤穂城庭園(赤穂市所有、本丸庭園と二之丸庭園)
    • 市指定文化財 近藤源八宅跡長屋門 - 天井・瓦などの一部以外は復元。近藤源八が使用した門は破却され、現存の長屋門は18世紀以降の再建と推察される。

    同城内の文化施設
    • 赤穂市立歴史博物館 主題は「塩と義士の館」
    • 三之丸跡
      • 花見広場 当時の遊水池を活用し、200本超の桜を植栽して整備。
      • 米蔵跡休憩舎。
    • 城内
      • 武家屋敷公園 三之丸清水門から入ると左手の建物。外観は勤番の侍が寝起きした屋敷に似せてあり、往時の城内を想像させる。

    周辺の見どころ
    • 花岳寺 - 義士宝物館
    • 御崎 - 福浦海水浴場
      • 赤穂温泉
      • 伊和都比売神社
    • 兵庫県立赤穂海浜公園

    博物館、美術館
    • 赤穂市立美術工芸館(赤穂市立田淵記念館)
      • 田淵氏庭園(国の名勝)
    • 赤穂市立海洋科学館
    • 赤穂市立民俗資料館

    参考文献 

    主な執筆者または編者、出版者の50音順。

    各項目内は主な執筆者または発行者の順。

    城郭と城下

    • 【書籍】「史跡赤穂城跡本丸発掘調査報告書」
      • 第2編 赤穂城跡調査会と史跡赤穂城跡本丸発掘調査団(編)。
      • 第3編 赤穂市教育委員会(編)はす。
    • 【書籍】「赤穂城址、加里屋」|}}
    • 【書籍】「赤穂郡誌. 播州赤穂郡志」|}}
    • 【書籍】「定本 日本城郭事典」。
    • 【書籍】「新版 兵庫県の歴史散歩 」

    • 【書籍】「写真集明治大正昭和赤穂」
      • 「元禄時代赤穂城之図」、「同城内侍屋敷図」
      • 「赤穂城本丸内水筋図」
      • 天守閣の模型
      • 空から見た赤穂城址
      • 櫓:大手門角櫓(再建後の写真あり)、潮見櫓
      • 門:塩屋門、二の丸門、大正時代の大手門、本丸門。武家の長屋門(大石内蔵助の屋敷)
      • 本丸址に建った中学校本館。

    出版物 

    管理者の赤穂市による。発行順。

    城と町

    • 『赤穂城絵図展 : 絵図にみる城と城下町のうつりかわり』赤穂市立歴史博物館(編)、2000年。開館10周年記念、赤穂城築城開始350年記念の特別展図録。1999(平成11)年度。2000年(平成12年)2月11日-同3月20日。。

    庭園

    • 赤穂市教育委員会生涯学習課(編)『名勝旧赤穂城庭園二之丸庭園整備概要報告書』赤穂市教育委員会生涯学習課〈赤穂市文化財調査報告書〉
      • 第1部〈第68号〉、2008年。
      • 第2部〈第77号〉、2013年。
      • 第3部〈第90号〉、2019年。
    • 赤穂市教育委員会生涯学習課(編)『赤穂城攻略本』赤穂市教育委員会生涯学習課〈赤穂市文化財調査報告書 ; 93〉、2020年。

    赤穂城の口コミ情報

    2022年04月10日 無限織部正武威鉄駆
    赤穂城



    電車で訪問される方へ。最寄りのJR赤穂線播州赤穂駅からは徒歩圏内ですが本数がとても少なく1時間に1本の時間帯もあります。時刻表をよく確認される事をお勧めします。広大で見処満載な城ですので時間はあっと言う間に過ぎますからお気を付け下さいね(笑)ちなみに大石神社から駅まではタクシーでは1000円前後です。お城通りにある鈴吉屋の牡蠣の佃煮は絶品ですのでお酒のお供に是非(笑)

