鴾ヶ堂城(つきがどうじょう)

鴾ヶ堂城の基本情報

通称・別名

鴾ケ堂城、小鷹山城

所在地

兵庫県赤穂市有年横尾

旧国名

播磨国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

太田弾正

築城年

不明

主な改修者

主な城主

太田氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

模擬櫓(展望台)、碑

周辺の城

大嶋城(兵庫県相生市)[7.0km]
感状山城(兵庫県相生市)[8.4km]
赤穂城(兵庫県赤穂市)[8.6km]
白旗城(兵庫県赤穂郡)[9.5km]
三石城(岡山県備前市)[11.3km]
城山城(兵庫県たつの市)[14.7km]
龍野城(兵庫県たつの市)[14.8km]
上月城(兵庫県佐用郡)[18.1km]
三日月陣屋(兵庫県佐用郡)[19.0km]
福原城(兵庫県佐用郡)[19.6km]

鴾ヶ堂城の解説文

鴾ヶ堂城(つきがどうじょう)は、兵庫県赤穂市有年横尾にある山城。

歴史 

築城年代、築城者は定かではないが、赤松氏の一族である太田氏の城と伝わる。

天正6年(1578)3月に羽柴秀吉勢が那波方面に攻め入る際、軍勢の侵入路として周世坂を掌握すべく、鴾ヶ堂城を拠点とした可能性がある。

遺構 

千種川中流域にある標高約196mの三重山の山頂に位置する。

山頂には岩盤が露頭しており、磐座や関連する堂社が置かれた験行寺の寺域であった可能性が高い。現在は中腹の験行寺から遊歩道が設けられている。

山頂から尾根上に、3つの曲輪が置かれていた。現在展望台が建てられている、岩盤が露頭する山頂南側の曲輪が、3つのうちの北端だ。北東から北西山麓の眺望がきき、見張り台として機能したと思われる。西斜面には竪堀があり、北尾根方面への敵の迂回を阻止していた。

一段下がったところにある中央の曲輪は、コンパクトながら防御の工夫がある。東斜面は竪堀で敵の動きを遮断。曲輪の西側がえぐれたように屈曲しているのも特徴で、西尾根からの登城ルートを押さえる虎口を削り出すようにして設け、約3mの虎口受けを張り立たせているようだ。

南端の曲輪は、東西二段に分かれる。上段にある東側の曲輪は、南端に櫓台などの構造物があったと推定され、内側に石積みが残る。櫓台の直下から南方の尾根鞍部にかけては四重の堀切が設けられ、段階的に敵の侵入に備えていたとみられる。

交通 

・西日本旅客鉄道山陽本線有年駅から徒歩で約20分

参考文献 

・『図解 近畿の城Ⅲ』戎光祥出版、2016年。

文:萩原さちこ


鴾ヶ堂城の口コミ情報

2024年01月08日 織田上総介晃司
若狭野陣屋[鴾ヶ堂城  周辺城郭]

若狭野陣屋(法界庵)の駐車場は無く、少し東に行くと若狭野公民館があるのでことわりを言って停めるのが無難です。

建物は朽ちていたるところに損傷があるので立入禁止禁止となってます。

2024年01月06日 織田上総介晃司
有年山城[鴾ヶ堂城  周辺城郭]

車は有年公民館に駐車。

有年八幡神社の登城口に縄張り図やビューポイントなど資料があります。
資料が欲しくて有年八幡神社の登城口に行きましたが、他にも登城口が3つあります。

それぞれ
有年八幡神社登城口→距離は短いが傾斜がキツく岩登りの箇所もある。

薬師堂登城口→八幡神社よりもやや楽。

放亀古墳登城口→距離はあるが傾斜はゆるく楽。

北口登城口→?(資料にも記載無く、ようわからん)

縄張り図の所持前提ですが、おすすめルートは放亀古墳登城口から登り、古墳を見て岩盤土橋を渡り城域へ。
城域をくまなく見て薬師堂ルートで下る。
その後、有年八幡神社登城口より再び登り、高瀬舟灯台と本殿石垣の飾り石(兎・月・扇)を見て弁慶の足跡岩で引き返す。
これで全ての見どころは制覇できると思います。

