感状山城(かんじょうさんじょう)
感状山城の基本情報
通称・別名
- 瓜生城
所在地
- 兵庫県相生市矢野町瓜生、森
旧国名
- 播磨国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 瓜生左衛門
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- 赤松氏時代
主な城主
- 瓜生氏、赤松氏、岡氏、赤松氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、礎石、井戸跡
指定文化財
- 国史跡(赤松氏城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
白旗城(兵庫県赤穂郡)[7.1km]
城山城(兵庫県たつの市)[7.2km]
大嶋城(兵庫県相生市)[8.3km]
鴾ヶ堂城(兵庫県赤穂市)[8.4km]
龍野城(兵庫県たつの市)[8.7km]
三日月陣屋(兵庫県佐用郡)[12.4km]
楯岩城(兵庫県揖保郡)[15.0km]
上月城(兵庫県佐用郡)[15.6km]
福原城(兵庫県佐用郡)[15.7km]
山崎城(兵庫県宍粟市)[15.7km]
感状山城の解説文
[引用元:Wikipedia「感状山城」の項目]
感状山城(かんじょうさんじょう)は、兵庫県相生市矢野町瓜生にあった日本の城。「赤松氏城跡」の一部として国の史跡に指定されている。
城名の由来
新田義貞の軍勢を50余日にわたり足止めをした功績により、赤松則祐が足利尊氏に感状を授かったことに由来する。
歴史
誰がいつ築城したかはっきりしておらず、いつ落城したかもわかっていない。
- 築城については以下の説がある。
- 鎌倉時代に瓜生左衛門尉が築城した。
- 南北朝時代の初期に赤松則祐が築城した。
- 落城については以下の説がある。
- 南北朝時代後期の新田義貞の播磨攻めの時に赤松則祐が焼いた。
- 1577年に羽柴秀吉の上月城攻めの時に落城した。
周辺
- 羅漢の里
- 瓜生羅漢石仏(十六羅漢)
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感状山城の口コミ情報
2024年10月22日 ロッジヒロ
下土井城[感状山城 周辺城郭]
感状山ガイドツアー終了後にご厚意で案内して頂きました。雲龍山明専寺の駐車場に留めさせて頂きました(もちろんツアーの方はお寺の方にご了承得て)。矢野川保育所(廃校)を右手に見ながら約100m先の二股を右手に進み、突き当たり一般ご家庭の家とお墓の間の塀沿いに上がります。獣避け柵を開けて登ります。現地案内図等はありません。足場は悪いのでお気をつけを。15分くらいで細長い郭に着きます。両脇の何段もの帯曲輪?も見どころです。突き当たり近辺からロープを伝って下がり堀切を見学。岩盤を削っての竪堀横堀は迫力満点です。思わず「お〜、すげぇ〜」と声が出てしまいます。もっと整備されて知られて良い城ですが自治体から予算は出ないらしく…勿体ない。ぜひ感状山城に行かれたときはセットで行かれてみてはいかがでしょうか。オススメです。
2024年03月20日 白柴宮内少輔真城
感状山城
足利尊氏軍と新田義貞軍が合戦して西へ落ちる尊氏を助けた赤松円心に感状をたまわったことに由来するとお聞きしました。室町時代の石垣、曲輪群や礎石、井戸などが残って見応えのある山城の遺構でした。
2023年10月10日 石
感状山城
ガイドツアーに参加させてもらいました。自分だけでは見れなかった所を説明をききながらよく見て回れました。石垣、曲輪、井戸はしっかり残っていて見応えあると思います。マップを見ながら主なルートを行くといいと思いますが、やはり山ですので足元に気をつけながら楽しんでください。
2022年10月17日 真田
感状山城
片道35分くらいの登城道で、途中までは階段で整備されていました。標高301mの曲輪まで行くと下山道があり、登って来た道ではなく、くるっと回るようになっていて、途中からまた階段のところに出てきました。景色もよく、良い眺めでした。
2022年05月15日 竹中播磨守じゅん兵衛
感状山城
羅漢の里の駐車場付近から登城、途中までよく整備されて登りやすし。羅漢バーガーはほんのり甘い柚子風味で美味しいです、御城印も購入できます。
2022年04月09日 RED副将軍
光明山城[感状山城 周辺城郭]
山岳寺院を転用したと云われる巨大山城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