    2022年03月27日 三河守天天丸
    赤穂城



    本丸門の上に、今日は特別に入れる期間でした。スタンプは門に入ってすぐのところにあります。堀に囲まれ、石垣もぐるっと囲っていて赤穂城がとても大きかった事がわかります。

    2022年03月10日 ないやろな〜征夷大将軍クララ姫
    赤穂城



    2022.3.9現在、二之丸門跡周辺発掘調査中でした。

    2021年07月24日 摂津守ようちん
    赤穂城



    廃藩置県後に解体され学校へ。高校の移転に伴い平成に復興!
    本丸櫓の前にボランティア案内人のおじいちゃんが居て、なんとその高校出身!「あそこに理科室があってな~」と懐かしそうに教えてくれた。

    2021年06月20日 ( *¯ ³¯)っ旦
    赤穂城

    本丸だけ見られる方もおられますが、主郭外の石積み土塁がすばらしい!お城を取り囲むように低いところでも2m以上の石積み土塁があります。ちなみに池には中国のソウギョが時々、跳ねています。

    2021年03月20日 モーリシャス俊影
    赤穂城



    いま、二の丸庭園を再現している途中です。
    更なる整備に期待します。

    2020年12月21日 飛鳥大和守
    赤穂城



    本丸には見取図通りに石畳等を配置してあり、各部屋への動線や距離感などを体感出来ます。縁側部分は板目のように細長い石を並べてあったり、中庭部分には池や樹木を植えてたりと細かい演出です。

    尚、三ノ丸内にある赤穂大石神社の宝物殿(有料)には森可成、長可、忠政、長直の甲冑・兜、陣羽織、馬具等が展示されています。

    2020年10月30日 小太郎民部大輔南海道12國守
    赤穂城



    現在の赤穂城は、松の廊下で有名な浅野長矩の祖父長直が、江戸時代にはいってから徳川幕府の許可のもと築城したもので、戦国の攻防を経たものではない。無論強力な防備施設は備えているものの、石垣等優雅さすら備えているのではないか。元々幕府への遠慮か、資金難(おそらく両方)で天守閣は、建築されていない。隣に大石神社があり、47士がお出迎えしていただける。

    2020年08月16日 なんたろう
    赤穂城

    【遺構の状態】★★★☆☆
    【登山レベル】★☆☆☆☆
    【下草装備】 不要
    【動物対策】 不要
    【見学の目安】1時間〜3時間
    【アクセス】 JR赤穂線「播州赤穂」徒歩15分
    【駐車場】  有(無料)

    まず最初に、隣接する赤穂市立歴史博物館で赤穂城のジオラマを見ていくことをおすすめします!(入館料200円、JAF割あり)
    とても精巧で、海城かつ甲州流軍学の城であることがよ〜くわかります。その後の城歩きがもっと面白くなりました。
    赤穂城の見どころはたくさんありますが、特に江戸時代の縄張とは思えないほど満載された横矢には驚かされます。

    城内は広く、二之丸庭園〜本丸だけでも1周すると1時間ほどかかります。
    おかげで城下・武家屋敷・大石神社なども合わせると、3時間は経っていました。
    前述の歴史博物館のほか、大石神社内の義士資料館も充実しているので、時間には余裕があると安心かもしれません。

    ちなみに赤穂城のジオラマは、平海城の代表として姫路城隣の兵庫県立歴史博物館にも展示されています。
    より海城感の強い仕上がりになっていて、こちらも大変カッコいいですよ!

    2019年05月08日 しおうまる美作守
    赤穂城



    刎橋門跡。平成9年(1997)復元。本丸の南面、藩邸の裏手にあたる門で、非常門とも不浄門とも伝わる。建坪5坪の小門で、ここから二之丸へ開閉式の刎橋が架けられていた。『赤穂加里屋城図』によると、刎橋部分は渡り2間2尺、幅1間9尺と記されている。また、『赤穂城本丸内水筋図』にはこの門の内側に石積みの構築物が描かれていたが、発掘調査の結果、土塁内側の腰巻き石垣と合坂からなる通路となっていたことが判明した。

