己斐城(こいじょう)

己斐城の基本情報

通称・別名

己斐新城、平原城、茶臼山城

所在地

広島県広島市西区己斐町4

旧国名

安芸国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

己斐氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

己斐氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、堀切、竪堀

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

己斐古城(広島県広島市)[1.4km]
広島城(広島県広島市)[3.2km]
草津城(広島県広島市)[3.8km]
水晶城(広島県広島市)[4.6km]
佐東銀山城(広島県広島市)[5.8km]

己斐城の解説文

己斐城(こいじょう)は、広島県広島市西区己斐上四丁目にある、鎌倉時代中期から戦国時代の山城。
概要
厳島神社の神領衆である己斐氏によって、茶臼山(通称、小茶臼)に築城された山城である。城の南側が大手、北側が搦手であり、山頂に本丸、二の丸、空堀があった。

己斐城は己斐新城、平原城とも呼ばれ、この南約1.5kmにある己斐古城岩原城)と区別される。

歴史
1515年、銀山城主・武田元繁が己斐豊後守師道入道宗端を攻撃し、数か月にわたり包囲するが落城には至らなかった。己斐宗端は1517年の有田合戦で武田元繁陣営として毛利元就勢と戦い討死した。

宗端の子、己斐豊後守直之の時、1554年の折敷畑の戦いの前に草津城などと共に毛利元就に攻撃され、落城した。直之は、翌年の厳島の戦いで毛利方の宮尾城の城将として戦い、合戦後に隠居した。

その後、直之の弟、己斐利右衛門興員が城主となった。

関ヶ原合戦後、毛利氏が防長に転封されると共に廃城となった。

現在
山頂付近には城跡を示す石碑や案内板があり、本丸、二の丸、南郭などの遺構にはそれを示す石柱が設置されている。

己斐城の口コミ情報

小早川安芸守ケンケン優勝様[2017年05月08日]
己斐東小学校の隣の階段から登れるが、山道の整備等はほとんどしていないので要注意!団地内にあるので近くに駐車場もありません。

出雲守ちょんごろ様[2011年04月18日]
己斐東小学校の横の階段から行けますよ

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