松本城(まつもとじょう)

松本城の基本情報

通称・別名

深志城

所在地

長野県松本市丸の内4-1

旧国名

信濃国

分類・構造

梯郭式+輪郭式平城

天守構造

複合連結式層塔型[5重6階/1594年築?・1633年改/現存]

築城主

小笠原長棟

築城年

永正元年(1504)

主な改修者

松平直政

主な城主

小笠原氏、石川氏、松平氏、堀田氏、水野氏、戸田松平氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、天守、石垣、土塁、横堀(水堀)、土蔵

指定文化財

国宝(天守)、国史跡

再建造物

黒門、太鼓門、石碑、説明板

周辺の城

井川城(長野県松本市)[1.9km]
林城(長野県松本市)[4.0km]
桐原城(長野県松本市)[5.2km]
平瀬城(長野県松本市)[5.7km]
稲倉城(長野県松本市)[6.9km]
埴原城(長野県松本市)[7.0km]
山家城(長野県松本市)[7.7km]
中塔城(長野県松本市)[13.8km]
虚空蔵山城(長野県松本市)[14.8km]
武居城(長野県東筑摩郡)[15.6km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

29 松本城

設置場所

松本城管理事務所(本丸庭園内)[地図

松本城の解説文



松本城(まつもとじょう)は、長野県松本市(旧・信濃国筑摩郡[1]筑摩野松本)にある日本の城。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。

天守は安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された現存天守の一つとして国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城犬山城彦根城松江城)。

歴史 

近世以前

戦国時代の永正年間(1504-1520年)に、信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。

天文年間には甲斐国の武田氏による信濃侵攻が開始され、1550年8月27日(天文19年7月15日)には林城・深志城などが落城し、信濃守護・小笠原長時は追放された(『高白斎記』)。武田氏は林城を破却して深志城代として馬場信春を配置し、松本盆地を支配下に置いた。その後は信濃小県郡の村上義清、越後国の長尾景虎(上杉謙信)と抗争し、北信濃に至る信濃一帯を領国化した。

1582年(天正10年)、甲州征伐に伴う武田氏滅亡により城代馬場昌房から織田長益に明け渡された後、織田信長によって木曾義昌に安堵された。本能寺の変後の武田遺領を巡る天正壬午の乱において、同年6月には越後の上杉景勝に擁立され、小笠原旧臣の助力を得た小笠原洞雪斎が奪還。さらに徳川家康の麾下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と改名した。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ、当時の松本城主小笠原秀政も下総国古河へと移った。代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。石川数正は徳川家を出奔して秀吉の下へ走った経緯があり、天守の築城は関東を領した家康に対する牽制・防衛のためだといわれている。

その後、家康が江戸幕府を創始。江戸時代初期には大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が再び入城。大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の藩庁として機能した。水野家の後は松平康長に始まる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。

1686年 貞享騒動(じょうきょうそうどう)が起きる。農不作のうえ過酷な年貢に多くの農民が苦しみ、身を挺して多田加助とその同志たちが郡奉行に訴え出た。やがて松本城を農民が万余りに取り囲む騒動に発展した。沈静化のために訴えを家老達が聞き入れたが、沈静化した後、家老が聞き入れた覚え書きを取り上げられ、加助とその同志の子弟も含め28名、翌年年明けに処刑されてしまう。

1727年(享保12年)には本丸御殿が焼失、以後の政務は二の丸で執られた。

明治以降

1872年(明治5年)に天守が競売にかけられ、解体の危機が訪れるが、市川量造ら地元の有力者の尽力によって、買い戻されて難を逃れる。市川はまず破却の延期を申請したうえで、天守を借りて博覧会(筑摩県博覧会)を開き、それによる収入を活用して天守を購入した[2][3]

1876年(明治9年)6月19日、不審火により、当時筑摩県庁となっていた二ノ丸御殿が全焼。当時、県庁の移転と旧長野県との合併問題をめぐって紛争が起きており物議をかもした。跡地には1878年(明治11年)に松本地方裁判所が建つ。

明治30年代頃より天守が大きく傾き、これを憂いた松本中学(旧制)校長の小林有也らにより「松本天守閣天主保存会」が設立され広く修理費の寄付を募り、1903年(明治36年)より1913年(大正2年)まで「明治の大修理」が行われた。

1930年(昭和5年) 国の史跡に指定された。1936年(昭和11年)4月20日には天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝保存法により当時の国宝に指定され、1952年(昭和27年)3月29日にはこれら5棟が文化財保護法により改めて国宝に指定されている。

太平洋戦争で敗れた日本を占領統治した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の美術顧問だったチャールズ・ギャラガーが1946年(昭和21年)に松本城を視察し、早急な解体調査が必要であることを文部省(文部科学省の前身)に勧告。これを受けて1950年(昭和25年)より1955年(昭和30年)まで解体復元工事(「昭和の大修理」、国宝保存事業の第1号)[4]

1978年(昭和53年)、旧二の丸御殿跡にあった裁判所が北側に移転し、旧庁舎は日本司法博物館として島立地区に移築された。

1990年(平成2年)には黒門二の門および袖塀が、1999年(平成11年)には太鼓門枡形が復元された。

2000年(平成12年)、松本城周辺市街化区域が都市景観100選に選ばれた。

2001年(平成13年)、乾小天守の一般公開を開始。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(29番)に選定された。

2011年(平成23年)6月30日に発生した長野県中部地震により、天守の壁等25ヵ所にひびが入る被害を受けた。また、埋門の石垣がズレたため、埋橋を渡っての入場が停止されている。

2014年(平成26年)4月、太鼓門が特別公開された[5]。防犯カメラ設置以後では初めて天守の武者走りに落書きがあることが発見された[6]

構造 

典型的な平城。本丸、二の丸、三の丸ともほぼ方形に整地されている。南西部に天守を置いた本丸を、北部を欠いた凹型の二の丸が囲み、さらにそれを四方から三の丸が囲むという、梯郭式に輪郭式を加えた縄張りである。これらは全て水堀により隔てられている。現存12天守の中では唯一の平城である。

天守

5重6階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守である。[7]大天守は、初重に袴形の石落としを付け、窓は突上窓、破風は2重目南北面と3重目東西面に千鳥破風、3重目南北面に向唐破風の出窓を付けている。辰巳附櫓・月見櫓は、第3代将軍徳川家光が長野の善光寺に参拝する途中で、松本に立ち寄るという内意を受けたため、当時の藩主松平直政が建てた。赤い欄干を配して、風雅な雰囲気を持つ。家光の善光寺参拝は中止になったが、天守に付属する月見櫓としては唯一の遺構となった。

大天守は構造的には望楼型天守から層塔型天守への過渡期的な性格が見られ、2重目の屋根は天守台の歪みを入母屋(大屋根)で調整する望楼型の内部構造を持ちながら、外見は入母屋を設けず強引に寄棟を形成している。[8]ただ、強引とはいえ外見的には層塔型の形状を成立させているため、各重の屋根の隅は様々な方向を向いており、松本城天守の特徴の一つとなっている。3階の、低い天井に窓のない特殊な空間が生まれたのはこのためで、パンフレットなどでは「秘密の階」と説明されているが、構造上は2重の上に生じた大屋根構造の名残りともいえる屋根裏的な空間を階として用いたことによるものである。内部は最上階(6階)の他に4階を白壁造りにするなど、ある程度の居住性が考慮されている。外壁は初重から最上重まで黒塗の下見板が張られており、この黒の原料は1950年(昭和25年)の修理工事着工までは墨によるものであったが、解体修理の際に漆塗りの痕跡が見つかったことから、修理工事が竣工した1955年(昭和30年)以降は黒漆塗りとなっている。乾小天守も構造的特徴は大天守と同様であるが、最上階に華頭窓が開けられている。

天守の建造年

天守の建造年には、いくつかの説がある。 「天正19年(1591年)説」「文禄3年(1594年)説」「慶長2年(1597年)説」「慶長5年・6年(1600年 - 1601年)説」、「慶長20年(1615年)説」である。いずれも、主に大天守の建造年を示したものである。

  • 天正19年説は、大類伸・鳥羽正雄の共著『日本城郭史』に見られる説で、宮上茂隆は1992年(平成4年)に発表した論文において石川数正とその子康長により建てられた第1期天守の建造年と考え、大天守ではなく現在の乾小天守であると主張している[9]
  • 慶長2年説は、1940年(昭和15年)に城戸久が論文において述べた説で、当時定説となっていた竣工文禄3年説[10]また慶長5年・6年説[11]を否定し、文献を元に文禄3年着工、慶長2年竣工が至当であると主張している[12]
  • 慶長20年説は、大坂の陣(1614年 - 1615年)前後の建造とする宮上茂隆の説と同様で1615年(慶長20年)に小笠原秀政によって建造されたとするものである[13]

層塔型天守に分類されているが、1597年(慶長2年)建造とする場合、最初の層塔型天守とされる丹波亀山城(1609年 - 1610年頃に建造)に10年以上先立つので、建築史の観点から望楼型と見なすことがある[14]。その一方で、1950年(昭和25年)から1955年(昭和30年)に行われた解体修理の時、いくつかの改築の痕跡が見つかっていることなどから創建当時は、望楼型で最上階には外廻縁高欄があり、各重の屋根には多くの破風を取り付けた姿であったと推定されており、松平氏により付櫓と月見櫓が増築された1633年(寛永10年)に現在のように造りかえられたと考えられている[15]

天守の傾き

明治時代の天守の傾き[16]の原因は、軟弱な地盤[17]の上に天守の基礎工法として採用された天守台の中に埋めこまれた16本の支持柱の老朽化により建物の自重で沈み込んだことにあると見られている。また安政元年(1854年)の安政東海地震で大規模な被害や火事の記録があり、この時本丸と三の丸の櫓、大手門枡形の塀などが潰れ、天守や太鼓門、本丸の裏門などが大破したとされている

