稲倉城(しなぐらじょう)

稲倉城の基本情報

通称・別名

所在地

長野県松本市稲倉1510

旧国名

信濃国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

赤沢氏

築城年

建武2年(1335)頃

主な改修者

主な城主

赤沢氏

廃城年

遺構

曲輪、帯曲輪、横堀(空堀)、物見台跡

指定文化財

市特別史跡(稲倉城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

平瀬城(長野県松本市)[4.9km]
桐原城(長野県松本市)[7.0km]
松本城(長野県松本市)[7.0km]
林城(長野県松本市)[8.0km]
虚空蔵山城(長野県松本市)[8.0km]
井川城(長野県松本市)[8.8km]
山家城(長野県松本市)[9.4km]
埴原城(長野県松本市)[12.0km]
青柳城(長野県東筑摩郡)[15.3km]
小岩嶽城(長野県安曇野市)[16.9km]

稲倉城の口コミ情報

2023年09月30日 らっちゃん
稲倉城



三の郭側から登りました。周遊できるようですが、二の郭先の下山道が探せずピストンしたのが残念。この地図を登る前に撮っておけば良かったです。

2023年05月09日 まつもとぐらし。
稲倉城



堀切の看板など整備されていますが、落葉樹が多く、道は落ち葉でフカフカでかつ滑ります。急所はロープや鎖が用意されていますが、足元をしっかりホールドできる靴と軍手があると良いと思います。堀切はかなりはっきりしていて見応えありです。ストックか道に落ちてる枝の杖が必要です。体力に自信があっても枯れ葉の多さで滑りますので気をつけてください。道は比較的分かりやすいかと思います。車で行かれる人はゲート(獣防止)の戸締まりをお忘れなく。

2022年08月24日 美濃守勅凛
稲倉城

三の廓に向かうルートが正解です。急斜面ですが、ロープ伝いに登れますよ

2022年03月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
横谷入城[稲倉城  周辺城郭]



横谷入城は稲倉城の南方約3.5km、標高約887mの大音寺山山頂に主郭が存します。南麓の舗装林道からの比高は120m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている大音寺山を目標に設定して下さい。大音寺山は浅間温泉ふる里公園の一部として完璧なまでに整備されており、迷う事無い遊歩道(だらだら登らされるけど…)がきちんと付いてます。又、獣柵が山頂を越えた所に設定されているので極めて安心、鹿の痕跡すら認められません。

築城年代、築城者は不明です。お城の西麓、浅間郷は建武年間(西暦1334年〜1336年)から天正年間(西暦1573年〜1592年)まで赤沢氏の所領で、同氏に関わる要害、物見砦である事は確実でしょう。又、天文年間(西暦1532年〜1555年)には浅間孫太郎が入り、武田勢により落城、破却されたとも。

縄張図は期待させてくれるのですが、良くも悪くも整備された遊歩道が城域を貫通しているので全てがファジーな印象、ただ元々堀系なんかは整備前から埋まり気味だったとは思います。最初に現れる堀切は見事にスルー、写真撮ってたけどただの段差かと思いやした。主郭周りの堀切や竪堀は現地なら判るけど写真は凄く難しいレベル…又、搦手には空堀遊歩道と称するお城の水の手に通じる堀状の道が付いてますが、これ、まず空堀じゃないだろう…ただ堀状地形の傍らには削平地が確認出来るので当初から堀底道として利用されていたのかもしれません。

主郭西側のアルプス展望台からの眺めが大変素晴らしい。犬甘城等の周辺諸城を眼下に見下ろし、松本平を広く一望、乗鞍岳、有明山等の北アルプスの主要山峰を眺める事が出来ます。が、苦言を一つ…浅間温泉ふる里公園のマップについて…「横谷入砦跡」と「横谷城跡」の2箇所が記載されているんですが、後者は搦手からの横谷入城登城路入口を示すもので実際にお城は存在しません。現地で知らんお城があるのかと勘違い、徒労に終わりました。こうした例は致命的欠陥だと思うので訂正される事を願います。

※業務連絡…稲倉城のリア攻めマップに「横屋入城」の名称でスポット登録がありました。名称はともかく位置は完全な間違い…謂わゆる致命的欠陥になりますのでスポット登録された方は対応お願い致します。

2022年03月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
三才山御屋敷館[稲倉城  周辺城郭]



たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

三才山御屋敷館は稲倉城の南東約1.4km、女鳥羽川北岸(右岸)、標高約797mの河岸台地上平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南側の明広社を目標に設定して下さい。北側にある空地周辺が該地となります。

築かれた年代は不明、該地は稲倉城主、赤沢氏の所領で、東方標高1629.3mの戸谷峰から西方へ延びる山塊尾根上、標高1110mのピークの一つには同じ稲倉城のリア攻めマップにある三才山砦が存し、元文二年(西暦1737年)の書上帳では「城主赤羽大膳殿屋敷」とあり、三才山砦城主の平時の居館であったと推測されます。て事は赤羽大膳は赤沢氏の被官であったようですね。

居館の現況は集落の一部です。該地の「大屋敷」の屋号を持つ空地周辺が居館の中心部となります。当地はGoogleマップの航空写真を見れば一目瞭然なのですが、東へ進めば三才山峠、武石峠の何れかをを経て小県郡へ、西へ進めば稲倉の谷筋を抜けて安曇郡、筑摩郡に至る地味に交通の要衝でした。見方を変えれば松本平の入口に当たる地峡部の一つでもあり、人が住するという居館以外の利用目的もあった事でしょう、意外にも今現在も周辺には要害地形が残っています。又、該地に残る古い時代の石垣の存在は戦国時代のみならず、少なくとも幕藩体制発足後も何らかの形で利用が続けられた証左なのかもしれません。当然、更に後世の改変なのかもしれないのですが…

リア攻めの単独目標にはなり難いと思われますので、東方背後の三才山砦とセットで訪ねる事を推奨します。が、三才山砦は登城が大変厳しい…アテンド頼まれても、「こっから登って、尾根に出たら右へ行ってね。おいらは車で寝てるから。」みたいな投げっぱなしアテンドになる事確実な物件なので登る際にはそれなりの覚悟を決めましょう。小さな砦とはいえ簡単には拝めないのです。

2022年03月28日 内記かずりヾ(・ε・。)
伊深館[稲倉城  周辺城郭]



たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

伊深館は稲倉城の西南約1.9km、標高約732mの山間平野部緩斜面上平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている北東側の(有)エム創建を目標に設定して下さい。後はリア攻めマップで位置を確認しましょう。

築かれた年代は不明、お住まいになられていた方となると判断難しい…信府統記、長野県町村誌、東筑摩郡誌に記述がありますが、諸説あって何れもはっきりしません。やはり伊深城主、後庁氏の居館であったとする説が一番しっくりするような…信府統記、長野県町村誌には小笠原氏の被官、後庁大内蔵の名が居館の主として伝わっています。この後庁氏についてもはっきりしない(私家本があるらしいが…)のですが、確実なのは洗馬の三村氏当主、民部丞、駿河守長親(武田晴信によって甲府一蓮寺にて誅殺される。)の弟、久親が後嗣として後庁氏に入り、長親の嫡男、勘兵衛尉長行が久親の後嗣として後庁氏の家督を相続しています。武田氏の滅亡後は府中回復を目論む小笠原貞慶が溝口新介を使わし、天正十年(西暦1582年)六月十二日、後庁の名義と洗馬堀廻三千貫を宛てがう旨の書状を、六月十四日には更に奉行職に加えるとの口上が述べられその忠節と働きを促しています(前回の旧領回復失敗を経験に貞慶君は必死に願い倒しまくるのだ。)。

居館の現況は耕作地、一般住宅とその敷地となっています。同じ稲倉城のリア攻めマップにある伊深城を詰城とする居館で、伊深城東麓直下の最上段に立地します。居館の位置は比定地で遺構は何も残っていませんが、一般住宅の敷地からは武田菱の龍印が見付かったそうです。

天文十九年(西暦1550年)七月十五日、武田勢は「イヌイの城(埴原城か?)」を攻め取り勝鬨執行、林大城、深志城、岡田城、桐原城、山家城は自落しますが、この岡田城が伊深城だと比定されています。たぶん伊深館も同様であった事でしょう。マニア向け。ただ詰城の伊深城が素敵過ぎるのでこっちだけはお願いしたいところです。

2022年03月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
妙義山狼煙台(鐘平)[稲倉城  周辺城郭]



