長水城(ちょうずいじょう)

長水城の基本情報

通称・別名

広瀬城、長水山城

所在地

兵庫県宍粟市山崎町片山

旧国名

播磨国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

赤松則祐

築城年

文和年間(1352〜1356)頃

主な改修者

主な城主

赤松氏、広瀬氏、宇野氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

山崎城(兵庫県宍粟市)[4.7km]
三日月陣屋(兵庫県佐用郡)[10.6km]
波賀城(兵庫県宍粟市)[13.0km]
利神城(兵庫県佐用郡)[13.7km]
城山城(兵庫県たつの市)[16.6km]
福原城(兵庫県佐用郡)[17.0km]
感状山城(兵庫県相生市)[19.4km]
置塩城(兵庫県姫路市)[19.5km]
龍野城(兵庫県たつの市)[19.6km]
竹山城(岡山県美作市)[20.1km]

長水城の解説文



長水山城(ちょうずいさんじょう)、または長水城(ちょうずいじょう)[1]は、兵庫県宍粟市山崎町片山・宇野の、標高584メートルの長水山山頂にあった日本の城(山城)。広瀬城(ひろせじょう)とも呼ばれる[2]

概要 

南北朝時代、宍粟を治めた播磨守護・赤松則祐が、文和年間(1352年-1356年)に築いた。

後に則祐の四男・広瀬師頼が城を受けついだ。この師頼が広瀬氏の祖とされ、その支配は4代まで続いたが、1441年(嘉吉元年)の嘉吉の乱の後は、城主が宇野氏へ変わった。宇野氏による支配は5代続き、宇野氏は長水城を本拠として長水山城を拡張した。1580年(天正8年)、羽柴秀吉による長水城攻めにより落城した。城主・宇野祐清(うのすけきよ)は、美作へ逃れようとしたものの千種で秀吉配下の蜂須賀正勝の率いる軍に追いつかれて討死した。

城跡 

山全体が山城跡となっている[3]。山頂の最高所に本丸、尾根に沿って南北に二の丸、更に南の尾根の先端に三の丸が配置されていた[4]。本丸の主郭部には、石垣が築かれている。現在も、曲輪、石垣、土塁、堀切などの遺構が残る。

真徳寺 

本丸跡の石垣の上には、2017年現在、日蓮宗真徳寺が築かれている。真徳寺は宇野氏の家臣の子孫である渡邉わき(渡辺日妙尼)が1934年に開いた寺で、渡邉が芦屋市に住んでいたある日に、長水山の合戦で亡くなった英霊を慰霊してほしいとのお告げを受けて建てたものである。山頂への寺の建立には、地元住民の協力もあった。二代目の住職も尼であった。1982年より渡邉わきの孫、2代目の子にあたる男性住職が三代目を務めている。檀家は持たず、祈祷や他の寺の手伝いで生計を立てている。電気は通じているが、水道は無いために雨水を浄化して使用している。食料品やガスは街で購入して背負って戻る生活を続けている。風呂は薪で沸かしている。大雪の日は街に降りることもできなくなるという。

所在地 

兵庫県宍粟市山崎町五十波1063

登山道 

大手口-伊水小学校の裏手に小公園あり、この公園奥から登城道 徒歩1時間。他に2つ登山道がある。

アクセス 

  • 鉄道
    • JR山陽本線 姫路駅より神姫バス山崎行に乗車、約1時間
  • 自動車
    • 中国自動車道 山崎インターチェンジより国道29号線経由兵庫県道429号岩野辺山崎線

特記事項 

  • 城がある長水山は、別名「ヒル山」とも呼ばれる。

参考文献 

  • 『日本城郭大系〈第12巻〉大阪・兵庫』( 新人物往来社、1981年) ISBN 9784404010568
  • 『日本の中世城館調査報告書集成15』(東洋書林、 2003年) ISBN 978-4887214460

