伊深城
伊深城([稲倉城 周辺城郭])
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伊深城の口コミ情報
2026年03月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、自然界においても手入れが必要な時と場所があり、人が入らなくなったこれ等は次第に荒廃していくものだ。身近なところでは里山なんかが例に挙げられるだろう。一旦、手が離れるともはや個人の努力のみでは復活が難しい状態にまで追い込まれてしまう。山城の立地する低山はこうした影響を常に受け続けており、探索自体の成果も必然的にお山の現況に左右される。
伊深城(井深城)は稲倉城の西南西約2.2km、女鳥羽川西岸(右岸)、標高916mの伊深城山山頂部を中心に立地する要害です。南麓の国道254号からの比高は200m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。城山東面中腹、同じく位置登録がある「慶弘寺公園」から登城路が付いており、数台が停められる駐車場も付いている。一般的だった、同じく位置登録がある「若宮八幡社」側からの登城路は、現在、倒木等で悲惨な状態、止めておいた方がよい。ちなみに縄張図を参照して長大な竪堀に沿って登る事も十分に可能であったが、こちらの方は惨劇に近い状態、折り重なる無数の倒木が眼前の急な斜面上に縦横無尽に広がっている。死ぬ程疲れるし、何より低雑木の枝が跳ね返って来て顔面を直撃して痛過ぎる。所々には刺々しい凶悪な奴も紛れているので素直に諦めよう。
築城年代は不明、築城者は平安時代の末期に筑摩郡岡田郷に拠った源親義、即ち、岡田冠者の後裔とも伝わる伊深氏が推測され、小笠原氏時代には後庁氏が城主に、武田氏時代の一時期には小宮山織部丞が伊深城の城代であったと伝わる。伊深氏、小宮山織部丞については深掘りが不可能、御庁氏については別の機会に譲りたい。
2回目の訪問、丁度6年ぶりになるのかな。その間に君は随分と変わってしまった…あんなに優しかったのに今じゃ訪ねる者の全てを傷つけまくっちょる…たぶん悪い虫が付いたんだろうな、そう、あの忌まわしい松くい虫て奴だ。あんなに美しかった堀切や竪堀が倒木等で埋め尽くされ、素敵な遺構が全て台無しになっちょる…
…でもおいらは諦めない。何故なら君がどれだけ素晴らしい存在なのかを知っているからだ。時間が掛かっても構わない。振り向いてくれるまでとことん付き合おう。探索時間はまさかの4時間30分強、兎に角、尾根筋の移動が高強度のアスレチック(洒落にならんレベル…倒木上を綱渡りしてたら滑って踏み外してしまい股間をダイレクトヒット…未だにこんな目に遭う子孫の姿に御先祖様は泣いている筈…)と化してしまい、コンパクトな縄張にも拘らず想像以上の時間を要してしまった。
縄張は山頂部に3つの郭と腰郭、山頂から三方へ派生する山尾根上に堀系を穿ち、大手筋には縄張図における通称4郭から始まる雛壇状の小郭群を設けている。主郭は段付きの卵形、北側の半孤を描く土塁が良く残り、西側下段の腰郭へも通じる横入りの坂虎口も確認出来る。見所は主郭北側山側背後の中土塁を挟んだ三重堀切、山頂からの南西尾根を断ち切る連続堀切であろう。特に後者の延長部分に当たる連続竪堀は南東へ長大、山頂からの東尾根に設けられた堀切から落とし込まれる別の連続竪堀と斜面中で合流し1条の竪堀へと集約される様は圧巻だ。又、面白いのは主郭の切岸に付く1条の竪堀、腰郭を経て山頂からの北尾根へと通じる部分だが、今なお横移動を立派に阻害してくれるので腹が立つ。
縄張の説明を読んで、「いいじゃないの、こり。」とか思った方も多いと思うんだけど、文中で書いたとおり現在は肝心の見所部分が全く鑑賞に耐えない。6年前は倒木も殆ど無く、低雑木の群生も全然気にならなかったのにねぇ…今回の再訪の目的は、新しいコンデジ君のテストを兼ねて伊深城の魅力を写真に納める事だったんだけど、年月を重ねたその姿は少々残酷だった。そりでもおいらは必死に頑張ったさ。少しでも良い所を探し出そうと城域内外をこりでもかとアスレチックさしてもらった。顔に傷を受けたし、耳の中に小枝が突き刺さる謎現象も味わった。されど後悔の念は微塵も無い。おいらはこのお城が大好きなのだ。
※鉢巻石積みも残る主郭部だけはすっきりとしている。
※城山の北側隣峰から落とし込まれる凄まじい竪堀様地形を発見した。一応木落としのアレと推測するが保留としておこう。
※築城者は伊深氏〜城山東面中腹にかつて存在した慶弘寺は、隣接する浅間郷に拠った赤沢氏の開基と伝わっている。ちなみに応永七年(西暦1400年)七月から続いた「大塔合戦」の際には、守護方として参陣した者の内に「井深勘解由」の名が見られる。
※小宮山織部丞〜今回、偶然にも居館地と伝わる場所を発見した。嬉しい事にしっかりとした説明板が立っている。同じ稲倉城のリア攻めマップにスポット登録しておいた。









