三日月陣屋(みかづきじんや)
三日月陣屋の基本情報
通称・別名
- 乃井野陣屋、三日月藩乃井野陣屋
所在地
- 兵庫県佐用郡佐用町乃井野966
旧国名
- 播磨国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 森長俊
築城年
- 元禄10年(1697)
主な改修者
- -
主な城主
- 森氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪、石垣、横堀(水堀)、移築物見櫓
指定文化財
- -
再建造物
- 復元長屋、復元櫓門、復元門、説明板
周辺の城
-
福原城(兵庫県佐用郡)[7.3km]
利神城(兵庫県佐用郡)[7.9km]
上月城(兵庫県佐用郡)[9.9km]
山崎城(兵庫県宍粟市)[10.0km]
白旗城(兵庫県赤穂郡)[10.3km]
長水城(兵庫県宍粟市)[10.6km]
感状山城(兵庫県相生市)[12.4km]
城山城(兵庫県たつの市)[13.9km]
福城(岡山県美作市)[15.4km]
竹山城(岡山県美作市)[16.4km]
三日月陣屋の解説文
[引用元:Wikipedia「三日月陣屋」の項目]
三日月陣屋(みかづきじんや)は、播磨国佐用郡三日月[1](現・兵庫県佐用郡佐用町)にあった日本の陣屋。別名を乃井野陣屋(のいのじんや)という。三日月藩森氏の陣屋。
歴史
1697年(元禄10年)に美作津山藩森家は無嗣断絶となった。ただし、幕府は長継に新たに備中西江原藩2万石を与えることで、森氏の存続を許した(のちに播磨国赤穂藩)。その分家であった美作津山新田藩主森長俊は、播磨国佐用郡、揖西郡、宍粟郡65ヶ村1万5千石に領地替えされた。
翌1698年(元禄11年)に長俊は領地入りし、藩庁の陣屋と家臣屋敷の建設に着手した。その候補地が乃井野村であり、三日月陣屋である。1700年(元禄13年)にはほぼ完成した。以後森家は9代続き、俊滋の時明治維新を迎えている。戊辰戦争では官軍に付いて参戦している。
1871年(明治4年)の廃藩置県により、藩庁としての役目を終え解体された。その中で物見櫓と長屋は小学校に移築され、公民館として使用されていた。
2003年(平成15年)物見櫓、長屋が原位置に戻され、付属する中御門、通用門、橋などが一体的に復元された。
江戸時代の遺構である物見櫓は三日月藩乃井野陣屋館となっている[2]。
2018年(平成30年)西法寺に移築されていた表門が原位置に戻されて整備された。
遺構
- 土塁・石垣
- 陣屋表門
- 物見櫓 - 三日月藩創建当初には無かったとされる[3]。
- 中御門(長屋門)と堀 - 一層の櫓門。水堀に石橋が架かる。
交通
- JR姫新線・三日月駅から徒歩12分
- •中国自動車道・佐用ICから約15分
関連資料
- 歴史群像シリーズ「よみがえる日本の城」第4巻、学習研究社、2004年 ISBN 4056034427
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三日月陣屋の口コミ情報
2024年11月19日 ショウちゃん
三日月陣屋
1697年、津山藩森家の改易に伴って、その分家である森長俊が現在の佐用町三日月の地に移住。佐用町だけでなく宍粟・揖保郡の一部を含む1万5千石の藩主となりました。以後明治までの174年間、乃井野地区を城下に、政治・文化の中心地として栄えました。整備された物見櫓は、三日月藩の乃井野陣屋で唯一現存する江戸時代の建築遺構で、現存する陣屋の物見櫓としては、全国的にも希少で大変貴重な建築遺構であると評価されています。
2024年10月10日 noble権中納言弥勒菩薩
三日月陣屋
土日祝しか営業してない知りませんでした。事前の調べ不足でした…しかし、よく知られている正面の門構え、これだけ見られれば、ある意味十分。山奥なのでここまで来るのが大変ですが、思いつきで行動するとこうなります。“風来坊”の、典型パターン。
2024年03月23日 RED副将軍
三日月陣屋
江戸時代の物見櫓が現存する三日月藩森氏の拠点🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1697年、森長俊により築造。
1676年に津山藩主である森長武が弟の森長俊に美作国勝山郡内に一万五千石を分与したことが三日月藩森氏の始まりです。
