常山城(つねやまじょう)

常山城の基本情報

通称・別名

所在地

岡山県玉野市宇藤木/岡山市南区

旧国名

備前国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

上野氏

築城年

文明年間(1469〜1487)

主な改修者

主な城主

上野氏、戸川秀安、伊岐真利

廃城年

慶長8年(1603)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

市史跡(常山城跡)

再建造物

石碑

周辺の城

天城陣屋(岡山県倉敷市)[8.1km]
高山城(岡山県岡山市)[10.1km]
早島陣屋(岡山県都窪郡)[10.4km]
直島城(香川県香川郡)[12.5km]
下津井城(岡山県倉敷市)[12.6km]
黒山城(岡山県倉敷市)[13.3km]
庭瀬城(岡山県岡山市)[13.6km]
撫川城(岡山県岡山市)[13.6km]
賀陽氏館(岡山県岡山市)[15.9km]
岡山城(岡山県岡山市)[16.3km]

常山城の解説文



常山城(つねやまじょう)は、岡山県岡山市南区迫川と玉野市宇藤木・用吉・木目にまたがる標高300メートルの常山山頂にあった日本の城(山城)跡である[1]。岡山市指定史跡および玉野市指定史跡。

概要 

常山城は文明年間(1469年~1486年)に備中の戦国大名・三村氏の姻戚である上野氏によって築かれたとされるが、詳細については不明である。以後、備中上野氏の居城となった。

上野肥前守隆徳が、備中上野氏最後の当主となった。天正3年(1575年)毛利氏により攻撃を受けた三村氏一族最後の居城が常山城であり、常山城は毛利氏の軍勢に取り囲まれ上野隆徳は城内で自害したが、上野隆徳の妻である鶴姫は、武家に生まれた女としての信念を貫き、城内の侍女三十余名を率い、城外の毛利軍に突撃した。鶴姫は毛利軍の武将である乃美宗勝に一騎討ちを挑むが、乃美宗勝はそれを拒否し、思わぬ奇襲に乱れた軍を建て直した。鶴姫は再度城内に戻り、自害した。

豊臣時代には宇喜多秀家の所領となり、戸川秀安が城主となった。山麓には秀安の墓と位牌所・友林堂(友林は秀安の号)がある。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで宇喜多氏が改易となり、小早川秀秋が当地の領主となるとその家臣の伊岐真利が城主となった。慶長8年(1603年)小早川秀秋が病死し改易となると、池田忠継の所領となり忠継はこの城を廃城とした。

現在、常山に城は現存しておらず、城跡として案内されている。また山頂付近には、鶴姫や侍女たちを祀る墓が34基あり、『女軍の墓』として紹介されている。

城跡は、玉野市側が1964年(昭和39年)6月25日に、岡山市側が2010年(平成22年)7月27日に各々の指定史跡となっている。

現地情報 

常山山頂からは児島湖・児島湾から岡山市街地までを見渡せ、晴れたときには瀬戸大橋も見えるなど景観はとてもよい。登山道・車道も整備されており、頂上まで登ることが可能。

最寄駅 

  • JR宇野線常山駅

参考文献 

  • 【書籍】「新版 岡山県の歴史散歩」
  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」
  • 現地説明板

常山城の口コミ情報

2022年05月30日 RED副将軍【新宮党】
両児山城(八濱城)[常山城  周辺城郭]



宇喜多VS毛利の八浜合戦の際に築かれた陣城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1581年頃に宇喜多基家により築城。1581年に宇喜多直家が病没すると毛利氏は元就四男の穗田元清を大将とし、麦飯山城を拠点に児島へ侵攻。宇喜多氏は宇喜多春家・基家を主将として八濱城を築いて対抗しました。

1582年、小競り合いから八濱合戦が勃発し、宇喜多基家はこの戦いで討死。総大将の討死で宇喜多勢は毛利軍の追撃を受けましたが、八浜七本槍の活躍で食い止めます。宇喜多氏は籠城により秀吉の救援を待つことで、負け戦ながらも毛利氏を追い返すことができました。

