高松薬師城(横谷城)
高松薬師城(横谷城)([青柳城 周辺城郭])
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高松薬師城(横谷城)の口コミ情報
2026年03月06日 内記かずりヾ(・ε・。)
高松薬師城(横谷城)は青柳城の西南西約7.9km、犀川東岸(右岸)、潮沢川北岸(右岸)、安曇野市と東筑摩郡筑北村に跨る小山脈中の一山、標高906mの通称、岩州山山頂から南西へ伸びる尾根稜線上、標高約871mの小ピークを中心に立地する砦です。南麓の国道403号からの比高は290m位でしょか。
行き方は…Googleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい…なんだけど、そのままじゃ行けないんで登山系アプリ等で「岩州公園」の登山記録等を参照して下さいな。安曇野市の同公園は皆が想像するような一般的な公園ではないんだけど、公園を縦断する山道はお手軽なトレッキングコースとして知られており、このコースから分岐する登城路が付いている。分岐には「横谷城入口」て書かれた案内板が寝ているので迷う事は無いだろう。
補足しておくんだけど、車が「岩州公園→、六地蔵→」て書かれた緑の案内板の立つ場所まで入る。此処に車を捨てて残りの道程を徒歩で登れば楽が出来るだろう。普通車でも頑張れるしこの場所での転回も十分に可能だ。
2回目の訪問だ。前回の訪問は小山脈を縦走一周して6物件を片付ける急ぎ足のリア攻めとなってしまい見落とした部分もかなり多かった。今回の訪問は3物件に限定して探索に後悔無きよう心掛けた。
築城年代は不明、築城者は丸山氏です。同氏は仁科氏の分流だが、語る場所が腐る程あるので詳細については別の機会に譲りたい。ちなみに当該小山脈は、青柳氏と丸山氏との境目に当たり丸山氏の持分、戦国時代の両氏は同族だが、支配領域には当然ながら譲れないものがあったのであろう、高松薬師城は一般的に言われているような武田氏への備え等ではなく、両勢力間を明確に区分するための砦であったと考える。又、「安筑古城開基」には、「天文年間(西暦1532年〜1555年)丸山丹波の伯父、丸山筑前政友ここにいる」とあるが、事実ならば同名が城番衆等を置いて管轄していたに過ぎないと思う。ちなみに応仁の頃(西暦1467年〜1469年)、横谷和泉守なる者が築城したとの伝承もある。
車を捨ててからの登城は楽だ。距離にしたら0.9km位だろうか。最終局面を除けば殆ど横移動に終始するので体力の消耗も殆ど無いと思う。途中にはGoogleマップに位置登録されている「山の神 神楽殿」なる物件もあるのでこの小社にお参りしてから登ろう。ちなみに神楽殿の方は相当に立派な建築物であり、この険しい山中にある事が全く意味不明な代物だ。
堀切跡とも見て取れる窪地形に架かる木橋を渡り、痺れるような細土橋様地形を進んで城地を目指す。何処から城域が始まるのかは判断に迷うところだが、個人的には前述した窪地形の背後、痩せ尾根から急に斜面が立ち上がる部分がそうだと考える。
風化によって郭の形状が不明瞭であり、ファジーな部分も見受けられるが、縄張自体は完結しており纏まりはよい方かと思われる。城郭遺構としては埋まり気味の堀切と明瞭な土塁、他に主郭部の北側下段に「馬やくぼ」と呼ばれる馬隠しの窪地がある。三方を断崖とした占地は人工の跡を殆ど必要としないものではあるが、出来る限りの普請が行われたと思われて好感が持てる。
周辺地域は国道の開通によって様変わりしたが、モータリゼーションが発達する以前は、東西南北、様々な山中の生活道が村落間を縦横無尽に結んでおり、中世〜戦国時代にかけては数多くの城館が要所を選んで築かれていた。これ等が道押さえの番所としての役目を果たしていたのは勿論だが、勢力間の境目を示すと同時に狼煙台や物見台としての備えを有していた事は想像に難くない。
岩州公園や潮沢谷の周辺一帯は廃集落の宝庫であり、その道の変態達にはよく知られている。かつては村とも呼べない戸数3件程度の小集落が至る所に点在し、その主な発生をそれぞれの付近城砦に勤仕した番士等の根小屋に求める事も出来る。つまりはその子孫等がそのままその土地に根差した訳だ。各集落は昭和の三十年代を最後に退転を終えたようだが、今でも管理が続けられている所は多い。先祖が大切にしてきた土地に拘るその想いには頭が下がるばかりだ。









