岡山城(おかやまじょう)

岡山城の基本情報

通称・別名

烏城、金烏城、石山城

所在地

岡山県岡山市北区丸の内

旧国名

備前国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

複合式望楼型[4重6階/1597年築/焼失(空襲)]、複合式望楼型[4重6階/1966年築/RC造外観復元]

築城主

上神高直?

築城年

正平年間(1346〜1370)

主な改修者

宇喜多秀家、小早川秀秋、池田忠雄

主な城主

上神氏?、宇喜多氏、小早川氏、池田氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

曲輪、櫓、石垣、横堀(空堀)、虎口

指定文化財

国重要文化財(月見櫓、西の丸西手櫓)、国史跡(岡山城跡)

再建造物

天守、門、塀、石碑、説明板

周辺の城

明禅寺城(岡山県岡山市)[2.2km]
富山城(岡山県岡山市)[4.6km]
辛川城(岡山県岡山市)[7.7km]
庭瀬城(岡山県岡山市)[8.3km]
賀陽氏館(岡山県岡山市)[8.3km]
撫川城(岡山県岡山市)[8.5km]
大廻小廻山城(岡山県岡山市)[9.9km]
高山城(岡山県岡山市)[10.0km]
乙子城(岡山県岡山市)[10.2km]
沼城(岡山県岡山市)[10.3km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

70 岡山城

設置場所

岡山後楽園[地図
岡山城天守閣(2022年11月2日まで休館)[地図

岡山城の解説文



岡山城(おかやまじょう)は、備前国御野郡岡山[1](現・岡山県岡山市北区)にあった日本の城。国指定の史跡。別名は烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)[2]

概要 

戦国時代に、備前東部から興って、美作、備中東部まで勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで近世城郭の基礎が生まれ、その後小早川氏、池田氏により整備、拡張が行われた。

岡山城は標高が十数メートルの丘が連なる小高い土地に建設された。

当時、旭川河口部は複数の派川に分岐しており、その中の大洲原と呼ばれる広大なデルタ地帯中央に「岡山」(柴岡山とも)、その西隣に「石山」、さらにその北西には「天神山」(天満山とも)の3つの丘が連なり、各時代ごとに要害として使用されたとされる。その中の石山にあった石山城(いしやまじょう)に宇喜多直家が入城・改築し、後に子の宇喜多秀家が隣接する岡山に新たに本丸を設け、石山城を取り込む形で城郭が建造された。これが岡山城である。[3][4]

城の縄張は基本的には梯郭式となっており、三段の城郭配置が西側の一方だけに広がる平山城となっている。言いかえると本丸の北から東には郭の無い、非常に防備が薄い縄張である。そのため旭川の流路を変更し、天然の堀として東側の備えに利用したとされる。さらには郭の代りとして、「後園(後楽園)」が築かれたともされる。 天守は4重6階の複合式望楼型で、出入り口は付属している塩蔵に設けられている。特に初重平面形状が歪んだ多角形をしているため、同じく歪んだ多角形平面の天守台を持つ安土城天主を模したものではないかと言われているが、羽柴秀吉による大坂城天守を模しているという説もある。その外観は黒漆塗の下見板が特徴的で、この印象から「烏城(うじょう)」とも呼ばれ、同じ山陽道の隣県の「白鷺城(はくろじょう)」とも呼ばれる姫路城と対比されることもある。元禄時代の古地図からは、五重の濠に囲まれた城郭と、南北3.5km、東西1.3kmにおよぶ城下町の姿が伺える。

明治時代に御殿・櫓・門の大半が取り壊された。堀は内堀の一部を除いてほとんど埋められたが、街路は江戸時代の位置をほぼ踏襲している個所が多い。さらに第二次大戦中、空襲のため天守・石山門を焼失した。現在までに2つの櫓、本丸付近の石垣、内堀が残り、戦後に天守・不明門・廊下門・六十一雁木上門・塀の一部が再建された。現存する月見櫓・西之丸西手櫓は国の重要文化財に指定され、「岡山城跡」として史跡にも指定されている。その他、京橋御門が岡山市南区小串に移築され現存している。城跡は「烏城公園」として整備される一方、二之丸跡にRSK山陽放送、林原美術館、岡山市民会館が、三之丸跡に岡山県庁、岡山県立図書館などの公共機関がある。

2020年東京オリンピックの聖火リレーでセレブレーション会場となった、 聖火ランナーは公募により1万人程度が選ばれた、聖火リレーについて、 組織委員会は スポンサー企業4社と各都道府県実行委員会が行ったランナー公募に延べ 53万5717件の応募があったと発表した 。

