宮尾城(みやおじょう)
宮尾城の基本情報
通称・別名
- 宮ノ尾城、宮尾ノ城、宮ノ城、要害山城
所在地
- 広島県廿日市市宮島町厳島要害山
旧国名
- 安芸国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 毛利元就
築城年
- 天文24年(1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 毛利氏、己斐直之
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、石垣、堀切、井戸
指定文化財
- 国特別史跡・特別名勝(厳島)
再建造物
- 説明板
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-
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宮尾城の解説文
宮尾城の口コミ情報
2024年03月14日 はる兵部卿ちゃん
宮尾城
フェリーに乗り、神の島宮島に渡りました。宮尾城(要害山)には幾つか登城できますが、存光寺横の参道急‼️やばい!小高い山頂からは厳島神社の⛩️、五重塔が眺められ、厳島合戦の歴史に思いを馳せます!何故か馬酔木の花が咲いていました。
2024年02月21日 阿炎錦左近衛少将
宮尾城
宮島の桟橋から徒歩5分ほど。歴史上は500人は立て籠っていたことになっていますが、そこまで収容できたとは思えないほどの狭さです。山を崩したりして地形が変わったのかもしれませんね。
2024年01月19日 尼崎城駿河守一口城主
厳島神社[宮尾城 寺社・史跡]
昨年9月下旬、元就公ゆかりの史跡巡りをしており宮尾城周辺の厳島の戦いの舞台を散策してみました。宮島桟橋からまず厳島神社に向かったところ、訪れた時間帯は干潮で鳥居⛩に近づくことが出来ました(写真①)。この辺りに陶軍の船団が停泊していたり、合戦前夜に嵐の中小早川隆景公の船団が陶軍の船団の中に到着してしまうも機転を利かせてまんまと上陸したところだなと思いながら砂浜を散歩しました。鳥居の方から古戦場の舞台の厳島神社の本殿(写真②)も撮影。厳島神社をお参り中、合戦から2年後に元就公、隆元公親子によって再建された反橋(写真③④)も見学。厳島神社を出て五重の塔方面へ進んだところ五重の塔がある丘が<塔の岡(写真⑤)>といわれ陶軍が本陣を構えた場所とのことでした。五重の塔付近にあったetto宮島交流館に立ち寄り、最上階の展望室から陶軍(写真⑥)、毛利方の宮尾城跡遠景(写真⑦中央やや右の丘(要害山))を眺めてみました。五重の塔付近から階段を下り(写真⑧)町家通りを抜けて約10分で宮尾城跡に辿り着き両軍の近さ・距離感などを体感出来ました。
2024年01月19日 尼崎城駿河守一口城主
宮尾城
2023年9月24日、広島県廿日市市の宮島にある宮尾城に登城。宮島桟橋から厳島神社⛩方面に進むとすぐに要害山(宮尾城跡)への道標(写真①)が見えてきましたが当日はここからは登らずに厳島の戦いの舞台でもある厳島神社や五重の塔(陶軍本陣/塔の岡)を経由して桟橋から見ると裏手にあたる今伊勢神社の鳥居のある長い石段(写真②③)から登城。当日は夜の鯉の応援のため広島出身&毛利家ファンの同僚と同行しており、同僚が長い石段を見て嫌な顔をしていましたがこらえて上がってもらいました。石段を上がって陶軍本陣の五重の塔を撮影(写真④中央やや右)。今伊勢神社の祠(写真⑤)にお参りして振り返るとすぐに要害山山頂(宮尾城跡)の四阿(写真⑥⑦)が見えてきました。陶軍本陣の五重の塔付近から要害山まで徒歩約10分で両軍がいかに近くで対峙していたか実感出来ました。要害山の木々の隙間からは厳島神社の鳥居⛩(写真⑧中央やや右)も見え、合戦時は鳥居周辺には船団がひしめいていたんだろうなと思って眺めていました。
宮尾城跡(要害山山頂)で同行者と元就公の部隊などの山(博奕尾)方面からの進軍ルートと隆景公の部隊などの海側からの挟撃ルートを観光マップで確認し、地形を眺めながら陶軍の大軍は山と海の間の狭いスペースだと大軍のアドバンテージが活かせないだろうから元就公が囮の城として築城した宮尾城の作戦大成功だったんだなと厳島の戦いのイメージをして楽しいひと時を過ごしました。