長水城の口コミ情報

2023年11月04日 織田上総介晃司
長水城

五十波登城口より登城。(主郭まで1km・所要時間約30分)車で中腹まで進んでいるので距離は短いですが結構キツイつづら折りの道となってます。

五十波の駐車場までは舗装路ですが草や木の枝が道にはみ出しており、石や落葉が道路に散乱しているので、ボディを擦らないよう気を使いながら進みました。

ヒル山と呼ばれているので晩秋から冬にかけての登城がおすすめです。

宍粟を「しそう」とすぐ読める人は中々いないと思うほど難読地名です。「ししあわ」か「穴」や「栗」と見間違え「あなあわ」「あなぐり」「けつあわ」「けつぐり」などと読みそう…

2022年08月07日 竹中播磨守じゅん兵衛
長水城



城郭詳細マップのナビ通り五十波から林道ズイズイ進むと登城口発見、道はそこそこ歩きやすいですが急勾配キツイ。途中休みやすみ50分弱かけて制覇、汗だく必至ベンチで足から流血発見、ヤマヒルのやろうめ。駐車スペースそばのせせらぎはキレイで冷たくて気持ち良し。

2022年02月19日 巴
主郭[長水城  遺構・復元物]



標高584.8メートルの長水山山頂を中心に築かれた主郭。比高約450メートルの山上にこれだけの規模の石垣が築かれた城は珍しいと思います。また、城主宇野氏を弔うために建立された信徳寺(写真5枚目)が位置し、その背後に設けられた壇上(写真6枚目)に供養塔と不動明王が鎮座している(写真7枚目)。

2022年02月19日 巴
五十波(いかば)側 駐車場・登城口[長水城  駐車場]



林道入口には標識がありますので、ここを左折してください(写真一枚目)。道は狭く、待避所以外でのすれ違いはまずできません(写真二枚目)。また、冬季は凍結にも注意してください。

駐車場は充分なスペースが確保されているため、停められないといったことはまずないかと(写真三枚目)。駐車場奥に登城口があり(写真四枚目)、ここから東曲輪まで25分程です。

2022年01月09日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
長水城

先人様の写真の地図中にある「駐車場B」から登りました。他の2つのルートに比べて距離は長いですが傾斜は緩やかなところが多いので、脚に自信のない方にもお勧めです。比高は290mほど、60~75分くらいで着きます。
本丸跡の高石垣は見どころです。また二の丸跡からは周囲270度の眺望が楽しめて、篠の丸城跡もはっきり見ることができます。

2022年01月09日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
林道終点駐車場[長水城  駐車場]

大手(宇野側)でも搦手(五十波側)でもない、比較的緩やかな尾根道を上がるコースがあり、そこへの駐車場になります。
伊沢の里を過ぎてすぐ、右側の「長水山→」の表示に従って曲がります。そのまま林道法師ヶ谷線を行くと、終点に5、6台は駐められる駐車場があります。
道はきちんと舗装されていますが、路上には落ち葉が多いです。また、道幅が十分ではないので、対向車にはご注意ください(行き帰り共、1台も会いませんでしたが)。

2021年05月29日 ( *¯ ³¯)っ旦
長水城



伊水小学校の横から登るのにはかなりの勇気と用意が必要です。ゴロタ石の沢登りに近いので苔とかでも滑らない靴が良いです。ヤマビルもいるようですので半靴だとしっかりしたふくらはぎくらいまではある靴下を履きましょう。丸太階段も崩れていたりしますし、左右からも草が伸びてきている中を進む季節もありますのでマダニ対策も必要だと思われます。

私は途中挫折しました。ひょっとしたら登り口が間違っているかも知れません。私が登ったのは伊水小学校を正面に見て右手側にある「長水城登り口」と書かれた石碑がある所ですがホテル・レストラン「伊沢の里」の敷地内に登山道の看板があります。

ジュース自動販売機(送迎車用停車場なので車の場合、邪魔にならないように!)を背にして左斜め前に長水城登山道が書かれてた看板がありますが、その地図だと伊水小学校を正面に見て左手側から登ることになっています。

とりあえずお城自体は素晴らしいので「やまさきみんなの森」から登りますと登りやすいです。「やまさきみんなの森」は「伊沢の里」の地図には書かれておらず、地図の「県道429号」マークのところから二股に分かれていますが、二股に分かれた道で県道から外れて村の中の道に入りますと小さい矢印看板で「やまさきみんなの森」「長水山登り口」「この先400m」があります。地図で見ると小さい池(古池)のところです。