近くには東有年沖田遺跡や田中遺跡など古代の遺跡もあります。

2023年12月01日 ハマカズ
鴾ヶ堂城



駐車場がわかりにくいのですが、登山口からすぐでした。竪堀を登ってしまったような気がします。展望台の見晴らしよく的場山や有年山城や白旗城見えます。来た道が急だったので反対から降りようとしたら急で落ち葉で滑るので引き返し戻ったら曲輪がいくつかあってそれからお寺もありました。熊出没情報あり、ひとりだったので熊鈴持っててよかった。

2022年03月09日 RED副将軍
鍋子城[鴾ヶ堂城  周辺城郭]



岩盤を削り出した土橋と堀切がクッキリと残存しています。

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。
城主は岡豊前守、小河丹後守、戸田右京であったとの伝承がありますが曖昧な点も多く詳細不詳。
赤松家臣の居城で、浦上宗景による侵攻で落城
したとの伝承もあります。
⁡戦国末期は、この地は毛利に属した宇喜多氏の支配であり、宇喜多氏または、それを侵攻する羽柴秀吉の改修があったとの説が有力です。

見所
東西に伸びる尾根筋に郭を展開し、東西の両端を堀切で遮断。西尾根は二重堀切となっています。
南尾根は岩盤掘削の堀切に土橋が削り出されており、一番の見所。全国的にも数少ないクッキリと残る土橋です。
主郭南下には石積みが残っています。

行き方は、城域北側に県道90号が走り、大龍権現に登る山道が付いています。モルタルの法面に切れ目があり「西播磨の山城へGO」の幟旗が目印です。
魔界への入口感がハンパ無いです。幟旗が無ければまず入らないです。
車は、北西に橋を渡り、長谷川と千種川の合流地点のガードレール裏に広い駐車スペースがありました。

⚠️夏場はマダニの巣窟です。
この城を教えてくれて先に口コミがある武蔵国の城友さんは大量のマダニを持ち帰ったとのことで、冬になるまで訪城を待ちました。

近くの有年山城にも岩盤掘削の土橋があるので併せての訪城をオススメします✨

写真
①②南尾根の土橋
③西尾根の堀切。西端は高さあり
④主郭南下の石積み
⑤⑥主郭
⑦東尾根東端の堀切
⑧登城口

2022年03月03日 RED副将軍
有年山城[鴾ヶ堂城  周辺城郭]



播磨の岩盤土橋の城郭。
岩盤を削り出したクッキリ土橋に魅了されます。
見事なスロープはバリアフリー対応。

オススメ度 ★★★★★

初代の城主は赤松範資の子である本郷掃部介直頼とされ、暦応年間(1338~1342年)に居城していたと伝わります。その頃の築城と思われます。
その後は、赤松氏家臣の富田右京の居城となりましたが、天文年間(1532~1555)に浦上宗景の侵攻により落城。
元亀年間(1570~1573年)にも赤松氏家臣の小田弾正が再び築城し居城としたと伝わります。
1575年に宇喜多氏が侵攻し、宇喜多氏の支配となります。
その後、織田信長による中国攻めにおいて、羽柴秀吉と毛利氏・宇喜多氏との戦いの舞台となり、八幡山城として記録されています。
1579年、宇喜多直家が織田信長に帰順し、廃城となった様です。

見所
標高201mの大鷹山山頂に主郭を置き、主郭から北東、南、北西、南西に伸びる尾根を削平し20近い段郭群が見事に整備されています。
目を引くのは主郭北西尾根を降りたところにある土橋で岩盤を削り出してクッキリと残ります。折れが伴うところも素晴らしく、両サイドは大規模な横堀が広がり、横堀の北西端部はV字の竪堀で遮断しています。
主郭と土橋の間にある石組みの井戸も必見。
主郭西下の二郭には大きな穴が点在し、大型土壙や池との紹介がありますが、少なくとも池では無い気がします。水が貯まると思えない…