隣接する大名庭園・後楽園は、水戸・偕楽園、金沢・兼六園とともに、日本三名園として並び称される。

歴史 

南北朝時代 - 安土桃山時代

南北朝時代の正平年間(1346年 - 1369年)に、名和氏の一族上神高直が石山台(岡山)に城を築いたと、「備前軍記」に書かれているのが最初と伝えられている。その後およそ 150年間の城主は明らかではない。なおこの付近には摂関家領・鹿田荘の中心部があったとされ、旭川(鹿田川)河口の港町としても栄えていたとされる[5]。戦国時代の大永年間(1521年 - 1528年)には、金光氏が居城とし金川城主の松田氏に仕えていた。

元亀元年(1570年)、宇喜多直家が金光宗高を謀殺しこの地を支配した。直家は備前守護代浦上氏の一族浦上宗景の被官であったが、備前西部を中心に勢力を急速に伸張していた。天正元年(1573年)、直家はそれまでの居城である亀山城沼城)から石山城に入城し、城の改築と城下町の形成を行った。この頃の石山城(岡山城)は、縄張が東西に走る連郭式であったと推定されている。直家は北方の山裾にあった西国街道を、城の南に沿うように付け替えて城下に導いた。そして備前福岡、備前西大寺などから商人を呼び寄せ、いわゆる城下町の整備を行うなど積極的に流通主導による経済振興とも言うべき政策をとった。信長が安土城を築城する3年前のことである。これは直家が幼少の頃に、備前福岡の商人に庇護を受けたと言われていることも無縁ではないとみられている。

なお主家である宗景の居城である天神山[6]は巨大なものではあるが天神山にある山城で、直家の水辺に近い小高い丘の石山城とは対照的である。天正3年(1575年)には、浦上宗景の兄・政宗の孫をおしたてて宗景を播磨へ放逐し、事実上の下克上を行いやがて備前、美作、さらに播磨、備中の一部を支配下に置いた[7]

直家の子・宇喜多秀家は、豊臣政権下で父の遺領をほぼ継承し、57万4,000石の大大名となる。これに相応した城とするため天正18年 - 慶長2年(1590年 - 1597年)の8年間にわたる大改修が行われ、近世城郭としての体裁を整えた。秀家は「岡山」に本丸を構え、石山城の本丸を二之丸内郭に、二之丸を西之丸とし、そして内堀を挟んで二之丸、その西に三之丸の郭を整備した。これらは織豊系城郭に特徴的な高石垣の積まれた城である。本丸は本段、中の段、下の段に分かれた構造で、本段の北寄りに金箔瓦を使用した壮麗な4重6階の望楼型天守を建てた。そしてそのままでは本丸の東側の守りが極めて薄い構造となったため、旭川本流を城郭の北から東側に沿うように極端に寄り添わせる形とし、天然の堀としている。ただしこの付け替えによる明らかに不自然な形の流路は、城下に洪水を多発させる原因となり、やがて放水路としての百間川の整備へとつながる[8]。そして城を南から取り巻くように西国往来の道筋を変えて、直家時代の城下町を拡大整備し、引き続き領内の有力商人を勧誘して経済活動を発展させるよう努めた。築城には義父となった秀吉の意向が大いに働いていると言われている[9]

こののち城は「岡山城」、城下町は「岡山」の呼称が定着した。

江戸時代

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍の主力となった秀家は八丈島に流刑となり、宇喜多家は改易となった。代わって小早川秀秋が備前・美作52万石の領主として入城した。秀秋は本丸中の段を拡幅し、三之丸の外側に15町余の外堀を掘り三之外曲輪の整備をして城下町の拡大を行った。この外堀工事に農民だけでなく武士も使役し20日で完成したため、「廿日堀、二十日堀(はつかぼり)」と呼ばれている[10]。慶長六年には、中の段南隅に沼城天守を移築したとされ、これは大納戸櫓と呼ばれ、岡山城最大の櫓で二層の大入母屋造りの上に望楼を乗せた形式の三層四階の櫓であった[11]。秀秋は2年後の慶長7年(1602年)10月に岡山で急死し、嗣子がなく小早川家は断絶した。

慶長8年、備前28万石は播磨姫路城主池田輝政の次男忠継に与えられたが、幼少(5歳)であったので兄の利隆が「備前監国」として代政した。利隆は「石山」の西端の西之丸を整備したと言われている[12]。慶長18年(1613年)に忠継は岡山城に入ったが、慶長20年(1615年)に死去した[13]