    2019年05月08日 しおうまる美作守
    赤穂城



    大手隅櫓。大手門の北にある二重櫓。東西4間半、南北3間半の基底部を持つ。大手門を監視する到着櫓としての性格を持ち大手門防衛の要となる。明治期に取り壊された後再建された。〜赤穂城史跡名勝の探索ガイドより抜粋〜

    2019年03月27日 ジャスティ摂津守感謝追悼
    赤穂城

    3/30.31の2日間、本丸櫓門 階上内部が特別無料公開されるそうです。10〜16時。入場15時半まで。

    2018年10月28日 美濃守せんとくん
    赤穂城

    本丸櫓門の下にある日本100名城スタンプは、門を入って左側にあります。
    スタンプはシャチハタ式ではなくスタンプをスタンプ台のインクを付けて押します。

    2017年09月20日 むぎむぎ山城守
    赤穂城

    車で行く場合は近くにある大石神社か赤穂市立歴史博物館の大きな駐車場を利用するといいでしょう。無料です。
    本丸まで歩いてすぐです。

    2017年06月07日 青き巨星弾正少弼かみ
    赤穂城

    赤穂城のお城メダル(記念メダル)は現在ありません。
    見つけた方は教えてください

    2017年03月17日 橘若狭守次郎吉
    赤穂城

    JR「播州赤穂」駅の観光案内所でレンタサイクルを借りれます。普通自転車が200円、電動自転車が500円。

    赤穂城跡は想像以上に広大で立派でした。個人的には腰巻石垣土塁が良かったです♪

    2017年03月01日 織田上総介晃司
    赤穂城

    大手門と大手隅櫓をワンフレーズで撮影して城内に。
    本丸へ向かう途中に「忠臣蔵」で有名な大石良雄(内蔵助)長屋門がある。
    本丸には本丸櫓門が復元され、天守台や本丸御殿見取り図など整備されている。
    本丸櫓門を撮影。

    長屋門のそばに大石神社があり、忠臣蔵ファンの方が多くお参りしている。

    2017年02月05日 邦順大和守大八郎宗久
    赤穂城

    追伸
    遺構といっても花岳寺山門以外のは、上水道の桝、ですが…

    2017年02月04日 邦順大和守大八郎宗久
    赤穂城

    今年の初め頃に思い付きで探訪し、城郭を一通り巡ってみましたが、私のイチオシは三の丸の石垣。

    三の丸は大手門から塩屋門辺りまでは石垣がしっかりしていますが、塩屋門から南の干潟門にかけては荒城の風情。

    整備が進む二の丸の美しい石垣と対比するかの様な、泥臭さ溢れる石垣。緑地公園が傍にあるのに人影なく、時に見える散歩中の市民の方は目もくれない。しかしそれは、赤穂城の古を独り占めする感覚が味わえる利点であります。

    上述の文を読むと、貶めてるのか?と思う方も居られると思いますが、純粋に、人に来て見て頂きたく思い、ご紹介させて頂きました。

    さて、探訪同日に姫路城にも行こうとした事と、そもそも思い付きのせいで下調べが不十分な為に、花岳寺の山門(移築された西惣門)など赤穂城の遺構の幾つかを見過ごす痛恨のミス。またいつか行きたく存じますが……探訪の際は、十分なご計画を。

    2015年09月12日 いもこ
    赤穂城

    播州赤穂駅から歩いて15分くらいで入り口付近には着きます。

    途中に井戸があり、忠臣蔵のエピソードをナレーションしてくれてました。私は恥ずかしながら忠臣蔵に詳しくなかったので、ここで少し勉強してから向かいました。

    赤穂城の城郭の中に、赤穂浪士ゆかりの大石神社があります。その横に大石邸の長屋門があり、江戸時代の建築遺構とのことで、木の状態など、歴史深さを感じてグッときます。
    神社入り口には四十七士像が並んでいました。

