鴾ヶ堂城(つきがどうじょう)
鴾ヶ堂城の基本情報
通称・別名
- 鴾ケ堂城、小鷹山城
所在地
- 兵庫県赤穂市有年横尾
旧国名
- 播磨国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 太田弾正
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 太田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 模擬櫓(展望台)、碑
周辺の城
-
大嶋城(兵庫県相生市)[7.0km]
感状山城(兵庫県相生市)[8.4km]
赤穂城(兵庫県赤穂市)[8.6km]
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三石城(岡山県備前市)[11.3km]
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上月城(兵庫県佐用郡)[18.1km]
三日月陣屋(兵庫県佐用郡)[19.0km]
鴾ヶ堂城の解説文
鴾ヶ堂城の口コミ情報
2020年05月25日 周防守あきおう
鴾ヶ堂城
赤穂ふれあいの森にある験行寺(げんぎょうじ)から、寺の奥にある「展望台」方面へ向かいます。遊歩道が作られており、見どころの堀切にも幅広の土橋が作られてしまっています。その奥にも数状の堀切と土橋で守られた曲輪群がありますが、遊歩道が右半分ほどを破壊しています。一番奥の岩場の手前に三階建の木製展望台があり、そこからは街道と河川を見下ろせ、立地の良さがよく分かる眺望が楽しめます。主郭向かって左側の斜面に岩盤をくり抜いた竪堀があります。あまり城跡としての整備がされていないのが残念です。
鴾ヶ堂城の周辺観光情報

赤穂御崎
赤穂市南部の景勝地。御崎灯台、伊和都比売神社をシンボルとし、瀬戸内海を望める赤穂温泉街が広がります。春は約1,700本の桜、夏には景勝海岸での海水浴とキャンプ、秋冬は温泉と新鮮な海の幸料理と、一年中楽しめるほか、近年では人工芝のサッカー場等がオープンするなど、レクリエーションの場として利用されています。瀬戸内海の眺望をパノラマにゆっくりとくつろぐことができるレストハウスもあるので、心ゆくまで瀬戸内の風情を味わってみてください。

赤穂市立海洋科学館
”海洋・塩・赤穂の自然”をメインテーマに展示している「赤穂市立海洋科学館」では、海や塩について楽しく学べます。
開館時間:9:00~16:30
休館日:火曜(祝日の場合は翌日)
入館料:大人/200円 小・中学生/100円
TEL:0791-43-4192
【歴史】
築城年代、築城者は定かではないが、赤松氏の一族である太田氏の城と伝わる。
天正6年(1578)3月に羽柴秀吉勢が那波方面に攻め入る際、軍勢の侵入路として周世坂を掌握すべく、鴾ヶ堂城を拠点とした可能性がある。
【遺構】
千種川中流域にある標高約196mの三重山の山頂に位置する。
山頂には岩盤が露頭しており、磐座や関連する堂社が置かれた験行寺の寺域であった可能性が高い。現在は中腹の験行寺から遊歩道が設けられている。
山頂から尾根上に、3つの曲輪が置かれていた。現在展望台が建てられている、岩盤が露頭する山頂南側の曲輪が、3つのうちの北端だ。北東から北西山麓の眺望がきき、見張り台として機能したと思われる。西斜面には竪堀があり、北尾根方面への敵の迂回を阻止していた。
一段下がったところにある中央の曲輪は、コンパクトながら防御の工夫がある。東斜面は竪堀で敵の動きを遮断。曲輪の西側がえぐれたように屈曲しているのも特徴で、西尾根からの登城ルートを押さえる虎口を削り出すようにして設け、約3mの虎口受けを張り立たせているようだ。
南端の曲輪は、東西二段に分かれる。上段にある東側の曲輪は、南端に櫓台などの構造物があったと推定され、内側に石積みが残る。櫓台の直下から南方の尾根鞍部にかけては四重の堀切が設けられ、段階的に敵の侵入に備えていたとみられる。
【交通】
西日本旅客鉄道山陽本線有年駅から徒歩で約20分
【参考文献】
・『図解 近畿の城Ⅲ』戎光祥出版、2016年。