武居城(たけいじょう)
武居城の基本情報
通称・別名
- 洗馬城
所在地
- 長野県東筑摩郡朝日村西洗馬
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 三村氏
築城年
- 南北朝時代?
主な改修者
- -
主な城主
- 三村氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- 県史跡(武居城跡)
再建造物
- 模擬冠木門、石碑、説明板
周辺の城
-
井川城(長野県松本市)[13.9km]
埴原城(長野県松本市)[14.5km]
中塔城(長野県松本市)[15.0km]
松本城(長野県松本市)[15.7km]
林城(長野県松本市)[16.7km]
花岡城(長野県岡谷市)[16.8km]
桐原城(長野県松本市)[18.7km]
山家城(長野県松本市)[19.5km]
平瀬城(長野県松本市)[19.9km]
有賀城(長野県諏訪市)[21.1km]
武居城の口コミ情報
2022年11月17日 RED副将軍✳️
武居城
コンパクトな城ながらも遺構の保存状態は良好で適度な整備は素晴らしい。地元愛が感じられます。
オススメ度 ★★★★★
地方土豪、三村氏の居城。
信濃国守護の小笠原氏に従っていましたが、甲斐の武田氏によって侵攻されると、三村氏も武田氏に従属。
16世紀初め頃に三村氏は本拠を本洗馬の妙義山城に移したとされます。
見所
横堀と放射状竪堀が素晴らしい。
西側斜面に横堀が延び、その横堀に接して6条の竪堀が等間隔に下に延びています。
三の郭から北東尾根筋の二重堀切も絶品。
規模と深さは写真では伝わり切りません。是非訪れて欲しい遺構です。
2022年10月17日 よっこいしょーいち
武居城
最近になって地元の方の努力により城址北側の大手筋ルートが整備されました。
また主郭以外の郭も笹藪が刈られ大変見やすくなっています。
近くにこられた際は是非お立ち寄りを。
2022年10月17日 よっこいしょーいち
下村の館[武居城 周辺城郭]
三村氏に関する館跡と考えられ、武居城より北に500メートル離れた所にあります。
館に関連する地字が残っていて道割に館の痕跡が伺えます。館跡から北東方向に延びる道を中心として館町があったと推測されていてこの道にはうっすらと鍵の手もあります。
2022年09月16日 よっこいしょーいち
立所入山城[武居城 周辺城郭]
宮坂武男氏の著書にある「洗馬の鐘撞田」として記載のある狼煙台はここの事と思われます。単郭式の郭の前面に小曲輪、柵列跡、その前面に浅い堀切、北東に腰曲輪らしきものが確認できます。南東方向にある鉄塔の真下にも堀切らしき物があります。塩尻市立平出博物館や本洗馬歴史の里資料館などの調査により武居城や妙義山城の関連支城が見つかっているようです。
2022年07月25日 しげしげ主税頭信繁
武居城
大変整備された公園になってます、駐車場があり今の季節は紫陽花が咲いていて、奥に進むと獣ゲートが有ります。ゲートを開けて進入すると10分程で主郭跡に着きます。結構遺構が残ってました。
多少の登りは有りますが大した事は無いので家族連れにも良いと思います♪
2022年04月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
桟敷城(高須城)[武居城 周辺城郭]
桟敷城(高須城)は武居城の東方約7.6km、田川東岸(右岸)、標高約704mの平野部平場に城域が存します。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車を捨てるのに少し困ります。
築城年代、築城者は不明です。信府統記、長野県町村誌には小笠原氏に関係する屋敷だったとの記述がありますが、何れにせよ居館城の範疇に入るものだったのでしょう。塩尻峠の戦いの際に小笠原長時が出張したらしく、現地説明板には「松本の小笠原氏が南方に備える兵站基地として造営」との記述がありますが、出典が不明だし領内で戦う往時の戦は小荷駄を除けば腰兵糧が基本だと思うので適当ではないと考えます。
お城の現況は耕作地、空地、駐車場、一般住宅地等となっています。田川沿いの微高地を活用した縄張で城域南辺の一部には堀形が残ります。折角なので周辺を一周しましたがそれ以外は難し過ぎてよく判らねぃよて感じ…
以前からお城の存在を確認していましたが、行ってもしょうもないと思ってずっとスルーしていました。ただ色物物件を除けば松本平において行った事の無い城館はもう数える程しか残っていません。少し寂しくもありますね。
2022年03月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
小坂城(焼城桂入山の城)[武居城 周辺城郭]