貞享騒動(加助騒動、嘉助一揆)の首謀者・多田嘉助が磔刑に処せられる際に、天守を睨んで絶叫した怨念によって瞬時に傾いたといわれる伝説があるが、これは天守が傾き始めた明治になってから作られた話である。

遺構 

明治時代に筑摩県庁が設置されていた二の丸で発生した火災で焼け残った切妻造の土蔵が現存している。この土蔵は御金蔵として使われていた。また、現存する廓は本丸と二の丸だけである。

移築現存門としては、安曇野市内堀金地区に大手門二の門を移築したという伝承のある薬医門がある(安曇野市指定文化財。[18])。また、松本市新村地区には、城の南門の扉を使用したという長屋門がある。このほかにも、松本市および周辺の市町村には松本城内にあった侍屋敷より移築したとされる民家の門が数多くある。

総堀

三の丸の周囲をめぐっていた総堀は明治以降に埋め立てられ、一部に水路跡や土塁が残るのみである。このうち、松本市大手2丁目54番の土井尻土塁は2007年に史跡松本城に追加指定された[19][20]

外堀復元計画

南側と西側の外堀の一部は、大正から昭和にかけて埋め立てられて民有地となったが、松本市はこの外堀の復元をめざし、用地買収を進めている。2012年にはこの旧外堀該当地0.9ha(住宅・店舗80棟)のうち、土地権利者の同意を得た0.7ha(約60棟分)について、文化庁に国の史跡への追加指定を申請した[21]。2013年3月に当該部分が「史跡松本城」に追加指定され、史跡指定面積は従前の8.4haが9.1haとなった。[22][23]

旧外堀については2014年3月、2015年3月にも史跡の追加指定が行われ、指定面積は9.27haとなっている[24][25]

しかし、土壌汚染調査で基準値を超える鉛が検出されたことから、松本市は外堀の復元を断念して芝生の広場として整備する方針に変更すると、2018年7月10日に発表した。

2021年6月、松本市は2019年4月の「土壌汚染対策法および関連する省令」の改正により、自然由来の鉛を含む土壌処分費用に関する課題に目途が立ったことから、外堀を水堀として整備する検討を開始と発表した。[26]

2022年6月の定例市議会において、松本市長は水堀復元のスケジュールについて「本年度中のしかるべき時期に提示する」と述べ、また用地買収の進む南堀から段階的に着手するとの方針を表明した。しかし、掘削残土は鉛の処分こそ不要になったものの、公共事業の盛り土に使用するなどの条件があり、鉛を含む残土を盛り土に使われる地元の反発も予想される事から、具体的な着手時期については依然不透明なままである。

松本城公園 

松本城周辺に整備された、入場無料(天守閣と本丸庭園は有料)の都市公園(総合公園)[27]。四季を通じて各種イベントが開催されている[28]

主なイベント

第○回と冠されたイベントを挙げる。「」書きのイベント名には枕詞「国宝松本城」が付く。

  • 太鼓門特別公開(春・夏・秋の3回)
  • 「夜桜会」- 開花宣言の3日後より8日間
  • 「太鼓まつり」
  • 「薪能」
  • 「月見の宴」
  • 信州・松本そば祭り
  • 「合同茶会」
  • お城まつり
  • 「新成人記念写真撮影会」
  • 「氷彫フェスティバル」
  • 「消防総合訓練」
  • 「松本藩古流砲術演武」
  • 「新春祝賀式」
  • 「桜並木 光の回廊」
  • 「菊花展」
  • 「少年少女剣道なぎなた大会」
  • 「吟詠剣詩舞」
  • 「奉射弓道大会」
  • 「少年少女武者行列」
  • クラフトビールフェスティバル in 松本 - 2014年 - 2016年、2018年、2022年[29][30]
  • : 2014年から2016年の開催ではのべ5万人が訪れた。2017年は松本市教育委員会が「松本城の品格にふさわしくないと判断する行為は認めない」という内規(2016年制定)に則って中止要請が行い、中止となった。中止に対し、松本市民から「飲酒は品格に欠けるのか?」との批判の声が挙がったため、松本市教育委員会は内規を廃止し、2018年には再開された。

現地情報 

所在地

  • 長野県松本市丸の内4-1

交通アクセス

  • 徒歩
    • JR篠ノ井線・大糸線、アルピコ交通上高地線(通称・松本電鉄) 松本駅(東口(お城口))から約20分。
    • JR大糸線 北松本駅(東口(お城口))から約7分。
  • バス
    • 松本駅バス停から、松本電鉄バスタウンスニーカー北コースで約10分、「松本城・市役所前」バス停下車。(松本城交差点近くにあった「松本城黒門」バス停が最寄りだった)
    • 松本バスターミナルから、松本電鉄バス浅間温泉行きなどで約10分、「大名町」バス停下車。
  • 自動車
    • 松本インターチェンジから車で15分。

烏城という呼称について 

別名とされていた「烏城(からすじょう)」[31]という呼称について、松本市教育委員会松本城管理事務所は、「烏城」という表現は歴史的な文献などに存在しないとして、誤りであるという見解を示している。

平凡社の地名辞典『日本歴史地名大系』に「俗に烏(からす)城という。」(引用、括弧内はルビ)とあり[32]、信州社会科教育研究会編著の学習参考書『長野の地理ものがたり』には「からす城」という表記がある。信州学で知られる市川健夫の著書にも「壁を黒く塗ってあるので、烏城とも…」との記述が見える(ルビは「うじょう」)。

2020年、長野県民俗の会の会誌に烏城という呼称に関する調査論文が掲載された。要約すると下記の通りである。

  • 著者周辺の松本市内在住者数人への聞き取り調査の結果、昭和40年代頃以降の生まれであれば烏城という呼称を認知していた。しかし由来について語る人は無し。
  • 文献調査の結果、1966年(昭和41年)に長野県観光連盟が発行した書籍『信州の歴史と旅―人と旧跡―』123ページに「色が黒くて烏城とも呼ばれる現在の松本城は…」という一文があり、これが調査した中では最も古く、烏城という呼称の初出と推定される。同年の出来事に松本市と兵庫県姫路市との間での姉妹都市提携があり、長野県側の観光関係者が白鷺城こと姫路城との対比でキャッチフレーズ的に使い始めた可能性がある。「うじょう」ではなく「からすじょう」と読むのは烏城(うじょう)こと岡山城を意識してのものか。

著者は論文の最後で烏城という呼称の今後について 「全国の城を巡る旅行者や松本城を案内する地元の人々の間でこれからも残り、継承されていくであろう」との見解を示した。

その他 

  • 城主水野忠直が、4代将軍徳川家綱の死後の延宝9年(1681年)に供養のため上野寛永寺に奉納した灯籠が、松本城公園内に残る。
  • 現在、埋立てにより住宅地とされた外堀の復元が検討されている。
  • 二の丸御殿の木造復元が検討されているが、現存する二の丸御殿の写真が数少ないことから、計画が頓挫した状態にある。本丸御殿については、松本城全体の歴史的木造復元対象時期が幕末維新期であることから、現在のところ木造復元の予定はない。
  • 大手門枡形[33]の地形を再現するため、女鳥羽川にかかる千歳橋付近で、ナワテ通り側のビル三棟(旧鶴林堂、武富士ビル等)を市が買収し解体、広場にする計画がある[34]
  • 内堀や外堀など三つの堀は総面積約3万5千平方メートルであるが、落ち葉やコイの糞などにより長らく悪臭の原因となっていた。2013年には1864年以来およそ150年ぶりの浚渫作業が開始された[35]
  • 松本市政策部政策課と信濃毎日新聞松本本社に事務局を置く「国宝松本城を世界遺産に」推進実行委員会が中心となって、世界遺産登録をめざしている[36][37]。天守が国宝指定された5城のうち姫路城は1993年に世界遺産登録され、彦根城は1992年世界遺産国内暫定リスト(推薦待ち候補)に掲載された。
  • 2017年5月17日、松本市は震度6強〜7の大地震が起きた場合、強度不足のため天守や櫓5棟で倒壊や変形の危険性があるとの耐震診断結果を発表した。市は、耐震工事と合わせ、繁忙期などの入場制限を検討し、避難誘導計画の策定にも取り組むとしている[38]

周辺 

  • 四柱神社
  • 縄手通り商店街
  • 八十二銀行松本営業部
  • 松本市時計博物館

参考文献 

  • 『士魂商才』昭和55年。
  • 中川治『図説国宝松本城』一草舎出版、ISBN 4902842114。
  • 長野県立歴史館 編著『たたかう人びと―戦争と平和― 信濃の風土と歴史11(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/8395)』長野県立歴史館、2005年。
  • 【書籍】「日本歴史地名大系 20 長野県の地名 」
  • 【書籍】「長野の地理ものがたり 」
  • 【書籍】「信濃の川旅 4 梓・犀川・姫川 」
  • 【書籍】「信州学ノート 「日本の屋根」の風土学 」
  • 【書籍】「松本城を烏城と呼ぶことについて 」
  • 【書籍】「「松本城が傾いた写真」は事実を語っているか」|ref=harv}}

松本城の口コミ情報

2024年09月28日 陸奥左京大夫九十九
松本城



松本城はやっぱりいいですね。天守閣の中の鉄砲の展示をもっと減らして、できる限り当時の状態を再現してくれるともっと良いのですが(^^;;

2024年08月16日 和泉 中納言 元就
松本城



城攻めの際は時間指定券の入手をお勧めします。出ないと1時間以上待つ事もあります。

2024年08月08日 鈴木剛
荒井城[松本城  周辺城郭]



