亀山城(かめやまじょう)

亀山城の基本情報

通称・別名

所在地

岡山県総社市三須

旧国名

備中国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

佐野氏

廃城年

遺構

曲輪、腰曲輪、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

周辺の城

備中高松城(岡山県岡山市)[3.7km]
福山城(岡山県総社市)[4.2km]
冠山城(岡山県岡山市)[5.1km]
賀陽氏館(岡山県岡山市)[5.6km]
鬼ノ城(岡山県総社市)[6.1km]
辛川城(岡山県岡山市)[6.5km]
撫川城(岡山県岡山市)[6.7km]
庭瀬城(岡山県岡山市)[6.9km]
鍛冶山城(岡山県岡山市)[7.0km]
早島陣屋(岡山県都窪郡)[8.9km]

亀山城の口コミ情報

2023年09月18日 RED副将軍
鷹ノ巣城[亀山城  周辺城郭]



備中高松城の戦いにおいて小早川隆景が構えた陣城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代や築城主は不詳。
1582年の羽柴秀吉との備中高松城の戦いにおいて、小早川隆景が陣を構えた地とされます。
備中高松城に籠城する清水宗治は羽柴秀吉軍3万の兵に包囲されました。小早川隆景は毛利輝元、吉川元春と共に毛利軍の主力3万を率いて救援に赴き、小早川隆景は江田山の鷹ノ巣城に布陣しました。
羽柴秀吉は、長堤を造って足守川の水を堰き止めることで備中高松城を浸水させて水攻めを実施。
さらに武田勝頼を滅ぼした織田信長の本軍が援軍に来る準備をしていることを知った小早川隆景は、毛利氏が勝利する見込みが薄いと判断し、安国寺恵瓊を通じて羽柴秀吉と和睦交渉を行います。
本能寺の変により織田信長が没したことを知った羽柴秀吉は毛利方に本能寺の変での織田信長の死を隠したまま、清水宗治の自刃と領地割譲を条件に急ぎ和議を締結し、明智光秀討伐のため京都へ大返しをしました。

見所
標高227mの江田山頂部に築かれており、断崖の尾根先を削平し、備中高松城を中心に毛利軍と羽柴軍の陣地全体を見渡すことができる立地です。
主郭の手前には石垣と方形の土塁が残りますが、城郭とは違う時代のものとの指摘もあります。確かに急ごしらえの陣城には似つかわしくないしっかりとした野面積みです。754年に報恩大師が日差山に霊場を開いているので山岳寺院であったのかもしれません。

行き方は、日差寺を目標に設定。駐車場がありハイキングコースになっています。毘沙門天を越え、日差山の山頂も越えて尾根を進むと江田山に辿り着きます。日差寺から30分くらいです。

2022年07月29日 tracer_azu
鷹ノ巣城[亀山城  周辺城郭]



1582年、備中高松城攻めの際、小早川隆景が援軍を率い鷹ノ巣山城に陣を敷き高松城の水攻めの様子を見ていたとされています。なるほどとわかる眺望の良さですが、郭としての削平は甘く、一つ一つの郭はそれほどの広くはありませんでした。

2022年03月25日 ドクターイエロー左馬頭
三須城[亀山城  周辺城郭]



遺構はほとんど残っておらず、住宅地や田畑に囲まれた一角に小山状の丘陵が名残をとどめているようです。明らかに個人の所有地なので許可を得たかったのですが訪問時には付近に住人の姿はなく写真撮影のみ行ってから早々に退散しました。丘陵上には小さな祠が祀られていました。綺麗に整備された丘陵からは鬼の城や備中福山城が良く見えます。偶然オスのキジが祠の近くで羽を休めていました。キジ城主でしょうか?不意の襲撃で申し訳なかったですぅ…。

