中塔城(なかとうじょう)

中塔城の基本情報

通称・別名

所在地

長野県松本市梓川梓

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

西牧氏

築城年

戦国時代?

主な改修者

主な城主

西牧氏、二木氏

廃城年

遺構

曲輪、堀切

指定文化財

再建造物

周辺の城

小岩嶽城(長野県安曇野市)[12.9km]
平瀬城(長野県松本市)[12.9km]
井川城(長野県松本市)[13.5km]
松本城(長野県松本市)[13.7km]
武居城(長野県東筑摩郡)[15.0km]
林城(長野県松本市)[17.4km]
稲倉城(長野県松本市)[17.7km]
埴原城(長野県松本市)[18.9km]
桐原城(長野県松本市)[18.9km]
山家城(長野県松本市)[21.4km]

中塔城の口コミ情報

2021年07月20日 赤かぶ【奮戦記】
波田山城[中塔城  周辺城郭]



波田山城(波多山城)は松本市波田にある山城で別名「秋葉城」とも呼ばれています。
行き方は先ず国道158号通称「野麦街道」から田村堂(阿弥陀堂)を目指して下さい。
こちらには駐車場とトイレがあります。トイレですが7月18日に訪れた際はカギが閉まっておりました。利用の際は注意が必要です!
田村堂から水沢林道を通って若澤寺跡へ向かう途中に登城口へ通じる道があります。
車で途中まで行けますが道は狭いです。すれ違いは厳しいかな!?道もよくないので車で行く際はご注意を!!
若澤寺跡に行く途中に はた「歴史の遊歩道」案内図の看板が見えて来たらわき道に入ります。
わき道をひたすら登って行きます、途中のこり100Mの案内板もあるので迷わず行けますよ!!
登城口には縄張図の載った説明板があります!
お城は遺構がとても良く遺っていて素晴らしいです♬︎
主郭には土塁・井戸跡・秋葉社が見れます、南北にはそれぞれ南城・北城があり主郭との間に深い堀切で分断されています♪
その他に竪堀や切岸・帯郭・腰郭・馬出しなどの遺構が目を楽しませてくれますよ♬︎
止め山に付き立ち入り禁止の案内がいたるところにあります、秋の茸シーズンの登城には注意が必要かと思います☀︎
① 主郭北東側の竪堀
② 登城口
③ 主郭と北城の間の堀切
④ 主郭切岸
⑤ 主郭
⑥ 主郭と南城の間の堀切
⑦ 南城の堀切

2021年05月06日 ソウタニア
中塔城

中塔城の攻め方【2021.5.4時点】
《はじめに》
道路および遺構に案内板は一切なく、道も未整備です。攻城は登城口から一時間ちょい(うち30分は相当な急斜面)、帰りは約30分で、往復二時間程度です。ほぼ道なき道を進むので、軍手や水分は用意した方が良いと思います。
《登城口まで》
梓川ふるさと公園から防獣フェンスを越えて、すぐに右手の橋を渡って林道に入ります。道なりに10分ほど進むと左手に土留コンクリートがあり、コンクリとコンクリの切れ目に竪堀らしき存在がみられ、そこが登城口と思われます(少なくとも私はそこから登れました)。
《鉄塔まで》
登城口から相当な急斜面を、竪堀(?)の中を進みます。落ち葉が積もり、倒木もあり、とても登りにくいです。途中から二重の竪堀(もしかすると正式な登城路か)になりますが、変わらず堀に沿って進みます。休憩を入れつつ40分くらいで、鉄塔に着きます。
《頂上まで》
鉄塔裏からうっすらと登城路が続くので、あとは道なりです。途中堀切や小規模な段曲輪(と覚しき)といった遺構があり、登城口近辺の植生と変わって白樺などもみられ、登りやすくなります。頂上に着いてもはっきりとした遺構はみられないので、少し不安になりますが…
《さいごに》
いつもはこどもと一緒に城攻めしますが、ここはこどもの足ではムリと思われます(連れてこなくて良かった)。また本当に登城口が分かりにくく、私は林道の行き止まりまで30分以上ムダに進んでしまいました。林道にある唯一のカーブミラーから少し進んだ土留コンクリートが目印です。少しでもみなさんのご参考になれば。

2020年12月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
北条城[中塔城  周辺城郭]



