置塩城(おきしおじょう)

置塩城の基本情報

通称・別名

藤丸城、小塩城

所在地

兵庫県姫路市夢前町宮置字城山

旧国名

播磨国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

不明

築城主

赤松政則

築城年

文明元年(1469)

主な改修者

主な城主

赤松氏

廃城年

天正8年(1580)

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

国史跡(赤松氏城跡)

再建造物

石碑

周辺の城

恒屋城(兵庫県姫路市)[4.1km]
坂本城(兵庫県姫路市)[6.2km]
姫路城(兵庫県姫路市)[9.4km]
楯岩城(兵庫県揖保郡)[11.4km]
御着城(兵庫県姫路市)[12.8km]
英賀城(兵庫県姫路市)[13.8km]
小谷城(兵庫県加西市)[13.9km]
龍野城(兵庫県たつの市)[14.0km]
善防山城(兵庫県加西市)[14.4km]
城山城(兵庫県たつの市)[14.5km]

置塩城の解説文



置塩城(おきしおじょう、おじおじょう)は、兵庫県姫路市にある日本の城(山城)。国の史跡に指定されている。

概要 

姫路市夢前町宮置、糸田にある標高370mの置塩山にある山城で姫路市の中心部の北10kmに位置し、北から南に夢前川が流れ、川沿いに播但街道がある要所に築城された。旧夢前町(現在は姫路市に吸収合併されて消滅)が国の史跡指定を目指した調査を実施した。1996年3月28日に白旗城跡、感状山城跡と共に「赤松氏城跡」の名称で国の史跡に指定された。

歴史 

  • 文明元年(1469年)、標高370mの城山に赤松政則が築城した。以後、赤松氏の居城となる。
  • 天正5年(1577年)、赤松則房の時、播磨国に侵攻してきた羽柴秀吉(豊臣秀吉)に降伏。
  • 天正8年(1580年)、秀吉の城割令によって廃城となり、建物や石垣は解体して姫路城に移された。なお、現存する姫路城の「との一門」は、この時移築されたものといわれている。

城主五代

置塩城は、築城してから城割(破城)までの約100年間に、赤松氏五代にわたって城主が変わった。

一代目 赤松政則
政則の播磨国入国には管領細川勝元の力添えがあり、当初は国衆にも歓迎されたので、播磨国・備前国・美作国の三国の守護に返り咲くことができた。しかし、当時の国衆は全国的に力が強く、三国を完全に統一することはできなかったようである。政則は明応5年(1496年)4月25日に42歳で逝去した。
二代目 赤松義村
政則に子はあったが、政則自身は赤松氏でも傍流の出身だったので有力一門の七条家から迎えた養子の赤松義村が二代目城主となった。義村の後見には守護代として浦上村宗が就いた。しかし、村宗は守護代の地位を利用して実権を握り、それに反発した義村を戦いの末屈服させ、大永元年(1521年)には幽閉し、暗殺した。
三代目 赤松晴政
反浦上村宗派は、義村の子赤松晴政を密かに三代目城主に据えた。その後、村宗は細川家の内紛に加担し、細川高国方について各地を転戦する。晴政は大物崩れで村宗を背後から襲い、ついに倒した。しかし、その後も村宗の子の浦上政宗を服従させることはできなかった。天文7年(1538年)11月には出雲の尼子晴久が大軍を率いて播磨に侵攻し、晴政も摂津国に逃亡する。晴久は2年後に播磨国から撤退し、晴政は帰国したがその後も政宗との対立は続いた。晩年にはその子・義祐を擁立した政宗のため置塩から退去し、龍野城の赤松政秀の庇護を受けた。永禄8年(1565年)に死去する。
四代目 赤松義祐
この頃になると備前国では宇喜多氏、美作国では浦上氏が勢力を拡大しており、所領はわずか飾東、飾西、神東の三郡だけとなっていた。その義祐も天正4年(1576年)に死去する。
五代目 赤松則房
最後の城主は赤松則房である。羽柴秀吉の中国攻めに対して、則房を含めた播磨国の国衆達はほとんど戦うことなく降伏し、軍門に下った。播磨国を統一した秀吉は権力基盤を整えるために「城割」を実施し、筆頭に「置塩城」をあげて廃城にした。秀吉の命によって則房は天正13年(1585年)に阿波国の住吉城に1万石で移封する。

