広島城(ひろしまじょう)

広島城の基本情報

通称・別名

鯉城、当麻城、在間城

所在地

広島県広島市中区基町

旧国名

安芸国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

複合連結式望楼型[5重5階/1599年築/焼失(空襲)]、複合連結式望楼型[5重5階/1958年再/SRC造外観復元]

築城主

毛利輝元

築城年

天正17年(1589)

主な改修者

福島正則

主な城主

毛利氏、浅野氏、福島氏

廃城年

明治7年(1874)

遺構

曲輪、石垣、横堀(水堀)

指定文化財

国史跡(広島城跡)

再建造物

大天守、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓、表御門、石碑、説明板

周辺の城

己斐城(広島県広島市)[3.2km]
己斐古城(広島県広島市)[3.7km]
府中出張城(広島県安芸郡)[4.8km]
仁保城(広島県広島市)[4.9km]
永町山城(広島県広島市)[5.3km]

広島城の解説文

広島城(ひろしまじょう)は、広島県広島市中区基町にある城郭。鯉城(りじょう)ともいう。国の史跡。広島城全域が広島城址公園(ひろしまじょうしこうえん)となっており、復元された大天守は歴史博物館として利用されている。広島市中央公園と隣接している。

概要
それまでの毛利氏の居城・吉田郡山城は尼子氏の大軍を撃退した経験を持つ堅固な山城であり、また山陰・山陽を結ぶ場所に位置するため、領土の争奪戦を伴う戦国時代の毛利氏には適した位置であった。しかし、天正末期になり、天下が安定する頃になると、中国地方9か国120万石の太守であった毛利氏に吉田郡山城は政務所としても手狭なものとなり始めた。また吉田郡山城は山間部にあり、商業の中心地としては不適切であったことから、海上交易路である瀬戸内の水運が生かせ、城下町の形成が可能な平野がある海沿いへの拠点を移動すべきという意思もあった。一説には永禄年間(1558年-1569年)の輝元の祖父・毛利元就のころから現在の広島の平野部への築城構想はあったという。

1589年、二宮就辰らの指揮の下、ついに築城が開始された。広島築城は川の中州の埋め立てと、堀の浚渫が初段の大工事となった。城の構造は大坂城を参考とし、近世城郭として築城された。縄張りは聚楽第に範を取っているといわれる。軟弱な三角州地盤に築城したため、石垣の重量を分散させる工夫がなされている。また、堀は三重に巡らされ、馬出を多数備える実戦的な城構えであった。この築城は同時期に進行しつつあった豊臣秀吉の朝鮮征伐の後方基地としての期待もあり、秀吉は築城技術のサポートとして側近の黒田如水を派遣し、自らも建設中に広島城に滞在したという話も残る。

完成当初は当時の大坂城に匹敵する規模の城だったといわれるが、関ヶ原の戦いで減封されて広島を去った毛利輝元に代わって城主となった福島正則による改築があり、築城当時の広島城がどのような姿であったかについての詳細は不明である。

関ヶ原の戦いの後、1600年に福島正則が毛利輝元に替わって広島城に入城。この時代に、それまで二葉の里付近から城の北側を通っていた西国街道を、城下の南側を通るように付け替えるとともに雲石街道を整備した(一説には毛利輝元時代)といわれ、町人町が拡大した。しかし、幕府に無届けで修築したためそれをとがめられ、二段にしてあった本丸の上段石垣を破却している。これは現在でも確認できる。

結局、福島正則は1619年に改易の憂き目を見ることになり、以降は浅野氏の居城となった。

浅野藩政時代の広島城は内堀・中堀・外堀のある約1キロメートル四方の広大な城であったが、明治維新後には1911年(明治44年)に外堀が埋められ、さらに原爆の瓦礫で中堀が埋められて現在の規模になった。広島市内の「八丁堀」、「薬研堀」などの地名は堀があった名残である。八丁堀は約8丁(約880メートル)あった東側の外堀にちなむ。また市内の庭園「縮景園」は、元々は城内だった。外堀は南側では現在の相生通りの南半を東西に走っており、現在の紙屋町西交差点あたりに大手門があった。北端は現在の城北通りであり、外堀の水は三篠橋付近の本川(旧太田川)から引いていた。