別名清水ヶ城 小笠原氏の府中進出時代(南北、室町)の築城と推定、島立氏の居城1550年武田信玄により落城

2024年07月05日 尼崎城駿河守一口城主
松本城



6月29日登城。国宝五城めぐりをしながら松本城周辺を散策中、松本市立博物館近くに松本城大手門枡形跡広場というところがあり、古地図(写真①)があったので撮影。眺めていると外郭に馬出が見られました。松本城に馬出しがあったのは知らなかったので勉強になったのと同時に城郭の広さを実感🤔
松本城に登城するとタイミング良く白鳥🦢がお出迎えしてくれました(写真②)
松本城には100名城巡りや御城印巡りで何度か登城していましたが国宝で見所が多いお城のため、今回は1️⃣最上階6階と5階のサイズと2️⃣浚渫の2点を特に注目して登城🏯
1️⃣登城する計画を立ててから松本城が取り上げられる番組📺を極力チェックして視聴し、現存12天守のうち五重六階の天守は日本最古で最上階の6階と5階は同じサイズと予習。実際に確認しながら眺めて感激も増しました(写真③)‼️最上階の6階は当初は説明板(写真④)の(3)の通り、外周に勾欄がつく予定も信州の寒さ対策、風雨対策で設計変更したとのこと。TVで紹介されていた設計変更の名残(写真⑤)の桟を撮影。この設計変更のため、最上階の6階と5階は同じサイズに見えるそうです。あと、写真④の(1)に説明のあった松本城を守ってくださっている二十六夜神に手を合わせてきました🙏
2️⃣最上階見学後、出口方面に降りていき三代将軍家光公を迎えるために増築した月見櫓を見学。月見櫓から堀を眺めたところ、堆積物の影響で堀の水深が浅くなっている様子がよく分かりました。案内して頂いた信州の武道家さん🥋の解説で分かりました💡7年かけて順番に浚渫(堆積物除去)を行っているとのことでした。最後に埋橋越しにも松本城を撮影(写真⑧)解説付きで眺めると水深の浅さが気になってきました。
松本城は何回訪れても新たな発見と出会える名城でまた何度でも行きたくなるお城です🏯

2024年07月02日 RED副将軍
犬甘城[松本城  周辺城郭]



小笠原氏の忠臣であった犬甘氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

犬甘城(いぬかいじょう)と読みます

築城年代は不詳。正平年間(1346年~1370年)に犬甘氏により築かれたと云われますが詳細はわかっていません。
犬甘氏は、信濃国守護である小笠原氏の家臣とされ、犬甘城は小笠原氏の本拠地である林城の支城として機能しました。
1550年、甲斐の武田信玄が松本平に侵攻すると、小笠原長時の居城であった林大城をはじめ、深志城、岡田城、桐原城、山家城が落城。小笠原長時は村上義清を頼り北信濃へ落ち延びましたが、その後も犬甘城の犬甘大炊助は武田信玄に抵抗。最終的には馬場信房により乗っ取られ、廃城になったと云われます。
江戸時代となり1843年には松本藩主の戸田光庸により犬甘城跡を庶民の公園として開放されたと云われ、現在も城山公園として市民の憩いの場となっています。

見所
梓川の支流である奈良井川東岸の標高670mの丘稜先端に築かれています。
南北に伸びる稜線上に北側の主郭から六郭まで直線に連なる連郭式。郭間は堀切により区切られたシンプルな構造です。
公園化により改変を受けていますが、それなりに山城遺構を楽しむことが出来ます。

松本城から北西に1.5kmと近く、オールシーズン車で容易に訪れることができる為オススメです。

行き方は城山公園を目標に設定。車で山頂近くの駐車場まで行くことができ、駐車場から南西に進めば郭群に辿り着きます。

2024年03月27日 小太郎左衛門督南畿道19國守
松本城



市営である大手門駐車場より、10分程で登城。途中にわかの雪で、難儀しました。しかし黒と白の色彩は美しく、来た甲斐がありました。3月24日訪問。

2024年03月06日 虹ノ松能登守
松本城



国宝5城イベントで来ました。
まさかの雪。でも、珍しい雪景色の松本城を見れました。黒と白、絵になります。

お城については多くの先達の皆様が書いていらっしゃるので、リア攻めの参考になればという点を。

天守閣へ上る階段は狭く急なので、上りと下りを交互に行うため、人が多いと1時間ほどかかることもあります。今回はスムーズでした。

冬場はかなり足が冷たいです。スリッパを持参されている方も見かけましたが、階段で危ないのでお勧めしません。

2024年02月12日 ささやん左衛門督
松本城



2024年2月18日まで松本城プロジェクションマッピング開催中のようです。幻想的な松本城を堪能しました。雪だるまもお目見え中

2024年02月08日 紅音左衛門佐
松本城



月曜日の雪がまだ残っており、履きなれていない靴などでは危険。しかしながら、松本城の黒と雪の白がなんとも美しい。平日の午前中にリア攻めなのでのんびりと堪能出来ました!危うく100名城カードを購入し忘れるところでした🤣

国宝5城イベントの5箇所のスポット巡りはのんびり見て周り、徒歩のみで2時間半程かかりました!

観光案内所⇒旧制高等学校⇒中町・蔵シック館⇒松本私立博物館⇒松本城の順に攻略いたしました!

2024年01月23日 淡路守ハツドラサン
松本城



土曜日の開門前に到着して午前8時半に一番乗りで登城できました。城内をゆっくり観たい方にはおすすめの時間です。いつか銀世界の姿を観たいものです。

2024年01月17日 ほりーないと
松本市立博物館[松本城  関連施設]

2023年10月にリニューアルオープンした松本市立博物館の常設展示(有料)には日本最大級の城下町ジオラマが展示されています。ジオラマは横からの撮影OKです。江戸時代の街並み・街道が現在も松本市内に残り、それぞれの旧町名の由来案内があります。ジオラマの見学後に城下町歩きをすると、どんな城下町だったのか楽しく想像できます。

無料エリアの図書情報室の蔵書には「信濃の山城と館 松本・塩尻・筑摩編」などがあります。他のお城にも行きたいと思った時に情報収集ができます。

松本市立博物館を見学した後、私は北門馬出跡→御徒町の旧高橋家住宅→旧開智学校校舎(耐震工事中のため外観のみ)を歩いてみました。城山公園(犬甘城)にも行って松本城下町を眺めました。

2024年01月06日 気分爽快豊後守
松本城



五城めぐり開催中の松本城天守にお邪魔しようと思いましたが、三が日にもかかわらず、行列ができていたのでQRコードだけで退散。
せっかくなので、一周して色々な角度で天守を観てきました。ついでにプロジェクションマッピングなるものも見ておきました。
①北から外堀越しの天守
②二の丸からの天守
③定番ですが常念が綺麗だったので
④堀が写らないと違った感じ
⑤埋橋をメインに
⑥犬甘城から
⑦せっかくなので
⑧黒門に龍が

2024年01月02日 気分爽快豊後守
犬甘城[松本城  周辺城郭]



松本城のリア攻めマップを見ると、松本城が見下ろせそうな山城(小高い丘)があります。
西側は奈良井川沿いに断崖となっていますが、東側はなだらな斜面となっていて簡単に攻め落とされそうです。
郭は尾根沿いに並んでいて立派な堀切があります。
予想通り松本城は良くみえましたが、私のスマホで撮るにはちょっと遠かったです。
①主郭の北
②①から主郭を見上げる
③主郭東の腰郭
④ニ郭と三郭の間の堀切
⑤堀切よりニ郭の虎口を見上げる
⑥④を横から
⑦三郭から堀切越しに二郭を見る
⑧三郭南の堀切から西に落ちる竪堀

2023年11月12日 ナァロ蔵人頭
松本城

気温が下がった中、天守に入るまで30分待ち。天守に入っても階段上り下り待ち。天守が黒いのは黒い漆を塗っているから。定期的に塗り直す必要あり。とにかくカッコいい城だ。ライトアップも見れて良かった。

2023年10月20日 さん主馬首ちゃん
松本城



場内の階段の急さと階段高がすごい。今日は小学校の社会見学もあり、入場規制に階段の乗降規制で混雑しておりました。

2023年10月10日 阪神渉
松本城



戦国時代と江戸時代の境目が感動!意外とみんな素通りだったけど・・・

2023年05月03日 キムヒデ安房守
松本城

5月2日15時過ぎに到着。無料のガイドさんは3人待機していてその日でお願いできました。その後40分待ちの天守に。屋根のある場所に座りながら待てますし、そんなに待たなくても入れました。中は、急で狭い階段を登る人と、降りる人で使う場所もあり渋滞します。和服を着た女性が前にいましたか、途中で諦めたのかもしれません。

2023年04月10日 大宰少弐であるか
松本城



佇まいが美しいのはさすがの国宝。しかしそれよりも柱や梁の随所に残るちょうなの加工痕が超絶美しい。金属加工のはつりと言うのかきさげ加工の様で、かんなでのサーフェスな無機質な仕上げには無い味わいがあった。しかも直接触れることができました。ちょうなの技術は現代にも続く仕上げ技術なのかな。もしそうでないなら、保存に力を注いでいただきたい。

2023年04月10日 cinnamon
松本城



さすが国宝。大変美しく日本が誇れる城だと思いました。どの角度から見ても違う見え方となり、城内も当時のままの姿で感動しました。階段がとても険しく、登るのが結構大変ですが一見の価値有りです。

2022年12月26日 成田
松本城



渡櫓と太鼓門は工事か何かの関係で入れませんでした。

2022年12月14日 三上駿河守
松本城



天守入口から最上階まで、各階に案内係(監視員?)の人が沢山配置されておりました。そして過剰なくらい階段付近での写真撮影を禁止しておりました。今回、平日の午後に登城しましたが、海外からの観光客も少しずつ戻って来ているように思います。

2022年10月17日 ほりーないと
松本城



松本城の美しさには秘密があります。毎年秋に漆の塗り替え工事をしています。
先日、石垣を登る職人さんにお会いしました。この日は漆塗り作業ではなく足場設置でした。色んな人が見学していました。
工事中、月見櫓はシートに覆われます。漆の乾き具合によりシートを外すそうです。

2022年06月28日 よしき中務少輔走男
松本城



真夏の松本城も良かったです。外から見る松本城は、凛々しく見えます。
ただし、コロナ禍での内覧会は階段が急で混み合っているので考えた方が良いかと思います。
もう少し、階段の上り下りの効率化が必要かと。

2022年05月21日 ぬっぴー上総介
松本城

2021年の夏行きました。その日は晴れていたので、アルプスが見え、とても写真映えしました。本丸には黒塗りの天守があり、その日の気温だと月見櫓がとても快適でした。三の丸(今は市街地)には馬出のあともあるそうです。総じて、とてもいい城です。

2022年05月07日 花和尚99大膳大夫
松本城



子供の日は好天に恵まれたが、松本城は有料区域に入ってから入城まで80分、城内でも1時間かかり疲れた。しかし、松本城の眺めは最高!