小坂城(焼城桂入山の城)は武居城の北西約4.7km、東方へ延びる山塊尾根上、標高約989mのピークの一つに主郭が存します。平野部との比高は230m位ですが、南麓の林道からの比高は100m位でしょか。
行き方はGoogle マップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。南麓の林道が大きくヘアピンカーブを描く所から適当直登出来ますが、安易に谷筋に入らずひたすら目の前に現れる急坂を登りましょう。人が入るお山ではあるので踏み跡ぐらいは付いてます。東麓から尾根筋を辿る別なルートもありますが、これがとりま最短、10分強で城域に入る事が出来ます。
築城年代は不明、築城者は小坂氏です。結城合戦における結城陣番帳の二十番に「犬甘殿、平瀬殿、村井殿、三村殿、小坂殿」とあり、松本平における小笠原氏の有力な被官衆と共にその名が見られます。同氏ははっきりした事跡に乏しいのですが、小笠原氏の庶流、赤沢氏の末流と推測され、近隣の大池氏と同族でもあったようです。大池氏に伝わる家伝書によると、大池村と小坂村(何れも現山形村)は元は一郷で総貫高七百貫文、大池丹波守隠居領として下郷百貫文、大池右馬助昌勝三百貫文、小坂豊前守三百貫をそれぞれ領していました。又、大池氏に伝わる「私本信府統記」によれば城主として小坂主計の名が伝えられています。
お城は信濃の山城としては珍しい堀切の少ない(たぶん1条のみ。)縄張で、数条の竪堀で斜面上の要所を分断しています。主郭(土塁囲み、虎口二箇所付き。)北東側正面には無数の小郭が設けられていますが、これがまじかよ…ってぐらいの数でして、明瞭なものは殆ど無いだろうし、そもそも論で雪に埋もれて判る訳も無いので最初から諦め気味…又、竪堀の方は縄張図外にも数条確認出来たりなんかします。
長野県だけど山形村、松本平においても地味な場所なんですが良城と言えるでしょう。南麓の林道を車で更に登ると標高1222mの平場に立地する真言宗の寺院、慈眼山清水寺(無住である。)に辿り着きます。山中に留まった山岳寺院として全国的にも珍しいので是非セットで訪ねてみて下さいまし。
2022年02月11日 内記かずりヾ(・ε・。)
本山城(掛上城)[武居城 周辺城郭]
〜本山城攻城編〜
築城年代は不明、築城者は本山民部と伝わります。本山氏は奈良井氏の庶流、奈良井氏自体は洗馬の三村氏の一族とされていて戦国時代の奈良井義高(贄川城で武田勢を一度は退ける。)は小笠原長時の娘婿でした。民部は木曽氏の被官で、天正年間(西暦1573年〜1593年)、本山城は武田勢により落城しました。天正年間の事なんで木曽氏の叛意が明らかとなり征伐を受けた際の事なのは明らかで、続く鳥居峠の戦いの前哨戦と位置付けて間違い無いでしょう。木曽氏は木曽路の最北端に桜沢砦を築いて此処を一の城戸としていましたが、それより更に北方の本山に城を構えていた事が判ります。
織田氏に従属した木曽氏は甲州征伐の後に安曇、筑摩の二郡を加増されましたが、天正壬午の乱において深志(松本)を回復した小笠原氏と衝突します。天正十年(西暦1582年)七月、小笠原氏家臣、犬甘政信が討死したのは本山城西麓に建つ常光寺(廃寺)の観音堂付近とされていて、お城はこの際も無事では済まなかった事でしょう。
お城は大変素晴らしいです。サブ名称の掛上城は掻揚城(疎かに構たる城、急造の城っす。)に通じるんだろうけどそんな事はない。主郭南側には3段の腰郭(エッジが萌える。)を持ち何れも土塁付き。とんでもなく素敵なのが主郭東側の大堀切+竪堀でして、山城ファンは見てるだけで幸せな気分に浸れるでしょう。城域は比較的コンパクト、主郭を中心にぎゅっと山城が凝縮されている感じでリア攻めも実に気持ちが良いです。又、通称7郭付近から縄張図に無い結構な竪堀様地形が2条程確認出来ます。これらで寄手の攻城路を限定させる事(主郭部を遮断し通称7郭に直接誘導する。)が可能となるけどまぁ気のせいなのかもしれません。
注意点は信じられない事に城域東端外に石灰採掘場跡(登城編でその厳しさを語りましたが、此処に至る別の優しい林道が付いてるかもしれん…)が残っていてお城の遺構と勘違いし易い事(竪堀かと思ったよ。)、それから前述のとおり留山なので時期になれば言い訳が出来ない事(警告は大変厳しい。)です。
しかし所有者でも無けりゃこんな山に○○採りに入る奴がいるのかよと疑問が湧いて来ますが、そんな奴等からしたらこんな山にお城見に来る奴の方がよっぽど不思議でしょう。そんな奴等な山城好きは是非こっそりと訪ねてみて下さいまし。
2022年02月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
本山城(掛上城)[武居城 周辺城郭]
〜本山城(掛上城)登城編〜
