早島陣屋(はやしまじんや)
早島陣屋の基本情報
通称・別名
- 戸川家陣屋
所在地
- 岡山県都窪郡早島町早島
旧国名
- 備中国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 戸川安尤
築城年
- 宝永6年(1709)
主な改修者
- -
主な城主
- 戸川氏
廃城年
- -
遺構
- 石橋、堀
指定文化財
- 町史跡(早島陣屋跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
天城陣屋(岡山県倉敷市)[4.6km]
撫川城(岡山県岡山市)[4.6km]
庭瀬城(岡山県岡山市)[4.7km]
賀陽氏館(岡山県岡山市)[6.7km]
福山城(岡山県総社市)[7.7km]
黒山城(岡山県倉敷市)[8.2km]
亀山城(岡山県総社市)[8.9km]
富山城(岡山県岡山市)[9.3km]
辛川城(岡山県岡山市)[9.5km]
備中高松城(岡山県岡山市)[9.9km]
早島陣屋の口コミ情報
2024年11月18日 RED副将軍
早島城[早島陣屋 周辺城郭]
加藤清正との一騎打ちにより惜しくも戦死したとされる竹井将監の居城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代や築城主は不詳。戦国時代の城主は竹井将監と云われます。
竹井将監は毛利氏に属し、1582年の毛利氏と織田信長の家臣である羽柴秀吉が激突した備中高松城の戦いの前哨戦において、冠山城に入り加藤清正との一騎討ちで討死を遂げたとされます。
敵ながらあっぱれな武人として、羽柴秀吉は供養のために金子五十両を与えて祀ったと云われています。
見所
早島小学校の背後にある丘陵に築かれています。現在は早島公園として整備され、公園化により遺構は消失。
公園内には、国鉾神社、城山稲荷神社、広場、和風庭園などがあり、それぞれが郭であった様にも感じられます。
城山稲荷神社の近くには竹井将監五輪塔が建立されています。
2024年11月17日 RED副将軍
早島陣屋
約200年に渡り早島を治めた早島戸川氏の陣屋跡🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
1693年に戸川重明により築城開始。
戸川氏は、伊予水軍の将で一遍上人の祖父にあたる河野通信の系譜とされ、富川正実が備中国児島に移り宇喜多能家に仕えたとされます。その孫である秀安が富川氏から戸川氏に改めました。
戸川秀安は宇喜多氏の重臣となり、常山城主でありましたが、嫡男の戸川達安は内紛である宇喜多騒動により徳川家康の家臣となり、関ヶ原の戦いの戦功により庭瀬城に入封。
1631年、戸川達安の四男である戸川安尤が早島に分知され、二代戸川重明のころに現在の地に陣屋が定められ、1709年の三代戸川安貞のときに完成しました。早島戸川氏は13代続いて明治を迎えました。
見所
現在は、早島小学校の西側に石橋と石垣を伴う堀の一部が残っているのみです。
周辺に案内板と石碑が立っています。
2023年07月24日 noble権中納言弥勒菩薩
早島陣屋
ホントにごくごく一部だけ、水堀が残ってます。あとは、『陣屋阯』の石碑だけ。この石碑、ちょっと小道入った処で分かりづらいです。
2023年01月31日 RED副将軍
松島城[早島陣屋 周辺城郭]
毛利氏が織田軍との最前線の国境沿いに備えた境目七城のひとつ🏯
境目七城は、備中高松城、宮路山城、冠山城、加茂城、庭瀬城、日幡城、松島城の七城
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。
織田信長の命による羽柴秀吉の中国侵攻において毛利氏が備えた境目七城のひとつで、梨羽高秋が守っていたと伝わります。
1582年の備中高松城の戦いにおいては、戦いの中心地である備中高松城から離れているため松島城での戦闘は無かった様です。
見所
現在は、川崎医科大附属病院の敷地となり遺構は消失しています。松島の名の通り、以前は海に囲まれた島であったとのこと。
病院背後の射越山には両児神社が鎮座しており行ってみましたが遺構らしきものは見当たりませんでした。
2021年09月21日 Ak
早島陣屋
現在、コロナの為、休館中です。
井戸は、個人宅の中にあります。
(塀の中にあり、見えません。)
2021年09月19日 【若】戦国左近将監
妹尾陣屋[早島陣屋 周辺城郭]
【妹尾陣屋】 2021.9.19
別名は戸川氏陣屋と呼ばれ、その名の通り1669年に戸川安成によって築かれました。元々は須浜城という城があり、その三ノ丸に築かれたとされています。
現在は井戸(市指定文化財)のみが残り、説明板が立てられています。井戸の北側に高台があり、その入口は完全にクランクしており枡形の雰囲気をだしています。
妹尾駅から徒歩2分…妹尾に来る機会があったら是非訪れてみてはいかがですか(^^)♪
2021年07月31日 【若】戦国左近将監
早島陣屋
小学校の隣に早島陣屋跡があります。遺構は『石橋』『水堀』『井戸』など。
石橋を渡った先にも戸川家の象徴とされる石碑があり、石橋の手前には案内板があります。また、戸川記念館という早島陣屋を紹介する場所もあります。ただ、空いている日時が指定されているので、そこに行かれる際には確認をして行ってください。
また、戸川記念館の左奥には『現存土塀』があります。ただ、そこは個人の家なので写真を取る際に人が居たら声を掛けてください。壁の損傷具合から貴重の遺構であると分かります。さらに、その道を上に進むと隠れた石垣が現れます。本当に見つけにくいので、注意してください。最後に早島小学校を挟んで右にある神社には宇喜多氏の石碑があります。穏やかな雰囲気ですが土塁のような地形もあり殺気が感じられます。ベンチがあり休憩もできます(^^)
小さいですが遺構が複数あって魅力がある陣屋跡でした。
【駐輪場】石橋近くのスペースに止めてもらえば結構です。(無料)
【リア攻め地点】石橋の上からリアできます。
【行き方】JR早島駅から行かれる場合は徒歩10分(約750m)
2021年06月10日 ドクターイエロー大蔵大輔
妹尾陣屋[早島陣屋 周辺城郭]
寛文9年(1669)に庭瀬藩戸川正安の次男安成が分家して1500石を与えられてこの地に陣屋を築きました。その後本家の庭瀬戸川藩が後継者なく断絶してしまいますが、早島や帯江の戸川分家と共に幕末まで戸川家を支えました。
JR妹尾駅から北に200mほど行った丘陵上にあったとされています。現在は麓に井戸が残っているのみです(岡山市指定文化財)。なお現在笠岡市立笠岡小学校にある校門は妹尾の陣屋門を移築して小田県庁の正門として使用されたものです。R3.6.10訪問
2021年06月10日 ドクターイエロー大蔵大輔
帯江陣屋[早島陣屋 周辺城郭]
羽島郵便局のすぐ南にある製帽工場の中にポツンと石碑と案内看板が立っているのみです。当時の絵図面も掲示されていて山裾に塀で囲まれた陣屋が築かれていたと考えられます。私有地と思われますので、ひと言許可を得てからの見学が望ましいでしょう。
庭瀬藩戸川達安の四男安利が分家として3300石を分知されて旗本となります。その後本家の庭瀬戸川藩が後継者なく断絶してしまいますが、早島や妹尾の戸川分家と共に幕末まで戸川家を支えました。R3.6.6訪問
2020年12月17日 ドクターイエロー大蔵大輔
早島陣屋
早島小学校の隣に現存の石橋が残っています。隣接の早島児童館、小学校専用駐車場付近でリア攻め可能です。なお近くにある戸川記念館(入場無料)は開館日が日曜&祝日のみなのでご注意ください。R2.12.17訪城
2019年06月23日 織田上総介晃司
早島陣屋
石橋を渡った戸川家記念館の隣りと石橋の手前に駐車場があります。
記念館には戸川家及び早島に関する資料展示がされてますが日曜、祝日の開館となってますので平日、土曜に行っても見学できません。
2018年12月06日 石工集団穴太衆【兒】
早島陣屋
【町指定重要文化財】早島戸川家陣屋井戸
【歴史】
早島陣屋は二代領主 戸川安明の時に普請にとりかかり、17年の歳月をかけ宝永6年に完成しました
幕末の陣屋の様子を描いた陣屋絵図によると、この井戸は現在の所有者平田家の前にあり陣屋内の貴重な生活用水として使われてるいました
なお、平田家は江戸時代末期の資料には
江戸詰めの大目付としてその名を残してるそうで、代々戸川家の重臣として責務を担っていました
【現在】
井戸枠の石組み、排水設備は当時のままをとどめ、井戸を覆う屋根の軒丸瓦には戸川家の家紋の梅鉢紋があしらわれています
当時の陣屋の面影を今に伝える貴重な遺構だと思います
現在の戸川家陣屋井戸は、平田家の中庭にありますので、未公開となってます
今回は仕事で訪れて見せてもらえる事が出来ました
【周辺情報】
早島町は、かつて畳おもて、ござの原料でもある、い草の一大生産地でした
早島町にはい草のソフトクリームもあります、僕は好きな味でした、興味のある方は是非♪花みずきってお店で食べれます