見所
標高約50mの両児山に築かれています。その名が通り北峰と南峰の二つのピークがあり、それぞれに遺構があります。北峰ピークには御崎神社、快神社が祀られており、改変が大きく竪堀が確認できる程度。南峰ピークの曲輪は公園化しながらも横堀が明瞭に残り、一番の見所となっています。

現在は両児山公園となり、北峰と南峰の間にある駐車場まで車で登ることができるお手軽城です。

2022年03月06日 戦国【若】
両児山城(八濱城)[常山城  周辺城郭]



八浜城(両児山城)は南北に二つの峰を持つ小高い丘陵に築かれた宇喜多氏の山城です。宇喜多と毛利がそれぞれ八浜城と常山城で睨みあい、小競り合い程度の小戦が繰り広げられました。
※二つの峰の間に駐車場があり、北に築かれた曲輪をA郭、南に築かれた曲輪をB郭と仮定してご説明します。

まずA郭を紹介します。現在A郭は神社になっており、駐車場から石段を登ること約2分で頂上へ到着します。改変を受けて、遺構が残っていないと思われがちですが、神社右脇の斜面に畝状竪堀が綺麗に残っています。中央の3,4本は竪土塁も綺麗で一見の価値があります。藪漕ぎ必須ですが“見てください”。急斜面に普請されていますが“見てください”。お城好きなら“絶対に見てください”(笑)

次にB郭を紹介します。B郭も改変を受けて公園と化しています。しかしB郭は石碑とお墓があり、空堀と土塁、堀切が残っています。空堀には木橋と言うなの3つの遊具が架かっています。堀と土塁の全長は70〜100mはあると思われます。空堀が2つ目の木橋でクランクして先に進む姿には目を奪われます。長大な空堀はB郭と簡単に削平された曲輪を断つように堀切となっています。B郭にも畝状竪堀群がありますが、浅くて分かりません。写真はA郭の畝状竪堀です。

駐車場もあり、横移動だけで城の遺構が楽しめる八浜城。戦国の世を生きた城の雰囲気を感じたい方は常山城とセットで訪れてみてください。お子様連れでも遊具があって楽しめると思います。

2022年01月31日 ドクターイエロー
見能城[常山城  周辺城郭]



瀬戸内海に向けて突き出した標高118mの尾根の先端に築かれた単郭の小さな城です。30×20mの方形の主郭の南側には土塁が構築されており南西部には腰曲輪2面伴っています。西側から北側には小さな帯曲輪もあります。また主郭の海に面した側には天然石による土塁らしき壇も見られます。堀切などの防御施設は確認されませんでした。見張り台のような役割だったのでしょうか?

十禅寺山に向かう山道が城のある周囲を通っています。登城口すぐ側の道がやや広くなった所に駐車可能です。ちゃんと山道もあり、ピンクのリボンを目印に猪罠のゲージ横をすり抜けて約2分ほどで主郭に到着します。雑木の隙間からは瀬戸内海が微かに一望出来ます。R4.1.30訪城

2022年01月26日 石工集団穴太衆【兒】
常山城



常山山頂付近にある無線中継所建物等撤去工事のため、山頂へ通じる道が通行止めとなります。

令和3年11月29日(月曜日)から令和4年6月17日(金曜日
※17日以降も断続的に通行止めを実施することがあります

*徒歩での登城ルートは
北麓にあるテニスコートの東側に門扉を設けた登り口があります。山道は整備されていますが、所々滑りやすい場所もあるので注意して下さい
また、門扉は開けたら必ず閉めて下さい
所要時間は「本丸」まで30~40分程度です。

2021年10月10日 と
常山城



上まで車で行けるようですが、クチコミを参考に3.5km下から歩きました。
しばらく通れなくなっていたと聞いていましたが、今はアスファルトで舗装されており、雑草や土砂等も綺麗に整備されて。心配なのは野生の動物くらいでした。(入口付近で、ボランティアで整備されてる自転車屋さんに会い、「ガサガサって聞こえたら、お気を付けて」とアドバイスいただきました)
道は確かに狭いし崖も傾斜もありますので、車で行かれる方は勿論、徒歩の方も、くれぐれもお気を付けて。
無事にたどり着いた先には、来てよかったと思える景色がありました。
また行きたいと思うお城でした。

