稲倉城(しなぐらじょう)

稲倉城の基本情報

通称・別名

所在地

長野県松本市稲倉1510

旧国名

信濃国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

赤沢氏

築城年

建武2年(1335)頃

主な改修者

主な城主

赤沢氏

廃城年

遺構

曲輪、帯曲輪、横堀(空堀)、物見台跡

指定文化財

市特別史跡(稲倉城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

平瀬城(長野県松本市)[4.9km]
桐原城(長野県松本市)[7.0km]
松本城(長野県松本市)[7.0km]
虚空蔵山城(長野県松本市)[7.7km]
林城(長野県松本市)[8.0km]
井川城(長野県松本市)[8.8km]
山家城(長野県松本市)[9.4km]
埴原城(長野県松本市)[12.0km]
青柳城(長野県東筑摩郡)[15.3km]
小岩嶽城(長野県安曇野市)[16.9km]

稲倉城の口コミ情報

2021年03月08日 RED副将軍古典厩
稲倉城



小笠原氏の一族であった赤沢氏の居城。
標高約1,000m、比高約230m。
途中から主郭を目指して直登をしましたが、駐車スペースから約30分くらいの登山でしょうか。
ただ、切岸の鋭さはかなりの斜度なので直登はオススメしません。遠回りでも谷底道を進みながら高度を上げてから主郭にトラバースするのが正解みたいです。
帰りは三の郭から降りました。
松本市と言えば、国宝松本城のほかにも小笠原氏の本拠地であり桐原城、林城、山家城、埴原城と魅力的な山城が豊富。
以前に山家城と埴原城は登城済なので、今回は桐原城と林大城、林小城を訪問。時間に余裕があったのでこの稲倉城にも登城をしてきました。
ついでの登城とは裏腹に素晴らしい遺構に吃驚!
大規模な岩盤掘削の一の堀切、土の造形が見事に残る二の堀切、三の堀切と、尾根筋をザクザク削ってます。
知名度は低いですが、信濃の代表する山城としてオススメをします。
①一の堀切
②二の堀切
③二の堀切を堀底より
④本郭背後の物見
⑤二の郭
⑥二の郭の物見台
⑦三の堀切
⑧三の曲輪

2020年12月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
猿ごや[稲倉城  周辺城郭]



猿ごやは稲倉城の北東約2.0km、北方へ延びる山塊尾根上、標高約1095mのピークの一つに主郭が存します。北麓の長野県道181号線からの比高は330m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている北東麓の信州ゴールデンキャッスルという西洋風のお城を目標に設定して下さい。ちなみにこのお城の築城者は木下藤吉郎…養老乃瀧グループ創始者です。どうやら出身地らしいですね。話が脱線しましたが、このお城の裏手が庭園になってますので最南端まで行きましょう。すると正面、西方へ延びる尾根にぶつかりますのでこれが登城路となります。獣柵ゲートを開けてひたすら尾根筋を登れば城域に入る事が出来ます。

信濃では猿と鬼が名前に付くお城は難城と考えて頂いて構いません。自分はめぐら〜として覚醒する前に真田町の鬼ヶ城に行った事がありますが、これがそもそもお城なのかも判らんし、あまりの軽装にクライマーの方に爆笑されるという屈辱を味わいましたw純粋にお城を楽しむというめぐら〜にとって費用対効果が極めて低い上に危険も伴うという行為は決して勧められるものではありません。ただこの猿ごやはお城として遺構がしっかりしてる上に比較的安心(迷わない。)して行けるので、体力に自信のある方は是非訪ねてみて下さいまし。

登城路?は急坂です。比高もあるので早めに登山トランス状態に自分を追い込みましょう。何も考えず上を見ないで足元だけを見て前へ進みましょう。幸い尾根を登り切れば城域に入り、此処からのアップダウンは堀切ぐらいですので頑張るのみです。落葉と雪のおかげで手を着きまくりましたがお宝が待っていてくれました。

お城は素晴らしいっす。南北に比較的長く痩せ尾根に築かれており、郭間の輪郭がはっきりしていて感動します。堀切竪堀は切れまくりだし主郭(岩盤だ…)のバベルの塔の様な存在感も素晴らしい!此処にはびっくりする事に崩れてますが小さな祠があるので祈っておきましょう。自分は無神論者ですが山には神様が居ることを時々実感します。ちなみに自分が祈った後に雪が本降りになりました…ただ主郭に上がるにはちょっとした勇気(危険です。)が必要です。

そういえば城域を縦断するように雪の上に獣の足跡が付いてました。奴じゃないと思うけどそういう場所なので装備は万全に…人を寄せ付けない場所にお宝ありっすね!