何よりも地域の整備状況が素晴らしい。駐車場完備で八幡神社から整備された登城路が付いてます。
比高は180mくらいで30分かかりませんでした。

⁡写真
①②北東尾根の土橋
③北東部の空堀
④⑤北東部のV字竪堀
⑥石組みの井戸
⑦南西の段郭群
⑧登城路

2022年02月13日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
有年山城[鴾ヶ堂城  周辺城郭]

有年山城(八幡山城、大鷹山城)は、地元の方による献身的な整備が素晴らしい城です。城への道は落ち葉が取り除かれ、傾斜のきついところは丈夫なロープが完備。目印のテープや矢印表示に加え、ルート地図もポイントごとに設置されています。曲輪の木々は伐採されており、往時の姿を容易に想像できます。主郭に備え付けられた箱には縄張り図や近隣の城跡の紹介が入っており、名刺サイズの御城印もあります。もうひたすら感謝です。

遺構もかなり良く残っており、20近い曲輪群に加え、竪堀、堀切や土橋らしきものも確認できます。眺望も良く、主郭に新たに設置されたパノラマ案内板で近隣の城の名前を一つ一つ確認していると、気分はもう城主です。

東の尾根の先には、放亀山古墳というかなりきれいな前方後円墳があります。古墳ファンの方は併せてどうぞ。

2022年02月12日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
有年山城 薬師堂登城口[鴾ヶ堂城  その他]

有年山城(八幡山城、大鷹山城)への登り口です。2号線の交差点から北へ進むと、右手に「有年山城」の幟が立っている駐車場があり、その坂を登った先にあります。なお、幟の立っている駐車場は個人の駐車場とのことなので、車でお越しの際はリア攻めマップ上の駐車場をご利用下さい。

2022年02月12日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
有年山城 八幡神社登城口[鴾ヶ堂城  その他]

有年山城(八幡山城、大鷹山城)への登り口です。尾根道の岩場は傾斜がややきついですが、地元の方が設置して下さったロープをしっかりつかんで行けば大丈夫です。なお、八幡神社境内の石垣では珍しい「飾り石」が見られます。

2022年02月12日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
有年山城 駐車場[鴾ヶ堂城  駐車場]

有年山城(八幡山城)登城に使える駐車場。八幡神社および薬師堂登城口へは信号を渡ってすぐ。やや狭いので、混雑時は有年公民館へ。

2022年02月12日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
有年山城 有年公民館駐車場[鴾ヶ堂城  駐車場]

有年山城(八幡山城)登城に使える広い駐車場。八幡神社および薬師堂登城口までは山沿いの道を4、5分ほど歩きますが、放亀山古墳への登り口へはすぐです。

2022年01月12日 織田上総介晃司
鴾ヶ堂城

赤穂ふれあいの森を進むと広い駐車場があります。ここから験行寺へ進む道と直接鴾ヶ堂城へ向かう道に別れますが、鴾ヶ堂城へ向かう道は残り300mから直上するようになり、帰りにまた同じ道を通るのは目印がないのでたぶん無理。

ここは無難に験行寺経由で行くのが正解と思います。

登山道で曲輪等が一部破壊されてるようなので、登山道を脱線して曲輪の上を進むと攻城感が出てきます。

2021年07月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
鍋子城[鴾ヶ堂城  周辺城郭]



鍋子城は鴾ヶ堂城の南西約1.8km、標高160mの山塊山頂に主郭が存します。北麓の兵庫県道90号線からの比高は140m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている北麓の大龍権現を目標に設定して下さい。ピンは鳥居の位置を示しており、大龍権現自体はお城の北側直下にある小社です。が、建物は残っていますが小社はもう訪れる者も絶えた廃社です。

鳥居の位置には「西播磨の山城へGO」の幟旗が立ってます。山塊北側全体は急崖でモルタル吹き付けによる補強が施されており、その途中にスリット程度の階段が付いてますので見落とさないように…ただ幟旗は此処がお城の登城路入口である事を保証(これが無いと入るのを躊躇するでしょう。)してくれています。