妙義山狼煙台(鐘平)は稲倉城の南方約4.4km、西方へ延びる山塊尾根上端部、標高約694mのピークの一つに主郭が存します。西麓の舗装路からの比高は55m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている西麓の浅間温泉・庭球公園を目標に設定して下さい。取り付きは南麓の林道からで、獣柵ゲートを開けたら直ぐの場所に道が付いてます。

築城年代、築城者は不明です。信濃のお城の神は該地の狼煙台を示唆する「鐘平」の地名から此処に狼煙台が置かれていたと推測しています。従って浅間郷を所領としていた赤沢氏に関係するものて事になるんでしょかね。

狼煙台の現況は3基の古墳が築かれた概ねで二段の平場です。感じとしてはお父さん古墳が上段、お兄ちゃん古墳とお姉ちゃん古墳がその下段、じゃ、お母さんは何処なのかて言うと父子家庭なんすかね。3基の古墳で三角形を構成、謂わゆる三角関係でもあるので家族じゃないのかもしれません。地山に薄過ぎる古墳があるだけなんでただそれだけの話です。

頑張って文章にしてきましたが、眺めが良いぐらいの残念物件…実は当日、ハード目な物見台を目標にしてそれなりに準備してきましたが残雪厳しく断念(ちょとなら我慢出来るけど、積雪の片道約3.8km、比高約760mは城廻り的には無いでしょう…)、代役の一つに選ばれたのがこの狼煙台です。完全登山装備の美少年がテニスコートの裏山にあったかもしれない温泉街の狼煙台を訪ねるなんて中々だぞ…

救いだったのが南麓にある元塚原青雲高等学校学生寮(廃墟っす。)、三段位にきゅっと縮めた名古屋城天守の趣きを持つモニュメントが付いていて、歴史ある温泉街に屹立するその姿は違和感でしかない…模擬天守ファンは是非訪ねてみて下さいまし。

2022年02月05日 内記かずりヾ(・ε・。)
赤沢氏館[稲倉城  周辺城郭]



たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

赤沢氏館は稲倉城の南西約3.8km、標高約655mの山間部平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている松本市立本郷小学校を目標に設定して下さい。小学校のグラウンド周辺、そこが正に居館の存した場所です。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは赤沢氏です。居館の存した浅間郷は赤沢氏の所領で、甲斐源氏小笠原氏の初代長清の二男、清経が伊豆国田方郡赤沢郷(今も静岡県伊東市に地名が残る。)を本貫地として赤沢氏を称したのが始まりです。初代清経は信濃国埴科郡埴生に移り、後の当主赤沢忠興は中先代の乱において小笠原貞宗に従い北条方の残党鎮圧に功を挙げ信濃国筑摩郡浅間郷、更級郡四宮庄塩崎を与えられ(北条氏遺領を分配された事になる。)塩崎に本拠を置きました。大塔合戦では守護方となり敗北、小笠原氏の内紛に際しては府中の小笠原持長を支持して漆田原の戦いに勝利しますが、当主赤沢対馬守教経は討死しています。

教経の跡を継いだ朝経(悪太郎)は嫡男政経に家督を譲って上洛、室町幕府管領細川政元に従い畿内で暴れまくった事で有名ですね。通称から解るようにやんちゃしてたようですが、冒険を求めて一家を捨てた放蕩親父とも言えるでしょう。嫌いじゃないです。

戦国時代、赤沢氏は二分します。すなわち武田氏に敗れて諸国を流浪した信濃守護小笠原長時に従った者、そして武田氏に従った者です。前者は時の当主智経が三好長慶を頼った長時に従い上洛、北白川の戦いで討死(長時が客将扱いでありながらの討死、長時は先陣だったのかしらん。)、その後は当主貞経が相馬氏に身を寄せ、最終的には徳川家康に五百俵で召し出されて小笠原姓に復し、小笠原流弓馬術礼法を今の世に伝えています。一方、後者の浅間赤沢氏は武田氏被官時代には軍役四十騎(少なくはない。)、天正壬午の乱の際には深志(松本)を回復した小笠原貞慶に従いますが、後に上杉氏との内通を疑われて誅されました。

居館の現況は小学校のグラウンドです。居館の正確な位置は特定されていませんが、特定されても困っちゃうよ…て感じですかね。リア攻め時間は30秒位ですが、これ書くのに1時間30分位掛かりました。阿保なんでしょか。ハイパーマニア向け。訪ねる必要無し。