元和元年(1615年)、忠継の弟・忠雄が淡路より31万5千石で入封した。幕府の格式に見合った城とするため、忠雄は本丸中の段を大幅に北側に拡張し、本段の御殿に加え新たに表書院も設けている[14]。また大手の南門を造り替え、城下の西端を限る用水路の西川を整備するなど、ここに岡山城の縄張りが完成する。重要文化財に指定されている月見櫓はこの頃の創建とされ、中の段の北西角の隅櫓で一部地下付き、本葺き、総白漆喰塗籠の壁仕上げの二階建てである。城外からは二層の望楼型、城内からは三層に見える。

江戸期の縄張は「岡山」に本丸、二之丸内郭(東南の郭)、「石山」付近に二之丸内郭(西の郭)、西の丸が置かれそれらの南に二之丸、その西南に三之曲輪[15]、中堀の外に三之曲輪の内、西に三之外曲輪の内と言う配置である。本丸には天守の他に3つの御殿、大納戸櫓を含む高層(3層以上)の櫓が9棟(城全体では11棟)、さらに2層の櫓、櫓門が多数あった。石山の二之丸内郭には池田家祖廟、西之丸に前藩主の隠居所がおかれ、二之丸内郭(東南の郭)、二之丸は上級武士の屋敷地であった。三之曲輪と三之曲輪の内の北側には西国往来が通り、町人地として領国経済の中心となっていた[16]。三之曲輪の内の南半分は小早川氏時代の武家地であり、三之外曲輪は武家地、外堀を隔てて寺町や下級武士の屋敷や町人町がさらに広がっていた。

寛永9年、(1632年)忠雄の子・光仲が因幡鳥取へ転封し、入れ代わって因幡鳥取から池田光政が31万5千石で入封した。光政は利隆の子であり、姫路城で生まれたが、父の死後元和元年(1615年)に鳥取城主となっていた。以後、幕末まで光政系池田氏の居城となる。

寛文6年(1669年)〜貞享3年(1686年)にかけて百間川の改修整備が実施され、貞享4年(1687年)からは光政の子・綱政により14年の歳月をかけて後楽園[17]を造営する。周囲を土塁と竹垣[18]で囲み、庭園の形をとるものの城を守る郭の役割を期待していたとされる。ともに郡代津田永忠によるものであり、永忠は閑谷学校、藩の新田開発などにも手腕を発揮した。

光政によって正保二年(1645年)に遷宮された東照宮(現在、玉井宮東照宮)が、岡山城の鎮守として存在する。この神社には岡山一の祭礼である東照宮御神幸がある。御神幸の際、岡山城まで御神幸の列が途切れ事無く続き、藩主の御拝礼の後、御還御していた祭礼である。

明治時代以降

明治2年(1869年)の版籍奉還により藩主・池田章政は岡山藩知事に任ぜられ、岡山城は藩の府城たる役割を終えて兵部省管轄、つまり存城となった。明治6年(1873年)の廃城令により順次建物の取り壊し・堀の埋め立てが行われていき、明治15年(1882年)頃までには、天守・月見櫓・西之丸西手櫓・石山門を残すのみとなった。明治23年(1890年)、旧藩主池田章政に払い下げられた後、池田家は岡山県に提供し、明治29年(1896年)には本丸趾に県立岡山中学校が建てられた。随所にあった堀の埋め立ては何度かに分けて行われた。

こうして昭和初期頃までには城跡と見受けられるのは本丸を残すのみとなり、五重の濠に囲まれた巨大な城郭は市街地へと姿を変えた。

昭和時代

ここからは年表形式にて、主なできごとを紹介する。

  • 1931年(昭和6年) - 天守が国宝保存法に基づき当時の国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定。
  • 1933年(昭和8年) - 月見櫓、西之丸西手櫓、石山門が国宝保存法に基づき国宝に指定。
  • 1945年(昭和20年) - 6月29日の岡山空襲で天守・石山門を焼失。
  • 1950年(昭和25年) - 文化財保護法の施行により、焼け残った月見櫓・西之丸西手櫓が重要文化財に指定。
  • 1964年〜1966年(昭和39年〜昭和41年) - 天守を鉄筋コンクリートにて再建。同時に不明門・廊下門・六十一雁木上門・塀の一部も再建。現在の天守は瓦に桐紋が使われるなど、秀家当時のイメージで再建されている。なお、天守再建時に本来の出入り口である塩蔵の出入り口の他に、天守台に正面出入り口としてもう一つ出入り口を設けた。現在はこちらから直接天守地階に入るようになっている。
  • 1987年(昭和62年) - 「岡山城跡」として史跡に指定。