本山城(掛上城)は武居城の南東約6.8km、標高約1225mの山塊ピークから南西へ延びる尾根上、標高約1045mのピークの一つに主郭が存します。西麓の国道19号線からの比高は230m位でしょか。
お城の存する本山の地は中山道六十九次の内の三十二次、本山宿が設けられた宿場でした。城友さんが口コミにアップしていた福島関所は三十七次、福島宿に立地します。両者の距離は直線で約30kmですが、地図を眺めりゃ解るように車でも無けりゃとても木曽路を旅する気にはなれねぃよ…又、木曽路は律令制下の大宝二年(西暦702年)に「岐蘇山路」、「吉蘇路」としては和銅六年(西暦713年)に開通し、東山道から分岐する美濃へ抜ける往還として古来より特に重要視されていました。ちなみに「木曽路」の表記が定着したのは旭将軍の活躍のおかげっす。
行き方はGoogleマップに位置登録されている南西麓の本山神社を目標に設定して下さい。神社の裏手に留山である事を示す標柱が立っていますので此処から登ります。が、道は踏み跡程度であり最初から何処へ向かって登って行けばよいのか判らなくなると思います。自分は踏み跡を辿って登ったら尾根の西側斜面を登る羽目になりまして、結果的に冗談抜きの斜度約60°を尾根上まで直登しました。結果的には早い内に、標柱から気持ち南側へ巻き気味で尾根筋に出るのが正解で、尾根上に建つ小社に至るまでは比較的判り易い踏み跡が付いていた事に後で気付きました。ただこのお城は尾根筋に出たからといって楽に登れる箇所は一切ありません。城域に至るまでの約90%は普通に歩けないです。
小社に辿り着いてからが更に問題、小社の背後は細尾根の岩場となっていてこれをよじ登る覚悟が必要です。トラバースしようにも尾根の両斜面は急坂急崖で、頼りに出来る草木も生えておらず積雪も相まって逆に危ない…岩場をよじ登る決心をしますが、逆に岩場には松の若木が生えまくりで痛いのなんの…泣きそうになります。岩場を抜けても急坂の連続、留山である事からも解るように、尾根筋には余計な雑木が生えていないので大変苦労します。
竪堀を抜けて通称7郭に入れば後の探索は楽だと思いますが、同じ長野県内にある鳥羽城や水の手城に匹敵するとまでは言わないけど、気楽に訪ねたら意外にも難城だったのには閉口しました。
2021年04月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
天ヶ上(天狗城)[武居城 周辺城郭]
天ヶ上(天狗城)の続きなり。
お城のある山塊尾根稜線上は遥か昔に木曽へ抜ける間道が通っていたそうです。となるとお城はこの監視の任を担っていたと推測出来ますが、それなら別のもっと楽な場所でもいいんじゃねぇ…何だか逃げ込み城のようにも思えますが、目立つ尾根稜線上は避けると思うのでこれも疑問…それだったら途中にある標高1604mピーク付近にある船窪地形の方がよっぽど相応しいしお城っぽい…結果としては本当にあったのかどうかを含めて謎という感じでした。まぁ自然地形を100%に近い形で利用した砦規模のお城というのが今判る現況です。
登城の際の注意点はお城廻り気分で行かない事です。完全な低登山になるのでそういう装備で…もう生えてる木(白樺があるぞ…)からして普通の山城とは違います。携帯の電波も殆ど入らず遭難したら誰も気付く事はないです。地図と高度計、コンパスを用意しましょう。ただ登山系のアプリがあれば事足ります。リアルタイムで自分の軌跡を追えますし特に帰りに重宝します。そしてどんなに辛くとも尾根筋を絶対に外さないように…
このお城、単独での紹介例はあらゆる媒体を含めて初めてとなります。信濃のお城の神以外(行ったという事実はあるのだろうか…)に純粋にお城目的でこのピークに辿り着いた人は近年にはいないと思います。長野県の中世城館跡・分布調査報告書にも記載が無く、今のところ資料といえば塩尻町誌、朝日村誌にわずかな記載があるのみ(武居城の土塁の案内板にも記述がある。)…行く価値は全くありません。ただ誰かが行かなきゃそれすらも判らないし、永遠に謎のままで埋もれてしまう。徒歩での総移動距離約10.7km、総経過時間約7時間10分、今回のリア攻め最大の成果はこれに尽きると思います。
2021年04月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
天ヶ上(天狗城)[武居城 周辺城郭]
天ヶ上(天狗城)の続きなり。
ルートは決まり後は実行に移すのみ!当日の天候は晴れだった…
まず最初の経由地である菅野林間広場を目指す。此処までは車で行けて駐車も出来るのだが、からたきの峯登山口に至る林道入口まで車で行けた。林道は作業用林道でもあり、当日も林道整備の作業用軽トラック数台が入っていたが一般車両は進入禁止でした。林道はかなり東方へ巻いてから山側へ登って行くけど、約1時間の行程で標高約1400m地点にあるからたきの峯登山口に到達、此処からは整備された登山道を使って標高1691mピークを目指す。凄く疲れたけど約40分の行程でこのピークに到達出来た。