付近の道幅は比較的狭く、西側の道筋に一箇所だけ用水路に蓋がされている場所があり、少しの時間だけ停めさせていただきました。R4.3.24訪城

2021年10月10日 【若】戦国大蔵丞
亀山城

【備中亀山城】2021.10.10
今回は北東からの道を紹介します♪
前回は北西から入って失敗したので北東の入り口へ。入り口は明瞭に分かりますが、そこから入ると腰〜肩までの藪が遅いかかり、蜘蛛の巣とも戦闘が始まります(笑)
今回、行ってみて分かったのですが、入り口の右に10m程度の場所から入るのがオススメ♪そこは入口というよりもただの藪の中ですが入ると比較的、藪が少ないです♪
さて、北東から入った僕は何とか登りきって竪土塁を発見!!そこからずっと上がると本丸と二の丸を隔てる大堀切があります。この大堀切はホンマに必見です!堀切を南に進むと二重竪堀となって南斜面に落ちてました。
また、本丸一ノ壇に登ると土塁が良好に残っており、ここも見所です♪
そして帰るときには堀切を通過して斜め左の本丸方面に寄って見てください!本丸から伸びた横堀があって北斜面に竪堀となって落ちるんですが。ここが主郭北の畝状竪堀の一条だそうです♪この竪堀を経由して降りていくと藪は少なく、最初に紹介した北東入口の10m横に出ます。
堀切、竪堀、土塁、切岸……どの遺構も良好で素晴らしい山城です♪
興味がわいたら是非訪ねてみて下さい。

2021年08月04日 【若】戦国大蔵丞
亀山城

先人様とは異なり、北西部からリア攻めしみました。今回は北西部について紹介します。一応、北西部にも道はありますが、草ボーボー、倒竹ばかりで中々進めません。

おまけに、遺構が良好に残っている東に進む道が倒竹で防がれて進めませんでした。北西部をリア攻めするメリットとしては、土塁が良好に残り、僅かにの横堀があるだけです。

北西部から出てくる頃には足は草が付きまくり、顔にはクモの巣、体中が蚊に刺されて大変でした。なので、北西部のリア攻めはお勧めいたしません。
根性がある方は入ってもらい、しばらく進むと竪堀のような地形があり、そこを進むと土塁が現れます。

そこには岩盤もあり、防御力が高いことがうかがえます。しかし、竹が邪魔するので体が細い方しか入れません。クモの巣が複数あるので十分ご注意を!

本丸には先人さま方も中々進めることができない模様です。個人的には北東部の道がお勧めです。僕は知らずに入れませんでした(笑)

【駐車場】北西部の石橋に一台止められます。南側にも2ヶ所ほど駐車できるスペースが設けられています。

【リア攻め地点】北西部からはリア攻めできませんでした。手動でやるのがお勧めです

【行き方】服部駅から徒歩30分。車で6分。

2021年05月05日 ドクターイエロー左馬頭
長良山城[亀山城  周辺城郭]



岡山県立大学の東側の標高40mの細長い丘陵上に位置しています。八幡宮の鳥居をくぐって山の中に入りめっちゃ急勾配を登りきると八幡宮の前、駐車スペースも数台分あります。ちょっと大型車には厳しいかも知れません。仮設トイレもあります。

丘陵上は北側に八幡宮、南側には石鎚神社が祀られており、遊歩道も整備されているので城郭というイメージはほとんどありません。更に南側には明治時代に陸軍の演習に使用されたとの石碑もあり遺構は破壊されているようです。唯一、北側の八幡宮の本殿の裏側にはわずかに石垣が残っています。

なお岡山県中世城館跡総合調査報告によると長良山城はこのエリアも含めて稜線に沿って北の方にもう2つの曲輪群が存在していると報告しており、南北にわたって巨大な城郭であったとしています。R3.5.5訪城

2021年04月14日 ドクターイエロー左馬頭
鷹ノ巣城[亀山城  周辺城郭]