平成時代

  • 1996年(平成8年) - 築城400年記念事業として、創建当時の天守には金の鯱が載っており金烏城と呼ばれていたとの伝承から鯱に金箔を施す。
  • 2006年(平成18年) - 日本100名城(70番)に選定。
  • 2014年(平成26年) - 1月21日までに本丸下の段での発掘調査にて、軍事倉庫として使われたとみられる「槍櫓(やりやぐら)」と「旗櫓(はたやぐら)」の遺構が出土、「御城内御絵図(おんじょうないおんえず)」(1700年作製)にはない石段跡も見つかる。

令和時代

2021年(令和3年)7月30日から2022年(令和4年)11月まで耐震補強などを含めた「令和の大改修」が行われている[19][20]

天守 

岡山城天守は旧法(国宝保存法)で国宝に指定されていたが、1945年(昭和20年)の岡山空襲で焼失してしまった[21]

再建天守は1966年(昭和41年)に完成したが、これは後に建築家となる岡山市出身の早稲田大学理工学部建築学科の学生が戦前に卒業論文のためにまとめていた実測図がもとになっている[22]。ただし、再建天守と焼失以前の岡山城について、外観は変わっていないとする資料と外観にも違いがあるとする資料に分かれている[23]。また、外観の色に関する記録は残っておらず、再建時に市がどのような判断をしたかや、1996年(平成8年)の初めての塗り直し時の塗料の基準もよくわかっていない。岡山城は烏城と呼ばれているが、外観の色に関する資料は永山卯三郎の「県通史」に簡単な記述がある程度とされる。

岡山城天守は2022年(令和4年)11月まで大改修が進められている。外観の塗料については、松本城熊本城などでの視察も行われ、光沢によっては日光の反射で白く見えてしまうことも考慮した上で決定されることになった。

建造物 

現存する建造物

  • 月見櫓 - 国の重要文化財、元和・寛永年間(1615-1632年)築・現存。本丸の北西隅に建つ。周辺には、土塀の礎石に狭間が作られており、当時の最新式の設備と言われる。
  • 天守 - 外観復元
  • 不明門 - 復元。本段への入口になる門。天守と同時に鉄筋コンクリートで復元された。
  • 廊下門 - 復元
  • 六十一雁木上門 - 復元
  • 旧天守礎石 - 移設

現存しない建造物

  • 三階櫓
  • 干飯櫓
  • 長屋続櫓
  • 大納戸櫓
  • 伊部櫓
  • 数寄方櫓
  • 小納戸櫓
  • 隅櫓
  • 油蔵櫓
  • 修復櫓
  • 太鼓櫓
  • 舂屋櫓
  • 穴粟櫓
  • 旗櫓
  • 槍櫓
  • 弓櫓
  • 花畑隅櫓
  • 小作事請櫓

天守・後楽園の写真 

立地 

城跡は烏城公園として整備されており、復元天守の内部は博物館となっている。月見櫓は烏城公園内にあるが、西之丸西手櫓は、400メートルほど西の小学校跡地(丸の内1丁目2番)にある。周辺には後楽園のほか、岡山県立博物館、岡山県立美術館、岡山市立オリエント美術館、林原美術館などの文化施設も多い。後楽園 ⇒ 岡山城のコースは、岡山の主要観光ルートの一つである。

交通アクセス 

公共交通機関

  • 岡山電気軌道東山本線 城下電停下車
  • 岡電バス・両備バス 県庁前バス停下車

自家用車

  • 山陽自動車道・岡山IC

関連作品 

楽曲

岡山城
1966年、天守の再建に伴い、岡山城落城記念として発表された。東芝レコードから芝田錦吾の歌でレコード発売され[24]、10万枚を超える売上を記録した[25]。作詞:十二村哲、作曲:飯田景応。

参考文献 

  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」

岡山城の口コミ情報

2022年05月09日 【城郭道】尾張守たっきー
延養亭[岡山城  遺構・復元物]

延養亭(えんようてい)。藩主の居間で、後楽園内で最も重要な建物です。戦災で焼失。1960年に復元されました。園内外の景勝が一望できます。

2022年05月09日 【城郭道】尾張守たっきー
目安橋[岡山城  遺構・復元物]

もともと木製の橋が架けられていた場所で、現在は土橋に変わっています。目安橋は水堀の内堀を渡る橋で、渡った正面には内下馬門(うちげばもん)枡形が構えられていました。ここから本丸下の段、鉄門跡を通って本丸中の段、不明門をくぐって本丸上の段を踏みしめて天守へ向かいます。

2022年02月23日 【若】戦国
船山城[岡山城  周辺城郭]



船山城は標高50m、比高40mの丘陵に築かれた山城(写真①)です。最近、最後の城主の墓石が見つかったので、整備がされています。保存状態は非常に良好でオススメの城跡です。