2022年05月07日 尼崎城駿河守一口城主
松本城



4月29日、久しぶりに長野県を訪れました。松本駅到着時にアナウンスされる「まつもと〜まつもと〜」の懐かしい響きがなぜだか心地よい。すぐにお城に向かいたいところだが100、続100名城巡りと並行して全国制覇を目指している献血💉をしてから登城。(今回で区切りの30都道府県目制覇)献血をして時間を消費したせいか駅を出た時には降っていなかった雨が降り始めていた☔️登城をしたところ当日は40分待ちであった。 
過去に二度登城したことがあったが雨の日の登城は今回が初めてだった。しかしながら名城はどんな日でも美しいものです。
今回は加藤清正公の駒つなぎの桜🌸や階段の勾配がかなり急なことなど前回登城した際は見落としていたことに気付けてたり、お城番組で月見櫓は三代家光公を迎える為に増築したが予定変更で家光公は来なかったというエピソードを聞いてから登城したので面白かったです。
今回はリア攻めと御城印調達の目的をめでたく達成し、翌朝早朝にホテルにレンタサイクルを借り松本市の林城、桐原城、山家城を攻略して深志神社⛩に参拝して松本を後にしました。

2022年04月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
犬甘城[松本城  周辺城郭]



犬甘城(蟻ヶ崎山城)は松本城の西北約1.6km、奈良井川東岸(右岸)、通称鳥居山山頂から南方へ延びる尾根上、標高約677mのピークの一つに主郭が存します。西麓の奈良井川からの比高は100m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。該地は城山公園として整備されているので駐車も余裕です。

築城年代、築城者は不明ですが城主として犬養半左衛門の名が伝わります。犬甘氏は大伴氏の流れとも伝わり、古代より信濃国府を中心とした地域に勢力を保った氏族とされていますが、正直古い時代の事ははっきりしない。建武三年(西暦1336年)、北条氏残党と小笠原勢等が麻績大吉郷の十日市場で戦った際には北条方として深志介知光の名が見られ、これが犬甘氏と推測(「知」の通字が見られる。)されています。後に小笠原氏が府中に進出するとその被官化が進み、同氏の有力な家臣団の一つとして発展していきました。一族からは平瀬氏、村井氏を輩出、和泉、北内田、中内田、埴原を領し、子孫は小笠原氏の重臣として存続しました。

武田氏の業務日誌、高白斎記に「七月十五日 酉刻イヌイノヲ攻敗り勝鬨御執行戌刻 村井ノ城へ被納御馬候 子ノ刻、大城、深志、岡田、桐原、山家五ヶ所ノ城自落…」との記述があり、武田勢による府中侵攻の様相を今に伝えていますが、一般的に此処で書かれる「イヌイの城」は埴原城に比定されています。しかし武田勢が出陣した村井城から戌亥(北西)の方角に埴原城は存在しない事、勝鬨執行から2時間で帰陣している距離から推測するとイヌイの城を埴原城に比定するのは無理があるんじゃないかとの疑問を信濃のお城の神は提起しています。それよりも「イヌ○イの城」としてこの犬甘城をそれに比定した方がすっきりするんじゃないのかなと…おいらもそう思います。信者だからね。

お城は公園化されていますが、堀で区画された連郭式の縄張が健在で充分楽しめると思います。車を捨てたら秒で城域ですので皆様も松本城に来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。ちなみに藩政時代は留山でした。理由は松本城内が丸見えになるからっす。

※道の駅が少ない松本市周辺ですが、城友さんお勧めの車中泊スポット…自分も1回だけ利用させてもらいやした。リア攻めは今回初めてw

2022年04月29日 中村屋左馬頭淳一郎
松本城

松本城に行ってきました。現存のお城は趣があって素晴らしいです。だけど、急な階段を6階まで上がるとヘトヘトです。その後のビールが最高❗️

2022年02月24日 南関修理大夫
松本城



冬晴れの日の松本城はまわりの山々の景色と相まって、素晴らしかったです。

2021年12月01日 とと
鉤の手[松本城  遺構・復元物]

松本城下に唯一残る、鍵(鉤)の手です。説明板には古地図が示され、往古の道筋そのままであることがわかります。道を進んできた敵が、先を見通せないように設けられました。

2021年12月01日 とと
安原町十王堂跡[松本城  寺社・史跡]

松本城下への北の入口で、東西南北に作られていた十王堂のあった場所です。明治維新で破却され、現在は小さな墓域になっています。

2021年11月13日 刑部卿M am I
松本城

天守閣へ上るには、脱いだ靴を入れられるコンパクトなリュックがおすすめです。

2021年10月19日 国府左京大夫城介
HELLO CYCLING(松本駅前)[松本城  その他]

松本城周辺のレンタサイクル情報

【場所】
松本駅前など(松本市内に複数個所あり)

【貸出時間】
24時間

【時間及び料金】
70円/15分  1000円/12時間

【種類】
シティサイクル(電動付き)

【Web情報】
HELLO CYCLING

【利用日】
令和2年1月11日、令和3年3月26日

【アクセスできた城】
・アプリ登録
 松本城、林城、桐原城、井川城、埴原城
・口コミ登録
 林小城、水番城、赤木北城、赤木南城

【参考事項】
・「HELLO CYCLING」というアプリをインストールする必要あり
・アプリからレンタルしたい自転車を選択することが出来る
・東京や千葉、大阪などでも利用可能

2021年10月06日 ほりーないと
松本城



ブラリ松本城下町を歩くと井戸の多さにビックリします。堀の中に井戸があることを知り、古地図を持たずに総堀を目指すと、周囲から一段低い所に井戸を発見! 何故か落ち着いてしまう井戸…堀底だからなのかもしれません。道路が曲がっていたり、高さに違いがあったりと堀跡を感じました。

今回の城下町歩きは夕方にスタートし、楽しさで時間を忘れてしまいました。秋になり日没が早まり、ライトアップされた松本城を見る事ができて良かったです。次回は古地図を用意して、しっかり城下町歩きをしたいです。

写真
①北馬場柳の井戸
②北門大井戸
③総堀
④⑤ライトアップの松本城

2021年06月11日 さちこ&くぅが右兵衛督
松本城



約2年ぶりの松本城^_^素晴らしい(*^◯^*)コロナの影響なのか人が少なくゆっくり現存天守を見ることができた(๑・̑◡・̑๑)耐震強度が足りないらしく乾小天守は観覧不可。天守は大丈夫なのか⁉️

2021年05月21日 【城郭道】たっきー
天守[松本城  遺構・復元物]



大天守は松本城内で最も高い建物で、現存天守の中では姫路城に次ぐ二番目の高さである。天守内部には展示があり、現存の建物と共に楽しむことができる。
内部からは本丸、水堀、城下町を望むことができる。

2021年05月05日 ATA主計頭@復帰中
松本城

天守閣がとてもきれいで、お向かえ隊の方々や天守閣を上る際、階段がとても急だったりして、とても楽しかったです☀️

2021年05月02日 南部陸奥守勝牛
松本城



一緒に城攻めをしている小3娘の自由研究課題の為に行きました。朝7時半に到着、7時から開いてる北側の市営開智Pに停め、若宮八幡跡から二の丸へ。現存天守を多角的に眺めて、5棟から成る複合連結式層塔型と様々な破風を勉強しました。月見櫓直下の石垣の切れ目、水門跡も確認。他の方々はそのまま本丸へ行きましたが、私達は二の丸の太鼓門枡形と御殿跡へ。立派な枡形内の玄蕃石は築城した石川康長の官職名から命名したとの事。続いて本丸入口の黒門枡形へ。券売所で訪ねた日、5月1日は松本市の市制記念日で、拝観料が無料なのを知りました。ラッキーです。本丸内の管理事務所で御城印と100スタンプをゲット。天守内では、狭間・石落・天突窓・隠し階・破風内部・急勾配階段を見ました。続いて、現在の松本城築城を実施した石川康長の父親・石川数正の菩提寺『光照山大信院宗林寺』に参詣しました。康長が父の菩提のため、改修し戒名から寺名を改めた寺院。納経印にも石川数正菩提寺と記名されています。次回は小笠原氏の寺院も廻りたいと思います。

2021年03月28日 【城郭道】たっきー
乾小天守[松本城  遺構・復元物]

石川氏時代(創建時)の天守でもある乾小天守。
現在は渡櫓を挟んでいる創建天守と二代天守(月見櫓、辰巳櫓は抜き)を水堀越しで臨むことができる。
月見櫓、辰巳櫓付きは本丸から。

2020年12月07日 【城郭道】たっきー
松本城管理事務所[松本城  スタンプ]