登城路入口は藪っていて「だっ、大丈夫なんか?」とか呟きますが、少し我慢すれば藪は消えます。登城路は崩落箇所多数、崩落石でガレ場を形成していて西播磨では厳しい感じのお城なのかな。そもそも論で入口には「危ないから入ってはいけません」の看板が立ってます。横の繋がりの少ない行政の齟齬を具現化してるとも言えますね。

築城年代、築城者は不明ですが、城主として冨田右京、岡豊前守、小河丹後守(皆赤松家の者なんでしょか。)の名が挙げられます。小河丹後守は元亀二年(西暦1571年)鴾ケ堂城攻めで討死したと主郭の標柱に記述がありました。

お城は沢様地形に挟まれた斜面を登って行きますが、これ竪堀でいいんじゃねぇ…これが無いと広範に攻められてしまうし、最も難所な主郭部直下に誘導出来ない。そして沢跡には決して付かない竪堀頂部が確認出来ます。大龍権現南側山側の岩場の上には主郭があり、岩場を直登したらびっくりするよな削平地がありました。よく見りゃ巻き気味の踏み跡程度の道も付いてますので頑張らなくても大丈夫です。他に段郭、横堀、土塁、土橋、水の手と思しき穴なんかが確認出来ますが、土橋のくっきり感は土橋ソムリエをも満足させるでしょう。が、城域北西部にあるとされる堀切は藪で断念しちゃいました。

マダニの巣窟です。自分虫除けスプレーと間違えたのか大量のマダニを讃岐まで持ち込みました。訪ねる方は冬の時期にお願いします。

2021年07月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
有年山城[鴾ヶ堂城  周辺城郭]



八幡山城(有年山城)は鴾ヶ堂城の西北約1.8km、標高201mの大鷹山山頂に主郭が存します。南麓の国道2号線からの比高は180m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南西麓の有年八幡神社鳥居を目標に設定して下さい。此処が登城路入口となります。登城路途中には山の中なのに高瀬船灯台て言う千種川を往来した船のための灯台が建っていたりします。

築城年代、築城者は不明ですが、貞和年間(西暦1345年〜1350年)に本郷掃部守直頼(赤松信濃守範資の三男)が城主になったそうです。その後色々すっ飛ばしますが、天文十二年(西暦1543年)、浦上宗景によって落城したらしいと主郭の標柱に記述がありました。

登城路、お城は整備されていて大変散策し易いです。郭の大部分は削平箇所が綺麗に伐採もしくは間伐されているし、縄張図に照らした小さな案内板も細かく設置、兵庫県西播磨県民局の山城復活プロジェクト、「西播磨の山城へGO」の対象城の一つとして幟旗も立っています。段郭を多数配したお城で、それに竪堀、空堀を上手く配して寄せ手の行動を制限します。水の手と思しき石組み遺構もあったりしますが、その先にある空堀の掘り残しである曲げを伴う土橋に萌えまくりました。たぶんこのお城に堀切はありません。

城域内最大面積の郭には訳解らない大きな穴(こうとしか言いようが無い…)があったりします。これが往時の遺構であるならば、当事者にしか解らない事情と言うものでしょう。「大型土壙」ともっともらしく案内板にありますが、おいらにはゴミ捨て用の穴にしか見えない…

西播磨県民局が力を入れる山城復活プロジェクトはそのアプリも含めて地域が行う再生事業の一つとしてお城ファンのハートを鷲掴みにする素晴らしい企画ですね!県内の、決して新しく造り出す事が出来ない歴史遺産を大切に後世に伝え観光資源として活用する…これに呼応する自治体が現れる事を切に祈ります。

※全国に星の数程ある八幡山城ですが、主郭の案内板等は有年山城で統一されています。既作成スポットを活用して口コミさせて頂きました。どなたか存じませんが感謝です。

2021年06月12日 ( *¯ ³¯)っ旦
鴾ヶ堂城



車が無い方のリア攻め攻略法

JR「有年駅」改札口を出て右手側へ行き、階段も右手側を降ります。直ぐに2号線の信号があるので、渡って直進。

右手側にもう一本、平行した道があるので、良いところで其方の道へ行く(山王神社の横を行く道)

