上月城(こうづきじょう)

上月城の基本情報

通称・別名

太平山上月城(前期)、荒神山上月城(後期)

所在地

兵庫県佐用郡佐用町上月

旧国名

播磨国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

なし

築城主

上月景盛

築城年

延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)

主な改修者

主な城主

上月氏、赤松氏、尼子勝久

廃城年

天正6年(1578)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

福原城(兵庫県佐用郡)[3.4km]
福城(岡山県美作市)[6.1km]
飯盛山城(岡山県備前市)[8.4km]
白旗城(兵庫県赤穂郡)[9.1km]
利神城(兵庫県佐用郡)[9.3km]

上月城の解説文

上月城(こうづきじょう)は、兵庫県佐用郡佐用町(旧上月町)にある日本の城(山城)跡である。

沿革
延元元年(1336年)、赤松氏の一族・上月景盛(こうづき かげもり)によって築かれた。嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱により、赤松満祐に加担した上月景則(かげのり)やその甥・上月景家(かげいえ)らが幕府軍の追討を受け、上月氏の嫡流は滅亡。

以後、山名氏・赤松氏の攻防が繰り広げられ、弘治3年(1557年)、赤松氏から一門の赤松政元が置塩城から入城した。その子・赤松政範は、佐用・赤穂・揖東・揖西・宍粟の五郡を領し、「西播磨殿」と呼ばれたが、天正5年(1577年)、織田信長の武将羽柴秀吉の攻撃を受け、落城した。その後は宇喜多直家に属していた上月景貞(かげさだ)が入城するも同じく秀吉の攻撃と配下の江原親次の謀反によって落城し、尼子勝久ら尼子党が入った。翌天正6年(1578年)、毛利輝元が率いる大軍に囲まれ、救援の羽柴秀吉も三木城攻略のため撤退、孤立した尼子勝久は毛利氏に降服し自害した。この時、山中幸盛(鹿介)も捕らえられ備後国鞆に移送途中、備中国高梁で誅殺された。その後、上月城は廃城となった。

現在は土塁・石垣・空堀などの遺構が残る他、本丸に赤松氏の供養塔、麓には尼子氏の供養塔が残されている。

上月城の口コミ情報

KAZ大蔵卿正勝さん[2019年03月26日]
続き…
主郭の供養碑にご挨拶して今度は峰の
曲輪を移動して下山道側の堀切までは
5分ぐらい…
上月城は西側以外は意外と急斜面!
やぱ!こっちの峰から攻めるよなーって
僕でもわかるのでこっち側の堀切は凄い!
特に、堀切からの竪堀は…
ひょえー(((o(*゚▽゚*)o)))って感じです!
んで、遊歩道途中に看板があるので
別れて下山ですが、こっち側の方が
登りより急斜面で注意が必要です。
駐車場側の供養碑まで約15分ですが
投稿写真にある様に途中の道が雨で
崩れてました。(>_<)
通れない事は無いですが舗装路が見えたら
そっちに向かう方が無難だと思います。
最後に…
歴史資料館の情報をだれかプリーズ!
(=゚ω゚)ノ

KAZ大蔵卿正勝さん[2019年03月26日]
ゆーめーな合戦があったお城なのに…
口コミがゼロっすか!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
って事で!一番槍いただきまーす(^O^)/
国道373号からの入り口は看板があるので
わかりやすいと思いますが、普通車1台分
しかない細い道です。
直進300mで上月歴史資料館が駐車場に
なります。
資料館は土日祝日のみの開館でしたので
平日訪問の僕は入れませんでした。(T-T)
向かいの説明看板3枚の右手が登城口!
主郭まで380m登り約10分ぐらいですが
途中のベンチがあるトコが休郭との事
帯曲輪っぽい工作地が確認出来ます(^-^)
その先の堀切では看板があるのでわかりやすいっす(^O^)/
主郭でも説明看板があるし、秀吉軍の高倉山方向や毛利軍の布陣もわかりやかったです。(^O^)/
やっぱ!木の葉が無いとイイっすね!
夏は周りの山とかが見づらいかもです
σ(^_^;)

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