三才山御屋敷館
三才山御屋敷館([稲倉城 周辺城郭])
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三才山御屋敷館の口コミ情報
2022年03月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
三才山御屋敷館は稲倉城の南東約1.4km、女鳥羽川北岸(右岸)、標高約797mの河岸台地上平場に存した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されている南側の明広社を目標に設定して下さい。北側にある空地周辺が該地となります。
築かれた年代は不明、該地は稲倉城主、赤沢氏の所領で、東方標高1629.3mの戸谷峰から西方へ延びる山塊尾根上、標高1110mのピークの一つには同じ稲倉城のリア攻めマップにある三才山砦が存し、元文二年(西暦1737年)の書上帳では「城主赤羽大膳殿屋敷」とあり、三才山砦城主の平時の居館であったと推測されます。て事は赤羽大膳は赤沢氏の被官であったようですね。
居館の現況は集落の一部です。該地の「大屋敷」の屋号を持つ空地周辺が居館の中心部となります。当地はGoogleマップの航空写真を見れば一目瞭然なのですが、東へ進めば三才山峠、武石峠の何れかをを経て小県郡へ、西へ進めば稲倉の谷筋を抜けて安曇郡、筑摩郡に至る地味に交通の要衝でした。見方を変えれば松本平の入口に当たる地峡部の一つでもあり、人が住するという居館以外の利用目的もあった事でしょう、意外にも今現在も周辺には要害地形が残っています。又、該地に残る古い時代の石垣の存在は戦国時代のみならず、少なくとも幕藩体制発足後も何らかの形で利用が続けられた証左なのかもしれません。当然、更に後世の改変なのかもしれないのですが…
リア攻めの単独目標にはなり難いと思われますので、東方背後の三才山砦とセットで訪ねる事を推奨します。が、三才山砦は登城が大変厳しい…アテンド頼まれても、「こっから登って、尾根に出たら右へ行ってね。おいらは車で寝てるから。」みたいな投げっぱなしアテンドになる事確実な物件なので登る際にはそれなりの覚悟を決めましょう。小さな砦とはいえ簡単には拝めないのです。