ただ同僚に最後に一言、君は山口出身だからもしも戦国の世に生まれて足軽で合戦に参加していたらやられていたよと言われ、仰る通りで元就公と先輩に脱帽しました💦
2023年01月08日 やまてつ伊予守
宮尾城
フェリー乗り場からすぐの要害山が城跡でした。いくつかの登り口があるので、観光経路に合わせるとよいと思います。
2023年01月08日 宗和河内守☮️【瓶割】
宮尾城
2023年1月8日に登城。とてもこじんまりとしたお城です。ほとんどの方は、急な階段を見て「無理だ!」と言って帰られてました。
2021年11月13日 副将軍お城エリコ
宮尾城
博打尾(博奕尾)…毛利元就と陶晴賢が戦った厳島合戦の際、毛利軍が形勢逆転のきっかけとなった奇襲作戦を仕掛けた場所。
2021年09月23日 天河水式部卿
宮尾城
宮島に一泊して日の出前にリア攻め。登る途中からフンと匂いで近くに居そうだなと思ったら、鹿様いらっしゃいました。成り行きで道案内して頂く形になりましたが、鹿さんにしてみたら寄るな人間、だったと思われ(^^;;
城の大きさは要害山の規模から考えてもかなり小規模だったと思うので、良く持ち堪えたものだと感心します。島全体をかなり調べて戦いに臨んだのでしょうね。
2021年07月26日 かなり筑前守
宮尾城
砂浜の城。小高い丘の向かいにも丘があるので連携して毛利本隊の援軍が来るまで守ったのかもしれない。
2021年05月05日 ぶらなおき
宮尾城
フェリー降りてすぐのトンネル抜けると階段が有り、神社に行けます。
2020年11月28日 織田上総介晃司
宮尾城
宮島口からフェリーに乗って宮島へ。
宮島桟橋の近くに宮尾城(要害山)があります。
毛利元就が謀を駆使して陶晴賢をおびき寄せ、自害まで追い込んだ厳島合戦の舞台の場。
「謀神」といわれる所以でもあります。
宮島は「神の島」で島の大半人の手が入ってません。
観光として厳島神社と大鳥居(2020/11/28現在大鳥居は修繕工事の為見れません)
宮島水族館や弥山があり、年間通して観光客が多く訪れます。
グルメはあなご飯やカキ、もみじ饅頭など
なお、厳島神社にカップルで行くとそのカップルは別れるという都市伝説があります。
なんでも厳島神社の女性の神が嫉妬して別れさせるのだとか…
2016年03月29日 とめ
宮尾城
今年3月28日に何度目かの登城をしました。
フェリー乗り場をでて左の広場を抜けると大通りの左手に階段があります。その要害山、と表記されている標識にしたがって小山を登ったところが城跡です。現在頂上とその少し下にはテーブルが置かれており、眺めの良い休憩スペースになっています。そのすぐそばには桜の木があり、あまり大勢の人は来ない場所ですのでこれからの季節おすすめです。
ただ、休憩をとる場合は鹿に注意してください。食べ物だけでなく、紙の地図や袋も食べられる可能性があります。頂上には今伊勢神社もありますが、御由緒の看板が読み取れなくなっているのが少し残念です。
また、登る道も幾つかあります。いちばん緩やかで整備されているのは存光寺の手前からの階段だと思います。標識には毛利氏の家紋も描かれております、ちょっと嬉しいポイントでしょうか。
神社の鳥居側の階段からくだることもできますが、かなり急な階段になっているため注意が必要です。城跡から赤い鳥居を望むことができ、またその左手前に立つ五重塔付近、奥の大元公園付近(宮島水族館の建物の奥側にあります)といった厳島の戦いにまつわる場所も見られます。
2015年11月08日 永眠武蔵守釋 葱進
宮尾城
宮島口からフェリーで行くのが一般的ですが、広島港(宇品)や平和公園・原爆ドーム(もとやす桟橋)から直通する船もあります。
どのルートも宮島側は同じのりばですが、受付は各社別々なので間違いないように。
この城は数個の分かれた山城であるが、海上に突きだし、味方の水軍と連絡できる水軍城の特色も合わせ持っていた。
同年9月、晴賢は2万余の大軍を率い厳島に上陸し、五重塔がある塔の岡付近に本陣を置いてこの城を攻撃したが、300余の城兵はよく守り持ちこたえた。
元就は主力の軍を率い、包ヶ浦から上陸して、山を越え背後から陶軍の本陣を急襲し、この城兵も主力軍に呼応して陶軍を壊滅させた。