2021年03月08日 RED副将軍
稲倉城



小笠原氏の一族であった赤沢氏の居城

オススメ度 ★★★★⭐︎

1335年頃に小笠原氏の庶流である赤沢氏によって築かれたとされます。
1550年、武田氏が松本平に侵攻して際には赤沢左衛門尉は武田氏に寝返り、小笠原氏の伊深城を攻め落としたとも云われます。
1582年に武田氏が滅亡すると、赤沢清経は徳川氏の支援により復帰した小笠原貞慶に再び属しました。
1583年に赤沢清経は塔ノ原城の海野氏や小岩嶽城の古厩氏らとともに上杉氏に通じて謀叛を画策。しかし計画が露呈し切腹となり赤沢氏は滅亡しました。

標高約1,000m、比高約230m。
途中から主郭を目指して直登をしましたが、駐車スペースから約30分くらいの登山でしょうか。
ただ、切岸の鋭さはかなりの斜度なので直登はオススメしません。遠回りでも谷底道を進みながら高度を上げてから主郭にトラバースするのが正解みたいです。
帰りは三の郭から降りました。
松本市と言えば、国宝松本城のほかにも小笠原氏の本拠地であり桐原城、林城、山家城、埴原城と魅力的な山城が豊富。
以前に山家城と埴原城は登城済なので、今回は桐原城と林大城、林小城を訪問。時間に余裕があったのでこの稲倉城にも登城をしてきました。
ついでの登城とは裏腹に素晴らしい遺構に吃驚!
大規模な岩盤掘削の一の堀切、土の造形が見事に残る二の堀切、三の堀切と、尾根筋をザクザク削ってます。
知名度は低いですが、信濃の代表する山城としてオススメをします。

写真
①一の堀切
②二の堀切
③二の堀切を堀底より
④本郭背後の物見
⑤二の郭
⑥二の郭の物見台
⑦三の堀切
⑧三の曲輪

2020年01月25日 内記かずりヾ(・ε・。)
伊深城[稲倉城  周辺城郭]



伊深城は稲倉城の西南約2.4km、標高916mの山塊山頂に主郭が存します。東麓の慶弘寺公園からの比高は150m位でしょか。武田氏の府中侵攻の際に自落し、武田氏家臣、小宮山織部が城代となったと伝えられています。

築城年代、築城者は不明ですが、在地土豪である伊深氏、後庁氏の持分であったようです。後庁氏は後に洗馬の三村氏(武居城城主、妙義山城城主)から後嗣を迎えています。

お城のある岡田伊深の地は源義光の五男、岡田冠者こと源親義所縁の地で、親義は木曽義仲に従い倶利伽羅峠の戦いで平清盛の七男、平知度と組討して討死しています。お城の東麓にある慶弘寺跡には「伝・岡田冠者親義の墓」があります。

行き方はGoogleマップに位置登録されている慶弘寺公園、もしくは若宮八幡社を目標に設定して下さい。何れからも登城路が付いています。ただ二つの道は城域に入った辺りで合流するので「結局同じじゃん!」とか突っ込みたくなりますが、無駄無くスマートに帰るためにも慶弘寺跡側から登城しましょう。比高もそんなにないので楽に感じると思います。

お城は素晴らしいです。主郭は土塁付きで切岸には石積みが確認出来ます。主郭北側背後の尾根は5条の連続堀切でぶった斬り、その内の1条はデカくて笑っちゃう二重堀切となっています。二重堀切には竪堀が付いていますが、面白いのは主郭北西側からこの竪堀に斜めに合流する竪堀が1条ありまして、この竪堀は主郭西側腰郭から二重堀切底部に下りるのを今でも阻害していて腹立ちます。又、主郭部から南西側尾根を進むと連続堀切があり、そのどちらにも竪堀が付いています。この竪堀は途中で合流した上で更に別の二本の竪堀が合流して壮大な集合竪堀を形成、凄いです。

帰り道は…そう!城域北端まで見たら主郭に戻り南西側尾根を進み、堀切から東南側斜面に落ちるこの竪堀を下って帰って下さいまし。竪堀は麓付近まで延びていて、丁度若宮八幡社の裏手辺りに辿り着くことが出来るんです。なんてスマートなリア攻め!しかも車捨てたのは若宮八幡社の駐車場、我ながら完璧すぎる…自分が恐いです。