車で行かれると停めるところが無いので邪魔にならないようでしたら池の横とかに停めるしか無いと思われます。ジェイソンが出てきそうな雰囲気な池です。

2020年03月30日 RED副将軍
長水城



長水山のピークに位置する山城 。
ピークの主郭南に張り出す尾根上に二の郭、その先端の尾根上に南郭を並べた梯郭式の城郭。

オススメ度 ★★★★★

播磨国守護職の赤松則祐が築城。
赤松氏の守護代として播磨国西八郡を領した宇野氏の居城となりましたが、羽柴秀吉 による中国攻めにて落城しました。

見所
主郭の石垣は、標高584mの高所にこれだけの高石垣は圧巻です。上段部と下段部で積み方が異なるのは後世の改修です。

行き方は、旧伊水小学校の体育館裏からの登山道で登城しました。こちらが大手になります。
傾斜は比較的緩やかで山頂まで約2キロです。普通のペースで50分くらいと思います。しかし、登山道は水脈沿いの為、ぬかるんでいる箇所が多い上に、途中で足場が崩れてガレ場も長く続きます。
別名ヒル山とも呼ばれ、季節によっては山ビルにも注意が必要。
ミドルカット以上のトレッキングブーツとヒル忌避剤は必須でしょう。冬期の登城をオススメします。
中腹を過ぎると、巨石群が至る所に見られます。下山は下町の溜池に降りるルートを選びましたが、かなり遠回りで途中から完全に登山道が崩落し迷いそうになるのでお勧めできません。

2020年01月04日 木下近江守湖一郎
長水城

長水城跡と篠乃丸城跡を回りました。播磨を赤松氏が治めた時代は、両城は連携しており、長水城が本城だったそうです。
篠乃丸城の遺構は、土塁で囲われた本丸跡、段曲輪、横堀、うねうねの畝状竪堀、堀切と見どころ満載でした。城跡からは宍粟の街が一望でき、川の周囲に田園が広がる様子を観察できます。
段曲輪・畝状竪堀は、「the 山城」を楽しめるのですが、本丸ほど整備されていませんので、葉と蜘蛛の巣のない冬期の訪問をおすすめします。意外でしたが、遺構には赤松氏の後に治めた黒田官兵衛の手はほとんど入っていないとのことです。

オオスメルートは、
篠乃丸城跡探索 → 篠乃丸城跡と長水城跡の中間にある伊沢の里で、昼食(ボタン鍋焼きうどん) → 長水城跡探索 → 伊沢の郷で温泉
です。ボタン鍋焼きうどんは絶品でした。
また、ラジオ関西の「山崎整の西播磨の山城」を聞くか読んでから行くと遺構の見方も変わると思います。移動中も城を楽しめます。

2019年11月04日 内記かずりヾ(・ε・。)
長水城



長水城の登城路の一つ、南麓の宍粟市立伊水小学校側登城路入口は写真のとおりです。

このお城も小学校の裏山系の一つでして、丁度体育館の裏手の場所が写真になります。此処は駐車場になっていて、停めていいのか?たぶん停めちゃいけない場所なんだろうけど停めても誰も何も言わないよて感じの駐車場なので御自身の良心に従って下さい。ちなみに自分は3時間ぐらい停めてました。

コンクリート製の階段を登ると小学校に入ってしまいそうですが、正面の入口を無視して左へ曲がると木製の階段がありますのでそちらへ進みます。道が雑草で消えてますが臆せず行きましょう、登山道の標柱が控えめに確認出来ます。登山道を進むと獣柵にぶつかり、少し進むとガードレールのあるコンクリート道にぶち当たり「ありゃりゃ?」とか思いますが、間違ってはいないので安心して下さい。

このコンクリート道に出ると左手に怪しい尾根地形があって登って行きたくなりますが(浅い堀底道みたいなのが奥まで続いてる。)、進むと地獄を見そうなのでやめときましょう。ここは我慢してコンクリート道を選択して下さい。

登城路に入ると崩落石の嵐です。膝関節がすり減っている方は特に帰り道に膝をやられるので注意しましょう。捻挫の危険もあるのでアキレス腱をよく伸ばしておくと良いです、さもないと変な歩き方で下山するはめになります。