1697年、津山藩主の森長成が没するも嗣子がなく改易となると、分家である森長俊の所領を播磨国佐用郡・揖西郡・宍粟郡内に移すことで森氏は存続を許されました。その後に領地入りして構えたのが三日月陣屋です。
三日月藩森氏は、森長俊の後も長記・俊春・俊韶・快温・長義・長篤・長国・俊滋と九代に渡り続き明治に至りました。
1871年の廃藩置県により三日月陣屋は藩庁の役目を終えて解体されました。
見所
志文川と角亀川の合流地で御殿山の南麓に築かれている近世陣屋です。
物見櫓と藩校舎が現存建造物であり、長屋門や水堀が復元されています。
水堀越しに物見櫓、中御門、通用御門が並ぶ姿は美しいです。
2023年10月13日 桜井太政大臣静龍
三日月陣屋
土日しか陣屋開いてません。駐車場は神社下に砂利の駐停車場所があります。神社の駐車場もあるけれど。陣屋脇の藩校はいつでも見学出来るみたいです。
2022年05月21日 巴御前主税允
三日月陣屋
三日月陣屋前のルピナス畑が見頃で美しいです。陣屋物見櫓や資料館の内覧は土日祝日のみです。無料ですが、出土品・兜・陣屋の歴史など見応えありました。
2022年05月10日 戸沢夜叉九郎正樹
三日月陣屋
JR三日月駅より徒歩約15分で陣屋跡に着きます。現存の物見櫓と復元門があり、復元門の中に陣屋に関する展示があります。又、土日休日だけですが、復元門の中で陣屋のパンフレットが1冊200円で販売されております。(利神城のパンフレットもあります。)
2021年08月12日 琉球守風のこうちゃん播守
三日月陣屋
国道179号線に道標有ります🧐現地、🚾見当たらずで無料駐車場が建物の裏に有ります🅿かなりの台数停めれますよ🤗
2018年09月17日 織田上総介晃司
三日月陣屋
陣屋前に駐車場があり数台停めれます。
演武場跡の石垣がある三方里山公園は陣屋の南西方向。
復原移築された陣屋表門は陣屋の南。三日月小学校の近く。
陣屋だけでなくそれぞれの遺構を見逃さないように。
2018年05月03日 石工集団穴太衆【兒】
三日月陣屋
三日月藩乃井野陣屋の表門は明治4年(1871)の廃藩置県でその役目を終え
1876年(明治9)年ごろに払い下げられ、西法寺(たつの市新宮町鍛冶屋)に移築された
長きに渡って西法寺の山門として使われていた旧三日月藩の陣屋表門が、約140年ぶりに、陣屋があった佐用町乃井野地区に移築復元され、5月1日にその完成セレモニーがありました
表門は藩士の居住地区にあり、古くは総門とも呼ばれ、藩主の参勤交代も通ったとされ、移築された表門は1773年(安永2)年に再建されたものとみられ、総ケヤキ造りで幅約6・8メートル、高さ約4・1メートル。小藩大名の陣屋表門は全国でも残存例が少なく、陣屋建築の実例として貴重な建物です。
2012年12月03日 銀英5ロイエンタール左近衛少将
三日月陣屋
中の見学は土日祝日で平日は休館です、リア攻めの際にはご注意を。
2011年08月11日 摂政M三郎
三日月陣屋
三日月陣屋は、津山森家転封に伴い、1700年頃に完成した近世陣屋です。陣屋は、山を背に設置され、往時には前面を巡る志文川を外堀とし、その間を郭内と称して家臣の屋敷を密集させ、陣屋正面の登城路には、郭内入口に桝形、中程に表門と堀を設け、防御性を確保していたようです。現在は、陣屋前面の堀発掘を機に、他に移築された物見櫓と長屋が戻され、楼門や橋も復元された姿に往時が偲ばれます。私がこの陣屋に惹かれるのは、森家の築城と言うことで、大好きな津山城とどこか面影が重なるからなのでしょうか
三日月陣屋の周辺スポット情報
復原陣屋表門(遺構・復元物)
物見屋(遺構・復元物)
通用御門(遺構・復元物)
長屋(遺構・復元物)
三日月藩藩邸(遺構・復元物)
御殿跡(遺構・復元物)
水堀(遺構・復元物)
通用御門橋(遺構・復元物)
石垣(遺構・復元物)
乃井野中之武家屋敷群(遺構・復元物)
中御門(遺構・復元物)
中御門橋(遺構・復元物)
武家屋敷-小林邸(遺構・復元物)
武家屋敷-竹内邸(遺構・復元物)
三方里山演舞場跡石垣(遺構・復元物)
陣屋表門説明板(碑・説明板)
周辺案内所(碑・説明板)
説明板(碑・説明板)
徳久城(周辺城郭)
日岡八幡神社(寺社・史跡)
列祖神社(寺社・史跡)
駐車場(駐車場)
徳久城登城口(その他)