下土井城
下土井城([感状山城 周辺城郭])
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下土井城の口コミ情報
2024年10月22日 ロッジヒロ
感状山ガイドツアー終了後にご厚意で案内して頂きました。雲龍山明専寺の駐車場に留めさせて頂きました(もちろんツアーの方はお寺の方にご了承得て)。矢野川保育所(廃校)を右手に見ながら約100m先の二股を右手に進み、突き当たり一般ご家庭の家とお墓の間の塀沿いに上がります。獣避け柵を開けて登ります。現地案内図等はありません。足場は悪いのでお気をつけを。15分くらいで細長い郭に着きます。両脇の何段もの帯曲輪?も見どころです。突き当たり近辺からロープを伝って下がり堀切を見学。岩盤を削っての竪堀横堀は迫力満点です。思わず「お〜、すげぇ〜」と声が出てしまいます。もっと整備されて知られて良い城ですが自治体から予算は出ないらしく…勿体ない。ぜひ感状山城に行かれたときはセットで行かれてみてはいかがでしょうか。オススメです。
2021年07月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
下土井城は感状山城の南西約4.3km、標高129mの山塊山頂に主郭が存します。西麓の兵庫県道449号線からの比高は90m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。が、取り付き場所が判らないと思います。とりまお城の西北麓へ向かい、県道から分岐する私道に入りましょう。私道を少し進んだ所に獣柵ゲートが2箇所付いてますので、車を捨てたらお山の方をよく目を凝らして探して下さいまし。ゲートからは北側へ巻く感じで進み、椎茸栽培の放棄地にぶつかったら尾根を目指して登りましょう。堀底道(これ城郭遺構じゃないのかな。)が案内してくれます。尾根上に出たら南側へ進めばとんでもない三重堀切があなたの到着を待っています。
築城年代は不明ですが、築城者は岡豊前守光国と伝わり、光国は文永四年(西暦1267年)、矢野荘の地頭職としてこの地に入部しました。岡氏は戦国時代には宇喜多氏に従い、以後関ヶ原の戦いまで城主でした。
お城は凄かったさ〜城友さんの口コミで存在を知ったんですが、コンパクトな縄張にがっつり堀切、竪堀、横堀を岩盤層に穿ち、その切れ味は今でも健在、三重堀切は言わずもながだけど、主郭から南側谷側斜面を二重堀切、南西側谷側斜面を堀切でぶった斬り、これらを横堀で連結するという変態ぶり。これに+される竪堀も凄い!凄い!「ふぁ〜(かずりの賛辞における最大級の感嘆詞…)」としか言えなくなるわ〜又、帯郭状の腰郭には大き目な穴(西播磨ではポピュラーな遺構なんでしょか。)があったり畝状竪堀なんかも確認出来たりします。
訪ねた際は恐れていた事が現実に…凄まじい日光の強さで写真が壊滅、たぶん150枚位撮ったんですが130枚位は削除しました。同じ様な写真ばかりですが、自分には逆光シルエットを狙うしか上手な方法が無くて…関東者には中々行けない西播磨のお城ですが、必ず写真撮り直しに再訪します!てか何回来てもよいとさえ思っている…感状山城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし!
2021年01月17日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
兵庫県の相生市にある下土井城☆ 矢野川と小河川が合流する場所の標高129mの山に位置します☆感状山城の南西側となります☆別名を岡城・太田林山城とも呼びます☆地元の方に聞いてみたら岡城と呼んでました♪
赤松氏の家臣で代々岡氏の居城となります♪戦国時代には宇喜多氏に従い関ヶ原合戦で西軍に属して改易となってしまいました☆
連郭式山城は北東、南西に向かい伸びてます☆主郭部を南西側の最高所に構え主郭の南側にくの字型の二重竪堀、西側にコノ字型の竪堀を形成します☆主郭から北東に伸びる尾根は段を造りながら数段の郭とそれを隔てる三重の岩盤堀切で城郭を区画します☆連続畝状竪堀も薄いですが三条存り☆
築城時は感状山城の南側を守る支城として機能したのでしょう☆更に時代が流れるに連れて中世城郭へ改修が入って戦国期の山城の顔になったと思われます☆
登城口がイマイチ判りませんでした…
西側の斜面に張り付き直登しました☆
情報として入れておきます☆