北条城は中塔城の東南約2.8km、標高約946mの通称城山山頂に主郭が存します。東麓からの比高は210m位でしょか。

行き方は同じ中塔城のリア攻めマップにある亀山城から北方へ向かって尾根をひたすら登って下さいまし。踏み跡程度の道なら付いてます。

実は城めぐ的に有名?な中塔城はこの北条城の詰城の役割を担うものとして西牧氏によって築かれたとされています。室町時代後期、小笠原氏が信濃守護として比較的安定していた頃に中塔城はその家臣の二木氏に与えられました。小笠原長時が武田晴信によって府中から駆逐されるとこの中塔城に一時籠って抵抗を試みたらしい(後年編纂された二木家記では中塔城に籠る前に野々宮合戦なる戦で武田勢に勝利した事の記述があるそうですが、他にこの合戦の資料がろくに見られないので真相は闇の中…)です。

北条城はこの際に改修を受けたらしく、確かに他の信濃のお城とは雰囲気が違います。大抵の信濃の山城は山側を大胆に堀切ってフェードアウトするんですが、北条城は主郭部を中心とした北西尾根、北尾根、北東尾根に無数の段郭を連ねています。つまりは中塔城方向を意識したものになっているんです。少なくとも元の主人が籠る中塔城が脅威だった事は間違い無いようですね。

お城は素晴らしいです。主郭周辺の堀切、城域に数多く見られる竪堀に興奮する事間違い無し!竪堀は縄張図に無いものを見つける事もあるでしょう。凄いのは主郭北東側背後の大堀切でして、主郭の急角度切岸と相まって実に見事です。この大堀切を下りるのは今でも相当難儀(滑り落ちました…)します。

西牧氏は小笠原氏とは大塔合戦の旧敵、そして武田氏には重用されなかったらしいです。巧みに大勢力間を泳いで渡ってきましたが、信長横死後に旧領を回復した小笠原氏によって滅ぼされました。マイナーですがしかし梓川梓の歴史を語る上で避けて通れぬ氏族です。乱世を生き延びれなかった西牧氏の無念を是非このお城から感じ取って下さいまし。

2020年12月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
西林砦[中塔城  周辺城郭]



あんまし面白くない砦口コミその1〜

西林砦は中塔城の東南約4.3km、梓川が創造した扇状地形の西端部、梓川の流れと地殻変動による地面の隆起により形成された標高約690mの河岸段丘最上段端部崖地に築かれた砦です。この地域一帯を支配下に置いていた西牧氏はこの段丘端に沿って多くの砦を築いており、現在確認されているだけでも6つあります。自らの支配領域の東南辺を守っていたという事なんでしょかね。

ただ現況は土地の改変によってどの砦も往時を偲ばせてくれるものは殆どありません。この西林砦は辛うじて急崖部分に何かあるかなぁ…といった感じのぎりぎりの砦です。

砦は何となく2条の竪堀らしきものの間に、農道から一段下がった所に空堀の様なものがあるかなぁ…という感じ。当然改変かもしれませんが、この時の自分は自分を殺しに来た相手でも「気にすんな。」と微笑んで許してしまうような慈悲深さに満ち溢れていたので、たぶんこれは遺構だと考えてもよいと今でも思っています。

6つの砦を全部紹介しよかと思いましたが、やっぱこれで終わりにしときます。

2020年12月06日 内記かずりヾ(・ε・。)
亀山城[中塔城  周辺城郭]



亀山城は中塔城の南東約3.3km、北条城の存する標高946mの通称城山から南へ延びる標高806mの尾根上端部に主郭が存します。南麓の金松寺からの比高は35m位でしょか。地形図を見れば亀の甲羅の様な山でしてきっとこれが名前の由来なんでしょう。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南麓の金松寺(武田氏滅亡の際、旧領回復を目指す小笠原貞慶が旧臣を呼び寄せる為に陣を敷いたお寺らしいです。が、この時は信長に相手にされず失敗…京に帰る。)を目標に設定して下さい。駐車も余裕です。亀山城自体もGoogleマップに位置登録されているんですが、ピンは南東側に若干ずれています。金松寺の北側、道路を挟んで直ぐの場所に獣柵ゲートがあり、その背後の尾根上でお城は物好きな人を待ってます。