一枚三百円で二種類の松本城の御城印が松本城管理事務所で販売されています。お土産にどうですか。

2020年11月24日 Rocky丹波守
松本城



3連休の中日に行きました。11時に着きましたが駐車場は臨時駐車場もありギリギリとめられました。その後は列ができていました。また、天守閣に行くのに100分待ち。降りた後は60分になってましたが(--;)お土産屋さん隣りの事務所で御城印販売、名城スタンプあります。さすがに人気のお城出来れば平日に行くことをオススメします。

2020年10月18日 志摩守神楽【瓢箪印指南役】
巨石[松本城  遺構・復元物]

玄蕃石という名前の石があります。縦に長い石です。

2020年10月11日 【城郭道】たっきー
丑寅櫓跡[松本城  遺構・復元物]



二の丸丑寅櫓は現在、櫓台として存在しかつては二重櫓であったそうです。二の丸には丑寅櫓を含めて二重櫓が五基あったそうです。
櫓台の上に登ることが可能です。

2020年08月31日 ラリーマニア権大納言
松本城

現在は、外装補修のため、一部幕で覆われて少し残念な気分になりましたが、あまり見れる景観でもないかと思います。普段見れない物が見れたので得をしたかな。

2020年08月31日 中村主水28号
松本城

土曜日の午前中は比較的に人は少ないらしいです。約10分待ちですみました。係の人に聞くと、土曜日は午後から混むらしいですので、早目に見に行くのをお勧めします。

2020年08月30日 nodoguro49
松本城



毎年この時期に行われる漆塗り替え工事が始まっていました。天気が良かったので、青空に映える黒い天守が美しかったです。塗り替えが終わったころにまた訪れたいと思います。日差しが強く、猫も日陰で涼んでいました。

2020年08月28日 キララ治部少輔和栗守★
松本城



太鼓門側の市役所、屋上フリースペースから一望出来ます(*^^*)
誰でも行けますが、市役所営業時間内、土日は多分お休みかと思います^^;

2020年08月25日 maki156
松本城大手門駐車場[松本城  駐車場]

歩いて10分弱かかりますが、大手門駐車場は1日100円とライダーにとって財布に優しくとても広くて綺麗な駐車場です。

2020年08月02日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
松本城

松本城の本丸には、新型コロナ感染防止の為、マスク着用して無いと入れません。ただ、今日みたいに暑い日だと熱中症になりかねないので、注意して下さい。

2020年07月19日 能登守さとみっくす
明治天皇駐蹕遺址碑[松本城  碑・説明板]

明治13年(1880)6月に明治天皇が松本地方へ御巡幸され、当時二の丸御殿跡地に新築されていた松本区裁判所に立ち寄られたことを記念して、大正10年(1921)6月に松本市民により建てられたものです。
昭和53年(1978)に裁判所は移転されましたが、石碑はこの地に残されました。

2020年07月04日 兵庫頭雄馬
松本市立博物館[松本城  関連施設]

現在2023年に完成予定です。武家屋敷をデザインしているらしいです。

2020年06月16日 志摩守神楽【瓢箪印指南役】
撮影スポット[松本城  その他]

赤い埋橋と白黒の天守群を見ることができます。

2020年01月21日 とど侍従
管理事務所[松本城  スタンプ]

御城印は事務所の人に頼むと書き置きのやつを出してくれます。登城日が書いてあって、2種類ほどあります。
百名城スタンプは確か事務所の入り口もしくは隣の売店で押せます。売店ではスタンプ帳も売っています。

2019年08月09日 野呂利左衛門督休三
ててまがりの井戸[松本城  遺構・復元物]



松本市立博物館一階の一角のガラス越しに望めるこれは「ててまがりの井戸」。かつては外縁部からが、でんでん虫の殻のように見えたことからその名があるとのこと。
松本城の本丸と二の丸には本丸、二の丸、古山池の三つの御殿が建てられました。そのうちの古山池御殿の井戸です。
古山池御殿は一番最初に建てられた御殿で、本丸御殿完成後は離れとして使われ、享保十二(1727)年の本丸御殿焼失後は再び城主の居所になっています。
廃城後は取り壊され、明治十七(1884)年に松本中学校(現在の深志高校)が建てられますが、その時代も現役の井戸として活用されたそうです。


2019年08月09日 野呂利左衛門督休三
大名町[松本城  碑・説明板]



標柱の背後は松本市立博物館の移転予定地で2023年度に開館の計画です。2019年度は発掘調査。江戸時代の武家屋敷の遺構が出ています。

2019年08月09日 野呂利左衛門督休三
松本市立博物館[松本城  関連施設]



明治三十九(1904)年に松本尋常小学校(今の開智小学校)内に開設された「明治三十七、八年戦役紀念館」(明治三十七、八年戦役は日露戦争のこと)が起源。戦後の昭和二十三(1948)年に松本市立博物館として再スタートしています。なお、当時は小動物園もあったとか。
昭和四十三年に現在の建物が建てられ、その時に日本民俗資料館の名称がつけられています。この名称が2005(平成十七)年に廃止になるまで松本市立博物館と日本民俗資料館が並立していました。
建物の老朽化等によりに移転することになっています。移転予定地は大名町の標柱のあるところで、2023年度に開館する予定。

2階に休憩スペースがあり、天守を望みながら自販機ジュースで一服できます。

2019年08月05日 志摩守神楽【瓢箪印指南役】
伊織霊水[松本城  その他]

松本一揆を起こした鈴木伊織の墓があります。

2019年08月01日 野呂利左衛門督休三
清正公駒つなぎの桜[松本城  碑・説明板]



スポットの位置は説明板のある位置です。桜の位置はGoogleマップ参照のこと。

続撰清正記や加藤清正伝に載っている話とのことです。
ある時、国元へと戻る加藤清正が城主の石川康長を訪ねます。康長は二頭の馬を引き立て、清正が目利きに叶った一頭を差し上げると申します。すると清正、いやいや二頭とも康長殿の眼鏡に叶う駿馬に違いないと、二頭とも連れ帰ったとのこと。
自分が連れ帰った馬が駄馬なら自分の沽券に関わりますし、そうでなかったなら選ばれなかった方が駄馬と言うことにされてしまいます。お互いの面子を保つための機転に人々は感心したそうです。
その時、馬が繋がれていたのがこの桜とされています。

2019年08月01日 野呂利左衛門督休三
生安寺小路[松本城  碑・説明板]



かつてパルコの場所に生安寺がありました。その生安寺へ通じる道だったことからこの名があります。
元禄期松本絵図(元禄は1688-1704年)では玄知小路と記され、享保十三年秋改松本城下絵図(享保十三年は1728年)では、源智の井戸から宮村町までが玄知小路、それより西が生安寺小路と記されています。
松本領内は新政府への恭順を示すために廃仏毀釈が激しかったそうで、生安寺も明治元(1868)年に一度は廃寺になっています(後に再興し、昭和三十三[1958]年に同市蟻ケ崎に移転)。

2019年07月27日 野呂利左衛門督休三
飯田町[松本城  碑・説明板]



小笠原秀政が慶長十八(1613)年に飯田から移封された時に連れてきた侍衆や奉公衆、職人を住まわせたことからこの名前があります。江戸時代中頃の享保年間(1716-1736)になると鋳物師や紺屋、石屋、鍋屋などの職人が住んでいたそうです。

2019年07月27日 野呂利左衛門督休三
新小路[松本城  碑・説明板]



中橋と中町通りを結ぶ通り。中町通りから南は小池町だが、その通りとは完全には直結せずに、食い違いになっている。

2019年07月27日 野呂利左衛門督休三
縄手[松本城  その他]



女鳥羽川と外堀に挟まれた細い土手だった部分です。明治十二(1879)年に四所神社が建てられることになって外堀が埋められ、四所神社の門前として今に至っています。

2019年06月29日 野呂利左衛門督休三
犬甘城[松本城  周辺城郭]



戦国時代は小笠原氏の家臣の犬甘氏の城でした。天保十四(1843)年に領民にも開放され、明治八(1875)年に松本市最初の公園となっています。さらに周辺が住宅地にもなっていることから東側から公園に向かうと全然山城へ向かっている気がしませんが、城跡内に入ると堀切に区切られた曲輪跡を見ることができます。また西側は急斜面になっており、遊歩道はありますが、木の生い茂る斜面になっています。そちら側には竪堀もあるそうです。

2019年06月29日 野呂利左衛門督休三
城山稲荷神社[松本城  寺社・史跡]



この神社がある場所も犬甘城跡の曲輪です。説明板によれば松平直政(結城秀康の三男)がここの城主だった時に信仰篤く、松江城主になった際には松江に分祀したそうです。ただ松江の城山稲荷神社では、松江に転封した直政の夢枕に若者の姿で現れて祀るよう告げたとあり、ここの分祀であるような感は窺えません。

2019年06月28日 野呂利左衛門督休三
東側の惣堀土塁跡[松本城  遺構・復元物]



廃城後は庭の築山として用いられて残ったそうです。今は市役所の敷地で、駐輪場になっています。

2019年06月28日 野呂利左衛門督休三
惣構西門丸馬出の堀跡[松本城  遺構・復元物]



奥に向う溝が堀跡です。写真を撮影している道が北側の土橋にあたります。西側の惣堀は背後の道の向かい側にありました。西門は普段は用いられないことから西不明門とも呼ばれました。馬出内には井戸もあったそうです。

2019年06月28日 野呂利左衛門督休三
西総堀土塁[松本城  遺構・復元物]



西堀総土塁のすぐ東からは武家屋敷の跡も見つかっています。享保十三(1728)年の絵図では木村武兵衛家と武家屋敷があった場所で、百石取りの中級の家臣です。この辺りは中級家臣の屋敷地だったようで、隣の玉川助之丞家も百石取りだったそうです。発掘された場所からは建物の礎石と2ヶ所の湧水を持つ池(青で平面表示)が見つかっています。

2019年06月27日 野呂利左衛門督休三
西総堀土塁[松本城  遺構・復元物]