此処までは順調に事は進んだが地獄の始まりが近づいて来た…からたきの峯登山コースを外れて北方へ延びる尾根稜線上を進むのだが、長きに渡り人が入る事は絶えたのであろう、尾根一面を覆う人の背丈を超える熊笹地獄が行手を阻む。群生率が凄まじく同行の城友さんの姿も見えなくなる…足を取られて転ぶ事数回、おまけに倒木まで隠れてやがった。アップダウンは比高100mを超える事は無いが、二つのピークを越える約2kmの藪漕ぎを強いられる。途中熊笹が消える場所は1箇所、約20mの間のみ、休む事もままならず時間ばかり浪費して進める距離は僅かという有様、約2時間の藪漕ぎを意地と根性のみで耐え抜きお城を目指しました。
熊笹地獄を抜けて辿り着いたお城のある標高1698mピークは…やっぱり一面の熊笹!山頂部はびっくりするぐらい広い削平地ですが、そもそも熊笹目線なので本当に削平されているかどうかは全く判らん…城域内には堀というか溝があるけどこれが遺構なのかは全く判らん…又、段が付いているけどたぶん自然地形でしょう。期待していた展望は奥山中の奥山なので最低レベルです。
続く…
2021年04月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
天ヶ上(天狗城)[武居城 周辺城郭]
SHINANO‘S MOST HARDEST!!!
まずは遠州の城友さんにこの口コミを捧げる。一人では絶対成し遂げられなかったぜ〜感謝感謝!
天ヶ上(天狗城)は武居城の南方約5.5km、標高1698mの山塊山頂に主郭?が存します。北方の武居城公園からの比高は890m位でしょか。
築城年代とか築城者なんかどうでもいいんです。知ったところでどうしようもない。標高1000mを超える山城は信濃では決して珍しくない。しかし標高1500mを超える山城は知っているだけで3城しかない。木曽の楡沢山城、甲斐の御坂城、そしてこの天ヶ上だ。山城には限界高度というものがあると思う。標高や比高が高過ぎれば逆に意味を為さなくなるし生活だって困難だろう。常識を覆す所にお城を築いたのは何故だろうか、きっと阿保に違いない。名称からして決して行ってはいけないお城だけど変態が確かめに行く時が来たって訳だぜ〜
信濃のお城の神は重ね城の項の最後をこう締め括っている。「…直線距離で5km上方の1698m峯には天ヶ上(天狗城)がある。…確かな造りの砦である。」と…ところが神は独立した項を作る事も無く、縄張図も描いてはいない…お城の情報はたったこれだけなので、まずは場所の特定から始めなければならなかった。幸いにも武居城から尾根続きである事、標高1698mピークは尾根稜線上に一つしかない事でこれをクリアー出来た。後はどうやって行くのかが最大の課題だった。
山城は好きだけど山登りが大嫌いな自分は、直線距離で約5.5km、比高約890mの尾根登山をする気にはとてもなれない。別ルートを探すべく情報を集めるが、山の名称が無い事からも解るように登山者の目標にもならず、登山系の情報も皆無だった。そこであらゆる形態の地図を見比べて別ルートの開拓を2Dで試みる。するとお城の南方麓に林道と「菅野林間広場」という施設を発見する。更に調べると此処から「からたきの峯」というピークに至る登山道がある事が判った。
計画は決まった。この登山道を使いひとまず尾根稜線上の標高1691mピークを目指した後、からたきの峯とは逆の北方へ尾根を進み、お城のある標高1698mピークを南側から狙う。しかもこのルートなら林間広場から登る比高は550m位になる…が、案外楽勝かなと考えていたのが大間違いだった…
続く…
2021年04月24日 よっこいしょーいち
武居城
現在、塩尻市洗馬の本洗馬歴史の里資料館にて三村氏に関する企画展が開催中です。
最近の調査で武居城や妙義山城に関連する支城や狼煙台が見つかっているようです。
興味のある方は是非。
2021年04月11日 けろりん弾正大弼
武居城
ミズバショウと桜咲く武居城公園を目指したどり着きました。公園の奥の防獣柵を開け、登山道を登ります(本来の大手は異なる側とのことです)。腰郭にたどり着く前に、横堀、竪堀、大堀切を見ることができます。本郭は明治時代に開墾の影響があるとのことですが、二の郭には土塁が残っています。
規模は大きくないですが、よく整備されており、初心者にもわかりやすい山城でした(^^)
春先は松葉が滑りやすく、トレッキングシューズ履いていけばよかったなあということと、登山道入り口で貸出して頂けますが熊鈴は持参しなければと思った次第です。
朝日村はレタスと、地元の木材で建てられた朝日村役場が素晴らしいです!