安全なルートとしてはそのまま道なりに進み「赤穂ふれあいの森」をスルーして延々と登っていくと家が一軒ある所に出ますが、そのまま道なりに進むと「神護寺← →験行寺」がありますので験行寺方面へ行くと直ぐに曲輪のような所を通過してお寺です。そこに地図がありますので「展望台」が主郭になります。

しかしこの山自体は何処までが遺構で、どれが新たに削ったのかわかりにくいうえに、階段の道は何も無い所に後からつけられた物だと思われます。

ちなみに車だと「赤穂ふれあいの森」よりそれなりに登ったところに50台くらい停めれそうな広場があります。

とことんリア攻めしたい方も、その広場まで行き、道なりに進むと右手に、
入ったら出て来れなくなりそうなトイレがあり、そのトイレを過ぎたら右手に矢印案内看板がありますので
案内看板に沿って山道に入って行くと登り口がありますが…まぁ、ご自身の目で確かめてからチャレンジしてください。

確かめていませんが、山伝いに2号線側に出てきている山の尾根にも堀切がありそうに見えます。

「ふれあいの森」にある看板ですが「現在地」の場所は間違っているように思えます。それで私も戸惑ました。おそらく「P」が現在地で良いと思います。

2021年04月26日 琉球守風のこうちゃん播守
鴾ヶ堂城



JR山陽本線、有年駅の真南にある国道2号線「有年駅前」交差点を南に行き「赤穂ふれあいの森」を目指しましょう☝️国道2号線、東西両方向から「赤穂ふれあいの森」の道標、有ります🧐

赤穂ふれあいの森から更に「験行寺」を目指します💨
験行寺行くまでに民家が有り、その先の道路状況が宜しく無く、その手前に写真の場所に駐車場とトイレが有ります☝️ここから展望台迄400メートルと道標が有りました☝️(熊、注意)の看板が有りました😑
軽靴、軽装故に登城は断念しました。

2020年05月25日 上総介あきおう
鴾ヶ堂城



赤穂ふれあいの森にある験行寺(げんぎょうじ)から、寺の奥にある「展望台」方面へ向かいます。遊歩道が作られており、見どころの堀切にも幅広の土橋が作られてしまっています。その奥にも数状の堀切と土橋で守られた曲輪群がありますが、遊歩道が右半分ほどを破壊しています。一番奥の岩場の手前に三階建の木製展望台があり、そこからは街道と河川を見下ろせ、立地の良さがよく分かる眺望が楽しめます。主郭向かって左側の斜面に岩盤をくり抜いた竪堀があります。あまり城跡としての整備がされていないのが残念です。

鴾ヶ堂城の周辺観光情報

赤穂御崎

赤穂市南部の景勝地。御崎灯台、伊和都比売神社をシンボルとし、瀬戸内海を望める赤穂温泉街が広がります。春は約1,700本の桜、夏には景勝海岸での海水浴とキャンプ、秋冬は温泉と新鮮な海の幸料理と、一年中楽しめるほか、近年では人工芝のサッカー場等がオープンするなど、レクリエーションの場として利用されています。瀬戸内海の眺望をパノラマにゆっくりとくつろぐことができるレストハウスもあるので、心ゆくまで瀬戸内の風情を味わってみてください。

赤穂市立海洋科学館

”海洋・塩・赤穂の自然”をメインテーマに展示している「赤穂市立海洋科学館」では、海や塩について楽しく学べます。

開館時間:9:00~16:30
休館日:火曜(祝日の場合は翌日)
入館料:大人/200円 小・中学生/100円
TEL:0791-43-4192

情報提供:赤穂市役所 産業観光課 観光係

鴾ヶ堂城の周辺スポット情報

 若狭野陣屋(周辺城郭)

 鍋子城(周辺城郭)

 有年山城(周辺城郭)

 後藤陣山城(周辺城郭)

 駐車場(駐車場)

 有年山城 有年公民館駐車場(駐車場)

 有年山城 駐車場(駐車場)

 有年山城 薬師堂登城口(その他)

 有年山城 八幡神社登城口(その他)

 有年山城 放亀古墳登城口(その他)

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