    赤穂城の本丸跡は、間取が分かるようになってて、妄想が膨らみます。当時の絵図のようなものもありました。とても素敵な庭園もあり、広々とした本丸跡は思わず両手を広げたくなります。
    天守台があり、綺麗に整備されてますが、こちらの階段がとても段差が大きくて登るのが少し大変です。しかし登った後の見渡す景色は素晴らしく爽快です。

    2013年12月23日 中務卿一之介
    赤穂城

    城内はとても広く、家臣の屋敷跡が空き地状態で残っているので、「ここが城内?」と疑いたくなるほどです。とても外様の一大名の居城とは思えません。
    次々と復元されており、今は二ノ丸庭園の復元中です。数年後にはまた違った表情を見せるでしょう。


    2013年11月24日 関白もこ彦
    赤穂城

    赤穂市立歴史博物館にも100名城スタンプありました

    2013年07月13日 尾張守ひろっちぃ
    赤穂城

    本丸門入り口の所に一部100円のパンフレットを販売しておりそれを見ながら散策すると役に立ちます。

    散策すると範囲が広く一周するとかなり疲れます。二の丸庭園は今整備中であり今後の修復に期待したいです。
    本丸櫓門階上内部が今特別公開中であり期間は7月13日〜7月15日までです。

    2012年03月04日 しまさ左大臣
    赤穂城

    「100名城スタンプ情報」
    赤穂城本丸門(入って左)にもありましたが、
    近藤源八宅跡のスタンプの方がきれいそうでした。
    (2012/3/3時点)

    2011年11月27日 太政大臣M三郎
    赤穂城

    赤穂城は、千種川河口部の平坦地に位置するため、地形の影響をあまり受けず、山鹿流軍学の粋を尽くし具現化したかたちで築かれています。横矢掛を意識した折れや曲線を多用した塁線と、築城年代が比較的新しく、また良質の石材の調達が容易であったことなどもあってか、きわめて整った石垣を持つ、興奮するほどに秀逸で美しい城です。城門や塀、石垣、庭園など、復元が計画的に進められているので、訪れるたびに新たな発見があり、楽しませてくれる城でもあります。私が訪れた中で、最も好きな城のひとつです

    2010年10月10日 にっこう
    赤穂城

    赤穂駅から歩いて行けます。城近くには、土産品店があります。「赤穂の塩まんじゅう」という銘菓がありますのでご賞味あれ

    赤穂城の周辺観光情報

    塩の国

    揚浜式塩田・入浜塩田・流下式塩田など、かつての製塩施設を復元した赤穂海浜公園「塩の国」で、塩づくりを体験することができます。

    開館時間:9:00~16:30
    休館日:火曜(祝日の場合は翌日)
    入館料:大人/200円 小・中学生/100円
    TEL:0791-43-4192

    情報提供:赤穂市役所 産業観光課 観光係

    赤穂城の周辺スポット情報

     大手櫓門(遺構・復元物)

     西仕切門(遺構・復元物)

     三之丸大手門(遺構・復元物)

     大手隅櫓(遺構・復元物)

     水手門跡(遺構・復元物)

     本丸厩口門(遺構・復元物)

     息継ぎ井戸(遺構・復元物)

     潮見櫓台(遺構・復元物)

     二之丸門跡(遺構・復元物)

     塩屋門(遺構・復元物)

     説明看板(碑・説明板)

     和田備後守範長公一族之墓所(碑・説明板)

     茶臼山城(周辺城郭)

     尼子山城(周辺城郭)

     坂越浦城(周辺城郭)

     唐船山台場(周辺城郭)

     大石良雄宅跡長屋門(寺社・史跡)

     花岳寺(寺社・史跡)

     赤穂観光協会(御城印)

     赤穂市立歴史博物館(スタンプ)

     本丸櫓門下(スタンプ)

     トイレ(トイレ)

     トイレ(トイレ)

     トイレ(トイレ)

     駐車場(駐車場)

     駐車場(駐車場)

     駐車場(駐車場)

     駐車場(駐車場)

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