鍋子城
鍋子城([鴾ヶ堂城 周辺城郭])
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鍋子城の口コミ情報
2022年03月09日 RED副将軍
岩盤を削り出した土橋と堀切がクッキリと残存しています。
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。
城主は岡豊前守、小河丹後守、戸田右京であったとの伝承がありますが曖昧な点も多く詳細不詳。
赤松家臣の居城で、浦上宗景による侵攻で落城
したとの伝承もあります。
戦国末期は、この地は毛利に属した宇喜多氏の支配であり、宇喜多氏または、それを侵攻する羽柴秀吉の改修があったとの説が有力です。
見所
東西に伸びる尾根筋に郭を展開し、東西の両端を堀切で遮断。西尾根は二重堀切となっています。
南尾根は岩盤掘削の堀切に土橋が削り出されており、一番の見所。全国的にも数少ないクッキリと残る土橋です。
主郭南下には石積みが残っています。
行き方は、城域北側に県道90号が走り、大龍権現に登る山道が付いています。モルタルの法面に切れ目があり「西播磨の山城へGO」の幟旗が目印です。
魔界への入口感がハンパ無いです。幟旗が無ければまず入らないです。
車は、北西に橋を渡り、長谷川と千種川の合流地点のガードレール裏に広い駐車スペースがありました。
⚠️夏場はマダニの巣窟です。
この城を教えてくれて先に口コミがある武蔵国の城友さんは大量のマダニを持ち帰ったとのことで、冬になるまで訪城を待ちました。
近くの有年山城にも岩盤掘削の土橋があるので併せての訪城をオススメします✨
写真
①②南尾根の土橋
③西尾根の堀切。西端は高さあり
④主郭南下の石積み
⑤⑥主郭
⑦東尾根東端の堀切
⑧登城口
2021年07月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
鍋子城は鴾ヶ堂城の南西約1.8km、標高160mの山塊山頂に主郭が存します。北麓の兵庫県道90号線からの比高は140m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている北麓の大龍権現を目標に設定して下さい。ピンは鳥居の位置を示しており、大龍権現自体はお城の北側直下にある小社です。が、建物は残っていますが小社はもう訪れる者も絶えた廃社です。
鳥居の位置には「西播磨の山城へGO」の幟旗が立ってます。山塊北側全体は急崖でモルタル吹き付けによる補強が施されており、その途中にスリット程度の階段が付いてますので見落とさないように…ただ幟旗は此処がお城の登城路入口である事を保証(これが無いと入るのを躊躇するでしょう。)してくれています。
登城路入口は藪っていて「だっ、大丈夫なんか?」とか呟きますが、少し我慢すれば藪は消えます。登城路は崩落箇所多数、崩落石でガレ場を形成していて西播磨では厳しい感じのお城なのかな。そもそも論で入口には「危ないから入ってはいけません」の看板が立ってます。横の繋がりの少ない行政の齟齬を具現化してるとも言えますね。
築城年代、築城者は不明ですが、城主として冨田右京、岡豊前守、小河丹後守(皆赤松家の者なんでしょか。)の名が挙げられます。小河丹後守は元亀二年(西暦1571年)鴾ケ堂城攻めで討死したと主郭の標柱に記述がありました。
お城は沢様地形に挟まれた斜面を登って行きますが、これ竪堀でいいんじゃねぇ…これが無いと広範に攻められてしまうし、最も難所な主郭部直下に誘導出来ない。そして沢跡には決して付かない竪堀頂部が確認出来ます。大龍権現南側山側の岩場の上には主郭があり、岩場を直登したらびっくりするよな削平地がありました。よく見りゃ巻き気味の踏み跡程度の道も付いてますので頑張らなくても大丈夫です。他に段郭、横堀、土塁、土橋、水の手と思しき穴なんかが確認出来ますが、土橋のくっきり感は土橋ソムリエをも満足させるでしょう。が、城域北西部にあるとされる堀切は藪で断念しちゃいました。
マダニの巣窟です。自分虫除けスプレーと間違えたのか大量のマダニを讃岐まで持ち込みました。訪ねる方は冬の時期にお願いします。