置塩城の曲輪 

置塩城の曲輪は、小さいものを含めると60以上あり、曲輪壁面下部に土留めとして低い石垣が築かれている。

主だった曲輪

  • 本丸
  • 本丸南曲輪群
  • 二の丸
  • 二の丸北曲輪群
  • 三の丸
  • 北曲輪群
  • 西曲輪群
  • 南西曲輪群
  • 南曲輪群
  • 茶室跡
  • 台所跡

置塩城の支城 

置塩城の周辺には、支城ではないかと思われる次のような城が点在している。

これ以外にも数多くの支城があったと思われている。

赤松政則は播磨国守護に任じられ、姫路城(規模は現在のものよりはるかに小さい)を本拠地としていた。但馬国からの侵攻に備えるため、防御に優れた山城が必要になって置塩城を築城し、姫路城には小寺豊職を入れて置塩城の支城とした時期もあった。

城跡へのアクセス 

  • 鉄道・バスでのアクセス
  • :JR山陽本線 姫路駅 → 神姫バス「塩田・前之庄」行 宮置下車
  • 車でのアクセス
  • :中国自動車道福崎IC → 県道23号線 前之庄 → 県道67号線 宮置(登山口に駐車場あり)
  • 徒歩でのアクセス
  • :登山口 → 山頂中心部まで徒歩約40分

参考文献 

  • 朽木史郎・橘川真一『ひょうごの城紀行(上)』神戸新聞総合出版センター、1998年4月。

置塩城の口コミ情報

2021年05月15日 ( *¯ ³¯)っ旦
置塩城

国の指定史跡になってから前ほどの岩ごろごろ感は無くなり、登りやすくなったと思います。
丁石が18丁までありますので、それを目安に休憩されながら登ると良いと思います。
遺構は18丁の手前から出てきますが最初のIV曲輪群からして凄い段曲輪ですので適当に切り上げないと段曲輪の1番下まで見に行っていると大変なことになるとおもいます。

大石垣は残っている遺構では大きい石垣ですが、天守のある城とかを考えて行かれるとがっかりすると思います。
ここはあくまでも山城ということを理解して行ってください。

そのかわり三ノ丸、二ノ丸、本丸下の曲輪は本当に凄い掘っています。
見応えのある山城だと思います。

が、本丸まで行かれるハイカーは少ないので1人だと怖いかも。
それと二ノ丸手前を辺りに台所跡があり、水が貯められていますが、獣の水飲場となっていますので要注意です。
とにかく鹿、猪の足跡、地面を掘った跡、💩があちこちにあります。
気をつけて楽しんでください。

2020年03月21日 織田上総介晃司
置塩城

登山口前の夢前川の河川敷に駐車。

ここから登るのですが約40分ハードな時間が待ってます。
急斜面をひたすら登ります。登りつづけます。(登山口にある置塩城思い出帳にも途中でリタイアとの書き込みが多々ありました)
生半可な考えだとリア攻めしないほうがいいです。(事実、膝をやられました。まあ1日で黒井城 八上城 置塩城とラスボス級の山城をリア攻めするとそうなります)
でも登りきったときの城跡には興奮してしまいます。

城跡はかなり広く大小合わせると60もの曲輪があり、急いで見ても1時間半はかかるでしょう。

水は必需品です。
最後に一言、夏の登城は止めとけ!死にます。

置塩城から中国道方面に北上すると塩田温泉郷があります。
温泉で疲れた体をリフレッシュするといいでしょう。



2015年04月30日 尾張守だもんで
置塩城

夢前川沿いに駐車スペースと登城口があります。
1丁ごとに案内石があります。18丁まで登ると城です。
本丸には二ノ丸の東西どちらからも行けますが、勾配を考えると西側から一周することをおすすめします。まずは南西曲輪群の大石垣、続いて二ノ丸、三ノ丸、二ノ丸北曲輪群、最後に出城にも思える本丸を巡るとよいでしょう。
見所は二ノ丸北側の切岸、何重にもおよぶ曲輪群です。こんな曲輪群なら確かに堀切は必要ないのでしょう。

2015年03月08日 大宰大弐あさよし
置塩城

思ったより城跡が広くて規模も大きく、整備されています。1時間の予定でしたが、急いで廻っても2時間弱かかりました。散策は時間に余裕を持った方がいいと思います。

置塩城の周辺スポット情報

 本丸(遺構・復元物)

 本丸南曲輪(遺構・復元物)

 番城山城(周辺城郭)

 駐車スペース(駐車場)

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