厳重過ぎる獣柵ゲートを開けて中に入るのは嫌なものですが、お城へは10分位で城域北端の食い違い堀切に辿り着きます。実はいきなりハイライトにぶつかります。お城は概ね南北に郭が三段連なっていて、削平面積はこの類いのものとしては相当な広さです。亀山城は北条城の大手筋にあるとされ、当然その前哨の役割を果たすものなんでしょうが、何だか別の目的もあるように感じました。又、お城の西麓から南麓へ沢が流れていますが、これを障壁として利用しない人はいないでしょう。

築城者は滋野氏の庶流、西牧氏で苗字に「牧」が入ってることからも解るように官制の牧場、「御牧」に関わる氏族だったようです。滋野氏の嫡流三家の一つ、望月氏は信濃十六御牧の筆頭とされる望月牧を支配し後に有力な武士団として成長しています。戦国時代に入ると西牧氏は小笠原氏に従っていましたが、塩尻峠の戦いで小笠原氏が惨敗すると武田氏に従属する事になります。元々小笠原氏との関係は過去の歴史的経緯から良好だったとはとても考えられず、後に小笠原貞慶が深志を奪還すると真っ先に血祭りに上げられました。

水路を整備し梓川流域の開墾、発展に貢献した西牧氏の領国経営は今も豊穣な果樹園に引き継がれている…梓川倭にあるほっとミルクの工場でソフトクリームを買おうとしたら定休日…思わず工場前でこんな感慨に耽ってしまいました。

2020年12月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
岩原城[中塔城  周辺城郭]



岩原城は中塔城の北東約7.7km、標高約953mの古城山山頂に主郭が存します。東麓の堀金霊園からの比高は230m位でしょか。

築城年代は不明ですが、築城者は仁科氏の庶流、堀金氏でその持分でした。安曇野市立堀金小学校付近にあった堀金氏居館(現況は思いっきり民家ですが、空堀と土塁の一部が残存する。)の詰城の役割を担っていました。

行き方はGoogleマップに位置登録されている東麓の堀金霊園を目標に設定して下さい。駐車も余裕です。此処に到着する前に広めの段々地形が気になるかと思いますが、お城の東麓にはかつて大同寺と安楽寺があり、「構え」と呼ばれる防御施設の役割を果たしていたらしくどうやらその名残りのようです。ちなみに安楽寺は明治初頭、松本藩内の廃仏毀釈により廃寺(松本藩内のお寺は悉くやられたらしい。)となりました。安楽寺は臨済宗から曹洞宗に改宗したらしく、大同寺は臨済宗のお寺なので、ひょっとしたら同一のお寺だったのかもしれません。又、この寺跡には見事な石垣が残っていて往時を偲ばせてくれたりもします。話は逸れましたが、堀金霊園裏手に安楽寺跡があり、此処からの登城路が平成29年に完成しました。以前はほぼ直登の難城だったみたいなのでこれは嬉しい整備ですね!

登城の注意点は熊対策のみ…安曇野市では今年に入り63件(負傷1名)の目撃例が報告されていますが、その殆どが穂高牧周辺でお城の直近となります。麓は熊の檻罠や鳥獣駆除装置(初めて見ました。)、電流柵等が散見される場所なので細心の注意を払いましょう。

お城は素晴らしいっす。土豪の造るものとしては規模は大きい部類に入るでしょう。無数の段郭、よく切られた堀切と竪堀に興奮する事間違い無し!特に主郭南西側背後の堀切は主郭端部から堀切底部まで18mはありそうです。

この岩原城には「さるが城」と呼ばれる詰城?があるんですが、信濃のお城の神が二度と行きたくないと考えるお城の代表例だと思います(猿とか鬼が名前に付く…険しい山中を意味する。そもそも存在さえ怪しいものが多いと思う…例えば落武者や盗賊の類いが隠れ住んだみたいな…)。遭難の危険を犯してまで行っても得るものは何も無いと思うのですが、見てみたい気持ちもありますね。

2019年05月05日 城郭放浪記 大宰大弐
中塔城



城域西端の堀切。竪堀になっているのは尾根路改良のためと思われる。

2011年03月28日 赤いRVR甲斐守@松本
中塔城

30年近く前に登城しましたが、登城の困難度は日岐大城と双璧、下り道を間違えて、遭難しかけました。麓にとんがり屋敷と云われる館跡があります。

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