天守

天守は連結式と呼ばれるもので特に複合連結式ともいい、大天守から渡櫓で2つの小天守を南と東に連結するものであった。望楼型で黒漆塗りの下見板が張られた壁面は豊臣秀吉の大坂城天守を模したともいわれ、屋根には金箔瓦が施されていたともいうが、内部は天井も張られていない簡素なものであったという。

明治期に小天守を失い、大天守のみが保存されることとなり、戦前は他の現存する建造物とともに旧制の国宝に指定されていた。太平洋戦争末期の原子爆弾投下の際には、爆発時の熱線に耐えたものの、その直後の爆風の衝撃波と圧力により下部2層が上部の重さに耐えきれず倒壊、間もなく上部3層も崩落し、大量の建材が天守台や北東の堀に散乱したという。建材のその後に関しては定かではないが、生活に困窮した市民が使用したという証言があるほか、被爆者を救済するため、瀬戸内海の製塩業者に建材と塩を広島市が交換したともいう。公式文書には、このことは一切記されていない。
...

広島城の口コミ情報

青き巨星弾正忠かみさん様[2017年07月27日]
お城メダルは天守閣の最上階に置かれている自動販売機で売っています。1枚400円です。
天守閣の模様と原爆ドームの模様があります。
自動販売機には100円で50円1枚と10円5枚が入っている透明なケースも売って?(両替?)います。
このケースも2枚買いました。

兵部丞ビックリショイン様[2017年05月20日]
駐車場は市内のど真ん中なのでいろいろあると思います。トイレも綺麗です。
平城なので登ることもなく体力的にも余裕だと思います。ぜひ楽しんで下さい

織田修理大夫糀【関ヶ原鑑賞】様[2017年02月10日]
広島城天守の上層3階は正方形だが、下層2階は長方形のため正面から見るとどっしりとした構え。側面は不安定な佇まいになっている。
広島城に行った際にチェックしてみては…

永眠武蔵守釋 葱進様[2015年11月08日]
100名城スタンプはさきの口コミにあるように現在は2階売店にあり、係の方に声をかけて出してもらう形となっています。
但しその売店は閉館15分前に営業終了となるので、ギリギリに入館された方は先に売店に立ち寄ったほうかよいでしょう。

甲斐パネルラ様[2015年07月10日]
広島城の駐車場はありませんが、市民病院前の広島市中央駐車場に入れると、180円の割引を天守二階の売店で受けられます。百名城のスタンプもそこです。

青き巨星弾正忠かみさん様[2014年09月11日]
広島城へはバス、路面電車と公共機関で行けますが、あえてJR広島駅から徒歩で行きました。
駅南側を西方へ歩き、栄橋を渡り道なりに歩くと本丸の裏御門跡に着きます。
徒歩約25分で行けます。
天守閣入館料370円を払い、中には広島城の歴史、昔の家屋、商家を再現したもの、武具、刀剣類が展示されており、2階では鎧兜、当時の衣装の試着が出来ます。

尾張守ひろっちぃ様[2013年12月14日]
H25年12月14日〜H26年2月2日まで企画展 長州戦争と広島 開催中

太閤勘解由長官傾奇紋次郎様[2013年03月24日]
名城スタンプは天守2Fの売店でした。

刑部少輔アリサ様[2010年08月14日]
我が家から広島城まで車で5分くらい^^ 毛利輝元は私のお気に入り
アストラム白島駅付近で城攻め♪
広島城には駐車場がないので有料駐車場を探すのが少し面倒かな。
「護国神社にお参りに来ました」って言えば無料で広島城敷地内に駐車できると聞いた事がある(笑)

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