三才山砦(秋葉様)
三才山砦(秋葉様)([稲倉城 周辺城郭])
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三才山砦(秋葉様)の口コミ情報
2026年01月15日 上総介赤備えヾ(・ε・。)
三才山砦(秋葉様)は稲倉城の東南東約1.9km、女鳥羽川北岸(右岸)、標高1110mの山稜山頂部を中心に立地する砦です。西麓の小日向公民館からの比高は310m位でしょか。
該地の松本市三才山は交通の要衝であった。小県郡と筑摩郡とを山塊山中で結ぶ三才山峠道の筑摩郡側の関門の地であり、三才山砦はそのとば口を直接扼している。古代には東山道の脇道、中世には鎌倉道の一つ、近世には参勤交代する松本藩が頻繁に利用した。同道は、江戸時代の中期頃には武石峠道、保福寺峠道等にその役割を譲って次第に廃れていったらしいが、峠自体の標高が約1505m、難所が多かったのがその理由であろう。
行き方は…前述した、Googleマップに位置登録されている「三才山 小日向公民館」を目標に設定して下さい。この公民館に車を捨てたら、付近の小日向バス停から南東へ伸びる舗装林道を登り詰めて尾根間鞍部を目指す。林道の終点から獣柵ゲートを開けて暫く進んだら、左手に立ちはだかる山尾根の急な斜面を無理矢理にでも登ろう。尾根稜線上に出たら東方を目指して更に登れば辿り着く。ちなみにバス停付近には説明板が立ち、石柱も建っているが、案内表記が示す登城路は完全に消失しているのでそのとおりに登るのは止めておこう。
…実は一度口コミしている物件なんだけど、位置に微妙な誤りがあったんで削除してしまった。その中でおいらは二度と行かねぇ宣言をしているんだけど、その理由は尾根稜線上に上がるまでが死ぬ程辛いから…取り付く場所によって差があるとはいえ、比高120m位のただのお山の斜面を一気に直登する。忖度無し、盛り無しで角度は40°〜45°、足元は松の枯葉の堆積した栄養満点の腐葉土となっており、歩みを進めればいとも簡単に崩れていく。支点に出来る雑木も殆ど無く、作業用手袋を装着して文字通り地面を掴みながら登る事になる。人間である事を忘れよう。
築城年代は不明、築城者は小笠原氏の分流、赤沢氏、城主には同氏の被官、赤羽大膳の名が伝えられている。赤沢氏は伊豆国田方郡赤沢郷を発祥とするが、建武二年(西暦1335年)、信濃守護、小笠原貞宗に従い、北条時行の与党を退治するために信濃国内各所へ出張し、その恩賞として筑摩郡浅間郷を宛行われ伊豆国を退転、同地に移り住んだと考察されている。但し、室町時代以前の赤沢氏の事跡は殆ど不明であり、そもそも論で伊豆国を発祥とする事自体が不審とする意見もある。
縄張は山頂部に帯郭状の腰郭を持つ土塁囲みの主郭、別に主郭からの東尾根に三段程度の小郭を配した単純なもの。城域内には4条の堀切が確認出来るが、堀切だと素直に断定する事が難しいものも含んでいる。感動するのは主郭部とその西側谷側前面に付く堀切か。主郭をほぼ全周する土塁が良く残っており、腰郭の削平もしっかりと見て取れる。後世、秋葉社が勧進された事から多少の改変は疑われるが、砦としての形状がほぼ完存しており、全体的には愛すべき小品の印象だ。
但し、訪ねた全ての人が疑問を持つ点も存在する。城域外、直登して来た山尾根の南側斜面に2条程の凄まじく立派な竪堀様地形が見られる事と、主郭からの南尾根に二重竪堀様地形が付いている事だ。前者については砦の備えとして一つも寄与していない事から木落としの「アレ」かと思われるが、後者については竪堀の終端が崖地で終わっている事から城郭遺構である可能性を残す。木落としの溝であれば二重にする必要も無いだろう。
主郭に存在した秋葉社は見る影も無いんだけど、かつては祭礼のために小日向集落の子供達がよく登ったんだそう。今じゃラインマン以外は殆ど人の入らないお山、年配のジモティーの方は、「もう、あんな山、登れないよなぁ…」て仰られていた。ついでの話の中で砦の現況を訊かれたんで、「堀と土塁が良く残っていますよっ!感動しやしたっ!」て答えると眼を細めて凄く嬉しそうだった。変態も少しは人のお役に立てたようだ。
※山城探索で最良なのはトレッキングシューズではなく長靴だ。ジャストサイズが存在しないのが玉に瑕だが、工夫すれば十分にフィットさせられる。大体にして3kmを歩く事は稀だし、全天候に対応可、ゲーター要らずで汚れず、激藪も躊躇無く歩き回れる。おまけに安い…
※三才山〜書き忘れたけど「みさやま」て読ませる。本来は諏訪社に関係する「御射山」だったろう。南麓、女鳥羽川の対岸には、建武二年に御射神社秋宮が赤沢氏によって勧進されている。
※松本城博士のおいらが上から目線で教えてあげるけど、御射神社秋宮に建つ虚空蔵宮は、寛文八年(西暦1668年)、時の松本藩藩主、水野忠職が松本城の鬼門除けとして創建したものだ。御射神社秋宮にあっては同じ稲倉城のリア攻めマップにスポット登録だけしておく。