2021年03月22日 内記かずりヾ(・ε・。)
重ね城[武居城 周辺城郭]
重ね城は武居城の南方約0.8km、南北に延びる山塊尾根上、標高1011mのピークの一つに主郭が存します。北西麓の武居城公園からの比高は200m位でしょか。
築城年代は不明ですが、築城者は三村氏で、お城は武居城の詰城とされています。
行き方は武居城から南側尾根をひたすら進んで行けば自然に着きます。比較的緩やかな道もちゃんと付いてるし迷う事は無いでしょう。が、だらだらと登るし距離もあるので面倒には感じます。又、この辺りの山塊は熊笹が多く群生し見通しはあんまし良くないので少し怖いかもしれません。時期になれば熊さん対策をしっかりしときましょう。
このお城の訪問は2回目(通過点の武居城は3回…)なんですが、何か武居城も含めて相性悪くて写真が大失敗、前回は初夏だったと思うんですが、見事なまでに何だかよく判らない写真ばかり…今回は小雨スタートでしたが途中から土砂降りに…おいらを拒んでるんでしょかね。
お城はコンパクトですが、小気味良い縄張で楽しませてくれます。縄張図には5条の堀切がありますが、その中の1条は熊笹に覆われてしまいとても難しい…ただ残りのものはしっかり確認出来るので満足出来ます。特に主郭北側山側背後の堀切は主郭切岸北西辺に沿って途中でやや曲げて横堀状に形成してたりもしますね。
このお城から尾根伝いに、直線距離で約5.0km位登った標高1698mのピークに天ヶ上(天狗城)という変態にはちょっとそそられるお城があるんです。信濃のお城の神は「確かな造りの砦である。」と書いてますが縄張図は何故か載せていない…今度この奥山のお城1点(武居城公園からだと比高約890m…)を目指して雪の無くなる4月中旬以降に城友さんと確かめに行ってきます。
※土砂降りで気持ちが折れて写真は少なめ…この時期のずぶ濡れは厳しいぜ〜
2021年02月28日 内記かずりヾ(・ε・。)
飯縄城[武居城 周辺城郭]
飯縄城は武居城の東南約8.5km、標高1210mの大芝山から北方へ延びる山塊尾根上、標高約930mのピークの一つに主郭が存します。北麓からの比高は160m位でしょか。
お城への行き方はニつありますので、同じ武居城のリア攻めスポットの西條城を参照して下さい。ただスタートとなる北麓の慈光院(大手筋の居館跡、段々地形や結構な横堀が存する。)近くには常光寺というお寺さんもあるので混同しないで下さいまし。
自分は嵐城から下山しつつお城を目指したのですが、最後に尾根の分岐を間違えて東隣りの支尾根に迷い込み神社跡?に辿り着きました。隣りの尾根にお城があるのは判ったんですが、霧訪山登山口から此処までの縦走総移動距離は既に10kmを超え、総経過時間は5時間30分超となり疲労困憊、直登する元気は既に無く翌日に慈光院からの直登リベンジとなりました。
北麓の慈光院からは本堂裏手の急斜面を疑問を持たずによじ登って下さい。すると中央本線の線路にぶち当たる…踏切らしきものは何処にも見当たらない…どうしよかと困っちゃってると、突然上空から謎の飛行物体が現れ、そこから発せられる強烈な光に全身が包まれたかと思うとそれからの記憶が全く無い…意識を取り戻すとなんとお城の北西尾根に横たわっているじゃないすか。熊笹の葉がフードに入り込んでいましたが、特に何かを埋め込まれた様子も無いのでそこからは気持ちを切り替えて直登しました。
築城年代は不明ですが、築城者は府中小笠原氏とされており、府中小笠原氏が松尾小笠原氏と争った際に南方の抑えとして築かれたと推測されています。
お城は素晴らしいっす。基本尾根筋をあまり外さないY字形の縄張ですが、城域内の堀切、竪堀、畝条竪堀(写真はとても難しい…)、横堀に感動する事間違い無し!主郭は土塁囲みですね。しかし何と言っても北西尾根に残る段郭に大興奮!削平もしっかりしていてエッジも立ちまくりなので段郭ファンは見ないと損します。この段郭を過ぎると主郭の切岸は絶望的に感じるぐらいの高さと急傾斜、素晴らしいぜ〜
小笠原ブランドの優れたお城です。改修と拡張を繰り返したと考えられる重厚な縄張を持ってたりもします。道が無いので行くのに難儀しますし、城域内に入ってからも結構登ったりしますが、もうその頃には苦労とは感じなくなっているでしょう。
2021年02月28日 内記かずりヾ(・ε・。)
嵐城[武居城 周辺城郭]
嵐城は武居城の東南約8.5km、標高1210mの大芝山から北方へ延びる山塊尾根上、標高1031mのピークの一つに主郭が存します。北麓からの比高は260m位でしょか。