2021年05月25日 東行治部少輔
常山城

圧倒的な物量差の中、自ら鉄砲を撃って戦った高徳公と34人の女官を率いて一矢報いんと討って出た鶴姫さんが今もいらっしゃるお城です。きっと死んだ後も一緒にいたかったんじゃないですかね。
お二人と女官のお墓がありますので失礼のないように挨拶してゆかれる事をお勧めします。
最近はあまり手入れされていないようですが、かつては盆踊りが行われていたそうで。また人が集まる場所になるとお二人も喜ばれるんじゃないかなと思います。

2021年05月23日 ドクターイエロー
辻の堂の五輪塔[常山城  碑・説明板]



「天正4年(1576)麦飯山の戦いで戦死した麦飯山城主・明石源三郎の墓」と説明板には記載されています。柳畑古戦場説明板の近くです。

2021年05月23日 ドクターイエロー
与太郎神社[常山城  寺社・史跡]



八浜城山麓に近い児島湾を遠くに望む県道405号線沿いに位置しています。足腰の神様として崇敬を集めていて今なお多くの参拝者で賑わっています。祭神は宇喜多与太郎基家。そうです、あの宇喜多直家の甥に当たる人物です。

天正9年(1581)、直家が他界。翌年、直家の死に乗じて、安芸国の毛利氏が備前国に侵攻して来ます。宇喜多家は直家の弟の春家(一説には忠家)・基家親子を大将として派遣します。そして宇喜多勢は八浜城に布陣し、東上して来る毛利軍と対峙しました。そして、天正10年(1582)2月24日、両軍が激突。この戦いのさなか、基家は戦死してしまいました。そのとき、基家はまだ十代の若さであったといわれています。

合戦のさなか、足に傷を負った基家は難を逃れるため、竹藪のなかに身を潜めていましたが、村人がその存在を毛利方に教えたため、あえなく討ち取られたといわれています。基家の名をとった「与太郎様」はその供養のために建立されたと伝わります。このことから「与太郎様」が足腰に霊験あらたかな神様であることがうかがえます。

社殿の横には地元の方が経営している売店(ただし営業時間は不定です)があり、線香やロウソクなどが販売されています。ここの名物は何と言っても「与太郎せんべい」!ここでしか入手できません。参拝のお土産に是非!なお神社前に2台ほどの駐車スペースがあります。


2021年05月23日 ドクターイエロー
柳畑古戦場[常山城  碑・説明板]



「天正9年8月(1581)2回目の八浜合戦のとき、毛利軍と宇喜多軍の戦いの発端となった地。この戦争によって宇喜多与太郎基家戦死、両軍に多数の戦死者が出た。その戦死者達の霊を慰めるために建立した供養塔である。」と説明板には記載されています。民家の脇にひっそりと佇んでいます。細い道なので駐車スペースはほとんどありません。

2021年05月19日 龍馬備中守【】
両児山城(八濱城)[常山城  周辺城郭]



岡山県の玉野市にある八濱城♪別名を両児山城と呼びます☆岡山の盟友様に教えて貰い行って来ました♪

備前・宇喜多氏は安芸・毛利氏から離反。。織田家重臣・羽柴秀吉の傘下入りします☆織田氏、羽柴氏の家臣となった以上、毛利氏と激しく対立していきます☆

毛利氏の攻撃に備えて、児島湖の南側の独立丘に宇喜多直家は八濱城を築かせました♪宇喜多直家が没すると毛利家の山陽方面を担当する三男坊・小早川隆景は児島郡を制圧する為に常山城に進出しこれを拠点とします☆
対抗する宇喜多家は宇喜多基家を総大将に八濱城を本陣としました☆
毛利軍は八浜城を攻略する為に穂井田氏を大将にして常山城と八濱城の中間点にある麦飯山に陣城を構えようとします☆八濱城は距離としては直線4キロ位かな〜?麦飯山城は谷を挟み対岸です☆直線どうだろう〜?1キロ無いくらいです☆でもでも陣城を築こうとした事が毛利方にバレてしまい…麦飯山を毛利軍が占拠しちゃいます☆