城跡までの道は所々に看板が設置されています。登山道はコンクリートで固められていて、非常に登りやすいです。暫く登ると、お墓となっている開けた場所に辿り着きます。ここが出丸郭です。この周りに数段の帯郭が残っています。
更に奥に進むと本丸になります。北側と東側には土塁が残っており、平入り虎口(写真②)を形成しています。土塁の背後には堀切(写真④⑤)が残っています。この堀切は岩盤を削っていて、両端は竪堀となって落ちていきます。とても迫力があって見応え十分でした。主郭北には削平地があり、当時は何らかの曲輪として機能していたかもしれません。更にこの削平地の土塁と主郭の鋭い切岸で横堀を形成しています(写真③)。

主郭背後の堀切を奥に進むと最高所に築かれた二ノ丸が現れます。二ノ丸切岸には石積み(写真⑧)が数箇所認められており、南側には堀切で遮断しています。また二ノ丸には井戸(写真⑥⑦)が3つあるそうですが、2つしか見つけられませんでした。曲輪の斜面にも竪堀などが築かれていないか確かめましたが、竪堀が必要ないほどの断崖絶壁でした。

小城ながら堀切、土塁、横堀、竪堀、曲輪、石積み、切岸が明瞭に残っていて岡山でも珍しい城郭です。山城が苦手な方でも楽々と登れると思うので、皆さんも是非攻城してみてください。

2022年02月07日 ドクターイエロー
中島城[岡山城  周辺城郭]



岡山市中心部にほど近い百間川河川敷に位置しています。この地区一帯は開発に伴い遺構は完全に消滅しています。発掘調査によれば城の規模は約50m四方で周囲を堀が囲んでいたものと考えられています。館のような城だったみたいです。城主は中島大炊助で、永禄10年(1567年)備前沼城主・宇喜多直家vs備中松山城・三村元親の明禅寺合戦の際には宇喜多側に属して活躍したものの、沼城での戦勝祝いの帰途に刺客により殺害されたと伝わっています。

実際の城址から東方に約150m離れた現在の場所に八幡宮と地蔵尊と共に移されています。付近にはちょっと広くなったスペースはありますが、交通の妨げにはご注意ください。また付近には明禅寺合戦戦死者首塚碑も立っています。激戦地だったようです。R4.2.6訪城

2021年12月23日 ドクターイエロー
船山城[岡山城  周辺城郭]



元々は山頂に古墳が存在していたとされていますが、戦国時代には備前国の武将・須々木豊前守の居城が置かれていました。当初は金川城主・松田氏の勢力下にありましたがその後備中松山城主・三村元親の配下となりました。永禄10年(1567年)の宇喜多直家と三村元親による明禅寺合戦にて宇喜多軍が勝利し、翌年 直家の家臣・戸川秀安により破却されてしまいました。

旭川河川に接した標高50mの丘陵に位置しています。対岸には龍の口城がそびえています。単郭の小さな城で南側には腰曲輪、南から西側にかけて帯曲輪を配しています。主郭部には須々木神社が祀られており地元有志の方々による案内看板も設置されています。その背後には土塁が確認され、尾根続きの北側には長い堀切によって遮断されています。腰曲輪と帯曲輪の一部は墓地と化しており雰囲気は味わえませんが西側の帯曲輪には須々木豊前守の墓跡と記された石碑がひっそりと建っています。

登城口も案内看板があり主郭までは一直線です。但し付近には駐車スペースがなく、今回はご近所様に声掛けして停めさせていただきました。R3.12.23訪城

2021年06月26日 けいご大学允
岡山城

今の岡山城は戦後にコンクリートで再建されたものですが,空襲前までは現存していました。空襲で多くの建造物を失いながら残ったのが月見櫓と西の丸西手櫓です。どちらも国指定重要文化財に指定されています。入ることはできませんが,近くで見ることはできます。月見櫓は本丸にあるので天守からすぐ。西手櫓は小学校の敷地内になっていますが,廃校となっているため,拝見できます。現在リニューアル工事中の岡山城ですが,そのリニュアル後にも内下馬門と太鼓櫓のが復元が待っています。一度行かれた方もリニューアル後の岡山城に足を運んでみては如何でしょうか。

2021年04月25日 ドクターイエロー
岡山城



令和3年4月24日(土)、25日(日)に岡山県古代吉備文化財センター主催による岡山城本丸中水手門跡現地説明会が開催されました。中水手門は本丸から旭川沿いに下りることのできる門です。池田家に伝わる絵図に描かれていますが、正確な位置や形などは不明となっていました。