2020年12月25日 内記かずりヾ(・ε・。)
掻揚城[稲倉城  周辺城郭]



掻揚城は稲倉城の北東約2.9km、標高1629.3mの戸谷峰から延びる標高約900mの山塊支尾根上端部に主郭が存します。北麓の長野県道181号線からの比高は130m位でしょか。何だか美味しそうな名称ですが、掻き揚げ城とは「おろそかに構えたる城」を意味するらしく、お城に行っても特にさくさくした食感を味わえる訳ではありません。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。主郭からは北東へ向けて尾根(途中から段郭が続く。)が延びていますのでこれに取り付き、後は頑張って直登して下さいまし。適当な説明で申し訳ないですが、何ていうか目標となる物が無くてwただ獣柵があるので東麓にある沢脇の道を150m程進み、獣柵ゲートを開けて東側から巻いて尾根に取り付いた方が楽だと思います。

築城年代、築城者は不明ですが、お城の北麓には保福寺街道(律令制の東山道)が東西に走り、これを監視する目的で築かれた事は明白です。この往還は旧四賀村と青木村を結ぶ峠道で、小笠原氏の信濃守護時代には直接支配領域の北東端に当たり、天正壬午の乱の際には小笠原氏と真田氏との境目となりました。江戸時代になると中山道が開通され保福寺街道は北国脇往還の地位に転落しますが松本藩主はこれを使って参勤交代しており、付近にある「殿野入」の地名はたぶんその名残りなんでしょか。ちなみに保福寺峠は地理上の分水嶺の一つでもあります。

重要な場所にあるこのお城ですが砦規模の縄張です。主郭は石積み付きの土塁が目立ち、主郭周りには崩落石が多数散見されることから往時は盛り盛りだったかもしれません。結構な数の段郭が付いてますがほぼ単郭で、連続堀切+竪堀で南側山側背後を遮断しています。堀切は埋まり気味ですが、素晴らしいのは4条ある竪堀の3条でして、その中の2条は東麓付近まで並走して延びる長大なものでした。

何となく林大城の支城、水番城を思い出しましたが、全体的にはそれよりも随分と甘い感じ…施工主は小笠原氏だと推測されるのでマニアは是非訪ねてみて下さいまし。

2020年12月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
三才山砦[稲倉城  周辺城郭]



三才山(みさやま)砦は稲倉城の南東約1.9km、標高1629.3mの戸谷峰から西方へ延びる山塊尾根上、標高約1110mのピークの一つに主郭が存します。西麓の国道254号線からの比高は310m位でしょか。

築城年代は不明ですが、砦は小笠原氏の庶流、浅間赤沢氏によって築かれたと推測され、砦は付近にある上田と松本を最短距離で結ぶ三才山峠道の通行を監視する任を担っていたようです。が、現在は道自体が放棄されており、その役割を国道254号線に譲っています。

行き方はGoogleマップに位置登録されている東麓の三才山小日向公民館を目標に設定して下さい。公民館裏手から南方へ向かって林道?が延びてますので終点まで行きましょう。二つの山塊尾根に挟まれた鞍部(寺社跡の趣きっす。)に到着しますが、尾根のどちら側からでも山側を目指せば砦に辿り着きます。が、帰りに痛い目にあった経験から向かって左手の尾根を選択しましょう。此処から麓付近まで落ちる竪堀様地形(信濃のお城の神が書いた縄張図にはちゃんとある。自分も遺構だと素直に感じました。)に沿って直登して砦のある尾根稜線上に出るのがベストだと思います。

さらっと書きましたが、鞍部から斜度40°〜45°の比高約150m分を尾根稜線上まで登らなくてはなりません(砦へは此処から更に登る…)ソロだったら帰るところですが、今回は遠州の物好きめぐら〜さんが一緒でよかった!息も絶え絶え、明日筋肉痛必至のリア攻めでした。

砦は薄いかなぁと思ってたら意外にもしっかり遺構が残ってました。主郭には廃城後に秋葉社が存していたらしく、祭礼時には集落の子供達が皆此処まで登って行ったらしいです。今やったらたぶん虐待の類いに入ると思いますね。主郭はほぼ全周土塁囲み、虎口も確認出来ます。主郭の周囲には帯郭が付き、横堀らしきものも…そして主郭から派生する各尾根には浅くはなってはいますが堀切+竪堀なんかを見る事が出来ます。

ネットでもあまり情報の無い砦ですが、登城が面倒、体力的に持ってかれるのが敬遠されている最大の理由でしょう。自分も「二回目は無いや…」て感じですかねwリア攻めを終えた今、個人的には所謂難城に分類されています。体力が有り余っている方は訪ねてみるのもよいかもしれません。