行き方はニつありますので、同じ武居城のリア攻めマップにある西條城を参照して下さい。ただ地形図等で自分の位置を確認しながら行かないと、特に西條城からの下山時においては手遅れな事になりがちとなります。又、西條城は直線距離で800m位離れてますね。
築城年代は不明ですが、築城者は府中小笠原氏とされており、天文年間には中島玄蕃の名が城代として伝えられています。ほぼ同一尾根上に存する西條城、嵐城、飯縄城は築城年代、築城目的が同じと考えられており、何にせよ3城は連携を図りながら松本平の守りを南方から担っていたようです。この山塊にお城があるという事は諏訪郡、伊那郡からの侵入にとって障りとなります。
3城の中では一番プアーなお城ですが、その中ではセンターを務めていた時期もあったらしいです。何処から資料を引っ張って来たのかは解りませんが、現地に赴けば「本当にっ?」とか呟くと思います。ほぼ単郭のお城で見所は主郭の南側山側の土塁と主郭南側山側背後の堀切でしょか。この堀切はかなりの大きさですが、此処から更に南側山側に残る堀切1条は心眼が必要です。
西條城、嵐城、飯縄城の3城は纏めて行くのが慣例?となっています。ただ嵐城だけは鬱蒼とした山塊奥山の単郭のお城一点を目指す事になり、他の2城とも全く接点が感じられないので尾根を間違えないように慎重な行動が求められます。又、ソロで行くと不安を紛らわす為に独り言が多くなり、「おいらってこんな寂しい人間だったっけ?」とか自問自答を繰り返す事になるので注意です。
※写真は日光が強烈で大失敗、見苦しいかもだけど参考まで…
2021年02月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
西條城[武居城 周辺城郭]
西條城は武居城の東南約8.6km、標高1210mの大芝山から北方へ延びる山塊尾根上、標高1199mのピークの一つに主郭が存します。北麓からの比高は430m位でしょか。
行き方は主に二つあるようです。一つは北麓にある慈光院から飯縄城、嵐城を経て道無き尾根筋をただひたすら登るもの。このルートは展望が無い上に長い距離をだらだら登る羽目になり不安しか感じないので帰りに使った方がよいでしょう。もう一つは霧訪山登山コースの善知鳥峠登山道を使うもので、霧訪山支峰の大芝山をまず目指し、その手前の大芝山ノ肩にある道標から北方の洞の峰(西條城は此処にある。)を目指すものです。この道標からは殆ど比高も無く10分位歩けば城域に入ります。つまりは気持ちが折れる前に一気に登って西條城を攻め、返す刀で嵐城、飯縄城を攻めるのがスマートだと思います。ただ西條城からのルートは幾つも分岐する尾根を間違え易いので地形図等を確認しながらの下山となります。自分はそれでも飯縄城への分岐を間違えて別尾根に迷い込んでしまいました。又、西條城からは時期になれば熊さんがいない方がおかしい(痕跡だらけだ…)ぐらいの尾根筋が続くので装備は万全にしときましょう。
築城年代は不明ですが、築城者は府中小笠原氏とされており、府中小笠原氏が松尾小笠原氏と争った際に南方の抑えとして築かれたと推測されています。戦国時代には城主として小笠原閑斎頼貞の名が伝えられ、天文年間に武田氏に攻められ落城したとされています。
お城は素敵極まりない♪標高が高い位置にある山城が多い信濃ですが、比高400mを超える山城はそうは無い。それだけに遺構の残存度が素晴らしく、尾根筋も結構すっきり(高所なので常緑林が無いのがポイントっすね。)してるのでとてもお城が判り易い♪苦労してでも行く価値があります。
このお城で霧訪山を目指す登山者夫婦と出会ってお話しをしましたが、自分得意気に「此処は昔お城だったんすよ〜」と語ると「だからこんなに凸凹なんだ〜」と妙に納得してくれました。山城でこんな反応されたのは初めての事だったので大変嬉しかったですw
2021年02月25日 内記かずりヾ(・ε・。)
妙義山城[武居城 周辺城郭]
妙義山城は武居城の東南約2.6km、標高953.8mの長興寺山から北東へ延びる山塊支尾根上、標高約892mのピークの一つに主郭が存します。東麓からの比高は135m位でしょか。
築城年代は不明ですが、築城者は三村氏で、洗馬に居館を構えてこの妙義山城を詰城としました。経緯は不明ですが武居城から引越したらしいですね。
