青柳城(あおやぎじょう)
青柳城の基本情報
通称・別名
- 青柳館
所在地
- 長野県東筑摩郡筑北村青柳字東山
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 青柳氏
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- 武田信玄、小笠原貞慶
主な城主
- 青柳氏、松林氏(小笠原氏家臣)
廃城年
- 慶長元年(1596)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、竪堀、石積
指定文化財
- 県史跡(青柳氏城館跡)
再建造物
- 模擬櫓門、模擬冠木門、石碑、説明板
周辺の城
-
麻績城(長野県東筑摩郡)[4.2km]
虚空蔵山城(長野県松本市)[7.4km]
荒砥城(長野県千曲市)[10.7km]
松田家館(長野県千曲市)[11.5km]
葛尾城(長野県埴科郡)[13.4km]
岡城(長野県上田市)[13.5km]
屋代城(長野県千曲市)[14.3km]
牧之島城(長野県長野市)[14.9km]
稲倉城(長野県松本市)[15.4km]
平瀬城(長野県松本市)[17.8km]
青柳城の解説文
[引用元:Wikipedia「青柳城」の項目]
青柳城(あおやぎじょう)は、長野県東筑摩郡筑北村坂北にあった日本の城(山城)。「青柳氏城館跡」として長野県指定史跡[1]。
概要
青柳城はこの地の豪族で、麻績氏の一族である青柳氏の城であった。
信濃守護の小笠原長時が武田晴信に敗れた後、小笠原氏に臣従していた青柳清長は武田氏に従った。
天文22年(1553年)の第一次川中島の戦いでは、晴信が一時青柳城を居城とした。また、この合戦では長尾景虎(上杉謙信)は更級郡から筑摩郡へ進出し、青柳城に放火した。
武田氏滅亡後、青柳頼長は上杉景勝に従い、信濃府中を回復した小笠原貞慶と青柳城・麻績城を争い、後に和議を結んだが、天正15年(1587年)には深志城(松本城)で誅殺される。その後は小笠原氏の家臣の松林氏が在番したが、慶長年間には廃城になった。
現在は青柳城址公園として整備され、模擬城門などが復元されている。曲輪、堀切など遺構もよく残っており、一の曲輪には小笠原貞慶時代の布目積みの石垣を見ることができる。
頼長の息子・青柳清庵はのちに真田家臣となる。慶長5年(1600年)の真田昌幸の九度山行きに随行した16名のうち、真田信繁(幸村)と大坂入城した数少ないひとりである。昌幸死後、他の家臣が上田に戻っていったのに対して、高梨内記と青柳清庵の2人は信繁と共に九度山にとどまり大坂の陣に出陣。 最後は大坂夏の陣にて信繁と共に討死したとみられている。
館跡
現在の清長寺付近が館跡である。清長寺は、天正元年(1573年)、青柳城主・青柳頼長が父・清長の菩提を弔うために創建した。小笠原氏が青柳氏を滅亡させた後、居館跡の現在地に寺を移して整備した。
切通し
天正8年(1580年)青柳頼長が切り開き、麻績宿から青柳宿への通行を容易にした。江戸時代には享保元年(1716年)、明和6年(1769年)、文化6年(1809年)の3回にわたって切り下げた記録が切通しの岩に刻まれている。周辺には百体観音が安置された。『善光寺道名所図会』には「是によりて旅人ともに牛馬の往来いささかも煩はしき事なく野を越え山を越して麻績宿に到る」とある。
最も大きい切通しで高さ6メートル、幅3メートル、長さ27メートルで史跡に指定されている。
参考文献
- 南原公平 著『信州の城と古戦場』 しなのき書房 2009年
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青柳城の口コミ情報
2022年05月22日 RED副将軍
青柳城
みんな大好き青柳城の石積み❤️こんなに素晴らしい遺構でも信濃の山城では自身のトップ5には入ってません。7番目くらいかな🥳
オススメ度 ★★★★★
地域の有力豪族であった麻績氏の一族、青柳氏の居城。信濃守護の小笠原長時に従っていましたが、小笠原氏が武田晴信に敗れると、武田氏に従います。武田氏滅亡後、青柳頼長は上杉景勝に従い、徳川家康の援助により復帰した小笠原貞慶と争った末に謀殺されました。その後、小笠原氏の家臣の松林氏が在城しましたが、慶長年間に廃城となりました。
見所
主郭北側の布積みの石塁。小笠原氏城郭の特徴。高さ2m、幅8mと山家城と並び見応え充分。復元された楼門を越えると長大な二重堀切が阻む。早朝の撮影は雲海に包まれ幻想的でした。
2022年01月05日 内記かずりヾ(・ε・。)
竹場城(鍋山城)[青柳城 周辺城郭]