2020年01月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
荒神尾城[稲倉城  周辺城郭]



荒神尾城は稲倉城の北西約1.6km、北方へ延びる山塊尾根上、標高約956mのピークの一つに主郭が存します。北麓の長野県道181号線からの比高は250m位でしょか。

築城年代、築城者は不明ですが、城主として小笠原氏随一の大身だったとされる太田長門守資忠の名が伝わっています。

行き方はGoogleマップにも位置登録されている北麓の錦部郵便局を目標に設定して下さい。此処からの道は説明すんのが面倒だし困難、誰も行かないと思うので省略…

主郭から北東へ延びる尾根に取り付くのが最も楽だと思うんですが、自分は尾根筋に出る事を考えず、間伐用作業路等に惑わされて奥へ奥へと進んでしまい結果として城域南端を過ぎてしまいました。なんていうかセンスが無いのよ…駄目なところですね。おまけに謎も増えまして、そこから更に南方へ進んだことにより、郭と思しき縄張図に無い結構広めの削平地と堀切を見つけて困惑、此処から更に頑張って少しだけ登ると、ぱっと開けた尾根上の峠道にぶつかりました。たぶんこれ稲倉峠と刈谷原峠を結ぶ遊歩道だと思います。これを使えば鷹巣根城、稲倉城に搦め手から行ける気がしますが、往時もそうだったのかしらん。暫くこの辺りをうろうろしていましたが、遺構らしきものが見当たらない。諦めて北方へ向かい尾根を下って帰ろうとしたら、ようやく縄張図にある堀切を見付ける事が出来ました。冬場の貴重な時間を無駄にしましたね〜

お城は尾根上に基本Y字に築かれていて格好よいです。主郭を中心に北西尾根を連続堀切でぶった斬り、北東尾根は段郭を連ねる感じで、段郭の途中には1条の堀切を介していたりもします。主郭南側の郭のこんもり感とマッシブな堀切+竪堀も見所です。素晴らしいのは北西尾根から見る北東尾根でして、削平もしっかり残りエッジの立った段郭が主郭も含めて4段見える様は初めて見る光景でした。

荒神尾城は保福寺街道を抑え、小笠原氏支配領域の北辺端を守る重要なお城だったと思います。武田勢は2日でこのお城を陥落させたそうで、城主の太田弥助資忠は捕らえられ斬首されました。ちなみに太田資忠はあの太田道灌の一族らしいので段郭ファンは勿論の事、道灌ファンも是非訪ねてみて下さいまし。近くにある洞光寺には太田資忠とその弟のものと伝わる五輪石塔があったりします。

2020年01月25日 内記かずりヾ(・ε・。)
伊深城[稲倉城  周辺城郭]



伊深城は稲倉城の西南約2.4km、標高916mの山塊山頂に主郭が存します。東麓の慶弘寺公園からの比高は150m位でしょか。武田氏の府中侵攻の際に自落し、武田氏家臣、小宮山織部が城代となったと伝えられています。

築城年代、築城者は不明ですが、在地土豪である伊深氏、後庁氏の持分であったようです。後庁氏は洗馬の三村氏(武居城主、妙義山城主)の庶流だったようですが詳細は不明です。

お城のある岡田伊深の地は源義光の五男、岡田冠者こと源親義所縁の地で、親義は木曽義仲に従い倶利伽羅峠の戦いで平清盛の七男、平知度と組討して討死しています。お城の東麓にある慶弘寺跡には「伝 岡田冠者親義の墓」があります。

行き方はGoogleマップに位置登録されている慶弘寺公園、もしくは若宮八幡社を目標に設定して下さい。どちらからもか登城路が付いています。ただ二つの道は城域に入った辺りで合流するので「結局同じじゃん!」とか突っ込みたくなりますが、無駄無くスマートに帰るためにも慶弘寺跡側から登城しましょう。比高もそんなにないので楽に感じると思います。

お城は素晴らしいです。主郭は土塁付きで切岸には石積みが確認出来ます。主郭北側背後の尾根は5条の連続堀切でぶった斬り、その内の1条はデカくて笑っちゃう二重堀切となっています。二重堀切には竪堀が付いていますが、面白いのは主郭北西側からこの竪堀に斜めに合流する竪堀が1条ありまして、この竪堀は主郭西側腰郭から二重堀切底部に下りるのを今でも阻害していて腹立ちます。又、主郭部から南西側尾根を進むと連続堀切があり、そのどちらにも竪堀が付いています。この竪堀は途中で合流した上で更に別の二本の竪堀が合流して壮大な集合竪堀を形成、凄いです。

