亀居城(かめいじょう)

亀居城の基本情報

通称・別名

小方城

所在地

広島県大竹市小方2(亀居公園)

旧国名

安芸国

分類・構造

平山城

天守構造

不明

築城主

福島正則

築城年

慶長13年(1608)

主な改修者

主な城主

山田小右衛門・森左介(福島氏家臣)

廃城年

慶長16年(1611)

遺構

曲輪、天守台、石垣、土塁、堀切、井戸

指定文化財

市史跡(亀居城址)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

岩国城(山口県岩国市)[8.2km]
亀尾城(山口県岩国市)[8.5km]
宮尾城(広島県廿日市市)[11.9km]
高森城(山口県岩国市)[12.3km]
中山城(広島県廿日市市)[13.2km]
桜尾城(広島県廿日市市)[17.4km]
成君寺山城(山口県岩国市)[19.1km]
蓮華山城(山口県岩国市)[19.2km]
鞍掛山城(山口県岩国市)[20.1km]
池田城(広島県広島市)[20.7km]

亀居城の解説文



亀居城(かめいじょう)は、広島県大竹市小方にあった日本の城(平山城)。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に安芸国に入った福島正則が、長門国・周防国の毛利氏への押さえとして築城した。大竹市指定史跡。

歴史・沿革 

関ヶ原の戦いにより、福島正則は安芸国へと移封され、広島城に入った。関ヶ原の戦いに敗れたとはいえ、毛利氏は長門国・周防国36万石を領し、徳川氏と豊臣氏の争いもまだ決着を見ていない不穏な状況であった。そのため毛利氏の上方への侵攻を防ぐために安芸国西部に城を造ることとなった。1603年(慶長8年)に山陽道を押さえる要地に築城が開始され、5年もの歳月をかけて、非常に巨大な堅城として完成した。城主は福島伯耆で、山田小右衛門と森佐助の両名が城代として城に入った[1][2]

豊臣氏と徳川氏の軍事的衝突の危機が高まると豊臣恩顧の福島氏への徳川氏の圧力が非常に強くなり、正則は徳川氏の意向に従うこととなった。結局、亀居城は完成よりわずか3年後の1611年(慶長16年)に破却され、その役目を終えた。

天守や主要な建造物は撤去され、城地はそのまま荒れるに任され草木に埋もれていった。しかし1977年(昭和52年)に発掘調査がなされ、徐々に修復が進み亀居公園として整備された[3]。1983年(昭和58年)11月4日に市の史跡となり、現在は桜の名所として市民に親しまれている。

構造 

標高88メートルの山上に築かれた平山城で、築城当時は本丸、二の丸、三の丸、有の丸等の曲輪を備え、江戸時代の資料に拠るとその面積は10ヘクタールに及んだとされる。現在は海から多少離れた位置にあるが、築城当時は海に面して港を備え、山陽道を城内に取り込む構造となっていた。その築城手法は朝鮮出兵時の倭城と共通点がある。

広島城の支城としては、非常に巨大な堅城であったため、それが徳川家康の疑念を招き、福島氏の没落の一因となった。

関連文献 

  • 【書籍】「戦国の堅城 毛利を封じ込める水陸両用城郭 芸州 亀居城」

亀居城の口コミ情報

2022年05月04日 安芸守 あきら
矢穴跡のある石[亀居城  碑・説明板]



一般国道2号岩国大竹道路建設事業に伴う『妙見丸』下の発掘調査箇所から出土したものを令和4年3月に新しく移設展示したものです。

2022年04月03日 まつぎん主計助
亀居城



幕府から支城としては巨大と咎められただけあって見事な石垣。花見と両得

2022年02月10日 RED副将軍
亀居城



総石垣造りの広島城の支城

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

関ヶ原合戦後に毛利輝元に代わり入封した福島正則によって1603年に築城開始し5年をかけて完成。
毛利一族の吉川広家が城主の岩国城に対する押さえとして機能しましたが、完成から僅か3年後の1611年に亀居城を破却。
豊臣秀頼と徳川家康の衝突が高まる中で、福島正則は豊臣に近い関係。支城としては、余りにも巨大で堅固であったため、徳川家康から疑念を持たれたので、それを払拭するためであったと言われています。

見所
本丸、二の丸、三の丸、有の丸が連なる総石垣の近世城郭ですが、公園化による改変が多く、石垣も積み直しがされています。

2022年01月22日 八幡川宮内卿猿猴
亀居城



西国街道沿いに築かれた平山城。こんなところに、天守台がある城があったとは!その天守台のある本丸から見える景色は、目前に宮島があり、遠くには四国も見え最高です。
そして何よりも石垣の石紋についての丁寧な説明文もあり、見応えのあるお城です。

2021年05月03日 自転車制覇【UFO】
亀居城



海と山が近く、狭い平野部を通る山陽道の直ぐそばの結構な高台。眼下に宮島と狭い海道、山陽道を監視できそう。石垣もきれいに保存され、ツツジ満開で最高な城攻めでした

2021年04月18日 九曜紋東市正
亀居城



大岳、中国地方にしては急峻な山が瀬戸内海方向にせり出した小高い丘の上にある亀居公園。電車の線路(山陽本線)と山陽自動車道に挟まれ、大竹ICの直ぐそば、徒歩だと最寄りの玖波駅から30分程度(2km)。亀居公園として整備されているので、ハイキング気分で訪れるのも良いのでは?古い石垣も当時の姿を各所に留めています。公園内にはトイレも完備され、散策コースも設けられ、北側からのルートには山腹に駐車場もあります。

2020年07月13日 毛利左馬助teru元
亀居城

城については他の人が詳しく書いているので省略します。
城の麓にはゆめタウン大竹、コメリ、西村JOY、TRIAL、大竹市役所がありますので、城攻め前後に食料や飲み物を買ったり、フードコートで食事したり、虫除けスプレーを買ったりできます。
市役所前からJR駅行きのバスがありますので、城攻めで疲れてもう歩きたくない人はバスをオススメします。


2020年04月03日 ( *¯ ³¯)っ旦
亀居城

電車で 行くときは「大竹駅」より「玖波駅」の方が徒歩では10分ほど早いです。

攻城としては南側のJR側が正解だと思いますが、坂道が苦行です。北側は捨て丸、名古屋丸などを経由しませんが、合流地から少し下るだけです。

石垣は天守も含めて怪しい処はありますが、基本的に見応えは有ると思います。山の中へ入っていけば破却跡の石垣とか観れます。天守入り口の虎口は「コ」の字状に進む枡形で、曲輪を挟んで下にはもう一つ「L」字状の虎口があり、見所十分!

搦手側の切岸は急な摺鉢状で見応え十分!降りて見上げると「忘れてたけど、此処を登らな帰られへんねんなぁ」という事を思い出させてくれる高さと険しさです。私は見応え十分な城だと思います。

2018年11月23日 織田上総介晃司
亀居城

城跡が亀居公園となっているので駐車場とトイレはあります。
JR山陽本線、大竹駅と玖波駅のちょうど中間に位置します。

整備されたのは昭和の後半で、それまでは約300年ほったらかしにされていたという。
対毛利の為に築かれた総石垣の城は広島城の支城としては立派過ぎる。

錦帯橋・岩国城から近いので岩国観光から少し足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

亀居城の周辺スポット情報

 天守台(遺構・復元物)

 名古屋丸(遺構・復元物)

 亀居城説明板(碑・説明板)

 矢穴跡のある石(碑・説明板)

 駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

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