利神城(りかんじょう)

利神城の基本情報

通称・別名

雲突城、平福城

所在地

兵庫県佐用郡佐用町平福

旧国名

播磨国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

型式不明[3重/1606年築/破却]

築城主

別所敦範

築城年

貞和5年〔北朝〕/正平4年〔南朝〕(1349)

主な改修者

池田由之

主な城主

別所氏、宇喜多氏、池田氏

廃城年

寛永8年(1631)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(利神城跡)

再建造物

周辺の城

福原城(兵庫県佐用郡)[6.0km]
三日月陣屋(兵庫県佐用郡)[7.9km]
竹山城(岡山県美作市)[8.6km]
上月城(兵庫県佐用郡)[9.3km]
福城(岡山県美作市)[11.9km]

利神城の解説文

利神城(りかんじょう)は、播磨国佐用郡平福(現在の兵庫県佐用郡佐用町平福)に存在した日本の城(山城)。平福は朝霧の名所であり、江戸時代初期には天守がありその姿が霧の上に浮かんだ偉容から雲突城とも呼ばれた。

概要
因幡街道の宿場町として栄えた平福宿の北東に位置する利神山(標高373m)山上にある連郭式の山城である。最高所に本丸があり、本丸を中心に南側に二の丸、更に南の下った場所に馬場、北東に鴉丸、西に大坂丸、西側のずっと下ったところに三の丸が配されていた。

平成29年10月13日、国の史跡に指定された。

歴史
南北朝時代の貞和5年、正平4年(1349)に赤松氏一族の別所敦範によって築城された。赤松氏の居城であった白旗城の北の守りとしての役割を成していた。嘉吉元年(1441)に起こった嘉吉の乱によって赤松氏と共に別所氏も一旦は滅亡した。その後、文正元年(1466)別所氏後裔の別所治定が城を奪回した。

戦国時代に入り織田信長家臣の羽柴秀吉が中国攻めに進攻すると時の城主別所定道は羽柴氏に恭順の意を示した。病弱な兄に代わり城主となった林治は本家筋にあたる三木城主別所長治が織田氏に反旗を翻すとこれに従った。このため、天正6年(1578)織田方に属していた上月城主尼子勝久と家臣の山中幸盛に攻められ落城した。同年、上月城が毛利氏に攻められ落城すると、利神城は毛利方に属していた宇喜多直家の所有となった。宇喜多氏はその後、羽柴氏に従ったため慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いまで宇喜多氏の所有であった。宇喜多氏は西軍主力であったため改易となった。

関ヶ原の戦いの後、播磨には池田輝政が入封し、慶長6年(1601)輝政は甥の由之に平福領2万2千石を分与した。この地に入封した由之は5年の歳月を要して城を大改修した。三重の天守を構え、曲輪を全て石垣で築き回廊で結んだ。また、山麓に城主屋敷、武家町、街道沿いに町人地を設け城下町を整備した。城を見た輝政はその豪壮さに驚き、江戸幕府の警戒を恐れて天守の破却を命じたとされる。由之は慶長14年(1609)に備前国下津井城の城番として転出し、この時点で三重天守など主要建造物は取り壊されていた。元和元年(1615)輝政の6男輝興が2万5千石を与えられ平福藩が立藩し城主となった。

寛永8年(1631)輝興は兄の政綱が継嗣無くして死去したことにより赤穂藩を嗣いだため、平福藩は廃藩となり利神城も廃城となった。以後、この地には旗本松平氏の所領となり宿場町の一角に代官の陣屋が構えられた。

平成27年度から石垣の修復や城址の整備などに取り掛かる

御殿屋敷跡
佐用豪雨の復旧と調査で、礎石・掘立建物・堀などの遺構の他、瓦や陶磁器などの生活遺品を発見した。
...