三村氏の出自は諸説あって確かな事は定まらないそうで、清和源氏小笠原氏の庶流とするもの、清和源氏経基流多田満仲の次男頼親の後裔とするものがあるらしいです。ちなみに備中三村氏は信濃三村氏の流れらしいっすね。
戦国時代の当主三村駿河守長親は塩尻峠の戦いの後に小笠原氏を離反、武田氏に従属しますが、天文二十四年(西暦1555年)正月二十八日、甲府一蓮寺において主従共々撫で切りにされました。
行き方はGoogleマップに位置登録されている東南麓の本洗馬歴史の里資料館・釜井庵を目標に設定して下さい。この資料館の敷地裏手に登城路が付いてます。ちなみに釜井庵の建つ場所は三村氏の居館跡に比定されています。
お城は素晴らしいです。城域は信濃のお城としては意外にも広く、無数の小郭、帯郭の数には困惑するかもしれません。堀切や土橋(後世の改変とは明らかに違う。)も素敵ですが、特筆すべきは竪堀で城域内の至る所にスリットが入ってます。自然地形と考えられるものも多くありますが、要所に残るそれは何か意図的なものを感じさせてなりません。又、明瞭な竪堀の中の3条にはきっと大興奮させられる事でしょう。
それにしても冬という季節は山城を見るには最高だなと思いました。帰りは南東尾根から落ちる大竪堀を使って下山したんですが、縄張図では1条に描かれる竪堀が竪土塁によって二つに別れ、竪土塁の終端と共に再び集合するという竪堀の妙を味わう事が出来ました。枯藪が痛かったけど夏場なら下りる気も失せるので良い経験させてもらったなぁとひとり悦に入ってます。
謎な部分も多いですが、登城路はしっかりしてるし散策し易いです。武居城を訪ねる事がありましたら引越先の妙義山城も是非訪ねてみて下さいまし。
2021年02月25日 内記かずりヾ(・ε・。)
上ノ山城[武居城 周辺城郭]
上ノ山城は武居城の西方約7.3km、標高918.7mの上ノ山から北東へ延びる尾根上、標高約860mのピークの一つに主郭が存します。北麓からの比高は130m位でしょか。
築城年代、築城者は不明ですが、小笠原氏によって築かれたものと推測されています。お城の北方には桔梗ヶ原があり、南北朝時代には南朝方の宗良親王と北朝方の信濃守護小笠原長基が、戦国時代には小笠原長時と武田晴信が戦火を交えました。又、桔梗ヶ原の大門は江戸時代に中山道が開通すると宿場町として栄えたそうです。何れにせよ上ノ山城の北麓周辺は古くから交通、軍事上の要衝の地でありました。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。ただ登城口はとんでもない場所を案内するので近くまで来たら国土地理院の地図等を確認して下さい。南麓からの林道を使えば主郭まで車で行けます。が、自分これに気付いたのはリア攻め後でして、Googleマップの案内のとおりに行きました。車を捨てて徒歩で北麓へ進むと中央本線の線路にぶち当たる…踏切らしきものは何処にも見当たらない…どうしよかと困っちゃってると、突然謎の飛行物体が上空に現れ、そこから発せられる強烈な光に全身が包み込まれたかと思うとそれからの記憶が全く無い…意識を取り戻すとなんとお城の北側尾根に横たわっているじゃないですか。身体を調べても特に何かを埋め込まれた様子も無いのでそこからは気持ちを切り替えて直登しました。
お城は展望台として整備されている他、TV中継アンテナ、秋葉社が建っている非特定複合用途です。改変が多いのですが、それ以外の部分に結構お城の遺構が残っています。林道開発によって二重堀切や竪堀?が半分位になってたりしますが、直登したことによって普段目に付く事のない堀切を見付けたりする事も出来ました。主郭には土塁、主郭周りには横堀なんかもありますね。
狼煙台として認知されているようですが、それにしては立派過ぎる…北西麓にある西福寺は居館跡だったようなので恒久的な山城として整備されたものと個人的に考えます。
このお城からは松本平が綺麗に一望出来ます。狼煙揚げれば井川城にも伝わるかな。車横付けで登城出来ますので、お近くに来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。
2021年02月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
霧訪山狼煙台[武居城 周辺城郭]
霧訪山狼煙台は武居城の東南約8.5km、霧訪山山頂に存したとされる狼煙台です。東南麓の霧訪山登山口からの比高は415m位でしょか。
行き方は霧訪山で検索して下さい。腐るほど情報が溢れてます。ただコースに関しては幾つかありますので、検索結果から自身と相談してみて下さいまし。