1336年に赤松円心により築城され、家臣の海老名景知が入城したと云われています。
その後も赤松氏一族が在城しました。
しかし、羽柴秀吉の中国侵攻の際に落城した様です。
見所
あまり整備はされておらず、城域もかなり広いです。大きく西の城と南の城に分かれており、特に城域南西部は大規模な横堀、土塁、竪堀が良好に残っておりました。
至るところに堀切や土塁、畝状竪堀が確認できます。
林道開通により遺構の破壊が残念です。
楽しめるのは山城上級者向けの巨大山城です。
林道が城域を縦断しており、車で行けなくも無いですが、林道はガレ場の様に石が転がる悪路であり麓から徒歩で登りました。
山頂部が主郭では無いのでご注意ください。山頂から西の林道沿いが城郭主要部となります。
城域も広いので4時間程度山中を歩き回りました。
2022年01月11日 織田上総介晃司
感状山城
羅漢の里の感状山登城口近くに駐車場があります。登城口に縄張り図がありますので撮影していつでも見れるようにしてください。
つづら折れの階段道を登ると物見岩へ行く正規の登山道と大手門へ行く細い道があります。大手門から直上して登山道と合流するようになりますが、それでも大手門へ行く価値はあると思います。
2021年12月27日 RED副将軍
感状山城
播磨国守護 赤松氏の総石垣の山城🏯
オススメ度 ★★★★★
鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって築城されたと言われています。
その後、室町時代に守護赤松氏の支城となり、1336年には新田義貞軍の進攻に対し、赤松則祐が防戦した戦功により足利尊氏から感状を授かったと伝わり、感状山と呼ばれる由来となっています。
戦国時代は、宇喜多氏がこの地を支配しており、総石垣は宇喜多氏による改修と考えられています。
見所
南曲輪群の石垣。自然の尾根を利用して、六つの削平地が階段状に続く。大手からの敵の侵入を防御。
II曲輪の西側面の石垣。元は総石垣造りであったのか崩落の痕跡が多数。
搦手門側の井戸跡。主郭から西側尾根筋の北曲輪群を越え、更に南方に下る。大手側と違い枯れている。
倉庫跡からの出曲輪。城内最大の平坦地であり搦手に続く。礎石の様な石が規則的に点在。
2021年07月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
下土井城[感状山城 周辺城郭]
下土井城は感状山城の南西約4.3km、標高129mの山塊山頂に主郭が存します。西麓の兵庫県道449号線からの比高は90m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。が、取り付き場所が判らないと思います。とりまお城の西北麓へ向かい、県道から分岐する私道に入りましょう。私道を少し進んだ所に獣柵ゲートが2箇所付いてますので、車を捨てたらお山の方をよく目を凝らして探して下さいまし。ゲートからは北側へ巻く感じで進み、椎茸栽培の放棄地にぶつかったら尾根を目指して登りましょう。堀底道(これ城郭遺構じゃないのかな。)が案内してくれます。尾根上に出たら南側へ進めばとんでもない三重堀切があなたの到着を待っています。
築城年代は不明ですが、築城者は岡豊前守光国と伝わり、光国は文永四年(西暦1267年)、矢野荘の地頭職としてこの地に入部しました。岡氏は戦国時代には宇喜多氏に従い、以後関ヶ原の戦いまで城主でした。
お城は凄かったさ〜城友さんの口コミで存在を知ったんですが、コンパクトな縄張にがっつり堀切、竪堀、横堀を岩盤層に穿ち、その切れ味は今でも健在、三重堀切は言わずもながだけど、主郭から南側谷側斜面を二重堀切、南西側谷側斜面を堀切でぶった斬り、これらを横堀で連結するという変態ぶり。これに+される竪堀も凄い!凄い!「ふぁ〜(かずりの賛辞における最大級の感嘆詞…)」としか言えなくなるわ〜又、帯郭状の腰郭には大き目な穴(西播磨ではポピュラーな遺構なんでしょか。)があったり畝状竪堀なんかも確認出来たりします。
訪ねた際は恐れていた事が現実に…凄まじい日光の強さで写真が壊滅、たぶん150枚位撮ったんですが130枚位は削除しました。同じ様な写真ばかりですが、自分には逆光シルエットを狙うしか上手な方法が無くて…関東者には中々行けない西播磨のお城ですが、必ず写真撮り直しに再訪します!てか何回来てもよいとさえ思っている…感状山城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし!