今回の発掘調査ではその位置が再確認されただけでなく、門を作る石垣も見つかりました。大型の石材を交えつつ全て自然石で築かれています。こうした特徴は本丸の発掘調査により見つかった江戸時代初期の頃の石垣とよく似ています。また宇喜多時代の川砂層の上に築かれているので宇喜多時代より新しいと言えます。その根石に接して金箔貼り滴水瓦が出土したのもその証拠です。また本丸東辺の石垣に付け足すように築かれています。これらのことから、中水手門は江戸時代初期に池田氏により築かれたものと考えられます。R3.4.25訪城

なお発掘調査後は再び埋め戻されるとのことです。

岡山城本丸中水手門跡現地説明会資料より抜粋

2021年04月24日 あん信濃守どうも
伊勢神社[岡山城  寺社・史跡]

天照大神が伊勢神宮に遷る以前に4年間鎮座。池田家に敬われた。御朱印も頂けます。

2021年04月12日 大宰大弐すゑひろがり
岡山城



岡山城はこの5月で一旦閉館になります。来年の11月までの時間をかけて、城内のあちこちをリニューアルされるそうです。
磯田道史先生の監修なので、とても楽しみで〜す♪

2021年02月22日 【城郭道】尾張守たっきー
西の丸西手櫓[岡山城  遺構・復元物]



二の丸内屋敷の西側にある西の丸西端を守る西の丸西手櫓。1603年ごろに建てられる。岡山城現存櫓のひとつで岡山城天守からは距離がある。重箱櫓もと呼ばれる一二階が同大の櫓。飾りは少ないが、城外側には唐破風がある。又、石落としもついている。

2020年12月21日 【城郭道】尾張守たっきー
岡山城

岡山城天守が大規模改修のため、21年6月から休業となるそうです。開業は22年秋頃です。

昭和に建てられたコンクリートの天守は全国的に寿命を迎えているようですね。地震などで倒れることがないのを祈るばかりです。

2020年10月26日 ドクターイエロー
岡山城



ただいま「晴れの国おかやま 御城印めぐりキャンペーン」好評開催中です(令和3年3月1日まで)。100名城スタンプと共に天守閣入口でどうぞ。なお毎年11月に行っている現存月見櫓の一般公開は新型コロナの影響で今年は中止になっています。R2.10.15訪城

2020年09月26日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
岡山城

天守の中で流れている磯田先生の城紹介ビデオが面白くてわかりやすく、ためになります。

2020年08月23日 猿飛ゆうたま丸
岡山城



天守閣は復元ですが、黒塗りの外壁や、城の形含め、とても見応えがあります。
石積みも野面積みで当時の天守閣を想像して、ワクワクします。


2020年08月02日 能登守さとみっくす
不明門[岡山城  遺構・復元物]

岡山城の裏門としてとても立派でした。
裏門とは思えないぐらいです。

2020年08月01日 【城郭道】尾張守たっきー
大納戸櫓跡[岡山城  遺構・復元物]

岡山城の本丸の大手を守る三重四階の櫓がそびえていました。小早川秀秋が沼城(岡山市東区沼)の中心櫓を移築したと言われ、明治時代に解体されました。
長方形の望楼型櫓だったと言われ、松山城の野原櫓や西尾城の丑寅櫓みたいだったと思われます。
復元はされるかなぁ?

2020年02月27日 石工集団穴太衆【兒】
岡山城

☆岡山城天守閣、22年秋改装開業 21年度から耐震化の大規模改修☆

岡山市の大森雅夫市長は27日、2021年度から大規模改修に着手する岡山城天守閣について、22年秋ごろの改装オープンを予定していると明らかにした。

 市議会代表質問の難波満津留氏への答弁で「岡山城や城下町の成り立ちを分かりやすく展示し、入場者数は改装前の130~150%増を期待する」とも述べた。

 改修計画では、フロアごとにテーマを設けて池田家による城下町の発展、関ケ原の戦いにほんろうされた宇喜多家、小早川家の歩み、戦国時代の岡山などを紹介する。市出身の歴史学者で国際日本文化研究センターの磯田道史准教授に監修を依頼している。

 市は3月末までに基本設計をまとめ、20年度に実施設計を進める。21年夏から秋ごろの着工を想定している。

 天守閣は震度6強から7程度の地震で倒壊・崩壊の恐れがあるため耐震改修する。手すりの設置などバリアフリー化にも取り組む。

2019年07月21日 稲田阿波守植元
後楽園[岡山城  関連施設]



岡山藩主、池田綱政が築いたのが始まりとされる。言わずと知れた日本三名園の1つ。「先憂後楽」の精神を基にその名が付けられた後楽園。旭川からの風が気持ち良く意外と涼しかったです。

園の隣には岡山県立博物館もあり岡山の歴史を堪能できます。機会があれば行かれてみては?