謂わゆる低登山です。自分が行った時も縦走中に20人位の登山者とすれ違いました。山登りが嫌いなので早めに登山トランス状態に追い込もうと試みましたが見事に失敗…集中力が続かず、女性登山者2名に追い抜かれました。山頂まで約1時間20分の我慢すね。
そういえば山頂に到達する直前にいつもの癖で「霧訪山狼煙台落城〜」とか叫んでしまったんですが、先程追い抜いて行った女性登山者2名が悠々と珈琲を嗜んでる…狭い山頂で気不味い雰囲気が流れ、せめて写真だけ撮って早く帰りたいかずりは女性に「此処は昔狼煙台だったんですよね〜」と声を掛けたら全力で無視され更に気不味い雰囲気に…
狼煙台て甲信地方には沢山ありますが、他ではあんまし聞かないですよね。霧訪山狼煙台は長野県の中世城館跡・分布調査報告書に記載があるんですが、たぶん里伝ぐらいしかそれを確かめるものは無かったと思うんです。ひょっとしたら他の何かとの混同も考えられるし…個人的に、実際に現地を訪ねてみて思ったんですが、正直此処で狼煙を揚げて誰が見るのかなとwまぁ謎は謎のままにしときましょう。
狼煙台は…ただの山頂ですが展望は非常に素晴らしいです。霧訪山登山の際は此処が昔狼煙台だったかもしれない事を心の片隅に置いといて下さいまし。
2021年02月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
かっとり城(川鳥城)[武居城 周辺城郭]
かっとり城は武居城の東南約9.5km、霧訪山から東南へ延びる標高約1060mの尾根上に主郭が存します。東南麓の霧訪山登山口からの比高は170m位でしょか。
行き方は霧訪山かっとりコースを検索して下さい。腐るほど情報が溢れてます。というのも霧訪山は低登山で人気のお山でして割と気軽にこれを楽しめるみたいですが、山登りが嫌いなので道中一つも楽しくありませんでした。
登山口から急坂を20分位頑張ると主郭に辿り着きます。お城は単郭で現況は送電線の鉄塔が建っています。土塁らしき土の高まりも確認出来ますが、どう見ても鉄塔建設の際の削平残土でしょう。堀切が1条あるとされていますが、現地で見ても難しい…それ以外は展望が素晴らしい事ぐらいですかね。ちなみに城域を登山道が貫通しています。
築城年代、築城者は不明ですが、現地に立つ標柱には「小笠原氏の重臣の居城」と書かれています。が、住むには狭いし不便極まりないし、ここはやっぱりそのロケーションをフル活用した物見台というのが実態じゃないでしょか。律令制の東山道を眼下に置き、伊那郡からの松本平への侵入を監視出来る立地です。
このお城のみの単独訪問は有り得ないと思いますし、どうせだったら霧訪山まで登りましょう。山城好きの目標にもならないという点で個人的に難城に分類されてます。
さてさて、山登りが嫌いなのに何でこんな所に行くのか疑問に思われるかもしれませんが、霧訪山から派生する支峰、大芝山から北東へ延びる尾根の一つには山城好きを納得させる素敵なお城が3つ連なっているからなんです。自分の考えたどうせだったらはこの霧訪山周辺のお城を纏めて縦走しよというもので、かっとり城はその最初のお城でした。まぁ何て言うか…二度と行かねぃ…
2016年10月13日 おにぎり(縫殿助の佃煮)
武居城
登り口周辺は武居城公園として整備されていて、駐車場もあります。
公園入り口は案内板がありますが、塩尻方面からだとやや分かりにくいかもしれません。
冠木門の奥に防獣フェンスの入り口があり、一見入れないように見えますが、鎖が簡単に巻いてあるだけなので、外して入れます。
入り口右手に入山者用の熊鈴が置いてあり、借りる場合には備え付けのノートに氏名等を書き込むようになっています。
遊歩道が整備されていますが、勾配がややきつい上に砂利が敷いてあるため、かえって歩きにくい感じでした。
スニーカーでも充分登れますが。
入り口から頂上の主郭までは、距離にして500メートル程度です。
武居城周辺には、木曽義仲ゆかりの光輪寺薬師堂があり、見応えありです。
また、近隣の松本市今井地区には今井四郎兼平ゆかりの宝輪寺もあります。
源平好きの方は是非。
2016年07月24日 式部丞みかん
武居城
縄張り図付きの説明板が各所にあり分かりやすいですね。
見学者用に熊よけの鈴が置いてありました。
2012年06月11日 そば右近衛中将
武居城
登山口にも防獣柵が張り巡らしてあり、中に入れませんでした…。