2021年06月07日 ( *¯ ³¯)っ旦
感状山城
車が無い方のリア攻め方法
JR「相生駅」下車、改札口を出て左手側へ
バス停1番乗り場で「Spring 8」行きに乗り
「瓜生東」バス停下車
アプリ(iPhone)では一般道の山の下へ案内してくれます。当然、登り口はありません。バスを降りたら、車の方もですがナビを「羅漢の里」に設定します。
バスの道路を直進しますと「V」字型の超大回りになりますので左手側の村の中を突っきっります。
「羅漢の里」からのコース
車だと十分な駐車場も有ります。
平日はやっていないと思いますが其処で作っている窯焼きパン、食事するところもあります。
縄張り図を忘れても「羅漢の里」から城への丸太階段登り口に縄張り図の書かれた看板がありますので、それをスマートフォンで撮り「お気に入り」とか、いつでも見れるファイルに入れておくと便利です。
ヤマビルがいますのでマダニにも注意が必要かも知れません。
主に南曲輪群の先端、北曲輪群の段曲輪、大手門ですが、とりあえずこの城は格好良い石垣の写真を撮ろうとしたら突撃!落ち葉🍂の中!になりますので注意です。
I曲輪では煽った写真を撮ろうと低い所に降りると足場が斜めのところは滑りやすく、雨後だと崩れやすいです。
井戸のある方面も北曲輪群からIII曲輪にかけても所々に石積みが残っています。
2021年01月17日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
下土井城[感状山城 周辺城郭]
兵庫県の相生市にある下土井城☆ 矢野川と小河川が合流する場所の標高129mの山に位置します☆感状山城の南西側となります☆別名を岡城・太田林山城とも呼びます☆地元の方に聞いてみたら岡城と呼んでました♪
赤松氏の家臣で代々岡氏の居城となります♪戦国時代には宇喜多氏に従い関ヶ原合戦で西軍に属して改易となってしまいました☆
連郭式山城は北東、南西に向かい伸びてます☆主郭部を南西側の最高所に構え主郭の南側にくの字型の二重竪堀、西側にコノ字型の竪堀を形成します☆主郭から北東に伸びる尾根は段を造りながら数段の郭とそれを隔てる三重の岩盤堀切で城郭を区画します☆連続畝状竪堀も薄いですが三条存り☆
築城時は感状山城の南側を守る支城として機能したのでしょう☆更に時代が流れるに連れて中世城郭へ改修が入って戦国期の山城の顔になったと思われます☆
登城口がイマイチ判りませんでした…
西側の斜面に張り付き直登しました☆
情報として入れておきます☆
2019年05月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
感状山城
眺めもとてもよいので未見の方は是非!
それにしても山城はこの時期何故かクマバチが多いですな、写真撮る時大変です。
2019年05月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
感状山城
お城には何か建てられてたんでしょか、崩落石に混じって所々に人為的な石列が確認出来ます。
2019年05月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
感状山城
陽の当たる南曲輪群の段曲輪に対して日陰ものの北曲輪群は素通りされそうですが、南曲輪群の段曲輪が石積があるおかげでかえってぼやけた印象なのに、こちらは純粋に土の段々を数段にわたって楽しめます。
2019年05月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
感状山城
写真では判りづらいですが、I曲輪の奥の方なんて段付きで萌えますねー
2019年05月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
感状山城
曲輪って感じですよね!岩盤層が露出気味だからエッジが微妙な曲線を描いていてとても素敵です。
2019年05月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
感状山城
でもこのお城の素晴らしいところはそれだけじゃなくて、技巧的な土の造作は無くても各曲輪の輪郭がはっきりと見てとれるところにあると思います。俯瞰図が自然と頭の中に浮かんできます。
2019年05月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
感状山城
一番よく残ってるのは南曲輪群のものでしょう。段曲輪に自然岩と一緒にデコレートされてます。
