有年山城

有年山城([鴾ヶ堂城  周辺城郭])

鴾ヶ堂城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「有年山城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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有年山城の口コミ情報

2024年01月06日 織田上総介晃司
車は有年公民館に駐車。

有年八幡神社の登城口に縄張り図やビューポイントなど資料があります。
資料が欲しくて有年八幡神社の登城口に行きましたが、他にも登城口が3つあります。

それぞれ
有年八幡神社登城口→距離は短いが傾斜がキツく岩登りの箇所もある。

薬師堂登城口→八幡神社よりもやや楽。

放亀古墳登城口→距離はあるが傾斜はゆるく楽。

北口登城口→?(資料にも記載無く、ようわからん)

縄張り図の所持前提ですが、おすすめルートは放亀古墳登城口から登り、古墳を見て岩盤土橋を渡り城域へ。
城域をくまなく見て薬師堂ルートで下る。
その後、有年八幡神社登城口より再び登り、高瀬舟灯台と本殿石垣の飾り石(兎・月・扇)を見て弁慶の足跡岩で引き返す。
これで全ての見どころは制覇できると思います。

近くには東有年沖田遺跡や田中遺跡など古代の遺跡もあります。

2022年03月03日 RED副将軍


播磨の岩盤土橋の城郭。
岩盤を削り出したクッキリ土橋に魅了されます。
見事なスロープはバリアフリー対応。

オススメ度 ★★★★★

初代の城主は赤松範資の子である本郷掃部介直頼とされ、暦応年間(1338~1342年)に居城していたと伝わります。その頃の築城と思われます。
その後は、赤松氏家臣の富田右京の居城となりましたが、天文年間(1532~1555)に浦上宗景の侵攻により落城。
元亀年間(1570~1573年)にも赤松氏家臣の小田弾正が再び築城し居城としたと伝わります。
1575年に宇喜多氏が侵攻し、宇喜多氏の支配となります。
その後、織田信長による中国攻めにおいて、羽柴秀吉と毛利氏・宇喜多氏との戦いの舞台となり、八幡山城として記録されています。
1579年、宇喜多直家が織田信長に帰順し、廃城となった様です。

見所
標高201mの大鷹山山頂に主郭を置き、主郭から北東、南、北西、南西に伸びる尾根を削平し20近い段郭群が見事に整備されています。
目を引くのは主郭北西尾根を降りたところにある土橋で岩盤を削り出してクッキリと残ります。折れが伴うところも素晴らしく、両サイドは大規模な横堀が広がり、横堀の北西端部はV字の竪堀で遮断しています。
主郭と土橋の間にある石組みの井戸も必見。
主郭西下の二郭には大きな穴が点在し、大型土壙や池との紹介がありますが、少なくとも池では無い気がします。水が貯まると思えない…

何よりも地域の整備状況が素晴らしい。駐車場完備で八幡神社から整備された登城路が付いてます。
比高は180mくらいで30分かかりませんでした。

⁡写真
①②北東尾根の土橋
③北東部の空堀
④⑤北東部のV字竪堀
⑥石組みの井戸
⑦南西の段郭群
⑧登城路

2022年02月13日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
有年山城(八幡山城、大鷹山城)は、地元の方による献身的な整備が素晴らしい城です。城への道は落ち葉が取り除かれ、傾斜のきついところは丈夫なロープが完備。目印のテープや矢印表示に加え、ルート地図もポイントごとに設置されています。曲輪の木々は伐採されており、往時の姿を容易に想像できます。主郭に備え付けられた箱には縄張り図や近隣の城跡の紹介が入っており、名刺サイズの御城印もあります。もうひたすら感謝です。

遺構もかなり良く残っており、20近い曲輪群に加え、竪堀、堀切や土橋らしきものも確認できます。眺望も良く、主郭に新たに設置されたパノラマ案内板で近隣の城の名前を一つ一つ確認していると、気分はもう城主です。

東の尾根の先には、放亀山古墳というかなりきれいな前方後円墳があります。古墳ファンの方は併せてどうぞ。

2021年07月29日 内記かずりヾ(・ε・。)


八幡山城(有年山城)は鴾ヶ堂城の西北約1.8km、標高201mの大鷹山山頂に主郭が存します。南麓の国道2号線からの比高は180m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南西麓の有年八幡神社鳥居を目標に設定して下さい。此処が登城路入口となります。登城路途中には山の中なのに高瀬船灯台て言う千種川を往来した船のための灯台が建っていたりします。

築城年代、築城者は不明ですが、貞和年間(西暦1345年〜1350年)に本郷掃部守直頼(赤松信濃守範資の三男)が城主になったそうです。その後色々すっ飛ばしますが、天文十二年(西暦1543年)、浦上宗景によって落城したらしいと主郭の標柱に記述がありました。

登城路、お城は整備されていて大変散策し易いです。郭の大部分は削平箇所が綺麗に伐採もしくは間伐されているし、縄張図に照らした小さな案内板も細かく設置、兵庫県西播磨県民局の山城復活プロジェクト、「西播磨の山城へGO」の対象城の一つとして幟旗も立っています。段郭を多数配したお城で、それに竪堀、空堀を上手く配して寄せ手の行動を制限します。水の手と思しき石組み遺構もあったりしますが、その先にある空堀の掘り残しである曲げを伴う土橋に萌えまくりました。たぶんこのお城に堀切はありません。

城域内最大面積の郭には訳解らない大きな穴(こうとしか言いようが無い…)があったりします。これが往時の遺構であるならば、当事者にしか解らない事情と言うものでしょう。「大型土壙」ともっともらしく案内板にありますが、おいらにはゴミ捨て用の穴にしか見えない…

西播磨県民局が力を入れる山城復活プロジェクトはそのアプリも含めて地域が行う再生事業の一つとしてお城ファンのハートを鷲掴みにする素晴らしい企画ですね!県内の、決して新しく造り出す事が出来ない歴史遺産を大切に後世に伝え観光資源として活用する…これに呼応する自治体が現れる事を切に祈ります。

※全国に星の数程ある八幡山城ですが、主郭の案内板等は有年山城で統一されています。既作成スポットを活用して口コミさせて頂きました。どなたか存じませんが感謝です。

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