天正10年(1582)羽柴秀吉による備中高松城水攻めに対して、小早川隆景が布陣したとされている鷹ノ巣城は、岡山市と倉敷市と総社市が交わる地点に築かれています。備中高松城水攻めの際の各陣営が非常に良く解かる位置にあります。南北に流れる増水した足守川。その一部が破壊され、急遽築いた堤防で囲まれた清水宗治が籠る高松城周辺はすでに水浸し状態・・・。智将・小早川隆景もさぞかし驚いたことでしょうね。

車では日差寺の駐車場まで乗り入れできます。3~4台停められます。先ずは安全を祈願しましょう。寺の奥には巨石の毘沙門天が祀られています。更に奥に進むと南側に視界の開けた巨石上にたどり着きます。ここから先は倉敷北部全山縦走コースを歩きます。山道は良く手入れされており、歩きやすくなっています。途中でT字路を右折して北進、江田山山頂を過ぎると間もなく眼の前に一段高くなった石垣が現れます。石垣は南側に一部残っているようです。上に登ると平坦な曲輪に出ます。曲輪は2段あるようです。ここまで日差寺より1キロ弱、約20分の道のりです。突然視界が開けて、ここからは隆景モードにいざ突入です!道も行き止まりになります。また他に目立った遺構は確認できませんでした。

なお眼下には全長350m全国第4位の規模を誇る造山古墳も俯瞰することができます。前方後円墳の独特な形状が良くわかります。高松城水攻めの際には毛利方の陣城として利用されたと思われれる土塁跡が後円部の墳丘上に一部見られます。古墳ファンの方も是非ご訪城ください。R3.1.11訪城

2020年11月29日 ドクターイエロー左馬頭
亀山城



先人様達の教えに従って城山の北東部から城攻めしました。なお車は城山の北側の用水路の橋の部分にギリ1台停められる程度です。本アプリの地図上、🏯マークに最も近い麓付近にてリア攻め可能ですが、自信ある方はそこから強引に山中に突入してみてください。右手の本丸への切岸を上がり土塁上を南方向に進むと藪の中に立派な堀切が現れます。反対側は二の丸です。残念ながら本丸跡には倒竹が邪魔してそれ以上奥には進めませんでした。またこの山中(城中?)には巨大横穴式石室を有する亀山塚古墳の存在も昭和初期発刊の「吉備郡史」には記載されていますが、それもわからずじまいでした。R2.11.29訪城
 

2018年01月27日 石工集団穴太衆【兒】
亀山城

『城郭大系』より、この城の歴史について明らかな事は天正年間の城主が佐野和泉守忠職であった事だけ分かっており、幸山城主の石川氏の重臣で名代を務めるほどの有力国人であった
亀山城は標高32mで比高20mの頂部に配置された丘城で、本丸と二の丸がそれぞれ三郭で構成された連郭式の城で郭の両脇に幾つもの腰郭を付設していた、現在の本丸の三ノ壇は採土工事によって消滅していて、本丸のニノ壇、一ノ壇と本丸一ノ壇に付属している半円形の馬出し郭があり、二の丸との間は深い箱薬研状の堀切で区画され、二の丸は本丸同様三つの郭からなるが本丸とは対照的に、いづれも完全な削平面を取っておらず、建物の存在を想定する事は出来ず、郭が本丸と一体的な防御機能を備えていた事は明らかである、現在の亀山城は竹が生い茂り、奥までの侵入は難しく全ての遺構の確認は出来ませんが本丸と二の丸の間の堀切と二の丸の一ノ壇、ニノ壇、三ノ壇の郭は良好です私的には興味のある城郭です、訪問の際は個人所有の山なので敷地内に人が居ればお声をかけて下さい車でお越しの方は水路にコンクリート製の橋が架かっているので1台は止めれます。

亀山城の周辺スポット情報

 鷹ノ巣城(周辺城郭)

 長良山城(周辺城郭)

 三須城(周辺城郭)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車スペース(駐車場)

 亀山城登城口(その他)

 登城口(その他)

 登城口(その他)

 石碑(その他)

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