帰り道は…そう!城域北端まで見たら主郭に戻り南西側尾根を進み、堀切から東南側斜面に落ちるこの竪堀を下って帰って下さいまし。竪堀は麓付近まで延びていて、丁度若宮八幡社の裏手辺りに辿り着くことが出来るんです。なんてスマートなリア攻め!しかも駐車したのは若宮八幡社の駐車場、我ながら完璧すぎる…自分が恐いです。

このお城も小笠原ブランド?の築城技術の高さををばっちり堪能させてくれること間違い無しです。稲倉城に来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。

2020年01月20日 内記かずりヾ(・ε・。)
早落城[稲倉城  周辺城郭]



早落城は稲倉城の南西約2.5km、北方へ延びる山塊尾根上、標高778mのピークの一つに主郭が存します。北麓からの比高は70m位でしょか。お城の西麓には女鳥羽川が南北に流れています。

身も蓋もない名前ですが、競走馬で言ったら落馬号みたいなもんでしょか。元の名称は流石に違いまして洞城と称します。築城年代は不明ですが、築城者は小笠原氏の庶流、稲倉城主の浅間赤沢氏でその持分でした。ところが主家の小笠原氏に取り上げられて伊深城主の後庁氏の領するところとなりました。後に武田氏が府中に勢力を伸張させると浅間赤沢氏は武田氏に従属、その際に洞城は真っ先に標的となり、あっと言う間に落城したことからこんな名称になっちゃいました。

お城はコンパクトというか、潔く南北にほぼ一直線、高低差も殆ど無くて名前に相応しいです。全然期待してなかったのですが、意外にも堀切で細かく刻まれていて7条は確認出来ます。又、竪堀を数条見ることが出来ますが、1条を除いて他は心眼が必要です。

登城はお城の北麓にある住吉神社から登りましょう。リア攻めもあっと言う間に終わります。とても潔いお城ですので、稲倉城に来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。

2020年01月20日 内記かずりヾ(・ε・。)
稲倉城



稲倉城の行き方は、国道254号線の北側、稲倉集落内の稲倉峠口の道標がスタートとなります(国道には面していない。)。この峠道は新道と旧道がありまして、旧道の方は通れるかどうかも判りませんが新道は舗装路で四賀の方へ抜けることが出来ます。峠口の道標から少し進むと「稲倉城主御屋敷館跡」の案内板が立っています。井戸跡とかあるらしいのですが、何処にあるのか全く解らないので完全無視でOK♪少し進むと車も通れる獣柵ゲートがありますので車で行きましょう。途中には旧道への分岐がありますが、車は疎か人も行けない感じがしますのでこれも完全無視でOK♪結論から言うと「稲倉城入口」の案内板まで車で行けて駐車スペースもあります。この案内板からは左右に道が別れていますが、登城するには左へ進んだ方が良いです。右は結構な急坂なので帰りに使いましょう、左は比較的緩やかだと思います。途中には写真にあるような石積みとか散見されますが、後世の桑畑のものなので注意して下さいまし。道は途中で不鮮明となりますが、右手には尾根筋が見えているので迷うことは無いでしょう。

お城にはぴったり主郭に辿り着きます。城域は南北に伸びる山塊尾根上に造られていて、奥も深くありません。特筆すべきは通称ニノ郭でしょか、緩やかな段郭で構成されていて面積もあります。まるで天守台のような土壇もあったりして「実際の本郭はこっちなんじゃないの〜」とか呟いたりしますが、通称本郭の段郭が意味無くなるので案内板のとおりでしょう。

帰りは通称三ノ郭を通ってそのまま下って行きましょう。ロープが張ってありましたので直ぐに見付かるかと思いますが、道は悪いので慎重に…さもないと勢い付き過ぎて止まれなくなって枝を掴んで減速しようとした挙句、手の掌を怪我したりするかもしれません…

ちなみに稲倉城からは地図上主郭から北方へ尾根を進んでいけば荒神尾城、鷹巣根城に辿り着けると思うんですが、流石にやる気にはなれませんでした。

2015年11月11日 黒曜石
稲倉城

稲倉峠への林道、途中で獣避けゲートがあります。
ゲートを開けて車で進んでOKです。
山の動物が間違えて里に降りない様に、ゲートを開けたら閉めて下さい^^

2012年07月15日 北川幸人
稲倉城

登城道は、伐採された木、倒木など見誤りやすいので気をつけて。

2011年08月02日 赤いRVR甲斐守@松本
稲倉城

稲倉集落から稲倉峠への林道を進むと、右手に駐車場があります。そこから15分くらいで主郭です。斜面は少しきついですが。

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