2019年05月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
感状山城
崩壊したものがほとんどですが石積がちらほら残ってます。これだけ石が採れる山ならそりゃ積んでみますよって感じです。
2019年05月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
感状山城
「かんじょう」と聞くと七号線とか八号線を連想してしまうのは東京人の悲しい性ですが、自分はあまり貰ったことのない表彰状の事ですね!これたしかに物見したくなる岩ですな。
2019年05月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
感状山城
合戦中ですが昨日行ったお城、感状山城なり。不思議な感じのする石積と自然岩が至る所にあってとても面白いお城でした。麓にある羅漢の里、里の店の親切なおばちゃんを俺は一生忘れない。
2019年04月04日 カーネル
感状山城
相生駅からspring8行きバスに乗り瓜生東で下車
バス停には、お城の案内はないので、適当に西へ歩くと、羅漢の里の道標があるので、これに従い北へ向かう
周囲がキャンプ地の様相になったところで、道がY字になり、ここに らかん石仏の道標の下に感状山城登山口とあるので、右に曲がり川を渡ります。2分ほど進んだところで右の階段を登り山道に入ります
登山道はつづら折りのため、緩く登れてありがたい。尾根に出て物見岩を越えるとⅢ曲輪は広く、出曲輪まで石垣がいたるところにあります
大手道方面に少し下ると、井戸跡があり水が満ちてました
元の道に戻り山道を登ると、南曲輪群は段丘曲輪が石垣で補強されていて圧巻。さらに先に進みようやく本丸
その北側を散策してから戻りました。時間があったので、八柱神社に寄り道してからバス停に戻ると、140分でした
2017年05月10日 和泉守チロ
感状山城
相生駅からバスに10分位乗り瓜生東で下車し、そこから徒歩で「羅漢の里」を目指して20分位で到着です。
バスは祝日に利用しましたが本数は1時間に1本、多い時間で2本位しかなかったと思います。
トイレは羅漢の里にあり、とても綺麗で水洗でした。
2016年10月03日 まるき〜陸中守
感状山城
登城口から整備された道を登り30分くらい?あまり下がよく見えない物見岩付近が頂上なのかな?と思っていたら更に奥がある。よくよく見るとあちこちに段差が付いておりかなりの広範囲で石垣が組まれている、
三(Ⅲ)曲輪から先は急なので鉄パイプで組んだ階段が付けられている、この先は軽〜く岩山歩きに…
二(Ⅱ)曲輪 そこより先南曲輪辺りから見えるのがメインの石垣?
しかしこの急な斜面によく石垣積んだな〜って感じで…積んだというより張り付けた?みたいな、元からある大きめの自然石の上に無骨に自然石を野面積み、所々石が落ち危険を感じるがそのワイルドな感じが見る人の気持ちを高ぶらせるのかもしれない…。 一(Ⅰ)曲輪、とても開けていて展望は良い、私はここで山コーヒーしましたd(^_^o)
標高は301.05m
今年の3月まであったパンフのBOXは老朽化のため撤去されています…
アプリにある問い合わせ番号に電話をすると相生市立図書館に繋がる、パンフ請求すると駐車場近くの「里の店」という売店に置いてあるとの事。しかしもらえるものはパンフ?のコピーしかありませんでした…。
2016年03月03日 まるき〜陸中守
感状山城
県道44号線を走ってると大きな看板があるのでわかりやすい
羅漢の里というキャンプ場の手前駐車場を目指して行くと良いです
少し先まで行き過ぎて着いた施設、羅漢の里研修センターのおじさんに感状山城までここから2時間かかると言われたので登城を諦めましたが先の口コミにある登城口のパンフだけでもと思い手前まで行きましたがパンフの入ったBOXはフタが壊れ、パンフも無し…
ただ、ここからの距離は550mとありホンマに2時間もかかる?と疑問と謎を残しています。
2011年04月02日 June02
感状山城
『こりゃ、すごいわ』荒石のままの野面積み石垣、そして石垣、さらに石垣。崩落箇所も多いのですが、それでも、感動です。
特に、二ノ丸と推測される曲輪は状態良く、素晴らしいの一言。
その写真をアップさせて頂きます。
また、この曲輪からの風景も物見岩から眺めるよりも美しく、居座ってしまいました。
北に本丸跡と推測される曲輪に、木碑があります。
登城口から城跡100m迄はかなり整備されていますが、城跡近辺には安定していない危ない石があるので要注意です。
でも、お勧めの山城です。