両軍は麦飯山の東側の柳畑で小競り合いを開始します☆宇喜多勢は麦飯山麓に馬草刈りの為に数名の兵を繰出します☆対する毛利勢も数人の兵を出し馬草刈りをしていた宇喜多勢を追い払います☆そこで宇喜多勢は更に数人が加勢してきて毛利勢も数名を繰出し応戦という状況が続きました☆こんなやり取りの中で両軍大群にw本格的な合戦に発展します☆
宇喜多基家は流れ弾に当たり戦死☆
宇喜多勢は劣勢になり八濱城へ退きました☆
毛利軍は追撃しますが宇喜多軍は戸川秀安、岡豊前守などの八濱・七本槍と呼ばれる家臣達の踏ん張りで毛利軍の追撃を撃退しました☆
その後、備中高松城の戦い(水攻め)で羽柴秀吉と毛利氏の和議によって毛利氏と宇喜多氏の領土境界線が確定☆城の重要性も薄れていき廃城となりました☆

城郭は独立丘になっていて南北に伸びる尾根を加工☆2つの峰を持ちます☆連続畝状竪堀群に長大な横堀に堀切を組み合わせます☆城域は狭くて正に砦の顔をしています☆低丘陵地な為に直ぐに遺構を見れるのでオススメです☆

2021年02月09日 しおうまる 美作守
両児山城(八濱城)[常山城  周辺城郭]



毛利VS宇喜多の備前児島を巡る戦い。天正10年の八浜合戦で著名な?備前の陣城、両児山城(宇喜多方)です。西方に麦飯山城(毛利方陣城)、さらに西方には常山城(宇喜多方)が見えます。
毛利方の大将は、元就の四男坊の穗田元清。対して宇喜多方は城めぐ未登録。直家の甥っ子宇喜多基家☆って誰だよwしかしここは割愛w毛利軍は水軍力を背景に、じわりじわりと外から内へ児島海上を封鎖。麦飯山城と連携を取りつつ兵を入れてきます。小競り合いが発展しついにガチンコ🔥⚔🔥麦飯山城に迫るも孤軍突出した基家は討死。享年18歳。その御霊は、麓の与太郎神社に八浜七本槍の武名と共に奉られています。

さて、西に日が傾きかけた当日4城目。その名の通り独立丘陵上に2つの小山。両児山公園にトウチャコ♪北と南の曲輪間に駐車場があります。まずは南城へGo~最初に目に入る八濱城の石碑と数基の墓石。阿闍梨…お坊様のお墓?を過ぎ周囲の景色を見て、西は海だよ~東側は漁村だったんだよ~と脳みそはタイムスリップ!その先の曲輪は、南側に手入れされた横堀と土塁が広がっています。おおーっ☆鍵状に横矢も掛かって素敵ぃ~♡南西の堀切は横堀と合体☆土塁の南側の舗装道へ。ここ…これは!畝状竪堀GU⤴︎N☆浅いのでこりゃ〜フォトは難しいな~と言いつつパシャパシャ。やはり🍁いっぱいの平面図だす…
足を北に向け北城へ♪八浜八幡宮のお社があります。変革を受けて遺構は周囲の切岸と東の畝状竪堀くらいですかね?肉眼では浅い竪堀も、心眼では深々と堀上げらてるのが見えるwwはず!

時代背景を妄想しながら楽しい散策でした!

【登城日】令和3年1月31日
【参考文献】岡山県中世城郭館跡総合報告書他

2020年12月17日 ドクターイエロー
常山城



JR常山駅前の道から看板に従って城跡への道を1キロ程進むとお墓の前に数台の駐車場があります。山頂近くの栂尾二の丸まで更に車で行くことはできますが(約3.5キロ、駐車場あり)道幅狭く離合できる箇所が少ないので余程自信のない限りお墓前の駐車場付近からの直登コースをオススメします。登山口入口には善意の杖も設置されています。山道を登ること約25分で底無井戸に到着します。ここから栂尾二の丸にも行けますが直進すると惣門丸に出ます。先端部は視界良好です。矢竹丸(この辺りでリア攻め可能です)などの雛壇状の曲輪を登りきると山頂の本丸です。腹切岩と城主の碑があります。一段下がって北二の丸には有名な女軍の墓があります。曲輪を下ると栂尾二の丸に戻りますが途中道筋に石垣が見られます。ここには詳しい案内看板が設置されています。なお令和3年1月30日まで栂尾二の丸駐車場迄の車での山道は途中から工事の為に通行止になっています。R2.12.17訪城