蛭山として有名なので季節を選んで登城して下さい。又、沢が流れているので虻や蚊に終始襲われる可能性があります。

お城の遺構は山頂付近に集中してますのでとりま一気に登りましょう。途中に滝とかベンチとかありますが、ひとつも心休まないので無視して登って下さい。道は荒れまくっていたり、崩落している箇所もありますが、慣れた方なら苦にはならないでしょう。

山頂付近は正にお宝!今までの苦労が報われます。ただし前知識がないとびっくりするのでお城の詳細を読んでおいて下さいまし。



2019年05月27日 天道式部卿早雲
五十波(いかば)側 駐車場・登城口[長水城  駐車場]



5台ほどの駐車スペース
 ここから徒歩30~50分程です。

2019年03月05日 みず
長水城

車以外で行かれる方へ

山崎バスターミナルでレンタサイクルあります。必ず身分証明入ります!(無料)バス利用の方は、西五十波停留所下車バス停近くに『長水城登山口』という案内板ありますのでそのまま山へ向います

途中で左折(ここも案内板あり*小さいので要注意)そこから林道になります。何ヵ所か分岐点ありますが無視して突きあたりまで歩きます。西五十波バス停から登山口まで約30分登山口から城跡まで30-40分です

2017年10月12日 権中納言みきを
長水城

伊水小学校の近くに登山道入口の石碑があったので、そちら側から向かいました。
石碑のある道路は小学校裏まで続いており、道を最後まで歩いていくと登山口があります。(途中簡単に開けられるフェンスがあります)
登山道は結構荒れていて、滑りやすいところもありますので、注意してください。
山頂が城域で、主郭の石垣と山頂からの景色が素晴らしいです。

2017年05月28日 石工集団穴太衆【兒】
長水城

築城年代は定かではないですが文和年間頃に赤松則佑によって築かれ 家臣に守らせ、後に赤松氏の守護代として最盛期には播磨国西八郡を領した宇野氏の居城となり宇野氏は毛利氏と通じて、中国地方へ進出した羽柴秀吉と対峙したが天正8年に攻められ落城 、 城は長水山山頂から東の尾根先さらに北側へと曲輪を配した本丸、山頂から南方の尾根に二の丸、さらに南東に伸びる尾根に三の丸を配し、本丸の山頂部には信徳寺がありここの石垣は城郭遺構だそうです、ここから東へ伸びる尾根には民家が建てられその部分にも石垣があり東尾根を降りた先から北側へ向かって曲輪が数段あり二の丸方面は尾根を一旦降って登った所に曲輪があり、三の丸は南東に伸びる尾根にあり本丸へ戻って生谷方面へと降りて行くと行けそうです三の丸は根元に堀切があり、二の丸同様平坦面が段々と並ぶ段曲輪あるそうです、今回の登ったのが五十波方面からでこちらが搦手口だそうです登城口道は整備されており30分ぐらいで本丸部分に到着、大手側は伊水小学校から登城出来るそうです、季節によっては蛇や獣類、また山ビルがいるそうです、服装には注意をして登城して下さい




2014年06月17日 日光人
長水城

大手道(伊水小学校裏手)は砂防工事の為、工事車両の往来が多く登城が困難かと思われます。
登城の際は搦手道の五十波を利用されたし。
工事期間はH27.3末日となっておりました!

2013年08月31日 北川幸人
長水城

国道29号の五十波交差点にフォトギャラリーの案内標識があります。長水山登山口の案内板に従って林道を進むと、終点に長水城跡1㎞の案内と 戦国の知将黒田官兵衛ゆかりの地 宍粟 ののぼりがあり、数台分の駐車スペースがあります。徒歩30分位で山頂に到着。山頂部には、信徳寺というお寺があり、本丸の石垣の上に本堂が建っています。

長水城の周辺スポット情報

 主郭(遺構・復元物)

 南郭(遺構・復元物)

 宇野構(周辺城郭)

 五十波構(周辺城郭)

 五十波(いかば)側 駐車場・登城口(駐車場)

 宇野側登山口駐車場(駐車場)

 林道終点駐車場(駐車場)

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