土塁の西側。堀の一部が青く平面表示されています。西総堀土塁遺構からは堀際に杭列が見つかっています。敵の侵入の妨害や土塁の土留としての機能がありました。見つかった杭には栗や松が用いられていました。

2019年06月27日 野呂利左衛門督休三
西総堀土塁[松本城  遺構・復元物]



松本城の惣堀にも土塁がありました。今も何箇所か残っていますが、整備されているのは多分ここだけ?もっとも整備前はかなり削れていて凸の字状になっていたとか。大正十(1921)年にこの辺りの惣堀を埋めるのに用いられたようです。

2019年06月27日 野呂利左衛門督休三
辰巳の庭公園[松本城  その他]



江戸時代初期は泥町と呼ばれる町人地でしたが、後に城域が拡張されると柳町と呼ばれる武家地になり、その一角に辰巳門と辰巳御殿が置かれたとのことです。ここは辰巳御殿の一角であったとのこと。
幕末近い弘化二(1845)年に戸田光庸の隠居所として造営されました。
ちなみに天保六(1835)年の「松本南北深志絵図」では西郷宇右衛門(二百五十石)の屋敷だったそうです。

2019年06月27日 野呂利左衛門督休三
惣構東門跡[松本城  碑・説明板]



松本城の丸馬出の中で最大の馬出でした。馬出の橋というと土橋な印象がありますが、ここの城外に通じる橋(北と南にありました)のうち、北側は木橋でした。なおこの説明石板がある場所は、お店のオープンテラスになっているので時間帯によっては行きづらいかも。

2019年06月26日 野呂利左衛門督休三
深志橋[松本城  その他]



橋の北側から見てください。下の方になんでこんなとこにと思えるものがありませんか?惣堀の標柱が堀岸(犬走?)に立っています。惣堀が史跡に追加認定された後に建てられたものです。

2019年06月26日 野呂利左衛門督休三
深志橋[松本城  その他]



江戸時代は、ここには橋はありませんでした(東側の惣堀の出入り口は東馬出のみです)。この橋の東岸の南の袂に片端町の旧町名碑があります。この時代の町は道の両側に展開しますが、堀端などで道の片側のみの場合もあります。そうした道の片側にしかない町のことを片町などと言ったりします。片端町もそうした町でした。

2019年06月25日 野呂利左衛門督休三
若宮八幡宮[松本城  寺社・史跡]



松本城の築城者とされる島立貞永を祀ります。元々は二の丸の北西隅にあり、そこに島立貞永が埋葬されていたとも言われます。大正三(1914)年にここに遷されました。

2019年06月25日 野呂利左衛門督休三
惣構北門丸馬出の堀跡[松本城  遺構・復元物]



ほとんど埋め立てられてしまったため、丸馬出の形を窺うことはできませんが、堀の一部が溝として残っています。堀は丸馬出の堀なのに、外周は円弧を描かずに長方形という珍しい形状だったそうです。

2019年06月25日 野呂利左衛門督休三
惣堀跡[松本城  遺構・復元物]



かつて四方を囲っていた惣堀は明治以降埋め立てられて、東側しか現存していない(ただし北側は窪地、西側は溝として痕跡が残る)。惣堀の東側も武家地だった。

2019年06月25日 野呂利左衛門督休三
北門馬出跡[松本城  碑・説明板]



北門馬出は松本城の丸馬出の中で二番目に大きかった馬出です。説明板はなぜか惣堀跡にあります。上からの写真を撮った場所が多分、北門の土橋跡。この堀跡にも埋め立てた後にできた井戸があります。

2019年06月24日 野呂利左衛門督休三
北馬場柳の井戸[松本城  その他]



元々は北側の惣堀です。昭和七(1932)年に埋め立てられましたが、今も周囲よりは低くなっています。ここの湧水を井戸に整備したとのことですが、ということは?なおこの付近の旧町名は北馬場町。馬場があったことに由来するとのこと。井戸の写真の右手奥の林(?)は惣堀北側の残存土塁。

2019年06月24日 野呂利左衛門督休三
松本神社[松本城  寺社・史跡]



松平光重が伯父で家督を継ぐ前に亡くなった孫六郎永兼を明石城(兵庫県明石市)で祀ったのが始まり。この松平家の転封に合わせてここに祀られるようになります。後に家祖の一色兵部少輔や戸田宗光(応仁の乱の時に三河で活躍)、松平康長・徳川松姫夫妻も祀りました。五柱が祀られていることから五社神社とも呼ばれます。

なお、この松平氏はもともとは戸田氏。康長がそれまでの功績で徳川家康から松平姓と葵紋の使用を許されました。松姫は家康の母の再婚相手の久松俊勝の娘(異父妹)です。

2019年06月24日 野呂利左衛門督休三
北不明門跡[松本城  碑・説明板]



普段は閉め切られていたためこの名があるそうです。別名で不浄門とも。三の丸に設けられた門の中では最も小さかったとか。惣構にある門の中で、唯一、惣構と一緒に建てられた門とも。

2019年06月24日 野呂利左衛門督休三
二の丸御殿跡[松本城  遺構・復元物]



当初は藩の副政庁でしたが、享保十二(1727)年の本丸御殿の焼失により、正式な政庁になりました。建坪六百坪(1980㎡)の建物にはおよそ50部屋あったそうです。

廃藩後は筑摩県庁としても使用されましたが、明治九(1876)年に焼失。その4年後から昭和五十三(1978)年に移転するまでここに裁判所が置かれていました。

2019年06月24日 野呂利左衛門督休三
大名町[松本城  碑・説明板]



松本城へと続く大名町通り。その名は旧町名の大名町を通っていることに由来します。松本城三の丸のこの辺りに上級家臣の居宅が立ち並んでいたことがその町名の由来で、かつては通りの両側に年寄や組頭などが居住していたそうです。

2019年06月24日 野呂利左衛門督休三
大手門跡枡形跡第1次発掘調査の成果[松本城  碑・説明板]



大手門枡形跡広場からは大手門枡形の東辺の石垣が見つかっています。大手門の建物は明治四(1871)年に解体されましたが、石垣も同十一年以降の惣堀埋立ての過程で解体されています。しかし、発掘調査では下3段分が取り壊されずに残っているのが見つかり、大手門枡形の平面規模が明らかになりました。

2019年06月24日 野呂利左衛門督休三
松本城大手門跡碑[松本城  碑・説明板]



松本城の正門にあたる門。もともとは丸馬出を備えた門でしたが、小笠原秀政により外枡形形式に改修されました。元になる門と馬出が設置されたのは、北不明門の説明からすると、惣堀が設けられた後のようです。外側の高麗門(説明石板のある位置あたり)と内側の櫓門(松本城で最大だった)が対角線上に配置されていたそうです。明治四(1872)年に撤去されたそうですが、今も当時の名残で、松本城へと続く大名町通りはこの部分だけが斜めになっています。

2019年05月25日 宮内大輔jinxulty
太鼓門[松本城  遺構・復元物]



太鼓門は三の丸から二の丸へ入る正門で枡形が存在します。

2019年05月25日 はぎじろう
本丸御殿跡[松本城  遺構・復元物]



瓦で線引きしたエリアが本丸御殿のあった所だそうです。

2019年05月21日 YUKITUN
松本城



中央の柱から右が豊臣時代のもの左が徳川時代に建てられた月見櫓の柱。戦乱から平和へ飛び越えて来ました。ここは是非噛み締めて頂きたい!

2019年05月20日 蒼空侍
松本城



御城印を管理事務所にて頂いて登城。忍者があちこちにいて子供達や外国人観光客に人気。天守閣内の狭い階段を他の方と譲り合って登るのも国宝の醍醐味のひとつかな。

2019年05月17日 中納言ナンブソモソモ
松本城



市営大手駐車場の北側にて、博物館建設に伴う武家屋敷の発掘調査が行われていました。

2019年05月17日 夜叉姫上野介
松本城



北側の市営開智駐車場は近くて便利ですが、食事処によっては食事すれば、松本城見学程度は店の駐車場に停めておけるとこもあるようなので、予約時に伺ってみては?

2019年05月05日 片倉雅楽助こじゅ
松本城

ゴールデンウィーク終盤。気温26度100分待ち状態で待ち時間軽減のためのファストパス発行(3時間後分の発行)、待ち行列の一番長い部分はテント下に椅子を置いて下さってます。心遣いがすごい!

