天城陣屋(あまぎじんや)
天城陣屋の基本情報
通称・別名
- お茶屋
所在地
- 岡山県倉敷市藤戸町天城1908
旧国名
- 備前国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 池田由成
築城年
- 寛永16年(1639)
主な改修者
- -
主な城主
- 池田氏
廃城年
- -
遺構
- 移築門(静光寺)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
早島陣屋(岡山県都窪郡)[4.6km]
黒山城(岡山県倉敷市)[5.7km]
常山城(岡山県玉野市)[8.1km]
撫川城(岡山県岡山市)[9.3km]
庭瀬城(岡山県岡山市)[9.4km]
福山城(岡山県総社市)[10.3km]
賀陽氏館(岡山県岡山市)[11.4km]
亀山城(岡山県総社市)[12.7km]
富山城(岡山県岡山市)[13.8km]
下津井城(岡山県倉敷市)[13.9km]
天城陣屋の解説文
天城陣屋の口コミ情報
2024年10月14日 やまてつ伊予守
天城陣屋
岡山の宇喜多氏関連の城巡りを兼ねてリア攻め。グランド裏に石碑がありました。
2024年09月28日 RED副将軍
天城陣屋
岡山藩六家老のひとり天城池田氏の拠点🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1639年に池田由成により築城。
天城池田氏は、播磨姫路藩主の池田輝政の甥にあたり、池田元助の嫡男である池田由之が初代とされ、岡山藩池田氏の六家老のひとりに数えられました。
1615年の一国一城令により城代を務めた下津井城が廃城となり、池田由之の嫡男である池田由成が新たに構えたのが天城陣屋とされ、幕府に配慮し通称「お茶屋」と呼ばれました。
以後、天城池田氏が代々領有し、十一代当主の池田政和まで続いて明治を迎えました。
因みに、池田由成の娘の子が忠臣蔵で有名な大石内蔵助です。赤穂事件が起こった際には縁者であることから四代当主であった池田由勝は減封されています。
見所
広田山の西北端に築かれていましたが、現在は倉敷天城高校のサブグラウンドとなっています。
小高い丘陵上にあり、グラウンド入口に天城陣屋跡の標柱と御茶屋跡の石碑が建っています。
2024年09月22日 小太郎左衛門督南畿道19國守
天城陣屋
駐車場はなく、近くの路上に寸止めして訪問。目立つ遺構はなく、坂の上方に陣屋お茶屋跡の石碑がありますが、道路からは見えず、少し接近して確認です。本年9月21日訪問。
2023年02月13日 あしこし刑部大輔よし
経ヶ島[天城陣屋 碑・説明板]
もとは藤戸寺が管理していた海中の島だった。佐々木盛綱に浅瀬を教えた「浦の男」の供養に建てられ、盛綱が藤戸寺で大法要を営んだ際、書写した経文をこの小島に埋めたことからその名がついた。
2023年02月13日 あしこし刑部大輔よし
浮洲岩[天城陣屋 碑・説明板]
浮洲岩は潮の干満にかかわりなく常に海面に浮き出て見えたのでこの名がある。京都の醍醐寺三宝院の主人石である藤戸石はこの浮洲岩であると言われている。藤戸石は歴史的な経緯から「天下人が所有する石」とも呼ばれる。
2022年05月26日 つか征夷大将軍ぽ
下津井城の移築門[天城陣屋 遺構・復元物]
下津井城の城門が移築されて正福寺の山門として使われています。下津井城が廃城になり天城陣屋に移った時にでも移築されたんでしょうか。下津井城の貴重な遺構ですね。
2020年12月10日 ドクターイエロー大蔵大輔
天城陣屋
岡山県立倉敷天城高等学校の東側の坂道の上、お茶屋グラウンド付近です。陣屋のお茶屋跡ですが遺構は全く残っていません。学校西側の静光寺には陣屋門が移築されています。駐車場はなく、付近の道路に寸止めさせていただいて坂を登ります。R2.12.10訪城
2018年11月25日 織田上総介晃司
天城陣屋
天城陣屋は現在倉敷天城高校の野球部グラウンド。
天城陣屋総門が同じ天城地区の静光寺に移築されてます。
歩いてすぐの正福寺には下津井城の城門が移築されてます。
徒歩約2〜3分でリア攻め2ヶ所完了!(笑)
2010年10月09日 備中守とめ吉
天城陣屋
倉敷天城高校沿いをぐるっと回って陣屋と反対側の山に池田家墓所があります。歩いてすぐなので、セットで参ってみるのもいいかも。御墓だけですが10程あります。