利神城の口コミ情報

織田大宰大弐晃司様[2017年10月15日]
利神城及び平福散策の起点は道の駅になります。
第二駐車場にある利神城展望台から天守丸を眺め、利神城北側に車で移動。
途中までは歩きやすい山道ですが、城跡に近づくにつれ険しくなり足元に注意が必要です。

石垣は孕んだり湾曲して崩落の危険があるので登山は控えるよう忠告してます。
ですから登山は自己責任で。

2017/10/13国史跡の登録を受け、整備されるようになります。そうなると立入禁止になります。

整備によって見違えて見事な城になるか、ガッカリ城になるか気になりますが、前者になるよう願います。

道の駅で鹿肉コロッケを食べました。

まるき〜淡路守高田純次様[2017年10月14日]
利神城跡の北側から行けた林道はすこーし昔までバスが上がっていたらしいです、今は無理ですが…

10月13日(昨日)めでたく国指定文化財になったそうですよ。
・:*+.\(( °ω° ))/.:+

ひとりもんの副将軍様[2017年08月16日]
口コミにある南ルートから夏の利神城に登ってきました。登りは写真を撮りつつフレッシュな蜘蛛の巣を払いのけつつで30分、下りは落ち葉に気をつけつつ20分。
尾根筋は下草も少なく快適でしたが、城内に入ると樹木のないぶん下草が繁茂しており、虎ロープが隠れてしまっている箇所もありました。夜露でスニーカーはビッショリ。なぜか各虎口をクマンバチが守備していて手強かったです。
汗ビッショリの登城になりますが、登城口そばの川端風景に癒され、車中泊もさせてもらった道の駅で涼む事もできます。
いつか整備されたら再訪したい城です。

石工ファミリー北陸旅様[2017年04月16日]
佐用町の利神城を国史跡にしようと、同町は今年度から本格的な調査に乗り出したそうです、城跡は長年放置されてきたため、遺構の石垣が崩れるなどしており、対策は急務、私的には天空の城として人気を集める国史跡の山城 竹田城跡にも劣らぬ城跡で史跡指定で整備が進めば少子高齢化や過疎化に悩む町の観光の起爆剤となるはず、山の麓には城主や重臣らの御殿屋敷跡も残ります、町では昭和58年に山頂の一部を町文化財に指定しましたが、その後はほぼ放置された状態が続き長年手入れがされていないため、石垣の一部は崩落の危険があり、同町や警察は登山をしないよう呼びかけてます整備しようにも、石垣の修復だけでも億単位の予算が必要で、同町単独では整備は困難なため、国史跡の指定を受けることで、国からの補助を受けて整備を進めたい考えだそうです、町は今年度から本格的に国史跡に向けた申請の準備を進めているそうですしかし、史跡指定に向けては約100人に上る山の所有者の同意が必要で、史跡指定は早くても3年後だそうです、国史跡になり整備が始まると数年は登城が出来なくなるので、登城は自己責任で大変危険ですが、登城するなら今がチャンスです

可児おじさん正木丹波様[2017年03月24日]
一番槍画像になっている「利神城由来記」の解説板は、平福の駐在所の向かいにあります。ただし、経年劣化によりかなり黒ずんでいます。
また、平福は宮本武蔵初決闘の地としても知られています。金倉橋には碑も設置されていますので、お見逃しなく!

可児おじさん正木丹波様[2017年03月19日]
以下、リアル攻めの参考になればと思い、記します。
道の駅から天守まで、南ルートで道中の写真を撮影しながらで30分弱でした。
まず、6回のジグザグ→急登→フラットな道→やや急登を終えると石垣群の絶景が眼前に広がります♪
ちなみに、急登箇所のトラロープはルートぎりぎりに張られているので、登りも降りもトラロープを越えないようにすれば、ルートを見失うことはないと思います。
本丸&天守の転落危険箇所には基本的にはロープが張られていますが、その他の場所でも浮石に注意するほか、自撮りする際は背後のスペースを常に確認すべきです。
また、降りの際はスピードが出過ぎて転倒しないように細心の注意が必要です。
この城に挑む資格は「自己責任という言葉の意味を理解できる人」であり、この城に必要なスキルは「五感を研ぎ澄ませること」だと思います。