2019年05月03日 ほっしいな右京大夫
市役所の駐車場[松本城  駐車場]

300円かかりました。

2019年05月02日 ほっしいな右京大夫
松本城管理事務所[松本城  スタンプ]



スタンプ置場は有料エリアの中です。2019.5現在の入城料は大人個人で610円です。ゴールデンウィークは人気があり、お城に入るのに120分待ちでしたが、スタンプコーナーへは、チケット購入の待ち時間20分程度で行けました。博物館も見れてお得と思います。

2019年04月29日 美濃守RENO
松本城

5月1日は市制記念日で、松本城無料解放の模様

2019年04月28日 おり〜ぶ♪渡島守
捨堀の土塁跡[松本城  遺構・復元物]



石川康長が縄張りを強化するために江戸幕府に無断で掘った堀の土塁跡。この事が原因で改易されたとも言われている。

2019年04月24日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
観光バス・バイク用駐車場[松本城  駐車場]

【バイク】
1日100円
10台くらい駐車可能
そばにベンチ&自販機有り
トイレは、管理事務所のとなりに有ります。
あとは、管理のおじさんの指示に従って下さい。

2019年04月23日 ピラいち関白
松本城管理事務所[松本城  スタンプ]

管理事務所では、2種類(300円/枚)の御朱印を販売しております。

2019年04月12日 おり〜ぶ♪渡島守
松本城

味噌と麹と漬け物のお店、萬年屋でお土産を買うと駐車場に車を置いたまま、市内観光ができます。
お店の入り口横に捨堀残存土塁について書かれた案内板が設置されており、お店の人に許可を得れば裏庭に残っている土塁を見せていただくことができます。
決してお店の回し者ではありません(笑)

2019年04月10日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
松本城

バイクの場合、市営の大手門駐車場に停める事が出来ます。
一回100円です。時間制限はありません。
ただし、観光バス用と同じ所にあるので、団体ツアーの爺さん婆さん達に注意して下さい。あ、バイカーOBの爺さん(おじさん?)に話しかけられるかもしれないです(笑)

2019年03月31日 さっきー
松本城

6階の天守には、落書き(彫りもの系)があり、残念。団体客とぶつかると、60分待ち。

2019年02月25日 我流尾張守クール
松本城

「変わるべきもの 変わらざるもの」

久しぶりに登城しました。
冬晴れの晴天にも恵まれ、北アルプスの山々もきれいに観ることが出来ました。

現存天守閣、国宝、眺望は変わらざるものでしょうか。
本日天守閣内で目に焼きつくより、耳に残った言葉…

「いらっしゃいませ」

とても新鮮に聞こえました。

2019年02月07日 志摩守神楽【瓢箪印指南役】
松本城

いやー、現存で黒くて大きい城は松本城だけだな〜。

2019年01月22日 おじゃるまる式部大輔
松本城

国宝五城攻略で、約20年ぶりに訪れました。城内、天守閣までの階段が急勾配の記憶は間違ってなかった(((^_^;)

2018年09月13日 陸奥守たろす
松本城

【その1 駐車場】
車の場合、やはり市営駐車場がお値打ちかと。
・市営松本城大手門駐車場
開場時間 7:30~22:30分
普通車 30分ごと150円 
・市営開智駐車場
開場時間 8:00~18:00
普通車 1時間以内200円,超過30分毎100円
自分は開智駐車場を使用、しかも7:30から入れてもらえました。

【その2 パンフレット】
観覧券購入時にA6版のリーフレットが頂けますが、松本市観光情報センターには別のA4版のパンフレットが置いてありました。

【その3 漆練馬塗り工事】
毎年この時期に天守と月見櫓の漆塗り工事が行われ、今年は8/25(月)~10/31(水)。
この関係で、現在も足場やシートがかけられてました。

2018年08月19日 和泉守yukinezumi
松本城

松本市内の提携ホテルで松本城の前売券が安く買えます。当日のみ有効の様で購入時に裏面に日付印を押されます。
チケットを持っていると入場時スムーズに入れました。(チケットを買う列と別に並びます)お盆などの混雑時に行かれる方にはお薦めです。ちなみにお盆期間中は開門時間が8時に変更されていて、7時半には入場待ちの列が出来ていました。
参考:宿泊ホテルはモンターニュ松本
チケット金額は半額の300円でした。

2018年08月13日 ☘️ぷ~太郎
松本城

スタンプと御朱印は、松本城管理事務所でもらえます。
手荷物も、松本城管理事務所で預かってもらうことが出来ます。

2018年05月12日 織田上総介晃司
松本城

松本城北側の市営開智駐車場を利用。

GW(5/4)は来場者も多く8:30に入ったにもかかわらず早くも天守入場者制限がありました。

明治の古写真には傾いた天守が写ってます。
「加助の祟り」と言われてますが、地盤が弱いうえ柱の老朽化のため傾いたそうです。

松本城から北に歩いて5分位の所に重要文化財の旧開智学校があります。擬洋風建築の建物は一見の価値ありです。

今回の城めぐりの旅(5/3〜5)で唯一城以外で行ったのが旧開智学校でした。

2018年02月15日 まるき〜陸中守
松本城

松本城の屋根に所々瓦が裏返しに置かれている所があったので質問!?

天守の屋根に積もった雪は一部氷になって勢いよく下の階の屋根に落ちるため瓦が割れるとの事、それを防御する意味で雪の落ちる所に瓦を裏返して捨て瓦を置いているのですよ。
と…天守内の警備員さんの返答。←誰に質問してるねん…?
少し怪しいと思ったので後で松本城管理事務所にも聞いてみた所同じ答えでした…
疑ってしまってごめんなさい

順路最後、足元に一階の床下が見える隙間があります、天守台の上部、天守を支える柱や基礎が見えますから是非覗いてみて下さい

堀には飛ぶ宝石のカワセミも見られました。運が良ければ出会えるかもしれません!

朝一から天守に登りましたが降りてくる時には既に行列ができていて少し時間がかかりました。
見学は早い時間帯がオススメだと思います
松本城天守は朝8時半から開門しています、人気スポットにつき外国人観光客も多いですね。


2017年12月17日 ひなすけ☘参議
松本城

来場者は春先に比べてこの時期は週末でも10分の1位らしいので全く並ばずに天守の中に入れました。

全てをじっくり時間を掛けて見たい方には冬をオススメします。

天守1階の床と50センチほど下がった武者走りの間から床下を覗くと天守を支える石垣を見ることが出来ました。

ついつい中央部にばかり気を取られてしまいますが武者走りの外側の柱列をよく見ると、曲線を描いているのがわかります。壁側に立って真っ直ぐ見ると分かりやすいです。

城主が何度も変わっている為、使用されている瓦の家紋は様々に点在しています

最上階の柱にはかなりのいたずら書きがあり悲しくなりました。

現存する五重六階の天守としては日本最古という貴重な建造物なので大切にして欲しいです。


2017年06月11日 くまジョウ
松本城

駐車しやすい松本神社前の市営Pを利用しましたが、城下町散策も考えてるなら大手門Pが便利だと思われます。
平成29年7月29日30日には松本城 太鼓祭りがあるそうですヨ。

2017年05月21日 田上太閤久兵衛
松本城

かつての総構えであった惣堀と、四ヶ所に構えた門と馬出しは埋め立てられてます

二の丸は開放された公園になっており、本丸開城時間は人は多いですが、早朝は人もまばらで写真を撮られる方にはオススメです

二の丸外堀は東と北側の堀と塁跡は色々と残っていますが、南西の外堀は埋め立てられてます
公園の敷地の外から南西に沿った道路は全て堀だったと考えると中々の幅の堀だったと思われます

また二の丸内の公衆トイレは、かつて櫓が建っていた位置と一致するので、櫓もといトイレ巡りも良いかもしれませんw

本丸に入る前に、古地図片手に外で売ってるおやきでも食べ歩きながら外堀をくるりと一周すると良いですねw

土塁や石垣の変わり目や、何処が埋め立てられたかのか?本丸の裏門の位置など色々と気付くことが多いと思います

個人的には
しれっと御殿の近くに櫓台が残ってたりするのが乙な感じでしたw


本丸については詳しい説明が沢山あるので詳しいことは割愛します

100名城スタンプと御朱印は本丸事務所
隣の売店では100名城タオルとか松本城ワオンカードがオススメですw

2016年02月28日 るーみん越前守
松本城

公開時間は午後5時までで、入城は午後4時30分までです。
松本市立博物館との共通券で大人610円ですが、午後4時頃に入城したら博物館には行けないでしょうとの事で200円割り引きしてくれました。
平日のこの時間だと人もまばらで、ほぼ貸切状態でしたよ(*^_^*)
天守内をじっくり見たい人には、オススメかもしれませんね。

松本城では、御朱印がいただけます!
100名城スタンプの置いてある管理事務所にて300円で購入できますよ。

2015年08月10日 我流尾張守クール
松本城

車で行かれる方は、開智の駐車場をお勧めします。北側から敷地内に入り、左手に天守を拝みながら、グルリと堪能してください。
松本神社口(これも北側)にある「やまが」さんで天然氷のかき氷がいただけます。上高地の天然氷らしいです。

2015年04月01日 赤いRVR甲斐守@松本
松本城

松本城ホームページ、ttp://www.matsumoto-castle.jpです!

2015年03月27日 赤いRVR甲斐守@松本
松本城

来月から、松本城の公式ホームページがスタートします!観光だけでなく、国宝、史跡としての松本城を知ってもらう内容です。お楽しみに!

2014年09月29日 瀧乃道大蔵卿ユズル
松本城

月見櫓、赤い橋?辺りが工事中です。

2014年08月14日 赤いRVR甲斐守@松本
松本城

今年から整理券を配布しています。記された時間に来れば入城できます。城内でひたすら並ぶより、再入城可能なので、その間に、博物館を見たり、場合によっては、林城や井川城なら行って来ることも可能かも!?
詳しくは松本城管理事務所まで!

2013年08月08日 せなかわ
松本城

9月6日まで、8:00〜18:00の時間帯でお堀の浚渫中

2013年01月11日 はせちゃん弾正忠
松本城

明日1/12第2回発掘調査現地説明会が開催とのこと

今回も残念ながら仕事なり

2013年01月05日 守屋内匠頭龍聖
松本城

本日は気温マイナス6度、お堀が凍ってました。
本丸広場土産店横のトイレが工事中です。

2012年11月03日 赤いRVR甲斐守@松本
松本城

本日は松本市民祭、それにあわせて、大手門枡形の発掘調査現地説明会。石垣で囲まれた枡形の姿が見えます!!

2012年11月02日 はせちゃん弾正忠
松本城

明日、大手門跡の発掘調査現地説明会が実施されます

朝10:00〜ですね

2012年10月08日 タコライス
松本城

城北側の、開智駐車場利用。
10月の蕎麦祭りとぶつかり、異様な混雑ぶり。天守閣内は、行列で進まずなので、すぐに脱出。と、いうか、列を守らない人が多すぎるので、イライラするくらいなら見ないほうがいいと判断。
けど、数年ぶりの松本城はやはり素敵でした!!