このお城も小笠原ブランド?の築城技術の高さををばっちり堪能させてくれること間違い無しです。稲倉城に来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。

2020年01月20日 内記かずりヾ(・ε・。)
稲倉城



稲倉城の行き方は、国道254号線の北側、稲倉集落内の稲倉峠口の道標がスタートとなります(国道には面していない。)。この峠道は新道と旧道がありまして、旧道の方は通れるかどうかも判りませんが新道は舗装路で四賀の方へ抜けることが出来ます。峠口の道標から少し進むと「稲倉城主御屋敷館跡」の案内板が立っています。井戸跡とかあるらしいのですが、何処にあるのか全く解らないので完全無視でOK♪少し進むと車も通れる獣柵ゲートがありますので車で行きましょう。途中には旧道への分岐がありますが、車は疎か人も行けない感じがしますのでこれも完全無視でOK♪結論から言うと「稲倉城入口」の案内板まで車で行けて駐車スペースもあります。この案内板からは左右に道が別れていますが、登城するには左へ進んだ方が良いです。右は結構な急坂なので帰りに使いましょう、左は比較的緩やかだと思います。途中には写真にあるような石積みとか散見されますが、後世の桑畑のものなので注意して下さいまし。道は途中で不鮮明となりますが、右手には尾根筋が見えているので迷うことは無いでしょう。

お城にはぴったり主郭に辿り着きます。城域は南北に伸びる山塊尾根上に造られていて、奥も深くありません。特筆すべきは通称ニノ郭でしょか、緩やかな段郭で構成されていて面積もあります。まるで天守台のような土壇もあったりして「実際の本郭はこっちなんじゃないの〜」とか呟いたりしますが、通称本郭の段郭が意味無くなるので案内板のとおりでしょう。

帰りは通称三ノ郭を通ってそのまま下って行きましょう。ロープが張ってありましたので直ぐに見付かるかと思いますが、道は悪いので慎重に…さもないと勢い付き過ぎて止まれなくなって枝を掴んで減速しようとした挙句、手の掌を怪我したりするかもしれません…

ちなみに稲倉城からは地図上主郭から北方へ尾根を進んでいけば荒神尾城、鷹巣根城に辿り着けると思うんですが、流石にやる気にはなれませんでした。

2015年11月11日 黒曜石
稲倉城

稲倉峠への林道、途中で獣避けゲートがあります。
ゲートを開けて車で進んでOKです。
山の動物が間違えて里に降りない様に、ゲートを開けたら閉めて下さい^^

2012年07月15日 北川幸人
稲倉城

登城道は、伐採された木、倒木など見誤りやすいので気をつけて。

2011年08月02日 赤いRVR甲斐守@松本
稲倉城

稲倉集落から稲倉峠への林道を進むと、右手に駐車場があります。そこから15分くらいで主郭です。斜面は少しきついですが。

稲倉城の周辺スポット情報

 説明看板(碑・説明板)

 伊深城(周辺城郭)

 赤沢氏館(周辺城郭)

 妙義山狼煙台(鐘平)(周辺城郭)

 伊深館(周辺城郭)

 三才山御屋敷館(周辺城郭)

 横谷入城(周辺城郭)

 鷹巣根城(刈谷原城)(周辺城郭)

 烏帽子岩物見(周辺城郭)

 見場城(見場之城)(周辺城郭)

 荒神尾城(七嵐城・光神尾城)(周辺城郭)

 常光寺山(周辺城郭)

 保福寺番所(周辺城郭)

 猿ごや砦(周辺城郭)

 掻揚城(掛け上城・保福寺城)(周辺城郭)

 稲倉御屋敷館(周辺城郭)

 三才山砦(秋葉様)(周辺城郭)

 早落城(洞山砦)(周辺城郭)

 岡田堀の内館(岡田親義館)(周辺城郭)

 城の内居館(浅間御殿)(周辺城郭)

 茶臼山城(周辺城郭)

 岡田伊深一里塚跡(寺社・史跡)

 岡田宿本陣跡(寺社・史跡)

 保福寺(寺社・史跡)

 保福寺番所跡(寺社・史跡)

 御殿山・小笠原家廟所(寺社・史跡)

 公衆トイレ(トイレ)

 駐車スペース(駐車場)

 駐車スペース(駐車場)

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