フー甲斐守様[2015年05月31日]
利神城登城考えて今回は見送りました。
先人の方々が仰るように軽く登れる城ではなさそうです。
体力には自信がある方ですが、涼しくなったら、充分準備して又見に来ます(^o^)
今回は道の駅から遠景を観て満足(^o^)

明石伊勢守10/28丹波様[2015年05月23日]
梅雨の時期や初夏〜夏場にかけては登らないほうが絶対いいです。途中までは難なく歩けますが、道が整備されていない急斜面では路面状況最悪です。滑落の危険あり。それに石垣部分は崩落の可能性が高く、いつ崩れてもおかしくない状況です。ブッシュや下草が伸び放題なので足元がおぼつかなく、よく見れば踏み出そうとした足先がすぐ切り立った崖だったりします。冗談ではなく、もし登るなら自己責任ですが、生命保険掛けてから行くことをお勧めします。

石工ファミリー北陸旅様[2015年05月05日]
利神城登城して来ました、登城コースは北側から鴉丸に出るコースと南側の線路下から登城して三ノ丸に出るコースがありますが、私は北側のコースにしました、北側は車で(軽四)ですが城跡手前400mぐらい
まで行けて突き当たりは広く車両も3〜4台ぐらい停めれます道は悪路で斜面の崩落が有ります、登城するなら気をつけてくださいね

まるき〜淡路守高田純次様[2015年05月04日]
先ほど登城しました!
城に行くと言うよりも登山です、軽く考えて行く様な所ではありません
特に雨降り、後は地面が滑って滑落の危険大です。山登りの経験が無い方はやめておいた方が無難かと…必ずトレッキングシューズや手袋、それなりの格好、両手が使える状態が望ましいです
城跡、石垣自体、いつ自分に向かって石が落ちてくるか心配になるくらいの崩れっぷり!着いてからも油断は禁物で緊張の連続
ただ、山頂から見る下の景色は良い。

友弥様[2015年02月16日]
20150215
現地で問い合せ。近年転落事故等が何件かおきており、佐用町行政としては登城禁止。
自己責任にて登城可。
登ってみました。
石垣の崩壊、膨張のある付近は注意。縄張りを隅々まで回るなら転落注意。
山歩き用の靴推奨。

石工ファミリー北陸旅様[2014年09月14日]
利神城は現在自己責任で登城可能、現地駐在所のお巡りさんに聞いたら最近転落事故があったとか登城するなら無理をしないの事(9月14日)

はせちゃん弾正忠様[2012年10月05日]
10/13、発掘調査現地説明会が実施される見込みです。
まだ、詳細な情報が入ってこないですけど

壱岐守重然様[2012年07月17日]
自分は今年の5月登頂しました。前記ポリタンクさんと同じ南側です。途中までは歩きでも可能ですが、本丸間近の虎ロープ付近がとても危険です。とても、スニーカーでは心もとなく、入口となる搦め手だった門の石垣は崩落間近です。
自分は大山登山後、その装備を活用して、万全を期しました。
整備を待ちたいところですが、予算がないこと、町が乗り気でないため、かなり厳しそうです。

ポリタンク大和守様[2012年07月17日]
数年前に訪れました。

城内で虎ロープが引っこ抜けたりしました。虎ロープに体重を預ける前に必ず引っ張って確認していたので事無きを得ましたが、危険なのは崩れた&崩れかけの石垣だけではありません。

北からもアプローチ可能ですが、土砂崩れあり、足を踏み外したら大怪我では済まないかもしれない箇所ありでとてもお奨めできません。南からですと、最後は虎ロープ頼みの直上です。

魅力的なお城なのですが、どうしても訪れたい場合は相応の覚悟してください。既に口コミにて紹介のあった警告看板は伊達ではありません。

ひろり様[2012年07月16日]
20120716 晴天
現在、登城口には
「城郭の一部が破損し、大変危険な状態になっていますので登山しないで下さい」
との看板が設置されています。
道の駅ひらふくから望めますので、今は我慢〃〃。

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