2012年10月06日 花菱内大臣大姫
松本城

松本城の天守閣で攻略したよ
混雑してた
お城のお土産屋さんの店員、態度悪すぎ。
松本城の印象も悪くなった



2011年07月17日 pika北見守
松本城

大人2名と小学生1名で1000円ちょうど。なぜ?

2011年07月17日 摂政M三郎
松本城

信濃國内を巡って、松本には夜到着。早速、松本城の夜景を見に行きました。ライトアップされた天守群が広い堀の水面に映り、その幽玄さに魅了されました。朝早く再度登城。天守群が有名な松本城ですが、城門なども立派です。城内から、この天守は望楼型か?層塔型か?などと自問しながら登閣。その構造から、『究極の望楼型』と答えが出ました。堀の橋や月見櫓高欄の紅が効いて、至高の美しさを持つ、国宝にふさわしい城でした。夏休み中の登城でしたが、夜間〜朝だったので、混むこともなく、その日に上高地観光も楽しめちゃいました

2011年07月08日 赤いRVR甲斐守@松本
松本城

堅牢!松本城ツアーを実施します。
実施5強の地震でも、わずかなひびしか入らなかった松本城の強さなどを知ってもらうツアーを行います。詳しくは松本城管理事務所まで。

2011年07月03日 赤いRVR甲斐守@松本
松本城

天守他何ヶ所かひびが入りましたが、構造的には大丈夫なので、登閣にも支障はなく、通常通りの開館をしております。

2011年06月30日 tomm加賀守
松本城

今朝の震度5弱の地震で乾小天守の壁にひび割れが入ったとか…

2010年08月14日 栗林勘解由次官忠道
松本城

100分待ち?!USJじゃあるまいし…これはひどい。

2010年08月10日 上杉謙信
松本城

混みすぎです…一階から天守に辿り着くまで1時間以上掛かりました入場制限してほしいな

2010年07月29日 tomm加賀守
松本城

8/31(火)まで和装(浴衣や甚平も可)で訪城すると入場料が無料になるキャンペーンを開催中!

また太鼓門も8/22(日)まで無料特別公開中です!

2010年06月20日 傾奇揚げ仙兵衛
松本城

日本100名城のスタンプをいただくのに駐車場代と入場料で800かかる。

松本城の周辺観光情報

旧開智学校校舎

旧開智学校は明治6年(1873)5月6日、筑摩県学を改め学制による小学校として、廃仏毀釈で廃寺となった全久院の建物を仮の校舎として開校しました。新校舎は明治9年4月に全久院跡地に竣工し、昭和38年3月まで約90年間使用された、日本で最も古い小学校の一つです。

詳細はこちら

松本市高橋家住宅

高橋家住宅は、松本市内に現存する数少ない武家住宅のひとつです。 松本藩が藩士の住まいとして所有していた官舎で、昭和44年(1969)に松本市重要文化財に指定されました。その後、古文書をもとに、幕末から明治時代初めのころの姿に復元修理を行い、武士の暮らしを伝える博物館として開館しました。

詳細はこちら

情報提供:松本市旧開智学校管理事務所

松本城の周辺スポット情報

 天守(遺構・復元物)

 月見櫓(遺構・復元物)

 黒門(遺構・復元物)

 太鼓門(遺構・復元物)

 捨堀の土塁跡(遺構・復元物)

 本丸御殿跡(遺構・復元物)

 堀跡(遺構・復元物)

 二の丸御殿跡(遺構・復元物)

 西総堀土塁(遺構・復元物)

 惣構西門丸馬出の堀跡(遺構・復元物)

 惣構北門丸馬出の堀跡(遺構・復元物)

 惣堀跡(遺構・復元物)

 東側の惣堀土塁跡(遺構・復元物)

 ててまがりの井戸(遺構・復元物)

 乾小天守(遺構・復元物)

 辰巳附櫓(遺構・復元物)

 丑寅櫓跡(遺構・復元物)

 北裏門跡(遺構・復元物)

 埋門跡(遺構・復元物)

 高麗門(遺構・復元物)

 太鼓門枡形(遺構・復元物)

 巨石(遺構・復元物)

 渡櫓(遺構・復元物)

 外堀(遺構・復元物)

 合横矢(遺構・復元物)

 土蔵(遺構・復元物)

 馬出し跡(遺構・復元物)

 馬出し跡(遺構・復元物)

 馬出し跡(遺構・復元物)

 馬出し跡(遺構・復元物)

 丸馬出(遺構・復元物)

 内堀(遺構・復元物)

 外堀(遺構・復元物)

 鉤の手(遺構・復元物)

 食い違い(遺構・復元物)

 食い違い(遺構・復元物)

 太鼓跡(遺構・復元物)

 高麗門(遺構・復元物)

 屏風折跡(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 松本城惣構大手門枡形跡(遺構・復元物)

 三の丸(遺構・復元物)

 大手門跡(遺構・復元物)

 門跡(遺構・復元物)

 旧・本町五丁目の高札場(遺構・復元物)

 内堀(遺構・復元物)

 大名町(碑・説明板)

 犬甘城山説明板(碑・説明板)

 惣構東門跡(碑・説明板)

 北門馬出跡(碑・説明板)

 大手門跡枡形跡第1次発掘調査の成果(碑・説明板)

 北不明門跡(碑・説明板)

 松本城大手門跡碑(碑・説明板)

 新小路(碑・説明板)

 飯田町(碑・説明板)

 生安寺小路(碑・説明板)

 清正公駒つなぎの桜(碑・説明板)

 二の丸御殿説明板(碑・説明板)

 太鼓門枡形説明板(碑・説明板)

 本町(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 明治天皇駐蹕遺址碑(碑・説明板)

 中町(碑・説明板)

 安原町(碑・説明板)

 萩町(碑・説明板)

 野麦街道・善光寺街道分岐点(碑・説明板)

 博労町(碑・説明板)

 国宝 松本城天守(碑・説明板)

 松本城南・西外堀の概要(碑・説明板)

 松本城西不明門馬出跡(碑・説明板)

 犬甘城(周辺城郭)

 渚城(周辺城郭)

 荒井城(周辺城郭)

 深志城(周辺城郭)

 城山稲荷神社(寺社・史跡)

 松本神社(寺社・史跡)

 若宮八幡宮(寺社・史跡)

 源智の井戸(寺社・史跡)

 十王堂(寺社・史跡)

 深志神社(寺社・史跡)

 高橋家住宅(寺社・史跡)

 北門大井戸(寺社・史跡)

 若宮八幡宮跡(寺社・史跡)

 足駄塀跡(寺社・史跡)

 古山寺御殿跡(寺社・史跡)

 米蔵跡(寺社・史跡)

 四柱神社(寺社・史跡)

 旧開智学校跡(寺社・史跡)

 浄林寺(寺社・史跡)

 岡宮神社(寺社・史跡)

 旧開智学校(寺社・史跡)

 安楽寺(寺社・史跡)

 博労町十王堂跡(寺社・史跡)

 光明院跡(寺社・史跡)

 極楽寺(寺社・史跡)

 乾瑞寺跡(寺社・史跡)

 生安寺跡(寺社・史跡)

 宮村大明神天満宮跡・現深志神社(寺社・史跡)

 瑞松寺(寺社・史跡)

 長松院跡(寺社・史跡)

 本立寺跡(寺社・史跡)

 大昌寺跡・大松寺(寺社・史跡)

 念来寺跡・妙勝寺(寺社・史跡)

 餌差町(寺社・史跡)

 正行寺(寺社・史跡)

 林昌寺(寺社・史跡)

 長称寺(寺社・史跡)

 宝栄寺(寺社・史跡)

 摂取院跡(寺社・史跡)

 安原町十王堂跡(寺社・史跡)

 天白神社(寺社・史跡)

 妙光寺(寺社・史跡)

 陽谷社跡(寺社・史跡)

 恵光院(寺社・史跡)

 全久院跡(寺社・史跡)

 地蔵堂跡(寺社・史跡)

 葵の馬場跡(寺社・史跡)

 鷹匠町(寺社・史跡)

 田町(寺社・史跡)

 御徒士町(寺社・史跡)

 同町(寺社・史跡)

 堂心町(寺社・史跡)

 監獄跡(寺社・史跡)

 焔硝蔵跡(寺社・史跡)

 北西隅櫓跡(寺社・史跡)

 南西隅櫓跡(寺社・史跡)

 南隅櫓跡(寺社・史跡)

 南東隅櫓跡(寺社・史跡)

 内番所跡(寺社・史跡)

 厩跡(寺社・史跡)

 池跡(寺社・史跡)

 橋倉家住宅(寺社・史跡)

 新井家の腕木門(寺社・史跡)

 伊勢町地蔵堂(寺社・史跡)

 旧司祭館(寺社・史跡)

 松本城管理事務所(御城印)

 松本城管理事務所(スタンプ)

 管理事務所(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 縄手西公衆トイレ(トイレ)

 観光バス・バイク用駐車場(駐車場)

 市営駐車場(駐車場)

 市役所の駐車場(駐車場)

 松本城大手門駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐輪場(駐車場)

 松本市立博物館(関連施設)

 松本市立博物館(関連施設)

 松本市観光情報センター(関連施設)

 売店(関連施設)

 写真スポット(その他)

 ビュースポット(その他)

 北馬場柳の井戸(その他)

 深志橋(その他)

 辰巳の庭公園(その他)

 縄手(その他)

 伊織霊水(その他)

 撮影スポット(その他)

 撮影スポット(その他)

 埋橋(その他)

 地蔵清水(その他)

 撮影スポット(その他)

 撮影スポット(その他)

 発掘調査現場(令和2年11月まで)(その他)

 二の丸冠木門(入り口)(その他)

 撮影スポット(その他)

 船着場(その他)

 城山公園展望台(その他)

 縄手通り(その他)

 HELLO CYCLING(松本駅前)(その他)

 葵の井戸(その他)

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