水晶城(すいしがじょう)

水晶城の基本情報

通称・別名

石道本城、石道新城

所在地

広島県広島市佐伯区五日市町大字石内

旧国名

安芸国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

佐々木国正

築城年

平安時代後期

主な改修者

大内氏

主な城主

厳島神主家、大内氏

廃城年

不明

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、畝状竪堀

指定文化財

再建造物

周辺の城

池田城(広島県広島市)[3.8km]
草津城(広島県広島市)[4.5km]
己斐城(広島県広島市)[4.6km]
己斐古城(広島県広島市)[4.6km]
桜尾城(広島県廿日市市)[7.3km]
広島城(広島県広島市)[7.7km]
佐東銀山城(広島県広島市)[8.0km]
仁保城(広島県広島市)[11.8km]
府中出張城(広島県安芸郡)[12.5km]
永町山城(広島県広島市)[12.5km]

水晶城の解説文



水晶城(すいしがじょう)は、安芸国佐西郡(佐伯郡)石内(現在の広島市佐伯区石内)にあった日本の城。難攻不落で知られる。

この城の呼称である水晶城は、後にこの城地周辺から水晶が産出されたために名づけられたとされ、文献では石道本城もしくは石道新城の呼称があったことが窺える。呼称については、広島県埋蔵文化財調査センター「山陽自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告」(1986年)で、本城、新城ともに水晶城を指し示すと判断したが、広島市歴史科学教育事業団の「有井城跡発掘調査報告」(1993年)では、石道本城を有井城とし、石道新城が現在の水晶城と結論付けている。

構造 

標高132mの山の頂上部を主郭とし、麓に向かって曲輪を配置した連郭式山城であるが、特徴としてその山全体に曲輪や堀切を配置していることが挙げられる。その城域は非常に広く、多くの兵士が駐屯できるようになっていた難攻不落の城塞であった。

立地的には、眼下に山陽道を見下ろす交通の要衝であった。

沿革 

平安時代末期、治承・寿永の乱(源平合戦)の頃には源氏に味方していた佐々木国正が城主となり、この城に籠って平氏に抵抗したとされる。時代は下って戦国時代になると、この安芸西部に勢力を伸ばしていた周防国の戦国大名・大内氏の勢力下に入り、厳島神主家の当主・藤原興親が永正5年(1508年)に京都で死去すると、大内義興は厳島神主家の小幡興行が治める所領を接収、その後永正15年(1515年)永正12年に武田元繁の突然の侵攻により落城、その後大内氏により奪回し、(1518年)に大内氏の重臣であった杉甲斐守が水晶城の城番となった。しかし、大永3年(1523年)厳島神主家の一族である友田興藤が、神主家の家督を相続できなかったことに不満を持ち、謀反を起こした。興藤は水晶城を攻撃し、城を捨てて逃走した杉甲斐守を討ち取った。

乱の鎮圧後、水晶城には改めて麻生鎮里(家信の子とされる)が城番として入城し、その周辺の支配にあたった。しかし、天文23年(1554年)に安芸国の戦国大名・毛利元就と、大内氏の実権を握っていた陶晴賢が敵対すると、毛利軍は水晶城を攻撃し、麻生鎮里は降伏した。

毛利氏の支配が確定的となると、この水晶城よりも海に面した桜尾城が重要視されるようになり、また、城の規模が巨大過ぎて、多くの人員が確保できないと容易に落城するというマイナス面も考慮され、この水晶城も廃城となったと思われる。

参考文献 

  • 「山陽自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告」 広島県埋蔵文化財調査センター(1986年)
  • 「有井城跡発掘調査報告」 広島市歴史科学教育事業団(1993年)