2019年05月08日 石工集団穴太衆【兒】
岡山城

岡山城西の丸、石垣上には漆喰塗りの土塀がありますが、ご覧の通りツタが生い茂り緑の塀となってます、上段の建物は旧内山下小学校


2019年05月01日 みずたま
石山門跡[岡山城  遺構・復元物]



小早川秀秋の時代に富山城大手門を移築したと伝えられています。明治維新後も残されていましたが、戦災により焼失。

2019年05月01日 みずたま
月見櫓[岡山城  遺構・復元物]



岡山城本丸に残る唯一の遺構。東側と南側には回縁があり、本当に月見をしていたのではないかと思われます。
通常は非公開ですが、毎年11月には一般公開をしています。

2019年05月01日 みずたま
宇喜多氏時代の石垣[岡山城  遺構・復元物]



豊臣時代の埋没石垣が見られる全国的にも珍しい遺構です。

2019年05月01日 みずたま
石山の城(前岡山城)[岡山城  碑・説明板]



宇喜多直家の時代の城の痕跡は全くありません。
今に残る石垣は池田期のものと推定されます。
宇喜多秀家が岡山築城のとき本来は石山に築こうとしたそうですが、秀吉の意向で今の岡山の地に築いたそうです。
もし、それがなければ石山県石山市だったかもしれませんね。

2019年04月30日 左近衛少将かげぼう
西の丸西手櫓[岡山城  遺構・復元物]



コインパーキング側から見ることもできます。

2019年04月30日 左近衛少将かげぼう
榎家と太閤の腰掛石[岡山城  碑・説明板]



写真イガラシさんの入口横

2017年07月17日 源出雲守ポンコ2…㉓火の車
岡山城

以下は産経新聞より抜粋。

魅力倍増に向けた実証実験が今夏から順次スタート。昨年の再建50周年を機に進めていた「岡山城天守閣等のあり方検討調査」に基づき、アミューズメント性を意識した新企画を展開。

ペーパークラフト教室、自撮りアプリ…企画続々

市は「(天守閣は建物として)文化財ではない。だからこそ大胆な発想も打ち出せる」として、新たな活用法を調査。

8月の夏休み中の子供向けに甲冑や同城をペーパークラフトで作るワークショップを開催。スマートフォンで限定画像を呼び出し、自撮りを楽しむアプリも企画。

10月からは築城主の宇喜多秀家にスポットを当てた特別展示を企画。秀家の生涯についての語り部を常駐させ、秀家に加え、後の城主となる小早川秀秋や池田輝政のイラスト制作や甲冑の復元などで展示内容を充実予定。

さらに隣接する大名庭園・岡山後楽園との一体感を強め、城内でも後楽園関係の展示を季節の写真や屏風などで行う。

どうなるか楽しみにしときます。

2017年04月01日 こーじ
岡山城

外観がお遊びになっていて残念。
でも女子供や外人には受けるかも

2017年01月28日 織田上総介晃司
岡山城

岡山城天守は見る角度によって様々な姿を見せてくれます
威風堂々の天守正面
不等辺五角形の裏面(後楽園側)
細面の出で立ちの側面

文化の日の月見櫓の一般公開の時がお得かも

2016年11月05日 久原守
岡山城

宇喜田時代の石垣が見られる。

2016年08月30日 青き巨星弾正少弼かみ
岡山城

個人的な趣味ですが、城でよく売ってあるお城のメダルを集めております。
大体は天守閣の最上階とか受付あたりにあるのですが、岡山城は隣の後楽園の正門側にありました。
同じように集めている方は参考にして下さい。

2016年08月30日 青き巨星弾正少弼かみ
岡山城

烏城の中の段にある鉄門跡、この南側に6段ほど上がる石段があり、石段の傍の石垣に扇型の石があります。
この石は蓮華石と呼ばれ、雨に濡れれば蓮華模様が浮かぶと言われています。
更にこの石は触ると歯が痛いのが治るという言い伝えがあります。

2016年04月27日 宇喜多主税允秀政
岡山城

岡山城 月見櫓特別公開
岡山城本丸跡に現存する唯一の櫓です。通常は非公開ですが特別に一般公開されます。

【日にち】5月3日(火・祝)〜5日(木・祝)

【時 間】9:30〜16:30


2015年06月04日 まるき〜主殿助
岡山城

岡山城の見学はエレベーターで上まで行き、
下に降りながら各階を回る様な形になるかと思います。
中の展示物、ガラスケース内は撮影禁止になってます。
二階で籠に乗って写真を撮ったり
陣羽織を着て軍配や鉄砲を構えたり…
希望があれば殿様、姫様のコスプレもさせてもらえます。
岡山城の思い出に是非!(=゚ω゚)ノ100%テンションあがりますよ〜

