坂本城(さかもとじょう)

坂本城の基本情報

通称・別名

堀ノ城、御構ノ御所

所在地

兵庫県姫路市書写2465(地図は石碑の場所を示す)

旧国名

播磨国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

赤松則村

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

赤松氏、山名氏

廃城年

文明元年(1469)

遺構

土塁

指定文化財

市史跡(坂本城跡土塁)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

楯岩城(兵庫県揖保郡)[5.3km]
姫路城(兵庫県姫路市)[5.4km]
置塩城(兵庫県姫路市)[6.2km]
英賀城(兵庫県姫路市)[7.9km]
龍野城(兵庫県たつの市)[9.9km]

坂本城の解説文

坂本城(さかもとじょう)は、現在の兵庫県姫路市書写にあった日本の城。南北朝時代に赤松円心によって築かれたとされる。北は圓教寺のある書写山、西は天神山に挟まれた平地にあった。

沿革
築城以来、代々赤松氏の播磨守護所として使用され、政治の中心地であった。嘉吉元年(1441年)、赤松満祐は室町幕府6代将軍足利義教を京の赤松邸に招いて暗殺し、嘉吉の乱が勃発した。満祐は坂本城に入って山名持豊(宗全)を主力とする幕府軍と戦ったが、劣勢を覆せず、ついには防御力のない坂本城では戦えないと判断して山城である城山城に移動した。そして坂本城は陥落、城山城の戦いでも敗れ、満祐は自刃して城山城も陥落した。

乱後、播磨は山名宗全の分国となり、宗全は坂本城に入って播磨を統治した。しかし応仁の乱勃発後、赤松政則が山名氏を播磨から追い出し、赤松氏が播磨を再び平定した。その間の文明元年(1469年)、政則は新たに置塩城を築いてそこを本拠としたため坂本城は廃城となった。

坂本城の口コミ情報

若狭守次郎吉様[2017年02月08日]
城跡の多くは現在、宅地化されており遺構が少なくなってしまっている。所々に土塁跡が残っているだけである(発掘調査では様々な遺構が確認されている)。

城めぐアプリが地図で示している場所には、書写坂本城跡で最も保存状態のよい土塁跡と堀跡がある。また、石碑と説明パネルも設置されている。

修理大夫播磨の将軍 様[2011年08月07日]
兵庫県立大学前から曽佐小学校前へ抜ける道路沿いの右側(ため池の近く)に土塁跡が残っていますがでの通過時に見落としてしまうかもしれません!

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