竹場城(鍋山城)は青柳城の西方約2.9km、麻績川南岸(左岸)、東条川西岸(左岸)、別所川東岸(右岸)、標高734mの鍋山山頂に主郭が存します。北麓の長野県道55号線、大町麻績インター千曲線からの比高は160m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。登城路は3ルートあるのですが、北麓の竹場秋葉社からのルートが最も楽だし早いでしょう。此処に至る令和元年の台風19号で流出した麻績川に掛かる小さな橋梁も現在復旧しています。
築城年代は不明ですが、築城者は青柳(麻績)氏で青柳城の支城の一つとして整備されたようです。城主として竹場源之丞定友の名が伝えられていますが、当主の青柳伊勢守頼長(子の清庵は真田昌幸、後に信繁に仕えて大坂夏の陣で討死…)が天正壬午の乱の際に松本城において小笠原貞慶に誘殺(頼長は従属しながらも貞慶を快く思わず、諏訪大社上社副祝に依頼して貞慶を呪詛していた。)されると本城と共に落城、廃城となったようです。山麓には松本と善光寺平を結ぶ北国西脇往還が走り、江戸時代に入ると青柳の地には宿場が設けられていました。青柳宿はすっかり廃れましたが、現在は道の駅さかきたが整備されていたりしますね。
お城の現況は見る人によって評価の分かれるところなんですが、誰が何と言おうと自分は高評価です。主郭から三方へ尾根が延び、合間に郭を挟みながら堀切や竪堀で尾根筋をぶった斬っています(縄張図は実に期待させてくれる…)が、堀切が浅めでファジーな印象を受けるのが評価の分かれ目なんでしょう。又、縄張図外の箇所(登城路も含めて。)に自然地形とはとても考えられない削平地やぽこぽこが残ってたり(虎口っぽい岩場まである。)して大変悩ましい…沢跡か地滑り跡とは思うんですが、畝状集合竪堀にしか見えない地形なんかも確認出来ます。
お山は留山です。山主は知らなかったとは言わせないとばかりに守りを密にしています(罰金は平均的な三十万円、鈴が付いてたよ…)のでシーズン中は無理(藪も多いです。)でしょう。が、城友さんが言うように山城好きには発見が多いお城です。素晴らし過ぎる青柳城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。
2021年04月14日 内記かずりヾ(・ε・。)
日岐城[青柳城 周辺城郭]
日岐城は青柳城の西方約8.5km、犀川に向けて大きく張り出した西方山塊から延びる標高約627mの尾根上端部に主郭が存します。東麓からの比高は100m位でしょか。
お城の立地は北東南で犀川の流れを天然の水堀とする要害の地です。地図等で確認すれば此処にお城を築くのは必然と感じる事でしょう。
行き方は同じ青柳城のリア攻めマップにある日岐殿屋敷を参照して下さい。この居館の事実上の詰城となっています。登城路は遊歩道がきちんと整備され大変散策し易いです。ただ遊歩道から外れた部分にも遺構が残っていますので気になったら道を外して下さい。又、獣の気配が微塵も感じられない信濃では稀有なお城でして安心して登城出来ます。
実戦経験のあるお城でもあります。天正壬午の乱に際して上杉方であった城主の日岐氏は小笠原氏の侵攻を受けて日岐盛武は降り、その後兄盛直の説得を受けて上杉氏に再び従属、これにより日岐城は小笠原氏の再侵攻を招きます。小笠原勢は攻めあぐねたらしく落城まで約1ヶ月の期間を要しましたが、日岐城の捉え方自体が北東にある日岐大城(あるいは周辺諸城も。)も含んでいると考えられてるので、日岐城の単独落城はもう少し早いかもしれません。ちなみにこの頃の日岐氏には鉄砲の存在があったようで、小笠原勢の馬の口取り人足が被弾した旨の記録があるそうです。
お城は複雑な縄張ではありませんが、要害地形を十分に生かした造りです。搦手側は意外な程あっさりしてますが、主郭の切岸はとてもじゃないけど登れなかったことでしょう。又、しっかりした虎口や片側土塁の段郭にセンスを感じたりもします。
戦い敗れた日岐氏は二つに別れ、日岐盛直は上杉氏に逃れて武水別神社神官家松田家の名跡を継ぎ稲荷山城主に、弟の日岐盛武は兄の所領も安堵され小笠原氏に帰参(内通していたとも。)しました。そういえば城めぐにも登録されている松田家館はこの神官家の居館ですね。残念ながら最近全焼しましたが…
歴史は色んな繋がりが理解出来ると途端に面白さが倍増しますね!こういうのって現地に赴かないと中々調べないものですが、幸いにもこのアプリの住人は城めぐら〜その機会は無限にあるのさ〜
※日岐大城にも行こうとしましたが、登城?(登山かな。)が面倒な事で有名です。自分も当日になって面倒になり未見…次回にしときます。
2019年06月03日 龍馬太閤【懸かり乱れ龍】
青柳城