2019年04月05日 石工集団穴太衆【兒】
常山城

車道の崩落箇所も整備されて、車での常山城への登城が可能になりました、
車道は狭く車同士の対向が出来にくいので注意が必要です
車は栂尾二の丸にある駐車場まで行けます

なお、常山城の主郭西側の尾根筋にある通称千人岩にも車でのアクセスが可能になった為に行き易くなってます

2019年02月07日 安那備後守はるか
常山城

先のユーザー様の口コミに立ち寄って
見たところ、2月6日より鉄塔解体工事にて
全面通行止めになっています。(車道)
工事期間は今年度3月31日までだそう
です。
登山道からは登城可能です。
麓近くのテニスコートから登れます。

2019年02月05日 ムッシュ荒木ムラ村重
常山城

2019年2月2日にリア攻めしてきました。通行止めは解除されており、栂尾丸の駐車場まで行けますが、パッソクラスなら問題ないものの、すれ違い箇所はごく限られています。
余程のことがなければ、車とすれ違うことはないと思われてますが、要注意です。
大きな台風が来ると、また通行止めになりかねないと思いますので、リア攻め派の方には今がチャンスです。
本丸直下の石垣は必見ですよ(^^)

2018年11月07日 織田上総介晃司
常山城

本丸下まで続く車道が崩落のため通行止。麓の駐車スペースに停めるようになります。

天正兵乱(備中兵乱)により上野隆徳、鶴姫はじめ30余名の女軍が全滅した悲劇の城。

常山には石仏が至るところにあります。
児島富士と呼ばれ、常山が信仰の対象となっているからか?
それとも女軍の霊を慰める為のものか?

2018年03月14日 石工集団穴太衆【兒】
常山城

常山城は本丸を中心に二股状に郭を配し複連郭式の形状で本丸北面を栂尾丸、栂尾二の丸、青木丸、天神丸、北三の丸、北二の丸守備し、東面を惣門丸、惣門二の丸、矢竹二の丸、矢竹丸、東三の丸、東二の丸で守備し本丸南面に腰郭の兵庫丸が備える、常山城は本丸北面の曲輪群は多少草木に覆われいますが良好で本丸、兵庫丸、栂尾丸に石垣が良く残り一方東面の曲輪群は草木に覆われ遺構を確認するのが難しく唯一惣門丸に石垣が良く残ってます、常山城へは常山駅から西へ数百メートル行きますと左手に常山城登山口の看板があり、そこから数百メートル行きますと左手に駐車場があり車の方はそちらに駐車出来ます、駐車場から東に50m行きますと常山城の入り口があります、登山道は比較的緩やかで登り始めて少し立つと左右に削平地があり藩主居館跡かなと思いましたが不明で、そこから石畳の道が続き、途中馬洗池や底無し井戸がありどうやらこちらが大手道と思われます、また登山道から本丸までには100体以上の可愛いお地蔵様がお出迎えしてくれてます、また近年テレビ等で心霊スポットとして取り上げられましたが一切その様な事は無いので安心して訪れて下さい


2017年01月02日 宇喜多主税允秀政
常山城

鶴姫や女人の霊がいる常山城の山頂付近でバカなことしやがって心霊スポットだけど殺人があった…また1人、霊体が仲間入りしたではないか

2015年08月09日 影武者
常山城

この城跡は岡山県内の心霊スポットと一つと言われているそうだ。

常山城の周辺スポット情報

 本丸石垣(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 看板(碑・説明板)

 辻の堂の五輪塔(碑・説明板)

 柳畑古戦場(碑・説明板)

 麦飯山城(周辺城郭)

 両児山城(八濱城)(周辺城郭)

 見能城(周辺城郭)

 与太郎神社(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車スペース(駐車場)

 登山口(その他)

 登城口(その他)

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