日岐城
日岐城([青柳城 周辺城郭])
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日岐城の口コミ情報
2021年04月14日 内記かずりヾ(・ε・。)
日岐城は青柳城の西方約8.5km、犀川に向けて大きく張り出した西方山塊から延びる標高約627mの尾根上端部に主郭が存します。東麓からの比高は100m位でしょか。
お城の立地は北東南で犀川の流れを天然の水堀とする要害の地です。地図等で確認すれば此処にお城を築くのは必然と感じる事でしょう。
行き方は同じ青柳城のリア攻めマップにある日岐殿屋敷を参照して下さい。この居館の事実上の詰城となっています。登城路は遊歩道がきちんと整備され大変散策し易いです。ただ遊歩道から外れた部分にも遺構が残っていますので気になったら道を外して下さい。又、獣の気配が微塵も感じられない信濃では稀有なお城でして安心して登城出来ます。
実戦経験のあるお城でもあります。天正壬午の乱に際して上杉方であった城主の日岐氏は小笠原氏の侵攻を受けて日岐盛武は降り、その後兄盛直の説得を受けて上杉氏に再び従属、これにより日岐城は小笠原氏の再侵攻を招きます。小笠原勢は攻めあぐねたらしく落城まで約1ヶ月の期間を要しましたが、日岐城の捉え方自体が北東にある日岐大城(あるいは周辺諸城も。)も含んでいると考えられてるので、日岐城の単独落城はもう少し早いかもしれません。ちなみにこの頃の日岐氏には鉄砲の存在があったようで、小笠原勢の馬の口取り人足が被弾した旨の記録があるそうです。
お城は複雑な縄張ではありませんが、要害地形を十分に生かした造りです。搦手側は意外な程あっさりしてますが、主郭の切岸はとてもじゃないけど登れなかったことでしょう。又、しっかりした虎口や片側土塁の段郭にセンスを感じたりもします。
戦い敗れた日岐氏は二つに別れ、日岐盛直は上杉氏に逃れて武水別神社神官家松田家の名跡を継ぎ稲荷山城主に、弟の日岐盛武は兄の所領も安堵され小笠原氏に帰参(内通していたとも。)しました。そういえば城めぐにも登録されている松田家館はこの神官家の居館ですね。残念ながら最近全焼しましたが…
歴史は色んな繋がりが理解出来ると途端に面白さが倍増しますね!こういうのって現地に赴かないと中々調べないものですが、幸いにもこのアプリの住人は城めぐら〜その機会は無限にあるのさ〜
※日岐大城にも行こうとしましたが、登城?(登山かな。)が面倒な事で有名です。自分も当日になって面倒になり未見…次回にしときます。