水晶城の口コミ情報

2024年12月05日 安芸守カズ
水晶城



このサイトを見るまで、県内にこれほどすごい城があるとは知りませんでした。
城域は広大で、現地に縄張り図はありませんので、これから訪れる方は余呉さんのサイトを参考にすることをおすすめします。
車は臼山八幡宮の境内に駐車可能ですが、駐車場手前が急坂で、車高が若干低い車は腹スリ注意です。
私は坂を登りきったとき、下りはじめ、下りきった直後の計3回腹スリしました。
なお、近くの石内公民館の駐車場は利用者優先とは言われましたが、お願いすれば駐車させてもらえそうな感じでした。ただし、くれぐれも無断駐車は避けていただくようお願いします。
登城口を示す立て札は手水鉢付近にありますが、私は拝殿に向かって右手にある登り口(写真)から登りました。
うっすら見える道のようなところを登り始めると切岸と削平地が見えて来ます。そのまま東方に進むとやがて山陽自動車道と隔てるフェンスで行き止まりです。
ここまででも十分な規模ですが、どうやらここは単なる出丸のようで、これだけでもこの城の広大さを十分に感じることができます。
次いで主郭部を目指しますが、そちらにつながりそうな道が見当たらず、一旦神社まで下り、立て札に従って進み、小さな用水路を渡った所から竪堀の底のような道を登ります。
先人の書き込みのとおり、ルートを示すのは木に巻かれたテープや竹にスプレーで付けた赤いマーキングのみですか、登りで迷うことはないと思います。
そのマーキングに従って進むと本丸及び二の丸の東側直下に到着します。
この周辺部は本丸の切岸とそれを取り巻く堀切、土塁、竪堀のオンパレードで、最大の見どころになります。
私はそこから一度北部の曲輪群に進みましたが、行けども行けども端まで到達する気がせず引き返してしまいました。
(後ほど余呉さんの縄張り図で確認したところ、半分程度しか進んでなかったような……)
本丸と二の丸はさほど広くありませんでしたが、それより広い郭も多数あり、全域を見るには半日以上は必要でしょう。
帰路はマーキングが見えにくい箇所をがありますので方位を気にしつつ散策することをおすすめします。
また、倒木や落ち葉にもご注意ください。
イノシシが掘り返した跡は無数にありましたが、公民館の方には熊のことは聞きませんでした。
初めにも書きましたが、これだけの城があまり知られることなく存在するとは。
城趾巡りの醍醐味を改めて教えてもらった気がします。
写真は順番に出丸登り口、出丸堀切、出丸堀切、本丸付近土塁虎口?、本丸切岸、本丸付近土塁です。
土の城マニアへのおすすめは五ツ星です。

2023年01月11日 やまてつ伊予守
水晶城

「すいしが」と呼ぶそうです。山陽自動車道のトンネルの上が遺構になります。

2021年11月13日 安芸守 あきら
臼山八幡神社側登城口[水晶城  その他]



本殿階段下の案内板に従い左手に進み、山裾まで行くと写真のような急坂がありす。あとは竹や木に赤、ピンク、青の印があるのでそれを目印に登って行きます。途中、印が途切れる場所もあるので、登城路を見失わないよう気をつけて下さい。

2021年11月13日 安芸守 あきら
臼山八幡神社 駐車場[水晶城  駐車場]



臼山八幡神社の駐車場ですが駐車可能です。神社本殿階段下に登城口の表示があります。

2021年09月28日 松
水晶城

旧道沿いと、臼山八幡神社からの2つの登山口があります。本丸跡が急斜面の上にあるため、登り下りには注意が必要だと思います。「水晶城」の呼び名のとおり、小さいですが水晶が採取できます。スコップが用意されている箇所があります。

2019年07月13日 安芸守ゆづなぎ
水晶城



麓の臼山八幡神社から登城できます。城の規模が大きく、郭の数も多いため見応えがあります。案内板等が少ないため道迷いに注意が必要です。

2016年12月04日 小早川安芸守ケンケン
水晶城

山陽自動車道の水晶トンネルの真上辺りに遺構があります。

2011年02月25日 みみ丸
水晶城

私が小学生時代は山にも入れ、水晶もたくさん採れるので地元の子ども達の遊び場になってました今は危険なので入れなくなってます

水晶城の周辺スポット情報

 有井城(周辺城郭)

 臼山八幡神社 駐車場(駐車場)

 臼山八幡神社側登城口(その他)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore