亀山城(かめやまじょう)

亀山城の基本情報

通称・別名

所在地

岡山県総社市三須

旧国名

備中国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

佐野氏

廃城年

遺構

曲輪、腰曲輪、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

周辺の城

備中高松城(岡山県岡山市)[3.7km]
福山城(岡山県総社市)[4.2km]
冠山城(岡山県岡山市)[5.1km]
賀陽氏館(岡山県岡山市)[5.6km]
鬼ノ城(岡山県総社市)[6.1km]
辛川城(岡山県岡山市)[6.5km]
撫川城(岡山県岡山市)[6.7km]
庭瀬城(岡山県岡山市)[6.9km]
鍛冶山城(岡山県岡山市)[7.0km]
早島陣屋(岡山県都窪郡)[8.9km]

亀山城の口コミ情報

2021年05月05日 ドクターイエロー
長良山城[亀山城  周辺城郭]



岡山県立大学の東側の標高40mの細長い丘陵上に位置しています。八幡宮の鳥居をくぐって山の中に入り急勾配を登りきると八幡宮の前、駐車スペースも数台分あります。ちょっと大型車には厳しいかも知れません。仮設トイレもあります。

丘陵上は北側に八幡宮、南側には石鎚神社が祀られており、遊歩道も整備されているので城郭というイメージはほとんどありません。更に南側には明治時代に陸軍の演習に使用されたとの石碑もあり遺構は破壊されているようです。唯一、北側の八幡宮の本殿の裏側にはわずかに石垣が残っています。

なお岡山県中世城館跡総合調査報告によると長良山城はこのエリアも含めて稜線に沿って北の方にもう2つの曲輪群が存在していると報告しており、南北にわたって巨大な城郭であったとしています。R3.5.5訪城

2021年04月18日 ドクターイエロー
造山古墳土塁跡[亀山城  遺構・復元物]



5世紀前半に築造されたと思われる造山古墳は古代吉備国を象徴する巨大な前方後円墳であり、当時の名だたる首長の墓であったと考えられます。その全長は350mを誇り、全国でも第4位の大きさです。ちなみに第1位の大山古墳(伝仁徳天皇陵)~3位は全て天皇陵と伝えられている関係上、宮内庁陵墓課により管理されており立入禁止になっています。すなわち造山古墳は見学(立ち入り)可能な日本一巨大な古墳ということになります。

備中高松城からは約3キロしか離れていないことから天正10年(1582)高松の役の際には毛利軍の陣城として利用されていたと思われる痕跡が残っています。高松城側に近い後円墳の上には最大1m程の土塁が一部で確認できます。元来造山古墳は三段築成の構造でありその高さは約30m、陣城として条件的には十分だと思われます。北東方向に目を向けると正面の高松城は足守川の土手で見づらくなっていますが(たぶん大鳥居の近くだと思います)、その奥には羽柴秀吉の陣(石井山)が見えます。左手には吉川元春の陣(庚申山)、背後の山頂には小早川隆景の陣(鷹ノ巣城)を望む正に最前線基地だったのでしょう。1000年ほど前に葬られた古墳の主様も、このリサイクルにはさぞかし驚かれたことでしょうね。

駐車場はトイレも併設されている造山古墳ビジターセンターをご利用ください。古墳へは徒歩5分です。またせっかくですのでビジターセンターや周辺に6基ある陪塚(主墳被葬者との主従・近親関係等を葬る)にもお立ち寄りください。R3.4.17訪墳

2021年04月14日 ドクターイエロー
鷹ノ巣城[亀山城  周辺城郭]



天正10年(1582)羽柴秀吉による備中高松城水攻めに対して、小早川隆景が布陣したとされている鷹ノ巣城は、岡山市と倉敷市と総社市が交わる地点に築かれています。備中高松城水攻めの際の各陣営が非常に良く解かる位置にあります。南北に流れる増水した足守川。その一部が破壊され、急遽築いた堤防で囲まれた清水宗治が籠る高松城周辺はすでに水浸し状態・・・。智将・小早川隆景もさぞかし驚いたことでしょうね。

車では日差寺の駐車場まで乗り入れできます。3~4台停められます。先ずは安全を祈願しましょう。寺の奥には巨石の毘沙門天が祀られています。更に奥に進むと南側に視界の開けた巨石上にたどり着きます。ここから先は倉敷北部全山縦走コースを歩きます。山道は良く手入れされており、歩きやすくなっています。途中でT字路を右折して北進、江田山山頂を過ぎると間もなく眼の前に一段高くなった石垣が現れます。石垣は南側に一部残っているようです。上に登ると平坦な曲輪に出ます。曲輪は2段あるようです。ここまで日差寺より1キロ弱、約20分の道のりです。突然視界が開けて、ここからは隆景モードにいざ突入です!道も行き止まりになります。また他に目立った遺構は確認できませんでした。

なお眼下には全長350m全国第4位の規模を誇る造山古墳も俯瞰することができます。前方後円墳の独特な形状が良くわかります。高松城水攻めの際には毛利方の陣城として利用されたと思われれる土塁跡が後円部の墳丘上に一部見られます。古墳ファンの方も是非ご訪城ください。R3.1.11訪城

2020年11月29日 ドクターイエロー
亀山城



先人様達の教えに従って城山の北東部から城攻めしました。なお車は城山の北側の用水路の橋の部分にギリ1台停められる程度です。本アプリの地図上、🏯マークに最も近い麓付近にてリア攻め可能ですが、自信ある方はそこから強引に山中に突入してみてください。右手の本丸への切岸を上がり土塁上を南方向に進むと藪の中に立派な堀切が現れます。反対側は二の丸です。残念ながら本丸跡には倒竹が邪魔してそれ以上奥には進めませんでした。またこの山中(城中?)には巨大横穴式石室を有する亀山塚古墳の存在も昭和初期発刊の「吉備郡史」には記載されていますが、それもわからずじまいでした。R2.11.29訪城
 

2018年01月27日 石工集団穴太衆㊻
亀山城

『城郭大系』より、この城の歴史について明らかな事は天正年間の城主が佐野和泉守忠職であった事だけ分かっており、幸山城主の石川氏の重臣で名代を務めるほどの有力国人であった
亀山城は標高32mで比高20mの頂部に配置された丘城で、本丸と二の丸がそれぞれ三郭で構成された連郭式の城で郭の両脇に幾つもの腰郭を付設していた、現在の本丸の三ノ壇は採土工事によって消滅していて、本丸のニノ壇、一ノ壇と本丸一ノ壇に付属している半円形の馬出し郭があり、二の丸との間は深い箱薬研状の堀切で区画され、二の丸は本丸同様三つの郭からなるが本丸とは対照的に、いづれも完全な削平面を取っておらず、建物の存在を想定する事は出来ず、郭が本丸と一体的な防御機能を備えていた事は明らかである、現在の亀山城は竹が生い茂り、奥までの侵入は難しく全ての遺構の確認は出来ませんが本丸と二の丸の間の堀切と二の丸の一ノ壇、ニノ壇、三ノ壇の郭は良好です私的には興味のある城郭です、訪問の際は個人所有の山なので敷地内に人が居ればお声をかけて下さい車でお越しの方は水路にコンクリート製の橋が架かっているので1台は止めれます。

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