2015年01月11日 みずたま
岡山城

西の丸西手櫓そばの建物が無くなり、電車通りから見られるようになっていますよ。

2014年12月29日 日本兵
岡山城

城内で販売してる宇喜多秀家のキューピー人形がなかなかかわいいですよ

2014年06月01日 ちび
岡山城

岡山駅より1日200円でレンタル自転車がありますので岡山城まで約10分少々です。

2013年01月29日 はせちゃん弾正忠
岡山城

岡山城三之外曲輪跡にて、2/2 発掘調査現地説明会が実施されるとのことです

2012年11月30日 大宰少弐ためぞう
岡山城

本丸の表書院の部屋位置を地面に埋め込んで表示してくれているのが嬉しい。曲輪がただの広い空き地ではないという様子がわかる。説明も丁寧にしてあるので、楽しくまわれた。

2012年09月05日 ばくりんこ刑部卿
岡山城

自然の川とその沿岸の台地を活用、平地部分(田町や現在の岡山駅方面)に拡がりをもった個性的な縄張りは、往年へとロマンと想像を掻き立てます。

2012年05月02日 鳳雛SASlov優彩
岡山城

2012/05/02現在
05/06まではイベント中なので、登城値段が\800円になってます
普段は\300円だそうです



2011年07月17日 太政大臣M三郎
岡山城

岡山城は、東を巡る旭川を背に西側へ城域を拡げる平山城です。東端に建つ天守は、外観復元ですが壁面は漆黒で金の鯱や軒瓦を配した豊臣系城郭の様式をよく表しています。また、横に付櫓を配したこともあり、下層はかなり横長で大きいのが特徴であり、にもかかわらず、四層に留めているのは、微妙な当時の政治バランスを反映しているのかも…。主郭部の石垣は、大きめの転石で豪快に積まれ、処所に巨石が使われるなど、石垣技術が発展途上でこの当時流行った様式を伝えています。城域の大きさ、天守、石垣…威風堂々とした城です

2010年10月31日 徳川内大臣源朝臣康武
岡山城

旭川に映えるライトアップされた天守の写真をアップしました

2010年08月26日 私は豚さん
岡山城

通称 烏城って言われてます。
うちの、地元です。近くに、後楽園あります
是非、お近くにお越しの際は、寄って下さいね

岡山城の周辺スポット情報

 復興天守(遺構・復元物)

 月見櫓(遺構・復元物)

 西の丸西手櫓(遺構・復元物)

 宇喜多氏時代の石垣(遺構・復元物)

 石山門跡(遺構・復元物)

 六十一雁木門(遺構・復元物)

 内堀跡(遺構・復元物)

 西の丸北側石垣(遺構・復元物)

 廊下門(遺構・復元物)

 不明門(遺構・復元物)

 表書院(遺構・復元物)

 泉水(遺構・復元物)

 鉄門跡(遺構・復元物)

 内下馬門跡の石垣(遺構・復元物)

 内堀(遺構・復元物)

 素軒屋敷櫓跡(遺構・復元物)

 東門跡(遺構・復元物)

 天守礎石(遺構・復元物)

 延養亭(遺構・復元物)

 大納戸櫓跡(遺構・復元物)

 天神山中堀跡(遺構・復元物)

 目安橋(遺構・復元物)

 石山の城(前岡山城)(碑・説明板)

 榎家と太閤の腰掛石(碑・説明板)

 岡山城天守台(碑・説明板)

 本段東側の高石垣(碑・説明板)

 岡山城の歴史を今に(碑・説明板)

 烏城公園案内図(碑・説明板)

 烏城公園(碑・説明板)

 岡山城内堀跡・外下馬門(外目安門)跡(碑・説明板)

 岡山城西之丸(碑・説明板)

 内堀(碑・説明板)

 多聞櫓(碑・説明板)

 伊部櫓(碑・説明板)

 岡山城郭について(碑・説明板)

 大手門跡(碑・説明板)

 明禅寺合戦首塚碑(碑・説明板)

 伊木家屋敷跡(碑・説明板)

 岡山城(周辺城郭)

 石山城(周辺城郭)

 船山城(周辺城郭)

 中島城(周辺城郭)

 瑞雲寺(寺社・史跡)

 岡山藩校跡(寺社・史跡)

 伊勢神社(寺社・史跡)

 池田家墓所(国清寺)(寺社・史跡)

 岡山城天守閣入口(スタンプ)

 駐車場(駐車場)

 後楽園(関連施設)

 撮影スポット(その他)

 撮影スポット(その他)

 撮影スポット(その他)

 登城口(その他)

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