石積みは布目積み☆小笠原氏時代の拡張時に築かれる☆右側は急斜面☆力強い石積みが印象的な素敵な城郭☆
2019年06月03日 龍馬太閤【懸かり乱れ龍】
青柳城
善光寺街道の名所の一つ☆切通し☆青柳伊勢守頼長により切り開かれた☆その後も時と共に3回にわたり切り下げられた☆ずっと見てたくって寝転びながら撮影w
2019年06月03日 龍馬太閤【懸かり乱れ龍】
青柳城
二重堀切の一本☆両側は深く鋭い竪堀に繋がる☆主郭に向かうまでの尾根を連続で掘り切る☆
2019年05月29日 龍馬太閤【懸かり乱れ龍】
青柳城
一の曲輪・小笠原貞慶時代の布目積みの石積み☆信濃守護の小笠原長時が武田信玄様に敗れた後、小笠原氏に臣従していた城主・青柳清長は武田氏に従う☆
2019年05月26日 龍馬太閤【懸かり乱れ龍】
青柳城
城郭に入った瞬間が分かる二重堀切☆巨大な土塁を中央に置き敵兵の足を止める☆両側は深い二重竪堀となる☆麻績一族の青木氏が築城☆第1次川中島合戦では武田信玄様が一時ここに居城☆
2019年05月25日 信州左衛門佐克幸
青柳城
ここは標高900m以上ですぞ(´Д`|||)二重の堀切がいくつもあったり、石積みも正面から撮影できないくらいの断崖…これぞ、山城!!を堪能できますした(* ̄∇ ̄*)
2019年05月25日 信州左衛門佐克幸
青柳城
大切通し 内部をよく見ると確かに人間の力で石を削る跡がハッキリと確認できます。天正8年
2019年05月08日 くらやみ志摩守☘️
青柳城
一の郭北側の石垣。松本平の小笠原氏がお得意の布目積み。
2019年04月30日 大隅守上
駐車場[青柳城 駐車場]
搦め手側駐車場
2019年04月26日 笑門来猫
青柳城
青柳城の主郭から麻績城と麻績川を眺める。長野の桜は今日時点でも、まだ咲いてるとこ結構ありました。
2018年12月30日 カーネル
青柳城
篠ノ井線坂北駅から、真東に進めば、ほぼ直線で本丸まで行けます
駅を背に進むと、道が緩やかに右に曲がります。当初目的地に設定してた硯水寺が右。左が青柳城。とある。悩んだ末に左に進むと青柳宿の町並みで、石垣積みの水路等が見られます
先に進んで、道が左に曲がるところに右斜めに入る路地に青柳城→の看板があるので、狭い舗装路の坂を登る
この先は案内が途絶えますが左上に見える丸い謎の構造物に向かって進むと、国土地理院地図で、お城の南南西にある沼の、ところにでて、ここにお城の案内図があります。ここまで車でもこれます。路駐になりますが、交通量も少ないので、多分大丈夫です
階段の山道を登る。途中からつづらをきって登るのですが、雪があったため、右側にある竪堀がキレイに見えます
いくつかの帯曲輪を経て冠木門にでると、左が山頂で本丸。冠木門に戻り、南西に青柳公園への道を進んで堀を堪能してから、来た道を戻りました
往復して90分でした
2018年09月12日 昌幸太閤耳川の戦い
青柳城
車でしたら青柳城址公園の看板を目安に登って来て下さい。畑の中に時計が見えてきたら近くです。公園入り口は獣除けゲートで塞がれてますので、開けて車ごと入り駐車場に止めて下さい。
駐車場からは15分ほどで本郭に到着です。
本郭ではこの城一番の見所、石積みを楽しめます。平場がないためある意味間近で石積みを堪能できます(笑)足元にはご注意ください。
なお三ノ郭で大手道と繋がっており、少し下ってみましたが、道が分かりづらくなってました。居館跡である清長寺から続いているらしいのですが、清長寺へ行く道が軽自動車でも狭い道のため、あまりこちらから登る方がいなくなってしまったのが原因かと思います。
この城は石積みが一番の見所ではありますが、途中の竪堀や堀切も深くかなり見応えがあります。特に駐車場から程なくある二重竪堀はおすすめです。藪のない時期にもう一度来訪したい城でした。
2015年06月08日 大宰大弐まぁちゃん
青柳城
碩水寺の前を過ぎて少し走ると高台のキャベツ畑が。そのキャベツ畑を上に向かって進むと、小さな青柳城の方向示す看板が出てくるので、それに従って!!草が生い茂っていて、危ないので服装注意。あまり中も道案内がないので天気の良い明るい時間がオススメです。
2013年06月07日 赤いRVR甲斐守@松本
青柳城
もう一つ、青柳宿東の清長寺が館跡、その裏手から登城できます。ただし、寺までの道は狭い!
2013年06月06日 赤いRVR甲斐守@松本
青柳城
坂北小学校東のけん(石ヘんに頁)水寺というお寺を目指し、その前を過ぎて少し走ると高台、城の裏手に出ます。広い駐車場完備。模擬城門をくぐると、堀切を経て主郭へ。
青柳城の周辺スポット情報
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